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41 後で勝つ!


街は繁華街の居酒屋近辺以外、もうほとんどが活動を終え、穏やかな星月夜に寝静まっている。


夜の街を駆ける普の視界の端では、道路を照らすテールランプと街灯の明かりが細い線状に消えていく。


ダンジョン適性がA、あるいは身体能力の素養に振れたBランクにもなってくると、車を走らせるより己の足で跳び駆け抜けた方が目的地への到着は速い。


車よりずっと速いスピードで人家の屋根や道路を蹴り進んで、普はひたすらに目的地を目指す。


ポーションはとっくに飲んだというのに、流石にまだ治らない夕方に負った負傷、特に肋骨の骨折が痛む。


人間離れした普の動きは痛みに引きずられることなく、人間離れした速度を出し続けている。


その分人間でしかない部分、折れた骨がズキズキと痛み続けるのだが。


何故自分がこんなに脂汗を垂らしながら必死に走っているのか、普はふと自問する。


或斗を助け出すためだ、あのドブネズミごときのために、どうして?


出会ってからまだ1年も経っていない、関係性を思えばほぼ赤の他人である少年。


或斗と出会ったのも夜であった。


出会ったというか、あの時は或斗を普が待ち伏せていたのだが。


初対面の印象は最悪であった、ウジウジと下を向き、いつ死んでも構わないとでも言いたげに項垂れていて、そのくせ生きぎたなく惰性で生き続けているだけの、ゴミクズのような根性が顔に、目に表れていた。


未零はこんなどうしようもないガキを気にかけていたのかと思うと馬鹿過ぎると感じたし、いっそ未零を哀れにすら思った。


普は自分のやるべきことに対して最大限を尽くさない人間が嫌いだ、見ていると殺したいほどイライラする。


当時の或斗はやるべきことすら見えていない有様で、あまりにもムカつくので殺してやろうかと思い、死んでも構わないくらいの気持ちで暴力を振るった。


しかし理不尽な暴力の嵐の中、あの虹眼を開いた或斗は、それまでと様子が変わっていた。


ようやくやるべきことを見つけた鈍重ネズミはその後もたくさんのやらかしを経て、「カージャー」から狙われ普の家に同居させざるを得なくなったり、海に行けば波にさらわれどこかへ行ったりと、本当にロクなことをしなかった。


守られる立場ならばそれなりの動き方があるというのに、余計な手間ばかり増やす考えなしだった。


ただ、去年の山火事の夜を経てからは、何かが変わったように思う。


それまでは普の背に庇われることを前提で動いていたくせに、急に「隣に立って戦いたい」などと言い始めた。


普は何を言っているんだコイツは、と思った。


身の程知らずにも限度がある、自分の身も守れない雑魚の妄言。


しかし誰かに隣に並び立ちたいなどと言われたのは生まれて初めてのことであり、だからだろうか、或斗の馬鹿げた申し出に、咄嗟に言葉が出てこなかった。


あの昼下がりの光差す病室で、風に揺れるカーテンと或斗の黒髪がどうにも目障りに思えて、何故か或斗の平凡の証たるあの黒い瞳を見ていた。


その時に感じたものが何だったのか、普は深く考えて来なかった、或斗はそれからも普から見える場所に居ると思っていたから。


あの日、その場であの妄言を否定しなかったのは何故だっただろうか。


その後も或斗は危機感という3文字すら覚えられず、自分から危険に飛び込んでいくようなことばかりをしでかして、極まったアホであった。


秋が過ぎて、冬が来て、そしてあの日があった。


忌々しい「カージャー」の実験施設の廊下で、或斗の慟哭と未零クローンの亡骸を前にただ立ち尽くすことしか出来なかった己に、普は5年ぶりに自分を殺したくなるほどの不甲斐なさ、それに対する強い怒りを覚えた。


どれだけ殴ろうと蹴ろうと死にかけようと、声を上げ泣くことのなかった或斗の、あの日の泣き声が耳にこびりついて離れず、ずっと、今でも普の怒りを煽る。


冬が過ぎて春が来て、或斗は『暁火隊』へ加入した、ついでなので普も復帰した。


それからは別行動をすることが増えて……或斗は狭い世界を広げていき、普の知らない人間たちと、普の知らない感情を育てていった。


それに苛立って堪らなかったのはすぐに殴れないからではなく、すぐに手の届く位置から或斗が遠ざかろうとしている気がしたからだと、今になって分かる。


馬鹿馬鹿しい、普は自嘲した。


何故なら今回は自分の目の前、手の届く位置でまんまと搔っ攫われたからだ。


住宅街の邸宅密度が薄くなり、安全区画外での高級住宅街へ入る。


目的地である、豪奢な洋館の明かりが見えてくる。



(勝手に俺より先に死んだら殺す。勝手に俺の前から消えたら殺す)



普は無意識に、祈るように心の中で呟いていた。







屋敷の2階の窓からガラスを割って飛び入り、その辺の高そうな壺を破壊し、駆けつけてきた警備の雑魚どもを千切って投げながら、普は吠える。



「巳宝堂のクソ女、ドブネズミを出せ!」



24本あるうちの肋骨の1本ごとき折れていようと、その程度の傷しか負っていない普を阻める人間は日本に居ない。


或斗の現在地が分からない以上、警備員を全員行動不能にして気取った屋敷をあばら家に変えるくらいのことをやってみせなければ親玉は出てこないだろう。


そういう目論見で暴れ散らしていたのだが、洋館の大理石の廊下にコツコツとヒールの音を鳴らして1人の女が現れる。


ストロベリーブロンドの緩く巻かれた髪に若草色の瞳の美しい、苺木 初百合会長代理。


この女のことは普も知っていた、仕事の関係上顔を合わせ、話をしたこともある。


だが今の苺木は今までの印象とは打って変わって、冷徹さを感じさせる無表情でそこらに散らばった警備の黒服たちをチラリと見てから、普へ極めて冷静に声をかけてきた。



「お客様をご案内するよう、指示を受けております」



普は数秒考えた、この女をぶちのめして案内させる方が早いか否か。


おそらく苺木はダンジョン適性がかなり高い、普の敵ではないだろうが、無駄に時間をかけるよりは案内とやらをさせた方が早く済みそうではあった。


普が無言で苺木を睨み、警戒は解かないまま戦闘体勢を脱すと、苺木は無防備にも背を向けて屋敷の奥へ歩いていく。


今すぐにでもぶち殺してやりたい憤懣を波立たせ、悠々と歩く苺木の案内の元、普が通されたのは豪奢な広い洋室であった。


洋室の奥のソファには、優雅に茶を楽しんでいる巳宝堂 茴香……と、その隣でティーポットを持って立っている或斗がいる。


或斗の黒目はどこも映しておらず、虚ろに中空を見つめている。



「おいドブネズミ」



普が呼びかけるも、或斗は微動だにせず、普の方へ視線も向けない。


耐えがたい怒りと横隔膜の辺りが寒くなる謎の不快感が、血と共に頭へ上ってくる。


普は入り口付近で立ったまま待機している苺木も、スカした態度の茴香も目に入らず、或斗へ殴りかかろうとくすんだ赤色のカーペットを蹴る。


同時に、茴香がその辺の虫でも払いのけるような気軽さで「お客様をお相手して差し上げて」と命じた。


命じられた先が或斗であることを普が理解したのは、或斗がその虹眼を開いて普を床に叩きつけたときだった。


カーペットに叩きつけられた普は与えられた重力に純粋な力のみで抗い、顔を上げ或斗を見る。


すると普の頬に鈍い衝撃が走る。


1、2、3発、口の中が切れたことと鼻血によって、普は血の味を噛みしめる。


全て或斗の虹眼で行われたことだ、茴香も苺木も、その場から動いてすらいない。



「ッんの……ドブネズミの分際で……!」



なおも体を起こそうと重力に抗う普の腹部に、重い衝撃が走る。


胃液が毛足の長いカーペットを汚す。


元々折れていたあばらとはまた別の胸部に衝撃波が直撃し、突き刺すような痛みが走る、おそらく折れているだろう。



「ガ、ァ……!」



止めどなく湧き上がる怒りによって、骨折の痛みが薄らいでいるのが幸いだろうか。


普は自身の周囲を覆う異常な負荷に抗い、何とか立ち上がる。


その瞬間、普の全身は凄まじい空気の圧で吹き飛ばされ、またもカーペットの上に転がされる。


そのまま足に、腕に、頭に、骨が折れるほどの威力の攻撃が加えられ、普は石ころのごとく無様に洋室を転がる。


足を折られるのは厄介だ、移動速度が落ちれば何も出来ない。


普は再び異常重力に逆らいながら、四つ足の動物のように姿勢を低くし、瞬時に場所を移動することで或斗の視界から抜け出る。


ほんの数瞬、かけられていた重力の負荷がなくなる、も、すぐにまた動き続ける普の体を強く床へ叩きつけその場に張りつける重力攻撃が加えられる。


或斗の虹眼には六芒星が浮かんでいる、多視の虹眼を使っているのだ。


多視の虹眼を使われれば、普に逃げ場はない。


床に押し付けられたまま、念入りに足を、腕を折り潰す攻撃が降ってきて、しかし普は強い重力の中、呻き声すら上げられない。


茴香の指示なのか、或斗は普をすぐに殺すようなことはしなかった。


ただ視界から逃げようとする普を多視の虹眼を使って捕捉し続け、床に叩きつけてはこまごまと骨が折れるほどの攻撃を加える。


胃液と血を吐き転がされる普はそれでも屈せず、顔を上げて或斗を見据える。


数分もすれば、或斗の鼻からたらりと血が垂れて来ていた、しかし或斗は頭痛の素振りも見せない無表情のまま、六芒星の浮かんだ虹眼を使い続けている。


普は胃酸と血の不快な味に染まった口を何とか動かして、茴香を睨む。



「せっかく手に入れた玩具を、当日に使い潰す趣味でもあるのか? 金持ちの趣向はイカレてるな」



普の挑発を込めた言葉に対しても、茴香は平然とティーカップを持ち上げたまま答える。



「去年の夏の顛末も存じております。S級ポーションも、処置のできる医師も、この屋敷に準備がありますから、もうしばらくは大丈夫でしょう。何より、此結さん、貴方がすぐに諦めて投降してくだされば、或斗さんはこれ以上無茶をしなくて済みますのよ?」



機械の調子でも語るような平坦な口調で微笑む茴香からは、或斗を完全に道具として見なしていることと、普へ攻撃を加えている或斗自身を普への人質としていることが伝わってくる。


そしてその人質作戦は有効であった。


こうなると普は下手に虹眼の攻撃から身をかわすことが出来ない、それは或斗の体を蝕む選択肢だからだ。


重力の中でも顔だけはあげて或斗を睨み続ける普へ、無表情の或斗が痛めつけることを目的とした攻撃を続ける。


打撲、切り傷、骨折、おそらく内臓へも影響が出ているだろう、普は喉から血がせりあがってくるのを感じていた。


茴香はその様子を見ながら、愉悦でなく蔑みでもなく、ただ慈愛の微笑みを浮かべて或斗を称える。



「日本最強の方をこうも一方的にねじ伏せられるだなんて、本当に素晴らしいわ。"神の力"の名にふさわしい」



そして未だ沸き立つ殺気と怒気を纏い、折れぬ心で或斗を睨み続けている普へもゆったりとした調子で声をかけた。



「私は此結さんのことも、或斗さんの次に評価しておりますのよ。失うには惜しい力の持ち主でいらっしゃる。だから、無駄な抵抗はおやめになって、私の下で力を振るう歯車におなりなさいな」



その降伏勧告には勝者の喜びといった人間らしい感情は含まれていない、終始聞き分けの悪い子供を窘めるような和やかな声音であった。


普は口に溜まった血を吐き捨て、全身の痛みを無視して嗤った。



「託児所のババアがペチャクチャうるせえな。俺はそこのガキ引き取りに来ただけなんだよ」



真っ向からの反抗、かつ茴香に対するストレートな侮辱を聞いて、部屋の入口で待機している苺木が顔を歪め、怒りを表す。


茴香自身は余裕の態度を少しも崩すことなく、「困った方ね」と苦笑した。


ジリ貧、と普は判断する。


これ以上時間をかければ普は或斗を連れ帰るどころか、自身の生還が怪しい。


或斗の虹眼の酷使も問題だ、多視の乱用を止めなければあの夏の夜のように死にかけることは間違いない。


普は部屋の中のものすべてと、自分の持てる力の全て、茴香と苺木の性格、この場の状況全てを頭の中で整理し、計算する。


次の瞬間には、普は折れた骨を軋ませながら重力に抗い上体を起こして、茴香に向かって口の中に溜まった血の塊を吐きつけた。


僅かに目をみはった茴香を守るように、無表情の或斗が動く。


その瞬間、普は床に敷いてあるカーペットを力任せに大きく引きちぎって剥がし、頭からかぶって或斗へと駆ける。


茴香を血反吐から守った或斗が突かれた隙を埋めるまで、咄嗟に虹眼でカーペットの遮蔽性を否定するまでのほんの数秒間、分厚いカーペットが或斗の視線を遮り、普の体を守る。


或斗がカーペットごと吹き飛ばす可能性も視野に入れてはいたが、それを避けるため普は背後に苺木が来るよう位置どった。


或斗の目の前まで接近した普はカーペットを投げ捨て、或斗が虹眼を使うまでの暇を与えず、或斗の左頬を殴り飛ばした。


殴打の勢いで洋室の白い壁へ叩きつけられる或斗、だが切れた口以外から血は出ておらず、普が十分に手加減をしたことは明白であった。


この後に及んで手加減した一打を入れただけの普の行動を自棄だととらえた茴香は眉を下げ、呆れを声に浮かべた。



「まあ、流石は日本最強の方。でも殺せもしない威力の、たった1発を入れただけでは、状況は何も変わりませんのに」



壁まで吹き飛ばされた或斗は立ち上がり、茴香の元へ歩いてくる。


しかし、茴香の言葉と予測に反して、或斗はそこで歩みを止めなかった。


茴香が怪訝な顔で「或斗さん? 止まりなさいな」と命じるも、或斗はそれを無視し、しっかりとした足取りで進む。


そして、ゼイゼイと荒い呼吸をしながらも立っている死にかけの普の隣に立つと、顔を上げて茴香を見る。


顔を上げた或斗の黒い瞳には正気の光が戻っており、普の惨状を見て、今までにないほどの強い怒りを茴香へ向けていた。



「洗脳を……破った? どうやって」



茴香が眉を寄せて口にした疑問に、或斗が堂々と答えを返した。



「正規の洗脳解除手段を"普さんから殴られること"にするよう、虹眼で洗脳装置を上書きした」



屋敷の廊下ですれ違ったミラビリスが或斗へ耳打ちしたのは、短い住所だけだった。


『乳と蜜の流れる土地』、約束のカナンの地は或斗の現在地を表していると、或斗はミラビリスを信じた。


現在もまだ人の行き来と騒ぎが続いている『暁火隊』地下情報部には、ミラビリスの口にした住所の下に「殴ってください」とだけ文字の焼きつけられた紙が置き去られている。


苺木はハッと思い出す。


或斗は洗脳装置の前で10秒ほど目を閉じていた……あの短い時間で虹眼を使ったのか、苺木は歯噛みして茴香へ苦し気に詫びた。



「茴香様、申し訳ございません。私のミスですわ」



茴香は眉を下げ、しかしティーカップは静かにテーブルへ置く余裕を保ったまま苺木へ指示を出す。



「いくつか疑問は残りますけれど……まあよろしくてよ。或斗さん? お仲間の未来のことはお忘れになって?」



苺木が指示通り洋室の白い壁に、先ほどの分割ホログラム映像を映し出す――しかし、寛いでいたはずの『暁火隊』メンバーは全員その場から居なくなっていた。


茴香は「あら?」と不思議そうに首を傾げる。



「馬鹿な、連絡主からの通信は何も……!」



苺木は顔色を変え、手持ちの通信機で連絡主を呼び出そうとしたが、誰も応答しない。


同時刻、ミクリの住むマンションの前の小高いビルの屋上で、高楽が黒服のスナイパーと連絡手であろう目立たない服装をした2人組を合金製の縄でしっかりと拘束している。


スナイパーと連絡手の双方とも、顔に盾で出来たのだろう痣が残っており、気絶している。



「いや~、或斗くんからのメッセージに助けられたすね。虹眼ってスゲー」



月光の下、仲間の危機を知らせる文言の焼きつけられた紙を思い出して、高楽はしみじみと呟いた。


俺にも虹眼があったらモテるかな、まで口に出さなければ、大変格好のつく場面である。


苺木は初め、或斗が仲間の姿を映した分割映像を見せられた時にも目を閉じていた時間があったことに思い至り、眉を吊り上げた。



「遠川 或斗、貴方初めから……!」



――せいぜい便利に使わせてもらう。お前は今日から俺の道具だ。今のところは、靴底以下のクソ期待値だが。


或斗は茴香と苺木へ向かって不遜なまでの態度で言い放つ。



「俺はもう、使われる相手を決めてる"道具"なんで」



茴香は聞き分けの無い子供へ呆れるようにため息をつき、手元の端末を操作した。



「わかりましたわ。貴方がたが私の考えていたより数段愚かでいらっしゃることは」



その言葉と共に、部屋の扉から黒服の護衛が何十人も押し入ってきて、或斗と普を囲んだ。


黒服の中には髪色の特徴的な者が何人も居て、高適性者が混じっていることは確実であった。


巳宝堂の武力は『暁火隊』に引けをとらない、事前に日明から聞いてはいたものの、目の前にすると迫力が違う。



「それで、巳宝堂のネームバリューには到底太刀打ちできない社会的弱者、ダンジョン適性無しの或斗さん。たのみの此結さんは貴方ご自身の手で死にかけていらっしゃるけれど、これでどうなさるおつもりなの?」



茴香は片手を頬に当て、初めて強者のプレッシャーをもって或斗を威圧した。


或斗はぐるりと周囲を取り巻く黒服たち、そして殺気を放っている苺木を見回してから、茴香へ向き直る。


その瞳には一片の怯えも浮かんでいなかった。



「別に、今勝てるとは思ってない」



そう言うと或斗は六芒星の虹眼を開き、多視と視魂を併用して部屋の中に居る苺木を含めた護衛たち全員の魂を視る。


苺木以外の黒服たちは魂が多少黒ずんでいた。


或斗は黒服たちの魂へ、意識を喪失させるよう考えて干渉した。


黒ずみが白く翳ると、黒服の護衛たちは一斉にバタバタとその場に倒れる。


ただ1人、苺木の魂は強く芯があったが、或斗は自らの魂の軋む全身痛に堪えながらもその芯を揺らすように干渉し、苺木に膝をつかせた。


苺木の行動不能はほんの少しの間のことだろう、或斗は隣の普と目線だけで意志を交わし、2人で部屋から、そして洋館から脱出。


後で勝つために、逃げ出した。







精いっぱいの速度で走る或斗と、肺にも血が入っているのか音が濁っている普の2人の呼吸が、人の寝静まった夜道を穏やかならぬ雰囲気にしていた。


無様だ、来るときの何十倍も遅い。


今は普自身の負傷のため、いつものごとく或斗を荷物担ぎしてさっさと帰れないことが腹立たしかった。


しかし隣を見下ろせば或斗が居る、手の届く距離で間抜けヅラを晒し、適性無しらしい鈍重な走りを見せている。


遅いし非効率だ、普は非効率なことが嫌いだが……これで良いと思う感情が己のどこかにあることを自覚する。


それはあの夏の日、昼下がりの光差す病室で穏やかな黒色を見ていたときの情動に近い気がした。


ようやく無人タクシーの停まる辺りの道路へ出る。


普の状態は半死半生よりも瀕死に近く、タクシーより救急車を呼んだ方が良いことは確実であったが、外部の医療系には巳宝堂の息がかかっている可能性が高い。


今はとにかく『暁火隊』本部ビルへ戻るべきであった。


無人タクシーが来るまでの時間、息を整えた或斗が「普さん」と隣の普を見上げた。


或斗はあの日見たのと同じ色の光を灯した黒いまなこでハッキリと告げる。



「俺は勝手に死にません」


「俺はどこにも行きません」


「俺は貴方を1人にしません」


「普さんの隣で、戦わせてください」



陽の光なく、街灯と月明りだけが光源の薄暗い道端であるというのに、普の目を真っ直ぐに見上げるその黒は虹色よりも輝いて見えた。


普はやはり、身の程知らず、結局普が守らなくては肉体的にはすぐに死んでしまう雑魚の妄言、今回だって普に助けだされたくせしてデカい口を叩く、と文句を挙げようとすればキリがなかったけれど、何故だか口をつぐんでしまった。


或斗の言葉は普の頭に自然と入ってきて、普の中にいつの間にか出来ていたこのクソ生意気なドブネズミ用の場所にすっかり収まってしまった。


普はアドレナリンが切れて思い出したように全身を蝕む痛みに大いに顔をしかめながら、フンと息を吐いて或斗を見下ろした。



「靴底以下の評価は改めてやってもいい。馬鹿とハサミは使いよう、だな」



何故だか、ここ最近ずっと抱えていた、頭の縁が蝕まれているかのような、腹の底がふつふつするような、不快な感覚、腹立たしさは無くなっていた。


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