可成矢が周辺一帯の地形再調査を終え、シェバ村跡に戻ってきたのは2時間ほど後だった。
真面目な可成矢は肩を落とし、「やはり周辺には廃村以外の人工物はありませんでした……」と報告する。
そして真面目な可成矢は律儀にツッコミもする。
「あの、此結さん。どうして或斗さんを椅子にしているんですか?」
「
身長186cm、ある程度筋肉のついた成人男性の全体重をその背と腕と腿で支えている或斗は全体的にプルプルしていた。
頭に血が上って顔は真っ赤になっているし、力み過ぎて息は止めているし、プルプルはガクガクに変わりつつあるし、どう見ても限界間近であった。
「任務中に暇を潰さないでください。あと或斗さんも潰さないでください」
可成矢が困った顔で進言したことにより、普は仕方ねえなとばかりに舌打ちして或斗の上から退いた。
態度が悪い! と抗議することも出来ず、或斗は土の上にべしゃりと倒れ伏し、ゼエハアと全身で呼吸をする。
必死に息を整える或斗へ、普は言い放った。
「その泥まみれのドブくせえ状態で俺と同じ車に乗るなよ」
今日も普は元気である、或斗は不満や怒りを通り越してそう思った。
ちなみに、椅子にされる前は訓練と称して抜き身の剣を持った普と強制的に鬼ごっこをさせられたし、普に背中を踏まれた状態で腕立て伏せ100回を強制された。
或斗は胸に刻んだ、出先で普を暇にさせてはならないと。
可成矢は、死にかけの虫の如くピクピクしている或斗へ水を与え、どこから出したのか分からない酸素缶を吸わせ、一通り介抱してくれた。
他にはやっぱりどこから出てきたのか分からない湿布薬なども貼ってくれ、或斗は感謝しかなかったが、同時にこの人前に栞羽さんが言ってた旧時代の何とかえもんみたいだな、とも思った。
タヌ、タヌえもん……? ドブえもん……? 近いけど何か違うな……或斗が益体もないことを考えて息を整えている間に、可成矢が2人の前に大きめのタブレットを出し、周辺地図を見せた。
「平面上はこのように、立体的にはこのようになっています」
タブレットのモード切替により、上から見た平面的な航空測量図と、ホログラム式に浮かび上がる立体測量図の2つを見せられる。
「現在地のシェバ村跡はここです」
可成矢が地図の真ん中付近に印をつける。
山間にある小さな村落跡である、周囲にも塔などという目立った物は見えない。
何なら電波塔すらも無い。
「クソ田舎だな」
「人の故郷にクソとかつけちゃいけませんよ普さん」
「クソ野郎の故郷なら良いだろ」
そうか……? そうかも……言いくるめられかけている或斗をおいて、可成矢は話を続ける。
「今までの情報を整理しますと、まずSNSでの旅行者の発言では『一晩で消えた摩天楼を見た』とあり、バル=ケリムのものと見られる手記には『月に1度だけ現れる登れない塔』『入口に『カージャー』のマークがある』とありました。どちらもこの村周辺というだけで、具体的な位置は全く特定出来ませんね」
「ついでにどっちも24年前までの情報だ、今残ってるかどうかも分からねえと来た」
「しかしバル=ケリムが最期まで秘匿していた情報です。現在にも繋がる何かがあると予想します」
「予想に予想を重ねてもな。そもそも月に1度ってのがいつのことだか特定しない限り、お前ずっとここで待機だぞ。俺とドブネズミは日本に帰るが」
「……溜まる仕事の量を考えると恐ろしいですが、情報班のKたるもの、そのくらいは……」
「問題は『カージャー』の連中だ。俺らの、てかドブネズミの動きをあの狂人どもが追ってないわけがない。この場所に何かあるってことは既にヤツらにバレてると考えて動くべきだ。お前1人居残りしてみろ、絶対ロクな目に遭わねえ。言っとくが、俺には栞羽に下げる頭は無いからな」
話し合う2人を横に、或斗は考えを巡らせた。
塔はダンジョンである可能性が高い、ダンジョンは25年前に現れた、25年前から出現するようになった塔……。
或斗がそっと手を挙げると、普がベシリと叩き落した。
「ちょっと! 何で叩き落したんですか今!」
「うるせえ言いたいことがあるなら口で言えボケ」
或斗は憮然としつつ、咳ばらいをして思いついたことを話す。
「その、塔ってダンジョンである可能性が高いわけじゃないですか。ダンジョンは25年前に突然現れました。もしかしたら、ダンジョン発生の前と後で何か地形に変化があったりとか、してないんでしょうか」
「ほー、ドブネズミにしちゃ小賢しい意見だな」
「一理ありますね。ダンジョンは主に空間を捻じ曲げて内部を拡張させているものなので、外見からはすぐに判別のつかないものが多いです。しかし同時に、ダンジョン発生と共に大きな地形変化があった例も世界中に複数あります。ダンジョン発生以前のデータは航空測量図しかありませんが、比較してみましょうか」
可成矢がタブレットを操作し、いくらかして今現在の地図と26年前の地図が比較されて表示される。
「これは……ありますね、変化。ここから東側に小さな湖と、西側に地割れ……地面の隆起によって地層が露出している箇所があります」
「湖と地割れ……?」
塔とはどうも繋がらない地形である。
首を傾げる或斗の目に、シェバ村跡に近い小さな洞窟が目に入る。
「この洞窟って、ダンジョンとかですか?」
「いえ、こちらはダンジョンではありません。小さな洞穴でしたので、動物かモンスターが巣にしている可能性はありますが。気になられるなら、行ってみますか?」
「そうですね……ひとまず、この洞穴を見て、湖と地層の場所へ行ってみましょう。何か俺の目で見えるかもしれない」
普さんもそれで良いですか?と振り向くと、普は眉をひそめて周囲を見回していた。
「此結さん、どうされました?」
「まさか、敵?」
普の警戒姿勢に、或斗も可成矢も周囲を見回す。
が、特に何の音もしない。
或斗ほどではないが、可成矢もどちらかといえば人間寄りなので、気配の察知がどうたらという謎技術はさほど発達していないのだ。
代わりに対人観察術などは、或斗の何百倍も鋭いのだが。
「……いや、今のところは気にすんな。さっさと行くぞ」
普が剣に手もかけていないということは、ひとまず安全なのだろう、或斗はそう判断して、可成矢の案内の下近くの洞穴へ向かう。
生い茂った草木にほとんど道を塞がれるようにしてあった洞穴は、おそらく動物すらも住処にはしていないだろうとわかるほど、何者の出入りの痕跡もなかった。
或斗は葉や枝を掻き分けながら何とかして小さな洞穴に身を押し込む。
3人の中で最も小さい或斗だからこそ入れたが、他2人が入るには狭いだろう。
可成矢から電気ランタンを借り、洞穴の中を照らしてみる。
穴は行き止まりもすぐ先で、奥には木や竹で出来た子供のおもちゃらしきものが朽ちかけていた。
「子供の……おもちゃみたいなものがあります」
「近所の村の子供の遊び場だったのでしょうか。場所としてはちょうど良さそうですからね」
おもちゃに色とりどりの石ころ、在りし日の子供の笑い声が聞こえてきそうな品々だった。
やりきれない気持ちになって視線を逸らすと、洞穴の地面近くの壁面になにか刻まれているのが目に入った。
かがんで見てみると、左上に丸、真ん中下にも丸、右上に六角形のマークが書いてあり、それぞれがV字に斜めの線で結ばれていた。
「この落書き……は何でしょうか」
可成矢と普にも伝えてみる。
「六角形といえばダンジョンコアだが、昔の子供がそんなこと知ってるか?」
「何か別のシンボルでしょうか。六角形というと雪が近いですけど、気候的には縁遠いでしょうし」
3人で意見を交わし合うも、今の時点では手がかりとなり得るかも分からないという結論に終わった。
或斗はゴソゴソ洞穴を出ると、普に虫がついてると嫌な顔をされつつ、湖の方向へ向かう。
シェバ村跡から見て東側にある湖は程々に広く、外周を1回りするのに10分ほどかかった。
「ダンジョン発生時、地下水脈の影響で出来たと考えられます。水深は5m以上ありそうですので、或斗さんは入らないでくださいね」
「はい」
子供に対するような注意を受けてしまった……と微妙な気分にはなったが、普と可成矢に比べれば子供なのは事実である、大人しく頷いておいた。
湖の周囲を回って色々と見て回るも、目ぼしい手がかりなどはない。
「塔、に繋がる何かがありそうには見えませんね」
「おいドブネズミ、こういうときこそ虹眼を使って何とかしろ」
「何とかしろってまた無茶な」
普の要望は抽象的に過ぎる。
とはいえど何の成果も無いというのは或斗も避けたいところだ。
可成矢がタブレットを抱えたまま生真面目に片手を挙げて発言する。
「バル=ケリムは塔について調べると記していました。地元の人間であれば、ダンジョン発生後の変化もすぐに分かるでしょう。ここを訪れたことがあるのでは?」
「そうですね……それなら俺にも何か視えるかも……」
或斗は湖の外周一帯に多視を使用し、同時に若いバル=ケリムが居た頃、と意識して過去視を発動させる。
或斗から見て左手、西の方に薄っすら背景の透けた人型が視える。
その青年は記憶にあるより少し黒に近い紫の髪を整えもせず、生気のない顔でぼんやりと湖、そして上空の月を観察しているように見えた。
「湖と、月……?」
視えたものを普と可成矢へ共有する。
可成矢は周辺地図を見て、「東側にはさほど高い木がありませんし、月を見るには風光明媚と言えなくもないロケーションですね」とちょっとズレた反応を返した。
「さすがに自分の故郷を観光してたわけじゃないかと……」
「自殺でもしようって雰囲気じゃなかったってことは、何か"塔"に関係があるってことだ」
「実は水の中にあるとか?」
「入水自殺したくなったか? ドブネズミ。ついでだからその土塗れの汚い服ごと洗ってきても良いぞ」
「ちょっと普さん落ちる! 落ちますって!」
背を蹴り飛ばされかけた或斗はこの場に転がって間一髪避けた、というか避けられる程度のからかいだったのだろう、性質が悪い。
そもそも服が土塗れになったのは8割がた普のせいである。
可成矢は或斗と普のやり取りにもの言いたげではあったがひとまず流し、「次は地層の露出箇所に行ってみましょう」とタブレットを片手に促す。
地層の露出箇所は20mほどの幅で長く、そして隆起した地面は最高で10mほど突き出ていて高かった。
何種類もの茶色が横縞を作っている地層は大地の雄大さを感じさせると共に、ダンジョン発生というものがこの地に及ぼした影響の強さを思わせて不気味でもあった。
「ここから登っていくと崖の頂点あたりから湖が見えたかと」
可成矢の案内に従って地層の隆起部分を登っていく。
一番高いところについたとき、可成矢が言った通りに、ちょうど視線の向こうに先ほどの湖が見えた。
或斗はここにもバル=ケリムが居たのだろうかと、虹眼を発動させる。
すると若かりしバル=ケリムは見えなかったが、崖から見上げた上空と湖とを光の線が結んでいるのが過去視で見えた。
思わず虹眼の発動を切って上空を見つめるも、何も見えない。
「過去視ではあの辺りに続く光の線が見えたんですが……」
「何も見えねえな」
「物理的にも魔術的にも何も観測出来ませんね」
一様に或斗の指さす辺りの上空を見上げるも、そこには何もない。
可成矢は崖の上は危ないですから、と一旦シェバ村跡に戻ることを提案し、或斗たちは廃村へ戻ってきた。
「或斗さんの力で得られた情報を整理しましょうか」
可成矢はタブレットで周辺の立体測量図を出し、パンと両手を合わせて言った。
「まず、ダンジョン発生後に生じた地形変化は湖と地面の隆起です。湖ではバル=ケリムらしき人物が月と湖を観察している様子が視られ、地面の隆起部分では上空と湖とを繋ぐ光の線が視えた、ここまでは間違いありませんね」
或斗は頷き、普は気のない様子で聞いている。
可成矢は続けた。
「月に1度現れるという条件と、バル=ケリムが月を観察していたことから、私は塔の出現条件に天体の方の月が関わっていると考えます。満月も新月も、周期的には1ヶ月に1度の現象ですから」
「確かに……」
1ヶ月に1度だけ現れる、というと満月や新月もその通りである。
しかしそれが何故塔の出現条件に関わってくるのか、或斗は頭の中で繋がらず、可成矢を見た。
可成矢は頷いて、説明を続ける。
「或斗さんはご存じでしょうか、月の光には魔力が宿っているという学説なのですが」
高校を半ば中退しかかっている浅学の或斗は素直に首を横に振った。
可成矢は馬鹿にする様子も学をひけらかす意図もなく、生真面目に淡々と説明する。
「ダンジョン発生後、月の満ち欠けによって夜の魔法使いの魔法の威力が僅かに変化すると気付いた学者が居ました。その学者は光線から魔力を探知する器具を作成すると、月光に魔力が宿っていることを証明してみせました。月光の魔力は満月の時に最大値となり、新月の日には無になります。これがダンジョン発生後に起きた現象なのか、ダンジョン発生以前にもそうだったのかは未だ判明していません、証明しようがないので」
仮に月光がダンジョン発生後に変化したとすると、湖や地面の隆起と同様、この土地でダンジョン発生後に変化した地形の1つになります、と可成矢は説いてみせた。
「ダンジョンコアには特殊な魔力の波長がある……月とダンジョンコアが関わってるってことか?」
「可能性はあるかと」
「あの上空と湖を結ぶ線が月光だったとすると、月が光っている状態のはず……ということは、塔が現れるのは次の満月?」
そうですね、と可成矢は頷き、次の満月の日取りを調べる。
「次の満月の晩は、明後日です」
「都合が良いな」
「ええ、しかし万一の場合を想定して、明後日まで私は隠密にこちらで調査をしようかと考えています。此結さんと或斗さんは、明後日まで首都のホテルで休んでいていただければ」
或斗は頷きかけてからゲッと声を出してしまった。
明後日までホテルで普と2人で待機する、ということは……。
「何だ今の潰れたガマガエルみたいなブッサイクな声は。哺乳類から両生類に鞍替えするなら手伝ってやるぞ」
「哺乳類のままでいたいです……」
「じゃあ哺乳類の限界に挑戦させてやる。この俺をこんなド田舎に引きずりまわして来やがったんだ、相応の時間の使い方ってもんがあるよなぁ」
明日から2日間の或斗の運命は決まってしまった。
普は訓練という名目により、田村医師と日明に叱られて以降(普基準で)控えめにしていた暴力と罵倒で或斗をしばき倒す機会を得て、酷薄な笑みを浮かべた。
可成矢は普の思惑には気づかず、あるいは気づかなかったことにしたのか、タブレットに情報を入力しながら釘を刺す。
「明後日の夜の調査に影響が出ないよう、お願いします」
或斗の味方は居なかった。
そんなわけで2日間、或斗は~海外出張版! 普ブートキャンプ~で存分に苦しめられることとなったのだった。
空が夕陽の赤と夜の藍に分かたれる頃、或斗たちは再びシェバ村跡にやってきていた。
可成矢がホテルへ戻ったときに見た或斗の姿は辛うじて人型を留めている半固体といった有様であったので、順当に悲鳴を上げ、可成矢の手持ちのポーションを無理やり飲ませてシェバ村跡に到着するまでに何とか回復させた。
可成矢が「隊長に報告しますよ」と切り札を切るまで、或斗を半液状化するまで虐めた普に反省の様子はみじんもなかった。
車から出ると、薄暗い中、東からゆっくりと夕闇の空に欠けのない月が昇ってくるのが見える。
可成矢は映像資料と魔術波長資料を残すのだとやっぱり何らかのポケット的な何でも出てくるスーツケースからあらゆる機械を取り出して、満月の移動を観測している。
普は暇で仕方がないといった顔でぶすくれているが、可成矢の、日明に報告するぞという脅しが効いているお陰で或斗を音の出るおもちゃとして無駄に打ったりはしなかった。
普基準で無駄でないときは打ったということである。
ただ、気を抜いているように見える普がどこか神経を張り巡らせているのを、或斗は何となく感じ取っていた。
やはり「カージャー」を警戒しているのだろうか。
打たれてジンジンしている頬を押さえつつ、或斗も周囲を警戒してみたが、廃村しかない周囲に人の声はなく、気配察知なんて真似は出来そうにない。
そうしているうちに夜が深まり、満月が地上から70°ほどの高さへ上がった頃、空に変化が起こる。
満月から差した光が東側にある湖に反射し、その反射光が西側にある地面の隆起部分の上空へ光の線として繋がったのである。
2日前に見た時には何もなかった崖の上空には、月光の銀の光を吸い込むように照らされる、虹色の六角形が浮いていた。
「あれは……ダンジョンコア!?」
「あ……! あの洞穴にあった落書きって、この光景を指してたんですね」
シェバ村跡から見れば、東側上空に満月という丸、その少し西側の下に湖の丸、そして西側上空にダンジョンコアの六角形。
あの簡易的な図がそのままこの光景を表していたのだ。
その様子を観測し始めて1時間ほどであろうか、六角形のダンジョンコアの周りに霧がかかるように灰色のレンガが現れ、ダンジョンコアを囲っていく。
その灰色の壁はゆっくりとらせん状に下へ伸びていき、やがて、蜃気楼のようにぬっと、月に照らされた灰色の塔が現れた。
「あれが、月に1度だけ現れる登れない塔……」
「一晩で消えるってことは時間がねえな。すぐに向かうぞ。可成矢は潜伏かつ待機」
普が指示を出すと、可成矢は観測道具を手早く片付けて頷いた。
或斗と普は山間の廃村を出て、塔のある西側へ向かう。
その途中、歩き始めて10分ほどだろうか、急に普が剣を抜いて振り返った。
「普さん?」
驚いて共に振り返った或斗は、言葉を失う。
或斗と普の背後10mほどの距離には、薄桃色の髪、月光に輝く緑の瞳――未零、否、未零クローンがいた。