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40 従属


『暁火隊』本部ビル地下の情報部では、普段ブリーフィングが行われる時と違い、栞羽以外に3人の男女がパソコンに向き合い、懸命に情報を探し求めていた。


情報部スペード班ジャックであり、スペード班唯一の男性である充義 颯みつるぎ はやては、空腹のトラの檻の中に放り込まれたような緊張感を覚えていた。


というのも、情報部の入口からすぐの場所では、今にも人を殺しそうなほどの怒気を放っている普が、全身の擦り傷や骨折を田村医師から治療されながらも、スペード班のもたらす情報を今か今かと待っているからだ。


必要とされていることは分かるのだが、どうにも急かされるどころか睨み殺されそうな気迫があり、充義は冷や汗を垂らしつつネットの海と向き合っていた。


部屋の空気がどうであろうと、手と頭を止めることは許されない。


それが『暁火隊』情報部で最も危険な仕事を請け負うスペード班の矜持であり、一番の下っ端である充義もそのことを十分に理解している。


背後からの圧迫感を意識から追いやるよう努め、作業を続行する。


そこでスペード班クイーンである央宮 祥子なかのみや しょうこが口頭とパソコン上で同時に情報を共有する。



「ダークウェブで或斗さんの身柄に5000万円の賞金がかかってます!」



それに続いて、共有された情報を元により深く探ったスペード班キング可成矢が声を上げる。



「今夜オークションにかけられるとの情報があります」



スペード班はそのオークションについて細かく調査を続けるも、15分が経過しても続報がない。


普はギリリと音がするほど歯噛みし、強く拳を握って立ち上がる。


隣で田村医師が「普くん、傷が開くから」と止めるのもお構いなしに、普はスペード班へ詰め寄る。



「オークション会場はどこだ」



さほど大きな声ではない、けれど静かな情報部に重く響く声は獅子の唸り声そのものであった。


待機していた日明が普を諭そうと口を開く前に、作業中の栞羽がいつもの軽い調子を消し、ため息をついてから冷たい声音で答える。



「その怒りや苛立ちをこちらへ向けないでください。焦っているのはこちらも同じ、出来る限りのことをしています。今の貴方に出来ることは良い子で待つことだけですよ、普ちゃん」



スペード班の面々と普は珍しく栞羽が怒っていることを察し、室内の緊迫感は増す。


中々有力な情報が掴めないことにか、理不尽に圧をかけてくる普に対してかはわからないものの、栞羽が怒りを顕わにすることは滅多にない。


スペード班の面々は自分たちの考えているより数段状況が悪いのだと理解し、気合を入れ直して大量の情報をさばいていく。


どのくらい時間が経っただろうか、充義が報告を上げる。



「オークション開催団体、特定しました」



共有した情報から栞羽が常識を超えた速さでシステムクラッキングを繰り返し、オークション開催団体について調べ上げていく。


しかし、栞羽は大きく息をついて、椅子の背にもたれて調査結果を普へ伝える。



「人身売買なんてやってる以上は当然ですけど、このオークションは完全に裏のもの。参加者・開催場所は常にランダム決定、参加者には当日車で迎えが来る、という形式であるようです。参加者名簿はまだ作成されていない状態、探るに探れませんね」



普はその情報を聞いて、皮肉気に笑って言いきる。



「タイミングがタイミングだ、買い取り手は既に決まってる――巳宝堂のクソ女」



日明はその結論に同意しつつも、苦い顔をした。



「都内だけでも巳宝堂関連施設は無数にある。公開されている拠点だけに限ったとしても、とてもじゃないが『暁火隊』の手で全てを調べることは出来ないぞ」


「その上伏せられてる拠点もあるわけです、その特定から始めるとなれば、まず1週間じゃきかない時間が要ります。天下の巳宝堂のセキュリティですから」



続けた栞羽は顔をしかめ、しかし何か隙が無いかともう一度オークション情報を洗い直す作業へ戻る。


武力だけで解決しないことがある現実は知っていたつもりだった。


だからこそ普は武を磨き続けた、普には武の才能しか無いと分かっていたから。


5年、1人で何度も死線を潜り、修行を続け、名を上げて世間への影響力を得、社会的立場を作って武以外でも動けるよう立ち回ってきた。


その結果がこの体たらくか。


1人では或斗が今どんな状況にあるのかもわからず、情報部へ八つ当たりして栞羽から窘められる。


いくら日本最強の呼び声高いとはいえ、普はダンジョン攻略者個人でしかない、社会的立場では巳宝堂には圧倒的に及ばず、下手人は分かっているのに手出しも出来ない。


今の普には何も出来ない、動けない、或斗がどうなるのか――あの黄土色のマントを纏っていた武装集団の末路を思い出す。


洗脳され、心臓が潰れて無惨に死ぬか、全ての記憶を失ってそのうち死ぬか。


どちらにせよ、普の手の内から零れ落ちることは確実であった。



「……普?」



様子の変わった普へ、日明が心配に眉を寄せて名前を呼ぶも、普は応えられなかった。


己の無力さに愕然とし、或斗を失うという現実を実感して、普は怒りさえ忘れてしばし放心していた。







意識がフッと浮かび上がり、或斗は薄く目を開いた。


身体中のあちこちが痛む……そう、車が、無人タクシーで事故が起きて……むち打ちだろうか。


事故? 事故ではない、或斗は無人タクシーから引きずり出され、誘拐されたのだ。


その後の記憶は無い、何か刺激臭のする布を押し当てられ、そのまま意識を失ったことまでを思い出した。


或斗はむち打ちの痛み以外に、手足が妙に重いことに気が付く。


目をしっかりと開いて見てみれば、色合いから紅金合金製だろうとわかる鈍重な手枷と足枷がはめられてあり、枷から伸びる鎖が或斗を囲う同じく紅金合金製なのだろう檻の端に続いている。


紅金合金はダンジョン適性A~Bの人間が主に装備に利用する赤みを帯びた金属であり、調整次第で凄まじい硬さと重さになる。


枷に使われているものは重さに特化させた合金であろう、或斗は枷の重さでロクに手足を動かすことが出来なかった。


目を開いて自分の状態を確認したところ、身に着けていた衣服が靴に至るまで全て別のものに変わっており、当然に持ち物などは全て没収されている。


今回、目隠しはされていなかった。


次に或斗は自分の居る場所について見まわしてみる。


暑いくらいに明るいライトが何重にも或斗の居る檻を照らしている、ステージの上であるようであった。


ステージの前、一段下がったところに客席があるようで、或斗が目を覚ましてキョロキョロとしている様を見てか、おお、といった声が聞こえた。


或斗の左手には黒いタキシードに怪しい仮面をつけた男が立っており、仮面の男は目を覚ました或斗をピンと指先まで伸ばした腕で指してマイク越しに声を張り上げた。



「商品が目を覚ましました! こちらの商品は1年前SNSで話題になったあの! 虹の目の魔法を使う人間です!」



商品、商品と言われたのが或斗自身であることに気付くまで、5秒ほどかかった。


その間にステージ脇から出てきた大柄な男が抜き身の剣を檻の隙間から差し入れ、或斗の首筋に向ける。



「虹の目を見せろ」



大柄の男は剣を向けたまま、或斗へそう指示する。


或斗は数秒考えた、多視を使って虹眼でこの場の敵対者すべてを無力化し、逃げ出すことは……可能だろう。


だが或斗にはここがどこだか分からない。


そしておそらくこの誘拐には巳宝堂が関係している、外に出ても行く先が分からず、確実に保護してくれる相手が見つかるまでに再度捕まる可能性は大いにある。


多視は強力だが使用限界がある、都内かも分からない場所から『暁火隊』本部ビルまで逃げ切る間もつとは思えない。


巳宝堂が関わっている以上は、警察という政府直轄機関であっても信用できない。


たとえ一時的に保護してもらえたとしても、巳宝堂が口八丁で身柄を引き取りに、と言えばダンジョン適性が低い或斗の言うことなど警察は信用しやしないだろう、今この場で或斗がとるべき最適解は、一旦従順さを見せて油断を誘うことだ。


或斗は剣でつつかれる前に、虹眼を展開して見せた。


ついでにステージ下の客席を多視で眺めてみたが、客は皆同じような服装をした、おそらく使用人だと分かる。


彼らは主人の代わりに来ているのだろう、人間を商品にするなどという違法行為の現場に地位の高い人物本人が来るわけはないということか。


或斗の両目が虹色に光るのを確認した客席の連中は感嘆の声を上げて騒めいている。


仮面の男、おそらくこの場の司会進行をしているのだろう男は「入札は5000万円からです! さあふるってご参加ください!」と声を上げた。


客席ではハンドサインや番号の書かれた札が上がったり下がったりして、その度に司会の男の告げる金額がつり上がっていく。


今この場で或斗は人間ではなく、完全に売り買いできる物として扱われている。


人間の命を金で売買する場、その概念に胸糞悪くなり、或斗は無駄だと分かりながらも客席を睨んだ。


そして1つの札が上がったとき、客席はシンと静まり返った。


司会が驚きに少し黙り、次に声を震わせて歓喜とともに金額を告げる。



「100億! 100億が出ました! 他の方はいらっしゃいませんか!」



100億って100億円ってことか? と当たり前過ぎる疑問が浮かぶほど或斗は驚き、思わず口を開けて番号札を見つめた。


その後客席から他のハンドサインや番号札が上がることはなかった。


司会が興奮を隠さずにベルを叩いて落札を宣言する。



「虹の目の魔法使い、落札価格は100億、018番様、まさにベストオファーです!」



司会と客席は拍手喝采、或斗が現実離れした金額にまだ呆然としていると、剣を突き付けていた男が或斗の檻を開け、覚えのある刺激臭がする布を或斗の口と鼻へ押し付ける。


手足の枷のせいで身動きとれない或斗はもろに薬品を吸い込んでしまい、一瞬で意識が暗転した。


次に目を覚ましたとき、或斗の手足に枷はなく、目隠しもないままで、豪奢な洋室に倒れていた。


洋室にはいくつか大きな窓があるようであったが、金色の繊細なレース刺繍の入った分厚いカーテンが引かれてあり、外の様子は分からない。


光が入ってきていないあたり、現在時刻は夜なのだろうと予測はつけられた。


或斗の倒れていた床には毛足の長いくすんだ赤色の絨毯が敷かれてあり、床に転がっていたというのに体が軋む感覚はない、むちうちの痛みは変わらずあったが。


壁には或斗も普の課題図書で見たことのある有名な画家の絵が金の額縁で飾られていて、よく見れば壁自体もただの白ではなく、優美な蔦模様が入った品の良い壁紙で覆われている。


天井からは小ぶりのシャンデリアが下がっていて、キラキラと室内を照らしている。


身を起こした或斗の正面の壁は何の絵もかけられていないシンプルな状態であったが、壁までの間に大きなソファが一対置かれている。


そして或斗と対面する側のソファに、金色の美しいストレートの髪、紫の瞳、巳宝堂 茴香が座っている。


茴香のソファの後ろには、前に会ったときとは印象の全く違う無表情の苺木 初百合が立って控えていた。


茴香は或斗の状況理解が済んだだろうことを察して、相変わらず少しの害意も感じない優し気な声をかけてくる。



「お目覚めかしら」


「……お断りしたら誘拐されるっていうのは、良い話って言えるんですかね」



或斗が精いっぱいの皮肉を言ってみせるも、茴香は変わらぬ笑顔で頷いた。



「もちろん、或斗さんにとって良いお話であることに変わりはありませんわ」



或斗は茴香の背後の苺木に目を向ける、前に会ったときの柔らかな雰囲気は一切無い。


或斗は洗脳を疑い、視魂の虹眼で苺木を視てみる。


驚くべきことに苺木のオーラには黒く濁ったところが一切なく、真っ赤なオーラが頑丈な柱のようにそびえて、揺れることもなくただ巡っていた。


洗脳されている人間の魂ではない、或斗がその事実に驚きを隠せずにいると、茴香が余裕に満ち溢れた態度で話を切り出した。



「その目、便利ですこと」



そう言って笑みを深め、もはや隠すこともないとばかりに或斗へ今回の誘拐について語る。



「以前の『カージャー』幹部バル=ケリムを釣り上げた作戦については詳細を把握してあります。貴方に虹眼を使わせない状況を作れば、GPSの類、魔法的追跡も含めて全て取り除けると思いました。その状況とは、貴方を気絶させること。意識がなければ何も見えませんものね」



その通りである、しかも今回は或斗の体内にGPS装置はない。


現状、或斗は自分の現在地が分からず、そして現在地を仲間へ伝える手段もない。



「ダンジョン適性無しの方にどこまでの強さの薬を使えるのか、研究部は悩んでいましたよ」



茴香は品良くクスクスと笑う。



「本当はもっと色々とお話して、仲を深めたいところですけれど、本題に入りましょう」



柔らかく胸の前で手を合わせ、茴香は或斗へゆっくりと語りかけた。



「ねえ或斗さん、お金の本質って何だと考えていらっしゃる?」



突然の問いかけに、或斗は訝し気に眉を寄せる。


或斗の返答を求めていたわけではないのだろう、茴香は歌うように美しい声で続けた。



「それはね、信用です。印刷に凝った紙1枚、人の名義の書かれた小切手1枚、人はそれに価値があると信じる。信じられているからこそお金はきんに、ダンジョン資源に代わるのだわ。お金というものの存在は信用で成り立っているの」



ただ……と茴香は目を伏せ、悲し気な表情を作る。



「ダンジョン社会になってからは、お金の価値が下がってしまった。それは暴力の方が人の信用を勝ち得たから。法の効力は薄れ、暴力がお金の代わりになり得る社会となってしまった」



その語り口には憂いがあり、或斗が感じる限りでは茴香のその憂いは本物のようであった。


茴香はダンジョン社会を憂いている?


慈善事業団体の長という顔を考えればおかしくはないが、裏の顔があることを知ってしまった或斗にとってはその当然が異常に映った。



「社会の在り方は、今は措きましょう。ここに見える1つの真理は、最も価値があるものは何か、というお話よ。それはお金でも暴力でもない、人の心なのだわ」



茴香は胸に手をあて、優し気な雰囲気のまま、異常な思想を並べ始めた。



「お金ではない。暴力でもない。人心を掌握することこそが、社会を掌握し、統治することに繋がる。逆行すれば、旧時代の遥か昔の王権制度というものは理に適っていたのね」


「私は、この世界の王になりたいの」



夢見る少女のように熱を持った紫の瞳を或斗へ向けた茴香の表情は、それだけ見たならば何の罪もないと思えるほど無垢な光を宿している。


彼女を疑うこちらこそが間違っているのではないかと思わされるほどの純粋な口ぶりと状況とがかけ離れ過ぎていて、或斗は一種の怖気を抱く。



「……王? 何でそんなものになりたがる? 巳宝堂はもう充分すぎるほどの社会的立場を持っているはずだ」


「何故? 不思議なことをお聞きになるのね。私にはその力があるからよ。お金、生まれ、頭脳……生まれ持って、この世を統べるための全てを持ち得た人間、それが巳宝堂 茴香なの」



なりたいからなるのではない、なるべきだからなりたいのだと語る茴香の瞳は確信に満ちており、狂気的ですらあった。



「持ち得た人間はその力を行使しなければならないわ。或斗さん、貴方の力もそう。だけれど、貴方にはその力を十全に行使出来るだけの才能が無い、社会的立場が無い、頭脳も強い心もない、それは自分でもお分かりよね?」



まさか『暁火隊』の下っ端の身分が、自分より高い位置にあるとは思っていないだろう、と当然のことを確認するだけの口調で茴香は或斗へ問いかける。


或斗が5年間塞ぎこんでいたことも、その理由も調べ尽くしているのだろう、茴香の発言には少しも揺らぐところがなく、満ち溢れた自信で或斗を説き伏せようとしている。



「"神の力"、詳細を調べたけれど、素晴らしいものね。きっと私が世界を統べるために大いに役立つ。ね、私が貴方を誰よりも上手く使って差し上げる。貴方の生まれてきた意味は、私の元で使われることなのよ」


「世界を統べるって……簡単に言うけど、そんなことが出来ると本気で思っているのか?」



茴香は「良い質問ね」と教師のように満足気な笑みを浮かべて、巳宝堂の抱える悍ましい計画について語った。



cor・telaコア・ティーラプランはご存知?」


「新しい電波基地局の設置と、電波の普及……?」



あの日CMで見た内容を答えると、茴香は大きく頷く。



cor・telaコア・ティーラプランでは、新しく日本全国へ飛ばす電波に、私たちの開発した洗脳用の波長を乗せるの。そうして、日本国民すべての心を支配する」


「なっ……!?」


「全ての人が巳宝堂の理想に共感してくれるようになるの。ええ、そうすれば私が望まない限り、争いは1つも無くなるし、今なお蔓延る汚職も、適性差別も、唾棄すべきすべての諍いの元を消すことが出来る。素晴らしいでしょう」



茴香は本気でそれを素晴らしい未来だと考えているようであった。


人心の掌握を、洗脳で行う。


ゆくゆくは海外へもcor・telaコア・ティーラプランを敷き、全ての人類を支配する。


それで人類が一丸となってダンジョン災害に立ち向かえる、そうして恒久的な平和と、平和による人類全体の繁栄が望めるのだと茴香は語る。


茴香は本気で人類の平和と繁栄を望んでいて、人類全員を洗脳することがそのための正しい手段だと考えているのだ、或斗は茴香の目を見て理解した。


この女は、狂人だ。



「ご理解いただけたかしら。或斗さん、私は貴方の力を最も上手く使える人間です、貴方はこの社会の歯車の1つとして、私へ従属すべきなの」


「……ありえない。そんな未来は、受け入れられない。平和と繁栄のために全人類を人形にするなんていうのは、狂った思想だ」


「まあ、或斗さん、頭は悪くないという調べでしたのに。常識に囚われていては、世界を救うことなど出来ませんのよ」


「俺はアンタには従わない。ここまでは薬で無理やり連れて来られただろうけど、今の俺は自由だ。この場でアンタと後ろの苺木さんを殺すことだって、今すぐにでも出来る」



或斗はアルコーンを殺したときのことを思い出した。


この場でこの2人を殺したら、きっとあのときと同じかそれ以上の重みを背負うことになる。


だけれど、巳宝堂 茴香の狂った計画は絶対に止めなければならない。


人を殺す、その覚悟を確かに秘めた或斗の瞳を見ても、茴香は笑みを崩すことなく後ろの苺木へ合図する。


苺木は手元のタブレットを操作し、背後の白い壁にホログラム映像を映し出す。


そこには6分割された画面の中、ミクリや戸ヶ森、他に或斗が『暁火隊』に加入してから仲良くなった人々が映されている。


或斗の状況は知らされていないのだろう、それぞれ私室で寛いで過ごしているようだ。


茴香は美しい笑みと声を揺らがせず、ただ一言のみを告げた。



「強化銃については、ご存知よね」



強化銃とは、旧時代から大幅に火力を引き上げた銃火器のことを指す。


それはダンジョン発生以降強靭に変異した高適性ランクの人間たちの体にも確実に傷をつけるための強化であり、魔法技術と科学技術の粋を合わせたそれは、性能にもよるが、適性A~Bの人間の体でさえ吹き飛ばすことが出来る威力を持つものもある。


巳宝堂の財力と社会的地位をもってすれば、最上級の威力の遠距離狙撃強化銃を入手することも可能だろう。



「或斗さん、貴方のお答え次第で、この映像が何を映すかが変わるわ。お分かりいただけるでしょう?」



残酷な脅しをかけているというのに、茴香は少しの罪悪感も愉悦も感じさせない声色で優しく或斗を促した。



「もう一度、お答えを聞かせて?」



或斗は愕然と映像を眺める。


小さなお洒落として爪を弄っているミクリ、冷たいココアを飲んで足をパタパタさせている戸ヶ森、いつも或斗へ挨拶してくれ、書類業務を手伝ってくれる後方支援部隊の落合おちあいは自宅で息子をあやしている。


他にも映像に映った全員、何も知らず幸せに過ごしている。


或斗の答え1つで、全員が死ぬ。


或斗は項垂れ、目を閉じる。


数十秒間ほどそうしていた後、顔を上げた或斗は黒い目を開いて「……貴方に従います」と答えた。



「よろしくてよ。では、連れて行って差し上げて」



茴香は初めと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべて頷くと、背後の苺木へ指示を出す。


苺木は無表情のまま、或斗を立ち上がらせると、強い力で腕を拘束して茴香の居る部屋から連れ出した。


洋室を出て、やはり豪奢な屋敷の廊下を歩かされる或斗は、先ほどから抱いていた疑問を苺木へぶつける。



「……貴方は正気に視える。どうして巳宝堂に従うんですか」


「私の命は茴香様のもの、何に代えてもあの方の理想を叶える道具ですわ」



苺木は無表情に、それが当然と断じた口調で答えた。


自分を道具と言い切るほどの苺木の盲信を前に何も言えず、或斗は黙って廊下を引きずられていく。


広い屋敷なのだろう、しばらく廊下を歩かされていた或斗は、向かい側から誰かが黒服の巳宝堂の護衛を連れて歩いてくるのに気づいた。


淡い亜麻色の長髪、ミラビリスだ。



「ビリーさん、どうして……!」



或斗は驚愕で思わず足を止める。


ミラビリスの方も或斗に気が付くと、いつもの呑気な笑顔を浮かべて立ち止まった。



「やあ、或斗少年。迷子で引き取ってもらってからしばらく、ここでお世話になっていてね」



ミラビリスのいつも通り、全く邪気を感じない気の抜けるような口調に、或斗は混乱する。


ミラビリスは巳宝堂の裏の顔について知っているのか、ここで助けを求めるべきか、ミラビリスは信用できるのか。


そんな或斗の逡巡に気付いてもいないように、ミラビリスは或斗へ話しかけてくる。



「或斗少年はどうしてここに?」


「……色々あって」


「お財布くんは居ないのだね」


「そういう日もあります……」


「『あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする』、主の与える法の下、行動する自由は主を信じるすべての人に与えられているものだからね。たまにはそういうのも良いだろう」



ミラビリスの様子に含むところは少しもなさそうであった、何を言っているのかよく分からないのもいつもと同じである。


或斗がミラビリスの様子を探っているのを察知したのだろう、苺木がミラビリスへ申し訳なさそうに、かつ毅然とした態度で断りを入れる。



「ビリー様、或斗さんはこれからお連れしなければならない場所がありますので」


「そうか、ではあまり引き留めるのも良くないね」



ミラビリスはのんびりとした笑顔を浮かべて、不意に或斗へ顔を寄せ、耳元で何事かを囁く。


苺木はその動作を訝しみ、或斗をミラビリスから引き離すように腕を引いて拘束を強めた。



「ビリー様、何を仰ったのですか?」



苺木が尋ねると、ミラビリスは苦笑して両手を上げ、他意が無いことを示して言った。



「『こうして、主があなたたちの先祖に、彼らとその子孫に与えると誓われた土地、すなわち乳と蜜の流れる土地で、あなたたちは長く生きることが出来る』。新しい地で頑張ると決めた彼に激励をね」



苺木は怪訝な顔で頷くも、一応警戒を続け、ミラビリスが或斗へ近づかないよう立ち位置を変える。



「ではね、或斗少年、苺木女史」



ミラビリスはそのまま廊下の向こうへ去って行った。


或斗はその後、警戒を強めた苺木に強く腕を拘束されたまま、屋敷の地下へ連れて来られた。


地下は研究施設のようだ。


薬品の臭いが漂い、わけの分からない機械が大量に並んでいる。


或斗は研究施設の奥、ガラスで区切られた8畳ほどの小部屋の前へ連行されてきた。


そのガラス張りの小部屋には、中心にダンジョンコアと同じ形をした、見覚えのある暗黒色の何かが浮かんでいる。


或斗はこの小部屋が洗脳装置であると直感し、苺木の腕の力に逆らって一歩後ずさった。


苺木は或斗が小部屋の用途を理解したことも察したのだろう、片手で再度或斗の腕を拘束しなおすと、もう一方の手で装置の前の端末を操作し、ホログラムで形づくられた1枚の書類のようなものを表示させた。



「装置の使用に同意してください」



ホログラム書類がよく見えるように或斗を前へ押し出し、苺木は或斗へ指示する。


流石に或斗も、洗脳装置と分かりきった機械の使用に同意するほど間が抜けてはいない。


首を横に振ろうとした或斗へ、苺木は淡々と告げた。



「貴方のお友達の未来が大切なのですよね?」



今の或斗にはあの映像に映っていた全員を同時に守る手が無い。


或斗に出来ることは、従順に振舞うこと――。


或斗は少しだけ考えてから、10秒ほど目を閉じて深呼吸をする。


次に目を開けた後、或斗は大人しくホログラム書類に同意のチェックを入れ、装置の中へ足を踏み出した。


或斗がガラス張りの小部屋の中へ立ち入ったことを確認した苺木は、洗脳装置を起動させる。


部屋の中心にある暗黒色の六角形から黒い光が放たれ、ガラスに反射しながら何度も或斗の体を貫く。


或斗は心臓が、全身が痛むのを感じる。


いや、これは身体ではなく、魂が軋んでいるのだと、そう気づいてももはや或斗に打てる手はなく、ゆっくりと或斗の自意識は薄らいでいった。


或斗と苺木が出て行ってから30分ほどだろうか、部屋でハーブティのふくよかな香りを楽しんでいた茴香はノックの音と苺木の声に、入室の指示を返す。


部屋へ入ってきた苺木の後ろには、付き従うように或斗が立っている。


苺木と共に茴香の後ろに控えた或斗の黒い瞳には正気の光が無く、その表情は自意識の無い人形じみて茫洋としていた。


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