普にとって親留 未零は、初めての……何かだった。
初めての後輩ではないし、弟子というわけでもなし、舎弟というほど服従していなかったし、妹のようになんて全く思えなかった。
未知で、言語化しがたく、いつどのやり取りを思い出してもほんのり腹が立つ、クソガキだった。
日明から新人育成を頼まれたのは、未零が『暁火隊』に入る1ヶ月前のことだった。
「適性Aの新人を獲得出来たことは知ってるな。魔法剣士の素養がある。育成を普に任せるから、頼んだぞ」
寝耳に水である。
当時は『暁火隊』が出来て3年、メンバーも今と比べると格段に少なく、ただし戦闘要員はダンジョン適性が髙い者ばかりという少数精鋭のパーティだった。
そして、普はその中でバッチリ浮いていた。
口は悪く、態度も悪く、自分の才能と強さに驕っており、そして実際強いものだから批判もしがたい。
年上のメンバーであっても普の基準で見るべきところがないと見限るや、格下に対する扱いをする。
協調性を発揮するのは戦闘中だけ、その戦闘中でさえ、自分で片付けた方が早いと判断すれば独断専行、飛び出して行って大暴れして勝利をもぎ取ってくる。
『暁火隊』は結成1年以内に町田市周辺一帯を縄張りとしていたフロストドラゴンを倒し、人類の生存可能領域を大いに広げたとして国から勲章を授与されている。
このフロストドラゴンとの戦闘も、無論精鋭メンバーあってのことではあるが、メインとして斬り込み、ドラゴンの首を獲ったのは当時15歳の普である。
普を押さえ、窘め、叱ることが出来るのは日明だけだった。
まともな他のメンバーは普に一定の敬意を抱いてはいたものの、扱いに困っていたのだ。
まともじゃないメンバーは普の強さや容姿に心酔していた。後のファンクラブ会員1桁番である。
と、そんなパーティ内で絶対的に浮いている、協調性に欠けた暴れんボーイの普くん18歳が後輩育成を頼まれた。
一応パーティ内で腫れもの扱いされていることも、自分が頻繁に協調性を投げ捨てる人間であることも自覚していた普は、日明の決定とはいえ戸惑った。
当時の『暁火隊』で魔法剣士といえるほど魔法にも剣にも優れている人間は普だけだったし、その自負も持ってはいたが、それにしたって普に後輩育成が出来るとはとても思えない。
自分で言うのも難だがいびり倒して辞表を出させる自信があった。
基本的に日明に絶対服従の姿勢をとる普ではあるが、このときばかりは意見をした。
「俺に後輩育成なんてものが出来るとは思えません」
「普、何事もやってみなくては分からないよ。私は普を信じている」
日明にそうまで言われては、絶対嫌ですとも無理ですとも言うわけにはいかない。
普はまだ見ぬ後輩が来るまで、後輩育成に向けての準備をした。
主に本を読んだ。
「部下育成のすすめ」「部下との接し方10個のポイント」「先輩・後輩とは」「後輩にやってはいけないNG30選」etc……。
その頃の『暁火隊』メンバーで知る者は日明くらいであったのだが、普は根が真面目である。
請け負った仕事、自分のやるべきことには最善を尽くす。
その結果が独断専行大暴れになることもままあったが、ともかくそういった気質であり、本人の才能も相まって、人生において大きな失敗という経験がほとんどなかった。
本を読む以外にも、普は後輩となる未零についてしっかり調べた。
日明に尋ねるのはもちろん、不本意ではあったが栞羽に調査を依頼するなどして、未零の大まかな生育環境、才能の方向などについては把握してから初対面に臨んだ。
未零との初対面の日、普はピリピリイライラしていた。
これは普の本質を知る者であれば緊張している結果と分かるのだが、知らない他の『暁火隊』メンバーは戦々恐々していた。
後輩育成を押し付けられた普がいつ暴れ出すか分からない、新人を泣かせるかもしれない、そんな緊張感が当時の『暁火隊』拠点に漂っていた。
普は日明に連れられて未零を迎えに行く場所へ向かいながら、読んだ本の内容、未零のパーソナルデータを思い出し、初対面のシミュレーションを行っていた。
孤児院でちやほやされて育った適性Aの少女、おそらく増長しているだろうから、初めに力でもって上下関係を刷り込むべきか。
あるいは気の小さいタイプで、『暁火隊』のネームバリューに恐縮している場合……どうしたものか、ダンジョンにでも引きずって行って無理やりにでも自信をつけさせるか?
様々なシミュレーションで頭を悩ませている普を見て、日明がほっこり笑っていたことを普は知らない。
結果として、普の各種シミュレーションは全て無駄になった。
待ち合わせ場所に居たのは、淡い桃色の髪に大きな緑の瞳、人形のように顔の整った少女だった。
普も相当顔の整っている方である、普よりも美形として極まった顔面の人間というのは中々いない。
事前に写真を見てはいたが、目の前にして実際に動いているところを見ると、普でさえその絶対的美に若干気圧された。
若干15歳の少女の持つオーラのようなものに気圧されたのが腹立たしく、普は自然と顔をしかめた。
日明が和やかに未零との挨拶を済ませる。
未零の声は透き通っていながらも花の香りに似た甘さが含まれた美しい響きで、やはり常人とは一線を画す何かがありそうに思えた。
未零の日明に対する挨拶には終始きちんと敬意がこめられており、普が考えていたよりはまともそうな子供だった。
次に日明に促され、普が未零に声をかける番になる。
何と言うべきか、色々と考えて来てはいたものの、最終的にはいつもの普が出た。
「此結 普だ。お前の指導役になる。俺の言うことには絶対服従、返事ははいかかしこまりましたの2択だ」
普の予習してきた本の8割くらいがその挨拶の出来に0点を突き付けて来ていたが、口から出てしまったものは戻せない。
適性Aの人間であれば多少の気位の高さというものがある、普のこの言には反抗的な態度が返ってくるか、あるいは『暁火隊』の他のメンバーのように1歩引いた反応になるか、その辺りだろうと思っていた。
しかし未零は普の挨拶(という名の脅し)を受けて、その大きな目を瞬かせ、小さく首を傾げると、クスクスと笑い始めた。
「おい……」
ナメられていると判断した普は怒気を隠さず1歩未零に近づいた。
普通の人間ならこの時点でビビって謝るか、後に引けなくなって態度を変えないにしても腰の引けた空気を出すものだった。
未零は、近づいて圧をかけてきた普に対して、逆に自分から更に2歩3歩と近づいて距離を詰めると、勝手に普の手を取って笑った。
「想像してた100倍くらい面白い人で嬉しいです、よろしくお願いしますね、先輩?」
それからの1年弱は散々だった。
未零は普の暴言1つ1つを面白がる上、ときには軽妙な返しでおちょくって来る。
絶対服従のぜの字もしないし、かと思えばヒヨコのように何かと普について回って、1人で勝手に普の何かを楽しんでいる。
変人で生意気、クソガキそのものであった。
ただ、方向性は違っていたが普と同じくらいに才能があり、どんなにしごいても音を上げない根性もあった。
つい訓練に熱が入り過ぎて倒れた未零を医務室に運びこんだ時なんかは、その時の普の様子を栞羽が話に尾ヒレ胸ビレ背ビレくらいまでつけて面白おかしく吹聴して回ったため、普の機嫌は大暴落した。
普が怒り、未零が笑う。
その雰囲気を見て、『暁火隊』の他のメンバーも普との付き合い方を変えていった。
扱いづらい暴君ではなく、分かりづらいけど面倒見が良くて責任感もある頼れるエース、そんな風に思われるようになっていたのを知ったのは、しかし未零が失われた後だった。
未零が失われたことこそが、普の人生で初めての大失敗であり、何度思い返しても腹立たしく自分の無能を許せない、苦渋の味がする経験だった。
ダンジョンコアの部屋で初めに動いたのは普であった。
コアを守れと言われた未零クローンが攻撃に転じるにはおそらくどれがどれだか分からないアルコーンの指示が要るだろうこと、その一瞬があれば或斗の前に戻って守勢に転じることも可能なことから、まずは司令塔になるアルコーンを排除するのが良いと判断したためだ。
バル=ケリムの拠点から出てきた情報には、アルコーンは異常な再生能力を持つと書かれてあった。
3人居るとは聞いていないが。
ひとまず致命傷を与えてみて、様子を見る。
再生するなら出来なくなるほど細切れに、あるいは氷漬けにでもして殺し切る。
普は一息に全く同じ平凡な顔をした3人の男のうちの1人に迫り、右肩から左わき腹までを一刀両断した。
人間なら即死の攻撃である、人間なら。
この時点で普は相手が人間の体を持っていないことを理解した。
斬った感触には骨の固さも筋肉の抵抗もなく、ゼリーに刃を通したような気色の悪さがあった。
斬撃は無効か、と1歩下がって魔法攻撃に転じようとした瞬間、普が斬り離したばかりのアルコーンの上半身と下半身が同時に再生し、2人のアルコーンになる。
分裂したのだ。
「はぁ!?」
悍ましい現象に苛立ちの声を上げながらも、普は剣を持っていない方の手の内で氷魔法を練る。
魔法剣士はその名の通り魔法と剣それぞれを使いこなす、オールラウンダーである。
対モンスター戦では中~遠距離魔法でゴリゴリ敵を削りながら肉薄し魔法を纏わせた剣で物理ダメージまで喰らわせる、超攻撃型のポジションだ。
ただ、対人戦、あるいは狭い室内での戦闘となると勝手が随分変わってくる。
ゲームのように自分の魔法では自分や仲間はダメージを受けない、なんて便利仕様は無いので、屋内や対人戦での魔法攻撃は一歩間違えると自傷とフレンドリーファイアのフルコースとなってしまう。
そのため屋内や距離の近い対人戦になると魔法剣士はメインを剣での斬撃に変え、魔法は飽くまで補助的に使う戦型に切り替える。
剣で斬り結ぶほどの近距離で強力な魔法など使うのは、自爆と同義である。
例外的に、氷魔法は対人戦に向いた魔法とされている。
炎や風、雷といった属性だとどうしても拡散傾向が強く、自傷とフレンドリーファイアを避けられない。
無論氷魔法にも視界一面氷漬けにするような大規模魔法はあるが、腕の良い魔法使いなら小規模氷魔法で、魔法の向かう方向、影響を及ぼす範囲、殺傷能力を計算した通りに展開出来るからだ。
当然、普の魔法の腕は日本最強の呼び名に恥じないだけのものである。
普は分裂した2人のアルコーンを一旦放置し、初めからいた他のアルコーン2人の首から頭を凍り付かせる氷魔法を繰り出した。
計算通り、同じ顔をした2人のアルコーンは首から上が凍り付く。
しかしアルコーンの首から下がぐにょんと捻じ曲がったかと思うと、肌色が不定形にうねって、氷漬けにされた頭部を飲み込んだ。
アルコーン2人はぐにゃぐにゃと蠢いていたかと思うと、それぞれが2つの塊に分かれて、4人のアルコーンとなった。
「キモいんだよクソが……! コイツ、スライムだ!」
普はアルコーンの融合しているモンスターの性質を見破った。
スライムといえば、ダンジョン発生前の旧時代のゲーム界隈において最弱のモンスターとして扱われがちな、雑魚の代名詞であった。
一転、ダンジョン社会におけるスライムは出会ったらまず逃げた方が良いモンスターのうちの1体に挙げられる。
何故かというと、ダンジョン攻略者の出会うスライムというのは基本的にはすべて分体であるからだ。
スライムには核を持つ本体と、そこから分裂して出来た分体が存在する。
スライム自体の戦闘能力は全く高くない、本体であろうと分体であろうと、動きは遅く防御力も低い。
けれどスライムは再生能力が異常なほど高く、そして狡猾なのだ。
人の居る場所には本体を置かず、分体だけを移動させ、獲物を探す。
スライムの分体というものは、実質無敵である。
スライムの分体は核を持たず、本体の核を破壊しない限り無限に分裂・再生する。
斬っても分裂し、魔法攻撃はどの属性であれ吸収して新しい分体を生み出すためのエネルギーとする。
そうして攻撃を加え続けていけば、ダンジョン攻略者は海ほどに増えたスライムに飲み込まれ、餌となってしまう。
直径20m弱しかない部屋の中で戦う相手としては最悪である、下手に攻撃をすれば増え過ぎた分体に飲み込まれる。
そして普はアルコーンの本体がこの場に、この周辺一帯には居ないだろうことを半ば確信している。
初めに居た3人が外れだった時点で詰みだ。
「おいドブネズミ、このバグ野郎の能力を否定出来るか?」
「スライムって聞いてから、試してはいるんですが……! 効果がないみたいです、全員を同時に否定しても、止めようとしても、何も変わらない……!」
六芒星の浮かんだ虹眼を発動させた或斗が悔しそうに言う。
或斗の能力といえど、分体には無効、本体を視なければ効果を発さないらしい。
厄介過ぎる敵だ。
普は攻撃対象をダンジョンコアを守る姿勢の未零クローンへ変えた。
或斗の能力でアルコーンの動きを止められないということは、アルコーンの動きを止める方法は普の魔法だけになる。
先に未零クローンを無力化し、普がアルコーンの再分裂を覚悟で全身を凍らせる魔法攻撃を放ち、その動きを止めた一瞬で或斗にダンジョンコアを触らせる。
そうすればおそらく夏の洞窟ダンジョンと同じようにこの塔は崩落する、しなくとも目的は達せられるはずなので撤退を選べる。
普は壁を走って6人に増えたアルコーンを避けながら、未零クローンを襲撃する。
意図を理解した或斗は虹眼で未零クローンの動きを止める。
普の剣が未零クローンに迫る、そのとき、置き去った6人だったはずのアルコーンが1人未零クローンと普の間に割って入り、代わりに剣を受けた。
「あ~~~~~、攻撃を受けなくても増殖は出来る、と」
苛立たしさが極まった普はガリガリと頭をかいた。
7人に増えたアルコーンは、ダンジョンコアへの干渉を続けながら未零クローンを援護する。
暗黒色のリングの力だろうか、ダンジョンコアの虹色の輝きは少しずつ薄れ始めていた。
時間制限までついていると来たか、普はクソが、と呟く。
「この俺を作業の片手間に相手しようとは、ナメ腐りやがって……!」
普のコイツ絶対殺すリストの最上位にアルコーンの名前が浮上する。
とはいえ下手に手も出せず、未零クローンへの攻撃は阻まれる。
或斗たちに打てる有効打が無いのは事実だった。
それでも、ここでみすみす撤退を選ぶことも出来ない。
あの暗黒色のリングがどういう原理のものかはわからないものの、「カージャー」幹部であるアルコーンが目の前で"神の欠片"なるものを手に入れようとしているのだ、それは阻まなければならない。
"神の欠片"を入手した「カージャー」がどのような悪事にそれを利用するか、わかったものではない。
ロクでもないことになるのは明白だった。
普は数秒で方策を練る。
普がアルコーンの分裂覚悟で動きを止めるのであれば、或斗に未零クローンの動きを止めさせてダンジョンコアへ突っ込ませることも……これは無しだ、ダンジョンコアへ触れた或斗は無防備になる。
未零クローンの動きを止めておくことは不可能だろうし、未零クローンと14人以上にも増殖したアルコーンの双方から或斗を守ることは不可能に近い。
攻撃を受ければ受けるほど有利になるアルコーンが自分ではなく未零クローンにダンジョンコアの守りを任せたのは、おそらく或斗と普が未零クローンを直接殺せないだろうと読まれているからだ。
そしてそれは正しい。
普は未零クローンを手にかけること自体は出来ても、それを或斗の前で行うことは出来ない。
或斗は攻撃自体出来ないだろう。
未零クローンは敵でありながら人質でもある、胸糞悪い布陣だ、普は舌打ちし、指示を出した。
「ドブネズミ、この塔ごと吹き飛ばしたいくらいには腹立たしいが、俺が攪乱する。お前はどうにか隙を見てダンジョンコアに突っこめ。スライム7匹とクソガキもどき1人くらいならその後どうにかしてやる」
「……はい」
あの普が攪乱役に回る。
本当にこの塔1つくらいぶっ飛ばしそうなほど怒気を発している普にそう言わせるからには、それ以外に打てる手がないのだろう。
どうにか隙を見て、という雑な指示ではあれど、他に手はないことを理解した或斗は大人しく頷き、ジリジリとダンジョンコアへの距離を詰めた。
未零クローンが向けている剣との距離が近づく。
普は剣をしまい、エネルギーとして吸収されにくい風魔法を使いながらアルコーンを無駄に分裂させないよう無手での攻撃に切り替えるようだった。
それでもさすが普である、分裂を起こさせないギリギリの手加減で7人のアルコーンを相手取り、未零クローンへの攻撃をにおわせながら注意を引いている。
ただ、未零クローンへの攻撃を意識させるということは同時にダンジョンコア周辺からアルコーンを引き離せないということでもある。
じわりとダンジョンコアへ近づく或斗、それに対し無表情で剣を向ける未零クローン、普の未零クローンへの攻撃を妨害するアルコーン7人と、それらをダンジョンコアから引き離すそうと動く普。
やがて、その時が来た。
普がダンジョンコアから距離をとって、無差別に氷魔法を未零クローンの方向へ向ける仕草をとったのだ。
アルコーンたちはその散弾が放たれる予測地点に立ちはだかる。
それはアルコーンたちの目がダンジョンコアから完全に離れた一瞬であった。
けれど或斗のすぐ前には剣を構える無表情の未零クローンが立ちはだかっている。
或斗は刹那、その剣先ではなく、未零クローンの懐かしい緑の瞳を見た。
「未零は警察? みたいなパーティに入るんだろ?」
いつもの孤児院のみすぼらしい裏庭で、10歳の或斗が、15歳になったばかりの未零へそう尋ねた。
未零は意外そうに或斗を見た。
というのも、最近の或斗は頑なに未零が孤児院を出て行く話、孤児院から出て行った後の話を避けていたからだ。
「大体そんな感じらしいね。どうしたの、急に」
『暁火隊』の役割の詳細はパーティに正式に入るまでは伝えられないため、この時点では未零も自分の加入するパーティについて国の武力、お巡りさんに近いもの、という程度の認識だけ持っていた。
このときの未零は『暁火隊』を踏み台くらいにしか思っておらず、或斗を迎えに来るまでの修行場所と割り切っていたので、どうして或斗が『暁火隊』の役割なんかを気にするのか分からなかった。
「俺……俺はきっと、モグリになる。それくらいにしかなれない」
「ええ~~~、或斗は私とパーティを組んで冒険するんだってば。約束しただろう?」
或斗となら出来るよ、と笑う未零の言葉を、或斗は信じ切ることが出来ないでいた。
変な目の力があるからといって、或斗はダンジョン適性無しの落ちこぼれだ。
ダンジョン適性Aの未零が、国から信用され、警察に近い役割を持つパーティに加入している栄光を手放してまで共に居てくれるほどの価値が自分にあるとは或斗はとても思えなかった。
未零の加入するパーティがそういった、世間的な名誉に溢れたものであると知ってから、その意識は一層強くなった。
「俺がモグリになったら……」
「その前提で続けるのか~。まあ良いよ、一旦聞いてあげよう。なったとしたら?」
未零は或斗から信頼されていないことにぶすくれながらも、ひとまず話を聞く姿勢になる。
或斗は自分でもウジウジしていて鬱陶しいなと自覚しつつ、ポツポツと零した。
「モグリは、生きるため必死にならなきゃいけない。多分、法律とかも破ると思う。人も殺すかもしれない。モグリの俺は悪人で、未零は警察みたいな人になる」
「酷い未来予想図だなあ。う~ん、それで、もしそうなったらどうなるって言うんだい?」
「……未零は、…………未零は」
俺が悪い人になったら、未零は俺を軽蔑して、剣を向けるだろうか。
或斗はつっかえつっかえ、そんな意味合いのことを言った。
伝わっただろうかという不安と、もしも肯定されたらという恐れで或斗は俯く。
裏庭の雑草は食べられもしないのに、今日も元気に生い茂っている。
未零は少し黙っていたかと思うと、或斗の頬に両手を添えて顔を上げさせた。
雑草の安っぽい緑とは全く違う、輝く2つの翠玉に、不安げな幼い或斗の顔が映っている。
「まず、そんな未来は来ないけれど……絶対の約束をしよう。これだけは信じてくれよ」
未零は微笑んで、誓いの言葉を述べた。
「私は、たとえ世界を敵に回すとしても、或斗に剣は向けないよ」
或斗は気づけば踏み出していた。
真っ直ぐに、未零クローンが剣を構える、その前へ、ただ真っ直ぐ。
或斗の自棄クソ以外の何物にも見えない特攻に、普が大声を出して制止をかける。
例え未零クローンの持つ剣を虹眼で壊したとて、未零クローンは素手でも簡単に或斗を破壊できるのだ。
しかも或斗は、その虹眼すら発動していなかった。
ただ無策で突っ込んでいる、正気の沙汰とは思えない。
本気で殺すしかない、普はコンマ数秒の内に判断を下す。
例え或斗の心に大きな傷を残すとしても、目の前のアルコーンらを止め、同時にあの未零クローンを殺さなければ、或斗が死ぬ。
だが、或斗には普の制止も聞こえておらず、アルコーンたちの動きも目に入っていなかった。
あの日と同じ翠玉だけを見つめて、叫んだ。
「未零!」
剣で或斗を切り捨てようとしていた未零クローンはその声に一瞬固まる。
そして何故か、未零クローン本人もわけが分からない、まったくもって不可解なことに、未零クローンは或斗に刺さるはずだった剣先を横にズラして、或斗の体の前から剣を退けてしまう。
或斗は未零クローンを抱きしめるようにぶつかって、その背後の輝ける六角形、ダンジョンコアへ触れる。
未零クローンは生み出されてから初めて、人間の体温を知った。
(あたたかい……?)
知識としてしかインプットされていない情報が、自然と未零クローンの頭に浮かんだ。
一方、ダンジョンコアと接触した或斗はまたあの発光現象と、ダンジョンコアと自分の瞳から発されるバチバチという激しい音を体感していた。
バチバチと爆ぜる虹の光によって、ダンジョンコアを囲っていた暗黒色のリングが壊れて落ちる。
だがそれはもはや或斗には見えていない。
或斗はまた、闇の中に浮かぶ虹の六芒星の中心にいた。
ずっとずっと遠いところから、同時に或斗の内側から、声が、情報がなだれ込む。
『器よ』
『檻を壊し、牢から私を解放せし者よ』
『満たし、満ちよ』
その声を最後に、或斗の意識が塔へ、現実へ戻ってくる。
或斗が六芒星の浮かんだ虹眼を開いた目の前には、未零クローンの緑の瞳があった。
その瞳に引き寄せられるような感覚がある。
糸を手繰るように、段々と細いものが太く、遠く分かたれた距離が近くなる。
或斗の視界に映ったのは、薄暗いどこかの研究室のようだった。
緑の光に照らされて、無機質なリノリウムの床が暗緑色に見える。
その光は、複雑に床を這うチューブが繋げられた、大きな円筒状の培養器から発されている。
部屋の中心にあるその培養器の中には、1人の女性が閉じ込められていた。
記憶にあるより長く伸びた薄桃色の髪、瞼は閉じられていて、人を惹きつけるあの翡翠色は見えない。
一糸纏わぬ肢体は培養器に押し込められて、胎内の赤子に似た姿勢で細い手足を折り曲げていた。
或斗の視界は、20歳を超えた姿の親留 未零が緑色に光る培養器の中で眠っている光景を映していた。