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瞬きをすると、或斗の前には16歳の姿をした未零クローンがいる。



「未零……?」



呟くと、目の前の未零クローンがパチリと瞬きした。


そうだが、そうではない。



『封じられし力、千里見通す眼、万物見通す眼』



この塔にあったダンジョン語を思い出す。


つまり、今のは未零クローンを通してどこかに居る本物の未零を視た、"千里眼"ということだろうか。


或斗が呆然と思考にふける数秒の間に、カシャンという錠前の開く音がしてダンジョンコアが消滅する。


ゴゴ……と地鳴りに似た音が塔の根元からしはじめ、最上階である現在地が大きく揺れる。



「逃したか」


「これは失態」


「けれど挽回はいくらでも」


「30番、器を捕えなさい」



分裂していたアルコーンが次々に合体しながら、未零クローンへ命令する。


呆けていた未零クローンは番号が呼ばれると共に非人間的な無表情に戻り、目の前の或斗へ手を伸ばす。


その手が届くより早く、或斗の体が横から車にでもはねられたかのような勢いで確保される。



「させるかノロマども」



或斗がダンジョンコアに触れるや否や、アルコーンを放置して動いた普の動きの方が何倍も速かった。


アルコーンは首を横に振り合い、或斗の身柄確保を諦めたようだった。


7人いたアルコーンは合体し終えて再び3人の姿に戻ると、崩れゆく塔の外壁の方へ向かう。


アルコーンがここから逃げようとしているという焦り、未零という名に応えてくれた未零クローンをまた番号で呼ばわり従えるアルコーンへの怒り、今なら出来るという全能感、3つの感情に貫かれた或斗は、普に抱えられたまま、六芒星の虹眼を発動させ、アルコーンを"視る"。


針先のごとき小さな穴が広がるように、遠景を手で鷲掴んで強引に引き寄せるように、或斗の虹眼に彼方が映る。


視えたのは、豪奢な部屋でソファに座り、目を閉じているアルコーンと同じ姿した人間、否、アルコーンの本体。


視界の中のアルコーンは目を見開く。



「まさか……! 視られている!?」



アルコーンは咄嗟に自分の胸元を手で庇うようにしたが、その動作こそがアルコーン自身の最大の弱点、核の位置を教える結果となった。


或斗は彼方にいるアルコーンの胸元を、虹眼の力で押しつぶした。


バキン、と石の割れる音が豪奢な部屋に響き、アルコーン本体の体すべてがゲル状に溶けて崩れ、毛足の長いカーペットを汚した。


或斗が視界を元の場所へ戻すと、ちょうど塔にいたアルコーンの分体3人もスライムよろしく人の形から崩れて、崩れゆく塔のレンガの間を滴り落ちていく。


その場には蒼銀の杖だけが残った。



「お前……」



普は、抱えている或斗が六芒星の虹眼を発動させているのを見て、或斗がアルコーンを殺したことを察し、一瞬もの言いたげに口を開いた。


その先はすぐに塔の崩壊する轟音に呑まれ、普は舌打ちする。


普は不安定な足場を蹴り崩しながら跳んで移動し、アルコーンの杖を回収するとともに、塔の外壁を蹴り崩して、外へ飛び出す。


抱えられたままの或斗は必死で振り向き、未零クローンの様子を目で追う。


未零クローンは普と同様、塔の外壁の崩れた場所から飛び降りようとしているところだった。


30番と呼ぶのは嫌だった。


けれど彼女は本当の未零ではない。


呼び方1つを躊躇っている間に、普は塔から飛び降り、未零クローンの姿は瓦礫の向こう、見えなくなってしまった。


100m弱の高さから落下して怪我1つなく着地し、抱えている或斗にも衝撃を与えない普の化け物身体能力は流石の一言である。


普は崩落を続ける塔から十分に距離をとったところで、或斗を地面に放り投げた。


もはや様式美となり放り投げられることに慣れた或斗が立ち上がること、可成矢の声が聞こえる。



「此結さん、或斗さん、大丈夫ですかー!」



崩落の轟音に駆けつけて来てくれたらしい、可成矢は或斗と普に怪我がないことを確認すると、ホッと息をついた。


そして普が手に持っている蒼銀の杖を見て、顔色を変える。



「それはまさか、『カージャー』幹部の?」


「ああ。結果だけ言えば『カージャー』の1人、アルコーンを殺した」


「本部の班長へすぐに連絡しなければ! 恐縮ですが移動中も事情をお聞かせください」



或斗は歩きながら可成矢へ事情を説明している普の後ろをついて歩きながら、思索にふける。


あのとき「未零」と呼んだ或斗の声に応えるように剣を避けてくれた未零クローン。


彼女自身、自分の行動を理解していない様子であった。


無表情で無言、それでも彼女には意志が、心があるのだ。


それは未零の欠片なのか、それとも彼女自身の自我なのか……振り返っても、あの薄桃色はどこにも見当たらなかった。


或斗はどこか重苦しい気持ちを抱えながら、塔の瓦礫の山を後にする。






日本に戻った後、或斗は1週間ほど寝込んだ。


それは外国への遠征で土地柄の病気に罹ったとか、疲れで倒れたとか、虹眼の代償とか、そういうのではない。


既にお察しの方もあるかもしれないが、まあ、例によって普のお仕置きである。


剣を持ったままの、戦闘態勢の未零クローンへ無策で突っ込んでいった或斗の行動について、普は当然鬼神のごとく怒り狂い、人格否定レベルの罵倒を並べ、通算5回ほど或斗を半殺しにした。


一応無駄な半殺しではなく半分は訓練という体をとっての半殺しであったが、半殺しからのポーション、ポーションからの半殺し、を繰り返す日々は控えめに言って地獄、というか拷問そのものである。


目的のない拷問ほど人間の精神を蝕む所業はない。


1週間寝込んだ或斗は寝ても覚めても普にボコボコにされる悪夢を見て、幽鬼のような形相になっていた。


死にかけたことに対して怒られた結果が5回の半殺しというのは、何というか本末転倒ではなかろうか。


そんな事情によって、或斗が『暁火隊』本部へ来ることが出来たのは帰国から1週間強経った頃のことだった。


いつもの応接間で、或斗と普の対面に座った日明が難しい顔をしている。


流石に今回の或斗の無謀すぎる行動は日明もフォローしきれず、1週間拷問まがいの教育的指導を行った普を叱りはしたが、或斗も或斗で叱られた。



「或斗くん、君の行動のお陰で結果的に『カージャー』幹部を倒すことは出来たけれど、君が死んでしまっては意味がないんだ」


「はい……」


「何かにつけて暴力に走るのは普の悪癖だが、君が心配で仕方ない普の気持ちも慮ってやってくれ」


「はい……」


「眞杜さん?」



お前も何を頷いてんだドブネズミごときが、と日明に当たれない分のアイアンクローを喰らい、痛みにもだえる或斗。


2人の様子に今日も仲が良いな、と頷く日明。


日明の前では傷が残らないタイプの暴力で留める普の猫被りもどうかと思うが、アイアンクローまでなら許してしまう日明の基準の緩さもどうかと思う、或斗は解放された頭をさすりながら普の情操教育というものについて考えた。


普はよく本を読んでいるので、暴力はいけませんという内容の絵本でも置いておいたら読んでくれないだろうか、くれないだろうな。


絵本の角で殴られる自分を想像し、或斗は諦観の笑みを浮かべた。


さて、今日の本題はミゼールポレンでの『カージャー』との戦いとその後についてだ。


詳細な報告は或斗を拷問にかける片手間で普が済ませており、今は崩れた塔の跡地の捜査や「カージャー」との情報戦がメインで行われているらしい。



「アルコーンが倒されたことは『カージャー』にとって予想外のことだったらしい。バル=ケリムの拠点制圧の際に掴んだ『カージャー』の情報網に混乱が起きているようだ。この混乱は『カージャー』全体の問題だと考えて良い」



実際、或斗が千里眼の虹眼をタイミング良く手に入れていなければアルコーンを倒すことは不可能だった。


アルコーンはスライムと同じように狡猾で厄介な敵だったのだから。



「今は栞羽をはじめ情報部が末端から混乱の中心を探っているところだ。アルコーンに関わる重要な情報が掴めるかもしれないとは言っていたよ」


「それは良かったです」


「それに、或斗くんの新たな力によって未零くん本人の生存が確認出来たことも、大きな安心に繋がった。後は助け出すため、場所の特定が出来れば良いんだが……」



或斗はこの1週間、訓練という名の拷問の中で新しい虹眼の力についても詳細を把握することが出来ていた。


そういった辺り、普は抜けていない。拷問への手も抜かなかったけれども。


或斗の新しい虹眼の力は、塔のダンジョン語にあった通り2つ。


千里見通す眼、千里眼。


万物見通す眼、透視能力。


千里眼の能力は大きく分けて3つ、行ったことのある場所、詳細な座標の分かる場所、生物を通して繋がりのある人か物かがある場所を、距離にかかわらず視ることが出来る。


透視能力はそのまま、障害物を透過してその向こうを視ることが出来る。


透視能力については、見通せる限界は障害物の数や厚みではなく、距離によるようだった。


具体的には50m以内ならどれだけ障害物があっても透視が可能である。


千里眼と透視は長く使い続けても脳の処理を圧迫するということはないようで、多視と違って酷使しても命には差し障らない。


が、千里眼も透視も、見通した先だけで視界が埋まってしまうのが欠点と言える。


千里眼や透視の視界に元の虹眼の能力を乗せることは可能であるが、現在の視界、そして多視の虹眼の視界とを同時に展開することは出来ないようであり、千里眼と透視を使っている間、或斗は完全に無防備になる。


便利ではあるが、戦闘中には中々使えないだろう能力であった。


あの時未零本人とアルコーンの本体が視えたのは、未零クローンとアルコーンの分体を通して千里眼を使ったからだということが分かった。



「すみません。俺の能力で、場所が分かれば良かったんですけど……」



崩落前に普が回収していたアルコーンの杖3本を通してアルコーンの拠点や関係のある場所を視ようと意識して試してはみたものの、千里眼は働かなかった。


ままならないものである、肩を落とす或斗に日明は優しく言葉をかけた。



「まず無事に帰ってきてくれたことが何よりだ、その上新しい力は今後も様々に役立つだろう。気を落とすことは何もない」



アルコーンの欠けによって「カージャー」も混乱をきたしていることだし、と続けてから、日明は少し黙り、言葉を選ぶようにゆっくりと或斗へ尋ねた。



「或斗くんは……大丈夫かい?」



或斗は首を傾げた。


体調であれば、普が一応とばかりに、というか日明の前にボロ雑巾と化した或斗を連れてくるわけにもいかないためにポーションを飲ませてくれたので問題ない。


精神は……精神は未零本人の姿を見たことによる動揺、あの未零クローンのこと、それからどこか頭に靄のかかるごとくに重い気持ちがある。


おそらく日明が尋ねてくれているのはその精神面のことだろう。


話題の推移を考えるに、アルコーンのこと、"或斗が自分でアルコーンを殺した"ことについてだろうか。


日明から問われて初めて、或斗はこの胸を塞ぐような息苦しさ、重い負荷がどこから来ていたのかに気付いた。


或斗は、敵とはいえ生まれて初めて、人を殺したのだ。


バル=ケリムのように間接的な死の原因を作ったわけではなく、ただ或斗が己の力で、命を奪った。


問われるまで気が付かなかったのは、その事実から無意識に目を背けていたからだろう。


アルコーンを殺した直後、塔で普が何か言いたげにしていたのも或斗の精神的負荷を考えたからかもしれない。


……アルコーンにも、「カージャー」に入るまでの人生が、何かの悲哀があったのだろうか。


バル=ケリムがグィエン・バン・チェットだったように、喪ったもの、行くあてのない孤独があったのだろうか。


人を殺すというのは、そういった全ての背景を無視して己の都合で命の選択をすることだ。


或斗は自分が負ったものの重さと、それから目を背け続けていた卑怯さ、惰弱さを考えて、気づけば目を瞑っていた。


日明と普がかける言葉を探していることが分かる。


きっと何か慰めか、気を逸らす暴言か、或斗の心を軽くするための方策を考えてくれているのだろう。


だがそれでは駄目だ。


或斗は、この重荷を抱える覚悟と、これからも新しく抱えるための決意をしなければならない。


守る者になると決めた。


未零を助け出し、「カージャー」を潰すと決めた。


日明も普も、今までたくさん命を選んできたはずだ。


その負荷を何でもないように背負って立っている。


日明たちと、普の隣を行くのなら、或斗もそうでなければならない、そう強く感じた。


或斗は目を開いた。


心配そうな日明の優しい顔と、不機嫌にしている普の顔が見える。


大丈夫だ。



「……大丈夫です。無理をしているわけではありません」



考えたことを整理して、或斗なりに2人へ伝える。


或斗は1人ではない、共に荷を背負おうとしてくれる人が居る、支えようとしてくれる友人がいる。



「未零を助け出すために、『カージャー』を潰すために、必要なことでした。人を殺すことの重さは、今回でよく分かりました。でも、皆と一緒に戦っていく中で、俺1人だけこの重さを避けていくことは出来ないし、そうあってはいけないと思います」



或斗は真っ直ぐに日明を見て言った。



「もし次に同じ機会があるとしても、俺は命を選びます。より大切なものの命を救って、そうでない命を奪います」



そう言うと日明は少し悲し気に目を伏せたが、或斗の覚悟を感じ取ったのだろう、小さく頷いて、或斗の目を見つめ返した。



「分かっていると思うが、或斗くんは1人じゃない。私たちが共にその覚悟を負い、どんなときも助けてみせる。だから、1人で抱え込むことだけはしないでくれ」



日明はいつもの、大樹のごとき芯のある態度で、或斗の荷を或斗ごと背負おうとしてくれる。


その温かさは初対面のときから変わらず或斗の心を救ってくれた。


一方普は或斗の隣で馬鹿馬鹿しいとばかりに薄く笑った。



「全てがミジンコ級のクソ雑魚ドブネズミにわざわざ向かない仕事させるのは今回くらいだ。無駄に気負うな、間抜けに転ぶぞ」



普もいつも通り、わかりづらく、けれどきっと或斗の代わりに汚れ仕事を負うつもりなのだろう。


普はいつもそう、人には気負うなと言っているくせ、自分は人一倍の重荷を背負って生きている。


或斗はやっぱり、日明にもたれかかるだけの自分も、普に庇われているままの自分も嫌だった。


至らないところだらけで、ダンジョン適性は無し、心も弱い。


けれど強くなりたい。


強くなって、栞羽や普のように日明を支える根の1つになりたい、孤高に進む普の隣に立ちたい。



「普さん」


「あ?」


「帰ったらまた、訓練をつけてください」



ここに来るまでは訓練と聞けばポーションの味が条件反射で思い出せるほどのトラウマを患いかけていた或斗であったが、強くなるために、普に追いつくために、ただダラダラと過ごしていたくはなかった。


普は胡乱な表情で或斗を見てから、フンと笑う。



「半殺しくらいでピーピー言うなよ」


「いや、半殺しは避けてほしいんですけど」



訓練とは死にかけることとイコールではないと思う。


日明も苦笑していないで止めてくれ。


或斗は早速決意が揺れそうになるのを感じ、ため息をついた。






11月の終わり、木枯らしが街ゆく人のコートの端を捲っては、落ち葉を道の端に吹きだめている頃。


暁火隊が、北ヨーロッパのアルコーンが拠点にしていた施設と、その関連施設を制圧した。


空は灰色にかげり、吐く息も白くなる。


冬が到来しようとしていた。

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