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38 邪を視る


或斗へ向けて振り下ろされる剣や槍、ナイフを普が剣の一薙ぎで防ぎ、その上で瞬時に切り返して敵を吹き飛ばす。


吹き飛ばされた敵は骨の折れる嫌な音をさせながら、周囲の仲間らしき者たちを巻き込んで地面に倒れる。


死ぬほどではないが、おそらく戦闘不能にはなったであろう転がり方をした仲間を、しかしその他の者は一瞥もせずに或斗へ向かって武器を振るうことを止めない。


30人以上は居る集団に囲まれているため、或斗の背後を守る戸ヶ森も銃でなく剣に切り替えて敵を寄せ付けず奮闘している。


普の方は全く心配していないので、或斗は戸ヶ森の方を虹眼で支援する。


戸ヶ森はそれについて不満げにすることはなく、或斗の援護に合わせて敵を無力化する。


戸ヶ森が敵の剣を叩き落し、死なない程度の重傷を狙って腹を蹴り飛ばした敵はそのまま吹き飛ばされた。


が、戦闘不能にしたと思われたその敵はすぐに立ち上がり、痛みすら感じていないかのごとく先ほどと変わらない動きでもう一度或斗へ向かって素手で襲いかかってくる。



「何コイツ……!」



戸ヶ森がもう一度、今度は完全な無力化をと足の腱を狙って斬りつけ、実際に歩行のための重要な部分が切断される。


それでもその敵は、腕だけで這って或斗へ向かってくるのだ。


振り返れば、普の方でも同じ現象が起きている。


普に蹴り飛ばされた敵などは、腹や腕が複雑骨折して骨が飛び出している有様だというのに、黄土色のマントたちは全員意にも介さず或斗を捕えようとじりじり近づいてくる。


既に被っていたフードは落ち、その顔があらわになっている。


黄土色のマントを纏った敵は、見た目にはごく普通の男性や女性であった。


その白目を剥いた形相、血の泡を零す口元などの異様な様子を除けば。



「負傷で出してる血の勢い、顔面の生体反応を見たとこ、ゾンビの類じゃないな」



異常な敵たちを前にして、普は冷静に分析する。



「ただし、薬か何かをキメて正気は飛ばしてやがる」



忌々し気に顔を歪める普は、それでも手を緩めることなく敵を処理し続ける。


生きている人間との戦いにおいて、まだ普のように割り切れない戸ヶ森は敵の異様さに気圧されて呟いた。



「でも、まるでアンデッドみたい……」



気味悪げに眉をひそめる戸ヶ森の言葉に、或斗は思うところがあり、先ほど手に入れたばかりの虹眼を武装集団へ向ける。


六芒星の浮かんだ虹眼で武装集団の魂を視る、すると武装集団たちは全員、ドス黒く濁り切った何かが、元の魂の色を塗りつぶす勢いで絡みついて彼らを縛っていた。


この襲撃は彼らの意志ではない、と或斗は直感する。


このドス黒い何かを取り去ることが出来れば……! 或斗は多視と視魂を併用して、先ほどと同じように武装集団の魂へ干渉する。


だが数が多すぎたのか、それともドス黒いものの影響力が強すぎたのか、或斗は自分の根源、魂だと本能的に感じる部分が酷く軋み、言い表しようのない全身の痛みとダルさに襲われ、思わず膝をつく。


或斗は一旦多視との併用を止め、戸ヶ森側の目の前で捉えられる数だけの敵を視て、そのドス黒いものを取り払おうとした。


獲物に巻きつくコブラのように力強く、中々取り去れないその黒いオーラと或斗の意志はしばらくの間拮抗した末、何とか或斗の意志が勝った。


目に入る範囲の武装集団の魂が白に変わる、と同時にそれらの敵たちは一様にその場で気絶した。


次に普側の敵を視界に入れ、怪我をものともせず血まみれで這いながら或斗へ向かってくる敵たちの魂を視て、そこに巻きつく黒い靄を取り除いていく。


どうにも黒い靄の力は先ほど消滅させたアンデッドたちの魂への影響力とは段違いに強いようで、1人また1人と靄を払っていくうちに、或斗は自分の意識が希薄になっていくのを感じる。


このまま続ければ逆にこの黒い何かに喰らいつかれるかもしれない、そのような危険を感じたところで、普が振り向かずに叫ぶ。



「まだ理解しきってない力をホイホイ使うな考えなし! 薬漬けの人間を大人しくさせる程度のことにドブネズミごときの助けは要らねえよ!」



或斗はその声を受けて、六芒星の虹眼を閉じ、戦いを2人へ任せて自身の意識をハッキリ持つことに集中した。



「戸ヶ森、急所を狙って意識を刈り取れ!」


「はい、普様!」



とうに武装集団たちは或斗が倒した人々以外全員、立っていられるわけもないほどの怪我を負っていたが、白目を剥き血の泡を噴きながらゾンビの如くゆらゆらと或斗へ迫ってくる。


普と戸ヶ森は脳震盪を起こさせ、首への圧迫を行うなどして無理やり武装集団の意識を刈り取った。


時間はかかったものの、計34人の武装集団は全員地に伏し、戦いは終わる。



「クソが、手間かけさせやがる……」



普は息1つ乱していなかったが、戸ヶ森は剣を下ろしてゼイゼイと息を整えている。


モンスターでさえ痛みには反応し、それを与えた対象を恐れるものだ。


恐れや痛みを知らない、しかも人間の敵と対峙するのが初めてであった戸ヶ森は肉体的、精神的な負荷を強く感じていた。


或斗は魂の軋み、謎の全身痛が治まり、フラつきながら立ち上がる。


武装集団たちの魂を再度視てみるも、やはり或斗が黒い靄を払った人以外は未だ靄に憑りつかれているようだった。


そして、或斗が視ている中で、その靄が急に動きを変える。


ドス黒い靄はぐるぐると憑依元の人間の体を巡ったかと思えば、心臓へ吸い込まれるようにして消えていく。


その直後、普と戸ヶ森によって気絶させられていただけの人々は体をビクビクと大きく痙攣させ、噴き出すように口から血を吐いて動かなくなる。



「……死んでるな」



悪夢のような血の噴水を避けて血を吐いた人々の体を確認した普は、胸糞悪いとばかりに吐き捨てた。


戸ヶ森は陰惨な光景と大量の人死にを前に、顔を青くして嘔吐を堪えている。


不思議なことに、或斗が黒い靄を払って倒した人々は気絶しているだけで生きているようであった。



「生きてるのだけ叩き起こすか」



有言実行、容赦なしを体現する男、普が気絶している人々の頬を潰れない程度に張り、無理やり覚醒させる。


痛みで起こされた黄土色のマントの人物は、痛みにも気づいていないかのごとくポカンと口を開けて中空を見つめている。



「おい、他人に襲撃かけといてボーっとしてんな。お前らは何だ? 3秒以内に答えなきゃ指を折る」


「普さん、普さん、自重、自重」



拷問への入りがシームレス過ぎる。


或斗が止める声も聞かず、普はただ目を瞬かせるだけの男に舌打ちして言葉通り右手の小指の骨を折った。


というのに、折られた側の男はぼんやりとして反対側に曲がり赤く腫れあがった自分の手指を見てぼうっとしている。



「薬で痛みが飛んでるのか、面倒だな」


「先に普通の対話を試みましょうよ……」



当然ながら或斗は目を覚ました黄土色のマントの人物には近寄らせてもらえなかったので、或斗は少し離れた位置から声をかける。



「あのー、貴方は誰ですか? どうして俺たちを襲ってきたんですか?」



或斗の声が聞こえたらしき男性はぼうっとしたまま、ああ、だの、うう、だのと呻いた後、ぽつりと零した。



「だれ……? おれって誰だ?」







その後、或斗たちは近場に待機していてくれた後方支援部隊に連絡し、謎の武装集団の遺体を収容、生きている人々を拘束して秘密裏に『暁火隊』支部 分析所へ運び込んだ。


後者の人々については、拘束せずとも自分のことすら覚えていなかったようであったので、逃げ出すということもなかっただろうが。


日本へ戻ってきて数日後、分析班からひとまずの解析結果が出たということで、或斗は普と戸ヶ森と共に分析所へ向かった。


普にとっては残念なことに、分析所では分析班唯一の研究者といって過言でない茂部が待っており、いつものセクハラの洗礼を受けることとなった。


おそらく茂部はここ数日夜を徹して解析作業をしていたはずなのだが、普を前にすると頬が紅潮し、肌を覆う脂の量が多くなり、息も荒く、とても不健康そうには見えないので、まあ元気なのだろうと思う。



「ハァハァ、普たん……♡ 11日と5時間7分34秒ぶり、だね……海外遠征は心配だけど、ついていくと新婚旅行の下見気分になっちゃって……ハァハァ、仕事どころじゃなくなっちゃうから、ネ……♡」


「…………」



普は茂部の向こう側の壁を見て、立ったまま瞑想をしている。



「普たん……今回はアンデッドとの戦いだったと聞いて……おじさんゎ、普たんがアンデッドに乱暴されたらと思うと……夜も眠れなかったヨ……もちろん、心配でね……まあさいつよ天使♡普たんが、アンデッドごときに後れをとることはないんだけど……でも、普たん♡の珠の肌に傷でもついたら……ハァハァ、傷を負った天使も、素敵だ……おじさんの複雑なココロ、分かってくれるカナ? ハァハァ」



歯茎を剥き出しにして笑う茂部、虚空を見つめる普、平然としている戸ヶ森……戸ヶ森はそれで良いのか?


或斗はたまらず戸ヶ森へ、茂部の普に対する態度について尋ねた。



「あの……ファンクラブはアレセクハラを許してるのか……?」



明らかに普に有害だと思うのだが。


戸ヶ森は或斗の疑問に、何を言っているんだコイツはと言わんばかりの怪訝な顔で返した。



「茂部さんは此結普ファンクラブの創始者であり会長よ? 私たちファンクラブ会員のために身を粉にして供給を届けてくれているの。ファンイベントだって主催してくれるし……言動は独特だけど、普様への愛の大きさはファンクラブ全員が認めるところにあるわ。生ける伝説と言っても過言じゃない。だから普たん呼びは茂部さんにだけ許された特別な呼び方として、敬意を表して他のファンクラブ会員は使わないの」



何を言ってるんだこの人は。


或斗は斜め165度くらいから飛んできた戸ヶ森の返答に頭を抱えた。


ファンイベントって何だ、敬意を表するとは……? 或斗の頭に宇宙の光景が広がった。


やっぱり此結 普ファンクラブというものは或斗の理解を遥かに超えた銀河の果てにある世界であり、むしろ理解しようとすべきではないのだろう……怖気を堪えつつ、或斗は普をセクハラから救うべく茂部へ声をかけた。



「茂部さん! 分析結果が聞きたいです!」


「ああ遠川少年、いたのかね。分析結果ね、じゃあ話すけれど」



いや最初から普の横に居たが。


他のファンクラブ会員はともかく、このおじさんは本当に普しか目に入っていないタイプのヤバい人なので、今のは嫌味でも何でもない。


或斗は深く言及せず回答を待った。


茂部は先ほどとは真逆の無表情で、資料を広げながら淡々と説明する。



「まず運び込まれた検体は全員、2種類の処置を施されていた。魔法的アプローチによる洗脳、肉体強化のためのドーピングの2種だ。普たん♡が気絶させた人間たちが勝手に死亡したこと、また遠川少年が特殊能力で気絶させた人間たちが全員記憶を失っていることは、前者の魔法的アプローチによる洗脳が原因だと考えられる。研究分野としては倫理観の問題から未発達ではあるものの、洗脳の魔法というのは現在でも充分に開発可能だ。この洗脳は少なくとも3種類の効果を発していたと考えられる。1つ目、遠川少年を襲うよう命じる効果。2つ目、気絶し拘束されそうな場合、心臓を潰すという結果をもたらす魔法的効果。3つ目、正規の手順以外で洗脳を解除した場合、全てのエピソード記憶を消去する効果。2つ目と3つ目については信じがたいほど高度な魔法組成だね。これについては痕跡からではとても再現できないほどの理論の元構築されているだろう」



茂部はどこか嬉しそうに、かつ悔しそうに予測される魔法理論の緻密さについて語ろうとし始めたので、或斗が軌道修正をかける。



「正規の手段以外で、というのは、俺の虹眼で黒い靄を消したのが洗脳を解いた扱いになったってことなんでしょうか」


「遠川少年の新しい能力についてはよく分からないけれど、おそらくはそうだろう。やっぱり今度分析所に泊まって行って研究させてもらえないか? 人間およびモンスターの魂の可視化など、まったく未知の研究分野で」


「死にたくないので遠慮します。ドーピングっていうのは?」


「遠川少年、君何だか最近ふてぶてしい気がするよ。ドーピングというのは薬物によって肉体を強化することだが、検体は34体と山のようにあったからね、この薬物についてはかなり詳細に解析出来た。この薬物の効果は驚異的だ、肉体改造といっても過言でないほどの効果、具体的にはダンジョン適性ランクを1つ分弱は向上させることが出来るものだよ。ただし、代償としてとんでもない負荷が服用者の肉体にかかるようでもあるから、完全に捨て駒用の薬だね」



再現した薬物を投与したダンジョンネズミは3分で死んだよ、と茂部は実験結果を述べる。



「代償を軽くするための解毒薬とも言える薬品の開発に手をつけてはみたものの、検体が生きているうちに完成するかは怪しいところと言わざるを得ない」


「それは……」



虹眼の力で命だけは助けられたと思った人々の体に時限爆弾があるのだと告げられ、或斗は口を閉ざす。


この人の命を何とも思っていない感じは……或斗が思い浮かべたことを肯定するように、茂部は解析結果を続けた。



「このドーピング薬物だが、よく解析してみると、『カージャー』の実験施設から出てきた薬品類と根本的な部分でいくつかの共通項があると分かった」


「……!」



去年の12月からしばらく、『暁火隊』はケージ島以外にもいくつかの「カージャー」の実験施設を制圧しており、そこから出てきた資料や薬品の実物などによって全く不明であった「カージャー」の技術のいくつかは解析が出来ている。


解析した当人の茂部が言うのであれば間違いはないだろう。



「じゃあ、今回の襲撃もやはり『カージャー』からの刺客だったんでしょうか」



或斗が納得しつつ確認すると、意外にも茂部は首を横に振った。



「私はそう思わないね。共通しているのは技術の根本部分だけで、その上に乗せられた設計思想はまるで違うものだ。技術体系が枝分かれしているというべきかな、ともかく、今回の薬品については『カージャー』の技術、あるいはその元となったものを流用して、別の技術として発展させた人間が別に存在すると予測する」


「別の人物……?」



確かに、今回の襲撃者たちは全員、「カージャー」のトレードマークのような黒ローブではなく黄土色のマントを身に纏っていたし、服、所持品のどこにも「カージャー」のマークは刻まれていなかった。


或斗たち『暁火隊』が「カージャー」を追っていることは既に敵も十分知るところであるし、今更わざわざ正体を隠すような小細工は必要無いだろう。


何より、今回の襲撃はタイミングを考えても、「カージャー」の狙う"神の欠片"である遺跡ダンジョンのダンジョンコアではなく、或斗だけを狙っていた風であった。



「一体どんな組織が背後に……?」


「さあね。『カージャー』あるいはその元の技術を持つということは、『カージャー』と全く関係がないということもないだろうけれども」



茂部は今のところの分析結果は以上だよ、と或斗から視線を外し、また普にネチャネチャとセクハラを始める。


或斗は新たな謎に頭を捻りながら、瞑想状態の普の腕を引き、戸ヶ森も連れて分析所を出た。


『暁火隊』本部への帰り道、今回の襲撃の黒幕について或斗が色々と考えていると、突然戸ヶ森が或斗の目の前に立ちふさがり、険しい顔で指を突き付ける。



「借りを返すわ!」



そう言い放った戸ヶ森の言うところを今度は何だと思いつつ聞くに、「奢ってやるから今日の帰りに繁華街の喫茶店へ行こう」という誘いであった。


おお、同僚っぽい……と謎の感動を得つつ、或斗は笑顔で快諾した。


そこまでは戸ヶ森も満足気であった。


が、退勤時間後、或斗が普つき、ついでにミクリも誘って待ち合わせ場所の喫茶店に来ると、戸ヶ森はショックを受けながら怒り狂うという器用な表情をしてみせた。



「あ、アンタ……ありえない……!」


「何が?」



或斗はきょとんと首を傾げた。


非常に残念ながら、或斗側に立つ3人の中で、戸ヶ森が2人で喫茶店に行こうという誘いをしたのだと理解出来たのは、状況のマズさに気付いて狼狽えているミクリだけであった。


ミクリは1年にも及ぶ付き合いによって、或斗の対人コミュニケーションレベルがちょっと残念だということを知っているが、戸ヶ森はそうでない。


おそらくここで「戸ヶ森さんは2人で喫茶店に来たかったんだよ」と或斗へ耳打ちしたところで、或斗はでも普さんもいるところで誘われたし、人はたくさんいた方が楽しいだろうし、と思うに終わるだろう。


ミクリは決意した、今度或斗へ女心のなんたるかについて教授すべきだと。


わなわなと震え、怒りだかショックだか分からない感情で目を潤ませている戸ヶ森の元へそそと近寄り、ミクリは素直に謝罪した。



「戸ヶ森さん、ごめんね。私、一緒に喫茶店へ行かないかってだけ誘われて、事情を知らなくて……」



心から申し訳なさげに謝るミクリの真摯な態度に、戸ヶ森も怒りを削がれる。


戸ヶ森はミクリと話したことはなかったが、後方支援部隊の中でも性格の良さで評判になるほど、真面目で優しい人間だと聞いたことはある。


ここでミクリに怒りをぶつけるのは流石に筋違いだと理解した戸ヶ森は、代わりに或斗をギッと音でもしそうなほど睨みつけた。


喫茶店でパフェを食べる或斗は終始、戸ヶ森から刺々しい言葉を受け続け、テーブルの下で足を踏まれまくった。


あれ? サルストに行く前の関係性に戻っちゃったぞ? と不思議そうにしている或斗を他所に、戸ヶ森はミクリと友情を築くに至ったのであった。


ちなみに喫茶店の支払いは「年下女の金で物食う趣味はねえ」と言った普が全額支払った。


恐縮するも断りきれない戸ヶ森はやっぱりその分も或斗へ「何もかもアンタのせい!」とありったけの怒りをぶつけ、「行こ! ミクリ!」とミクリの手を引いてぽこぽこと怒りの足音を立てつつ去って行った。


やっぱりミクリは誰とでも仲良くなれてすごいなあ、と呑気に見送る或斗の後頭部をはたき、普が「さっさと帰るぞ」と促す。


繁華街で無人タクシーを呼ぶのは少し面倒くさい。


道が混んでいることもあるし、利用者が多く特定の会社のものを呼ぼうとすると順番待ちが発生することもある。


そんなわけで、繁華街から無人タクシーでどこかへ行こうとするときは、大抵繁華街の中心近くにある無人タクシーの待機ロータリーまで歩いて向かった方が早かったりする。


ロータリーへ向かって歩いていく或斗は、普の歩調に合わせて早足で人を避けつつ進む。


1年前と比べれば人を避けるのにも随分慣れたが、繁華街は今日も賑わっている。


行き交う人々の春から初夏のものへ移り変わる色とりどりの服装、雑居ビルの広告用モニターに表示される美容院のホログラム映像。


上空には定期的に警備用ドローンが飛び交い、一等高いビルの壁面には大きな街頭ビジョンが設置されている。


信号待ちの間、何気なく街頭ビジョンを見上げていると、金の丸の中にダイヤのマーク、見慣れた巳宝堂財団のシンボルが表示され、長いストレートの金髪に紫の目をした、落ち着いた美貌の女性が映る。


女性は優しく、自然と人の耳を集めるカリスマを備えたハスキーな声で名乗る。



『ごきげんよう、巳宝堂財団会長、巳宝堂 茴香みほうどう ういかです』



テロップにも巳宝堂財団会長という立場と、彼女の名前が表示されている。


或斗は何度か会長の姿の映像を遠目で見かけたことはあったけれど、しっかりと見るのはこれが初めてであった。


この間は思いがけず会長代理などという地位の高い人物と言葉を交わしたが、あの仕事の出来そうな苺木の上に立っているのも納得出来るほど、深い知性と教養を備え、慈愛とカリスマに溢れていそうな印象を受ける。


茴香はにこやかに、「この世の全ての人々が旧時代のような平和と繁栄を享受できますように」という財団の理念を語っている。


この映像は今年の6月1日から開始される、新しい電波基地局の稼働とその意義についてのCMであるようだった。


映像の中では、新しい基地局の使う電波の革新的な効果と人々の生活に与えるメリットがナレーション付きで図解されている。



「普さん、金融と医療のイメージの強い巳宝堂がどうして通信技術の宣伝をしてるんでしょう?」


「あ? 知るかそんなもん。大方金が余ったんで新規事業に手を出したとか、その辺りだろ」



お金って余るものなんだ……と或斗はまた新たな概念を知った。


普の言う通り、電波基地局の設置は巳宝堂が資金を出し、巳宝堂主導で行われた事業であるらしい、そのようにCMの中で茴香が説明していた。



『この新たな通信手段「cor・telaコア・ティーラ」の普及によって、災害支援・教育・国内外問わずの人々の交流など、皆さんの生活が一段上のステージへ進むことを確信しています』



茴香は優し気な笑顔で頷き、サラサラの金髪を揺らした。


信号が変わる直前、或斗は小さな好奇心に駆られた。


サルストで視た普の魂、本質のオーラは彼の目の色のような力強いもので、戸ヶ森のものは彼女の髪の色を薄めたような色に、彼女自身の意外な脆さを反映したような揺れ方をするオーラであった。


帰国してから新しい虹眼の効果実験の一環で見せてもらった日明のオーラなどは、彼の瞳の色によく似た温かい橙色で、見ていると自然と落ち着く波長をしていた。


どれも澄んだ美しい色合いをしていて、或斗は片っ端から知り合いの魂の色を見せてもらったものである。


魂の視え方は、その人のその時の感情や思考によって色合いや波長が変わるらしいことも実験の結果分かっている。


戸ヶ森などは変わり方が顕著で見ていると面白い。


茂部のは澄んだドブ色という高度な、理解不能の色合いであったが、或斗は早々に記憶から消した。


では、巳宝堂財団の会長というこの美しい女性の魂は、どんな綺麗な色をしているのだろう。


ビジョンなどの映像越しに視えるかは試したことがなかったこともあり、或斗は興味本位かつ実験として気軽に、巳宝堂茴香へ六芒星の虹眼を向けた。


そこに視えたのは、あの武装集団に憑りついていたドス黒い靄を何十倍にも凝縮したような混沌の暗黒が、蛇のようにとぐろを巻いて鎌首をもたげている……そんなオーラであった。



『巳宝堂はcor・telaコア・ティーラ通信技術によって、全ての人々の心を繋げます』



映像の中の巳宝堂茴香は、慈愛に満ちた美しい瞳で微笑んでいる。


ピポ、と音と共に信号が変わっても、或斗はその場から動けず、呆然と街頭ビジョンを見上げていた。


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