3月6日、或斗は随分と久しぶりに学校を訪れていた。
5月の終わり頃以来であるから、大体10ヶ月ぶりであろうか。
或斗の通っていた学校は若干名在籍する適性Bランク生徒のために1組が一応は存在してはいるくらいの、良く言えば地域に根付いた、悪く言えば何の特徴もない弱小校であった。
通っている頃は気にも留めたことがなかったが、校舎の壁は黄ばんで傷み、中庭では満足に手入れのされていない木々が好き勝手に枝を伸ばしている。
正門前と校舎の前に申し訳程度に植えられたソメイヨシノはまだ花芽もつけていなかった。
或斗は窓越しに校舎の外壁にとりつけられた旧式の時計を見て、時間を確認する。
まだ昼間だというのに、下校している生徒が多いことをふと疑問に思った。
職員室前の掲示板をよく見てみれば、明日が卒業式らしく、今日は半休であるようだった。
掲示板を見て1人納得している或斗に、どこか懐かしい声がかかる。
「あれ~? 適性無しの遠川くんがいるぞ~?」
「お前死んだんじゃなかったのかよ、おい、500円損したわ」
死んどけっつーの、と笑いながら完全に或斗を馬鹿にした声音でなじるのは、顔の記憶ももはや朧げな、確かダンジョン適性はCあたりの、2組の男子生徒たちだっただろうか。
3人つるんで、或斗へ絡んできた。
男子生徒たちは、或斗の服装を上から下まで不躾に眺めて、どこか納得した様子で、何がおかしいのかゲラゲラと笑った。
「遠川く~ん、良い服着てるじゃん、どうした? それ」
「モグリやめてこっちに走ったってか!」
こっち、と言った男子生徒は右手で作った輪っかに左手の人差し指を突っ込む下品な動作をして見せて、心底から或斗を見下した目を向けている。
「お前みたいなの買ってくれる物好きの金持ちなんか、良く見つけたな」
「コツとかあんの? ネズミ組の仲間に教えてやれよ」
「今日はお金持ち様に囲われることになったので学校辞めまチュウって言いに来たのか?」
こういった侮蔑の言葉や態度を面と向かって投げつけられたのが久しぶりであったため、或斗は自分が昔どう反応していたか思い出せず、少し困っていた。
学校を辞めに来たのは事実であるから、大きな誤解ということもない、訂正する必要もないかと思い黙っていると、男子生徒たちは次に自慢話を始めた。
「俺は若手の新星パーティ、『燃ゆる
「俺なんかもう3パーティに声かけられてるわ、『
「適性Cともなるとここまで進路が拓けちゃうんだよな~」
この10ヶ月、普の下で過ごすうちに普から言いつけられて世間の情報も学ぶようになった或斗には、彼らが挙げている名前が世間的には適性C~Bランク相当の、ダンジョン攻略者であれば名を聞くこともあるだろうパーティであることが分かった。
或斗たちはもう高校2年生の終わり、ダンジョン適性がC以上の者は大抵どこかのパーティから声をかけられ始める頃である。
人格はおくとしても、この時期にダンジョン攻略者の中で名の通ったパーティにスカウトされているというのは素直にすごいと思う。
或斗は、あの日普に出会わなかった或斗だったら、今頃はどうしていただろうか。
きっとどうもしていない、ただ毎日同じようにダンジョンネズミを食べて、モグリを続けていたに違いない。
男子生徒たちは下卑た笑みを浮かべ、ぼうっと聞いている或斗を続けて馬鹿にした。
「ま、お前も頑張れよ」
「つってもベッドの上で頑張る遠川くんは俺たちとステージが違うか!」
ひとしきり仲間内で馬鹿笑いをしていた男子生徒たちであったが、或斗が何とも思ってなさそうな顔で聞き流しているのを見て、眉を寄せた。
「おい、何か言えよ」
「お金持ちのペット様になった僕ちんはもう下々の人間とは口も聞けませんってか?」
そう言われても、或斗は彼らの名前も覚えていないのである。
おめでとう、良かったね、何を言っても反感を買いそうな気がする。
穏便に場を収められそうな言葉を探している或斗の肩を、男子生徒の1人が小突いた。
ダンジョン適性に格差がある場合、適性上位者の小突きというのは低ランクの者にはただの暴力となる。
この場合も例外でなく、或斗は男子生徒に突き飛ばされる形で後ろへ転びそうになった。
その肩をトンと支えた者がある。
見上げれば、青い髪に夜明け色の目、長身でいつも通りに顔が良い、普であった。
「あ、普さん。もう手続きは終わったんですか?」
「終えてくださったんですか、だろうがカス。こんなボロい高校のヘボ教師どもを転がすくらい朝飯前だ」
或斗は普に頭をはたかれる。
しかし、此結普という日本が誇るビッグネームの持ち主と、平然とその普と会話を交わす或斗を見て、男子生徒たちは目と口を大きく開いて唖然としていた。
「お、おい、あれ此結普さん、だよな?」
「日本最強がなんでこんなところに」
「そんなことより何でネズミ組の、しかも遠川なんかと」
男子生徒たちは恐る恐る普を見上げてはウロウロと視線を彷徨わせ、驚愕と信じがたさを互いに共有しては、心に嫉妬という暗い影が差すのを押し留めようと何かの理由付けを探していた。
「おい、遠川どういうことだよ」
「どんな手使ってとりいったんだ」
男子生徒たちは目を血走らせて或斗に詰め寄る。
胸倉でも掴まれそうな勢いに一歩下がった或斗の首根っこを普がひょいと持ち上げる。
「ぐえっ」
急に首が締まった或斗の呻き声を無視して、普は或斗を持ち運ぶようにしてその場を去る。
普はふと思い出したように、去り際に振り向いて男子生徒たちを一瞥し、鼻で笑った。
「君たちもステージの違う場所で頑張ると良い」
先ほどの会話を聞いていたとしか思えない、明らかな嫌味であったが、男子生徒たちは何も言えず、顔を赤くしたり青くしたりしながら呆然と或斗たちを見送った。
『暁火隊』本部ビル、5階の応接間にて、或斗は書類を確認し、署名をしていた。
書類の中身を読みもせず名前だけ書いて早々に作業を終えた普は、挨拶回りと言って本部ビル内巡りへ向かった。
或斗が書き損じのないよう、緊張感をもって署名しているのは『暁火隊』への正式加入手続きの書類であった。
後方支援部隊としてではなく、戦闘メンバーとしての加入である。
命を賭ける機会も多く、怪我を負うことも多い、後方支援部隊のものより誓約書のようなものが分厚いようだ。
対面のソファに座っている日明は、或斗を心配して、これ以前に何度も言ったのと同じ言葉をかけてくれる。
「本当に良いのかい? 正式加入すればうちのパーティとして動く義務が発生する。もちろん、優先順位は最上位においているが、うちは『カージャー』だけを追っているわけではない。別の仕事を頼むこともあるだろう。無理に加入しなくとも、今まで通り私たちは君を守るし、力を貸すよ」
日明の心遣いに或斗は礼を言ってから、それでもゆっくりと首を横に振った。
「もう中途半端でいるのはやめたいと思ったんです」
今までの或斗は日明と普の善意によって守られ、力を貸してもらっていただけの保護対象だった。
『暁火隊』に深く関わりはするものの、義務と得られる利益とが釣り合っていたとはとても思えない立場だ。
このまま宙に浮いた立ち位置のままでいれば、『暁火隊』の中でも不信に思う人は出るだろうし、それが組織としての歪みにならないとは言い切れない。
所属を明らかにする必要があると考えた或斗は、(どうせ10ヶ月不登校だったが)学校を辞め、『暁火隊』に加入することを選んだ。
「ここまでたくさんお世話になった『暁火隊』に貢献したいですし、守ってもらうだけじゃなくて……仲間や、たくさんの人を守りたいです」
その声に痛切な感情が込められていることを感じ取った日明は、もう一度念を押すことはしなかった。
ちなみに、これを機に1人暮らしへ戻りますと宣言したところ、普から半殺し手前程度の加減でボコボコにされ、「自殺宣言かこのクソ雑魚無能ネズミが。現実の見えてない馬鹿言ってないで大人しくうちの雑用やってろ」とのありがたいお言葉をいただいたため、或斗が書類に記載した住所はもう部屋番号まですっかり覚えた普の住むマンションであった。
或斗は記載漏れや書き損じが無いか、5回ほど確認してから書類を日明へ渡す。
或斗の『暁火隊』正式加入書類を受け取った日明は、しっかりと目を通して、或斗の目を見ると、笑い皺を滲ませて或斗へ手を差し出した。
「改めて、『暁火隊』へようこそ、或斗くん」
或斗は日明の手を握り、その変わらぬ力強さと安心感、受け入れられた喜びを胸に、少しだけ微笑んだ。
様々な説明を改めて受けた後、応接間を出た或斗は、挨拶回りとやらをしているらしい普を探そうとした。
だが居場所自体は探すまでもなくすぐに見つかった。
休憩室へ下りていったところ、そこではおどろおどろしいオーラとキラキラキャピキャピしたオーラが2層に分かれていたのである。
理科の実験かよ、或斗は胡乱な目でその2層の様子を遠目で見た。
おどろおどろしい方を見ると、高楽を中心にした負け犬オーラを纏っている男性陣が綺羅綺羅しい方向を恨めしそうに睨んでいる。
もう一方は見るまでもなく、華やかな女性陣に囲まれた普であった。
挨拶回りをしている途中でファンクラブに捕まったんだな、というのが或斗には容易に想像出来た。
普は女性陣から口々に「『暁火隊』復帰おめでとうございます!」「必要なことがあれば何でも言ってくださいね!」「普様と同じパーティに居られて嬉しいです!」と『暁火隊』復帰を祝われていた。
女性陣のセリフ全てに♡がついているように聞こえるし、高楽たちはハンカチを噛みしめ始めたし、見なかったことにして去ろうかな、と思った或斗であったが、即時普に見つかった。
遠くからでも普の目が「どうにかしろ」と言っているのが分かった、分かるようになってしまった或斗は仕方なく、本当に心底気が向かないが、男の醜い怨念ゾーンを通り抜け、普を囲む女性の群れへ近づいていった。
「普さん、手続きが終わりました」
半ば棒読みで声をかけると、普を囲んでいる女性たちの白い目が一斉に或斗を刺した。
これは茂部から聞いた話であるが、ファンクラブ内では或斗が普の家に住んでいることは周知の事実らしく、ファンクラブ会員は或斗を油揚げを攫って行ったトンビか何かだと思っている傾向が強いらしい。
遺憾の意である。
いつ立場を代わってもらっても良いが、3食暴言暴力付きの普との同居なんぞに耐えられるのは或斗くらいのものだと思う。
茂部本人は「羨ましいけど過剰供給で死ぬ自信があるから代わってほしくはない」と言っていた。
まともなのかまともでないのかどちらかにしてほしいおじさんであった。
そういった事情で針の筵に座らされた或斗へ、甲高い声が突っかかってくる。
これもここ3ヶ月ほどで慣れた現象の1つ、会うたび罵倒してくる戸ヶ森ゆにだ。
「アンタまで『暁火隊』に入ってくる必要なんてなかったのに!」
ビッと人差し指を或斗へ向けて、戸ヶ森はキャンキャンと小型犬の威嚇に似た罵倒を並べ始めた。
「適性無しの雑魚ガキなんて保護対象のままでいるのがお似合いなの!」
「万が一にも同じ任務に就きたくなんかないけど、もし任務で足引っ張ったら絶対許さないから!」
「どうせこれからも普様の手を煩わせるのは変わんないんでしょ! 面の皮が厚いのよ!」
或斗はどちらかと言えば口下手な方である、こうも姦しくまくしたてられると、返答に困る。
そして毎回のことであるが、或斗が言葉を探している間に戸ヶ森は無視された! と誤解し、罵倒のギアを1段上げてくる。
「ノミ虫の分際で無視しちゃって、調子に乗ってんじゃないわよ!」
しかし今日の戸ヶ森はよほど或斗の『暁火隊』加入が気に食わなかったのか、1歩踏み間違えてラインを越えた。
「救出作戦だって、アンタのせいで失敗したんでしょ!」
戸ヶ森がそう口にした途端、場の空気が冷え切ったのにその場の全員が気づき、息を呑む。
普が静かに殺気を出しているためだ。
戸ヶ森は地雷を踏んだことに気付いてハッと口をつぐむも、場に出してしまった言葉は取り消せない。
或斗は哀しげに目を伏せて、「その通りだ」と呟いた。
3ヶ月前の「カージャー」誘拐被害者救出作戦は、未零の救出のみ失敗に終わった。
未零クローンの死後、普が地下トンネルへのハッチのある部屋へ踏み込んだときには、ハッチは閉じられ、セキュリティが働いていた。
移送部隊は既にトンネルの先へと逃げたものと見られ、情報部は大車輪で働き2時間以内にトンネルハッチのセキュリティをクラッキングしてくれたものの、トンネルには何本もの分かれ道があり、追跡は難航した。
本隊の一部精鋭たちと合流した或斗たちは地下トンネルを隈なく探したが、移送部隊は既にどこか別の島へ逃げ去ったようで、追いつくことは叶わなかった。
実験施設で差し押さえた資料からの情報によって、いくつか別の実験施設を制圧することが出来、謎に包まれていた「カージャー」の扱う技術のいくつかを分析班が解明してくれはしたものの、未零本人の行方は分からないままである。
普はあの時未零クローンが殺されたことを己の失態と考えているようで、救出作戦の失敗は普の前では禁句に近い。
普の怒気と或斗の哀しみを前に、オロオロと視線を彷徨わせていた戸ヶ森に気付かず、或斗は顔を上げて宣言する。
「次こそは成功させる。そのために強くなる。だから『暁火隊』に入れてもらったんだ」
その決意の表情を前に、戸ヶ森は気まずげに「ふん……」とだけ言うと、休憩室から去った。
何となく固まってしまった空気に、これ幸いと普は女性陣へ適当な挨拶をすると、包囲から抜け出した。
ついでに怨念ゾーンでハンカチを噛んでいた高楽を蹴り転がしてストレス解消まで終え、普は或斗を連れて『暁火隊』本部ビルを出る。
空調の効いたビルを出ると風が暖かく、少し歩きたい気分になった或斗は無人タクシーを呼ぼうとしている普に断って1人で歩いて帰りたいと告げる。
当然に拳3発とセットで却下され、「あと何回ぶちのめしたらお前は危機感って3文字を覚えられるんだ?」と怒られたものの、普は珍しく或斗の意向を汲んで一緒に歩いて帰ってくれるようであった。
三寒四温、昨日までの3日ほどはまだ気温の低い日が続いていたのだが、今日は暖かく、行く道には薄手の上着を羽織っている人も多い。
普は人目を嫌って、あとはおそらく或斗の安全面を考慮しているのだろうが、無人タクシーでの移動が多い。
だから普の家までのいつもの帰り道であるというのに、『暁火隊』本部ビルのあるオフィス街を抜け、繁華街を通り過ぎ、住宅街を歩く頃には見慣れない建物も多くなってくる。
そのうちの1つに小さな教会があった。
小さな一軒家ほどの大きさの小規模な教会で、表の掲示板を見れば、今日はミサの日でもないらしい。
教会の建物はシンとしていたが、だからこそだろうか、或斗は少し寄っていきたく思った。
「普さん、少し寄って行っても良いですか?」
或斗が振り返ると、普はいつかと同じような胡散臭げな顔をしている。
「お前が壺を買わされても幸運のネックレスにローンを組まされても俺は金を出さないからな」
そのときも同じようなことを言われた気がする。
一応は了承ととった或斗は教会の敷地内へ立ち入ってみる。
事務室らしき場所にも人影はない、昼下がりの休憩でもしているのだろうか、ちょうどそのくらいの時間ではあった。
或斗がこわごわと教会の扉を開けると、そこは礼拝堂だった。
そう広くもない空間の手前には木製の簡素なベンチが並べてあり、奥には小さな祭壇、その向こうにステンドグラスがあった。
或斗は祭壇の前に、跪いて祈る人を見つける。
その人の綺麗な薄い色の長髪には見覚えがあった。
或斗が礼拝堂の中へ静かに立ち入る、普はその後ろを警戒しながらついてきてくれていた。
近寄ると、やはり祈っている人はミラビリス・クロニアその人であった。
普は思い切り顔をしかめるが、或斗は少し声量を落として声をかける。
「ビリーさん」
「おや、これは或斗少年」
ミラビリスは或斗に気が付くと祈りをやめ、その場に立ち上がる。
見上げたミラビリスの顔色は夏と変わらず、元気そうだ。
相変わらずの神秘的な雰囲気を教会という場が更に強調していたが、浮かべる笑みはほのぼのとしていて、やっぱりどうも締まらない空気を醸し出していた。
「お久しぶりです、お祈り中に邪魔をしてしまってすみません」
「構わないよ、この再会も主の導き、そうあるべくして君の顔を見られたのだろう」
「ええと……何を祈っていたんですか?」
「『あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ』、とある。祈りとは既に主に聞かれているものであって、必要なものを願うことではないのだよ」
「そう、なんですか」
言っていることがいまいちよく分からないのも相変わらずであった。
声をかけておいて話題に困った或斗は、日光に色とりどりの光を透かせるステンドグラスを見上げる。
こんなときに普が気を利かせて喋ってくれるわけはないし、そもそもこの2人も相性は悪いので、普には黙っていてもらった方が良い。
虹色の光を浴びて黙ってしまった或斗へ、今度はミラビリスから話を振ってくれる。
「或斗少年は、何故教会へ?」
「なんとなく……ですね。良くないでしょうか、こういう動機は」
「主は何も拒みはしないよ」
或斗はその言葉を聞いて、微笑んでいるミラビリスへ視線を戻す。
少し俯いて目を伏せ、思い悩む様子を見せる或斗、そして或斗のそんな姿を観察するように見ているミラビリス。
普は不機嫌に黙っていて、礼拝堂をしばし沈黙が満たす。
或斗は迷いながら言葉を紡いだ。
「……じゃあ、神様は……複製された命であっても、拒まず受け入れてくれるでしょうか」
ミラビリスは首を傾げた。
いつか栞羽に言われた通り、『暁火隊』と「カージャー」の詳細を伏せて、まあ伏せると何が何だか分からない説明になってしまうのだが、或斗はたどたどしく冬に体験した未零クローンとの永遠の別れについて語った。
伝えられたことは、彼女がクローンであったこと、でも人の心を持っていたこと、殺されてしまったこと、そのくらいであった。
「……彼女は何のために生まれてきたのか、そう思うと、どうしようもなくなって……時折酷く苦しいんです」
懺悔するような響きで、或斗は吐露した。
普は或斗の告白を止めることなく、後ろで無表情に黙っている。
ミラビリスは或斗の言葉を受け、しばし考えているようであった。
「生まれてきた意味、か」
数秒、目を閉じていたミラビリスは次に目を開けると、或斗へ向けて両の手を広げ、宗教者の風格で言った。
「『わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります』。主は罪ある私たち人間を愛し、愛するひとり子に、十字架にかけられる運命を与えられた」
そう諳んじて、曖昧なターコイズブルーの瞳に優し気な光を宿して諭す。
「人には全て主から与えられた役割がある。それを運命と人は呼ぶ。運命の果てが何の甲斐も無い死に見えたとして、それは主の与えた運命を誤解しているだけに過ぎない」
片手を上げ、手のひらを或斗の胸元へ向ける。
「一解釈に過ぎないが……或斗少年の心に生きる、それがその命の運命だったのだと私は思うよ」
「そして、その運命を背負った或斗少年が、或斗少年自身の運命とこれからどう向き合うかによって、彼女の命の重さは変わるのではないかな」
そのように結んで、ミラビリスは曖昧に微笑んでみせた。
或斗は与えられた言葉を頭にぼんやりと並べて、少しの間考えた。
未零クローンの最初で最期の言葉を思い出す。
『あたたかいの、ありがとう』
あたたかい、を与えられたのは、未零クローンだけではない。
或斗自身がそれを返された、上着を返してもらったように、未零クローンに与えられたものが、彼女にしか与えられなかったものが、或斗の中に存在する。
すでに死んでしまった者の生の意義を定義するなど、生きている者の傲慢に過ぎない。
ミラビリスから与えられた答えはそれを理解した上での、未零クローンへの追悼ではない、或斗のこれからのための言葉だった。
そして今の或斗に必要だったものもそれであった。
心を裂くようなあの日の傷はまだ癒えない、だがそれは未零クローンの生きた証でもある。
或斗は胸の痛みを受け入れて、小さく頷いた。
「ありがとうございます、ビリーさん」
ミラビリスは小さく首を横に振って、気にすることはないのだと示した。
夏の日と同じように、またいつか、と言葉を交わして、或斗は普と共に教会を出る。
礼拝堂を出ると、教会の敷地内に植えられた木に僅かに花がついているのが見えた。
先ほどは気が付かなかったが、桜が植えられているようだ。
今の季節に咲くということは、ソメイヨシノとは別種だろう。
早咲きの寒桜の、数輪咲かせた薄桃色の花は、冬から春に変わる合間のぼんやりと白んだ空色に、小さな灯火のように映えている。
風に揺れる薄桃色の花びらを、或斗は立ち止まってしばらくの間見つめていた。
春が、巡り来る。