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42 暗雲


5月12日未明、『暁火隊』本部ビルはまだ明かりが煌々と灯っており、人の気配を感じて或斗は安心した。


無人タクシーの中で、普は無言、というよりほとんど喋る体力も残っていなかったのだろう、手負いの獣らしく黙ってじっとしていた。


或斗が肩を貸そうとするも、当然のように拒否されたので、血の気も引いて白くなってきた普の顔色に焦りながら、或斗は本部ビルの中へ飛び込んだ。


受付の似鳥は不在であり、無人の1階で或斗は声を張り上げる。



「すみません、或斗です! 田村先生はいらっしゃいますか!」



1分ほどして、地下から出てきたと思われる日明が飛んでくる。



「或斗くん……! 無事で良かった、普は?」


「普さんが……!」



と言ったところで、本部ビルの自動ドアをくぐって普がビル内へ入ってくる。


足は引きずり、腕は複雑骨折して何ヶ所かから骨が飛び出ており、顔を含めて肌の見える部分は打撲痕で青黒く、切り傷のある場所は服が赤黒く濡れ、口からは細く血が垂れ続けている。


どう見ても己の足で立って歩いているのが意味不明なほどの重体である。



「普!!」



日明が血相を変え、普へ駆け寄ってその体を支える。


日明には反抗出来ないのか、大人しく身体を預ける普、その通った後には血の一本道が出来ている。



「私が医務室まで普を運ぶ、或斗くんは田村医師に特Aポーションと点滴、輸血の準備を頼んでおいてくれ」


「はい!」



そんな流れを挟んで、MK5(マジで昏倒5秒前)だった普は無事医務室のベッドに寝かされた。


或斗は事情の説明のため、スーツに普の血を付けたままの日明と共に地下情報部へ下りて行ったのだが、そこではまだパソコンと対峙し処理を続けている栞羽と可成矢、反対にぐったりして机に突っ伏している央宮と充義がいた。


央宮と充義は日明と或斗が来たことに気付くと体を起こそうとし、その瞬間結構な範囲が血まみれの日明を見て顔を青くして飛び起きる。



「隊長!? その血はどうなさいましたの……!?」


「敵襲ですか!? 防護シェルター開けますか!?」



大慌ての二人へ、日明は片手を上げて無事を知らせる。



「私は無事だよ、ただ普が……」



顔を曇らせた日明に、或斗は申し訳ない気持ちで吐きそうになる。


洗脳されていたとはいえ、普をあそこまで傷つけたのは或斗自身なのだ。


そのことも含めて、或斗は誘拐から今までの経緯を日明と情報部スペード班へ共有する。



「まあ……此結さんがそんな」


「此結さんにも死ぬかもしれないみたいな概念あるんですね」



素直過ぎる感想を口にした充義は隣の央宮から頭に手刀を喰らっていた。


情報部スペード班、クイーンジャックである2人とは、或斗はまだそこまで深く交流したことはなかった。


央宮は暗くも艶のある灰色に、毛先が赤っぽい熾火のような色合いの髪をストレートで腰まで伸ばしていて、レモンイエローの瞳をしている。


上品なオフィスカジュアルを好んで着ていて、口調からも何となくお嬢様という品が感じられる女性である。


充義はスペード班唯一の男性で、明るめの茶髪を耳の横くらいで切り揃え、額が出るようふんわりセットしている、髪と同じくらいの茶色の目が丸っこい、何となく憎めない雰囲気の男性だ。


憎めない雰囲気なのは、若いのにスーツがくたびれているところに社畜という言葉を感じるからかもしれない。


2人の机の上には栄養ドリンクの小瓶が5~6本並んでおり、或斗たちが来るまでぐったりと突っ伏していたあたり、今回の件では随分と負担をかけたのだろうと分かる。



「お疲れ様です、すみません負担をかけて」



或斗が謝ると、2人は苦笑して首を振る。



「いやいや、遠川くんこそお疲れ様でした。無事に帰って来てくれて何より」


「メンバーの危険を知らせるメッセージは助かりましたわ、急に紙に文字が焼き付けられたことには驚きましたが」



此結さんの目の前の紙に文字が出てきたときは心霊現象かと思いました、と言う充義はお化けが怖いらしい。


央宮が感心しつつ、文字の形に焦げの焼きついた紙を持ち上げてヒラヒラとさせる。



「虹眼の能力で熱を加えることが出来るということは、千里眼と併用してこういうことも出来るんですのね」


「ファックスみたいですねぇ」


「班長、それ旧時代過ぎますよ」


「班長は一番若いのに、どうしてそんなに旧時代ネタに精通しているんですの?」



わちゃわちゃと会話しているスペード班であるが、栞羽と可成矢は話をしながらもすごいスピードで仕事をさばいている。


或斗がふぁっくす? という顔をしていると、日明が簡単に説明をしてくれる。


本当に栞羽が何故そんなことを知っているのか謎だが、そもそも常日頃から割とどうでもいい謎に満ちている人なので、気にしない方が良いだろう、或斗は思考を流した。


或斗には日明とスペード班へ伝えなければならない重大事項がある。



「皆さん、巳宝堂の"cor・tela"技術についてなんですが……」



或斗は巳宝堂 茴香の語ったcor・telaプランについての詳細を伝える。


このままでは洗脳の波長を乗せた電波によって、日本国民全員が洗脳され、巳宝堂 茴香の意のままに操られてしまうという事実。


新たな通信技術の皮を被った恐ろしい計画に、日明とスペード班の面々は驚き、それぞれ対策を考える思案顔に変わる。



「巳宝堂の企みは止めなければならない。死の危険を伴う洗脳が国民全員に施されるなど、悪夢以外の何物でもないからな」



強い目で言う日明に、スペード班の面々はそれぞれ頷く。



「と、いうことは……」


「まだまだ仕事は終わりませんわね……」



充義と央宮は遠い目をして椅子の背もたれから体を起こし、パソコンに向き直る。


或斗は必要なこととはいえ申し訳ない、大変そうだ……と思って眺めていたのだが、そんな或斗の肩に日明の手が置かれる。


きょとんと日明を見上げた或斗へ、日明が眉を下げて告げた。



「今回の件については分析班への報告が必要だから、帰って来たばかりですまないけれど、或斗くんにも報告書を作成してもらうよ」



或斗はパソコンが苦手である、報告書の文面作成には未だに慣れない。


日明は申し訳なさそうに、「朝までに頼む」と言った。


気絶時間があったとはいえ、過酷な戦闘を終えて全力疾走を挟み、何とか帰ってきた夜中、朝が来るまであと3時間ほどである。


或斗は情報部スペード班に混じって死んだ魚の目でパソコンに向かった。







普はあの後、特Aポーションを点滴され、失った血液分を輸血されれば翌昼には回復していた。


ダンジョン適性って……とこの世の理不尽について思いを馳せている或斗の頬は腫れている。


例によって普の手による蛮行である。



「洗脳? 関係ねえ、ドブネズミにしてやられたのがクソムカつく」



そう言い放ち、回復したての普は或斗の頬を存分に打った。


或斗は或斗で、洗脳されていたとはいえ普を傷つけた自分のことを許しがたい感情があったため大人しく打たれていたのだが、その本部ビル内暴力を田村医師に見とがめられ、2人して怒られた。


田村医師からの怒られを経たため、一応、腫れた或斗の頬には湿布が貼られている。


そんなわけで12日昼過ぎ、或斗と普は支部 分析所を訪れていた。


2人を迎えたのは分析班の要、お馴染みの茂部であり、茂部はいつも通りの荒い息で普を舐めるように見ながらねっとりとセクハラをする。



「ハァハァ……普たん……死にかけたって聞いておじさんゎ……心配で夜も眠れなかったョ……仕事をしていても普たんの顔しか浮かばなくて……今日ばかりは普たんの蠱惑的な露出度の低さを恨んじゃうカモ……おじさんに、服の下の白い肌が無事か見せてもらえないカナ……?」


「…………」



普は無言で服の袖を引っ張り、手の中ほどまでを隠した。


茂部は「ああっ……そんな普たんも好きだ…………ハァハァ」と1人でニヤついている。


或斗としては普を傷つけたことで茂部が包丁でも持って待ち受けていたらどうしようかと考えていたのだが、茂部と普のやり取りはいつも通りであり、双方(普は盛大に張り倒してきたけれども)或斗のことを責める気持ちは無さそうだと分かる。



「遠川少年も受けたことだし、普たんもこれを機に精密検査とか、どうカナ……? 普たんの大事なトコロ、しっかりおじさんが見てあげるからネ……♡」


「あー、その検査と報告書の件なんですけど!」



普の精神的負担が大きくなり過ぎないうちに或斗は茂部へ本題を振り、有能科学者モードに切り替えさせる。


茂部は「ああ、遠川少年。居たのか」といつも通りの様子で淡々と手元の書類を捲り、まずは或斗からの報告書について言及する。



「まずは巳宝堂の"cor・tela"プランについての考察と予測の話をしようか。これは重大な事実となるが、遠川少年の報告にあったように洗脳装置に暗黒色の黒い六角形、つまりダンジョンコアと同じ形のものだな、それが使われていたというのは、巳宝堂と『カージャー』の関係の深さを表していると考えて良い」


「関係の深さ、ですか」


「うむ、去年の冬からこっちで制圧された『カージャー』の実験施設・研究所からの情報によって、モンスターを制御する技術についてはいくらか解析されている。これについては遠川少年と普たん♡も知っていることと思う。『カージャー』はダンジョンコアの波長を解析し、暗黒色の物質――これは既存のダンジョン資源、旧時代までの物質、既知の物体とは何もかも組成が違っており、定義できないため、仮称を物質Xとしている。物質Xによってダンジョンコアの波長を再現し、モンスターに物質X製の枷を嵌めることでその行動を操っているという、まあ理論的なレベルの話では解明されている技術だ」



或斗もその話は『暁火隊』加入後2ヶ月の間で聞いたことがあったので、頷いておく。


茂部は更に続ける。



「以前にも述べたことがあると思うが、モンスターと人間の使う魔法というものにはいくつかの共通項が見られ、原理的には同じなのではないかという学説がある。つまり、モンスターと人間とは魔法的観点で見れば厳密には同じ分類がなされるわけだよ。その前提を適用すると、物質Xによる魔法的支配がモンスターに有効なのであれば、人間に対しても有効であると考えられる。つまり遠川少年が今回巳宝堂の施設で見た暗黒色の六角形については物質Xで作られた人間用の洗脳装置ということであり、物質Xを使っているということは『カージャー』との繋がりが強固であると予測できる」


「モンスターと人間が同じ……」



或斗はサルストで倒したスケルトン型アンデッドモンスターのことを思い出した。


確かに、モンスターにも人間と同様魂は存在していた。


そのように振り返っている間に、茂部の話は脇道へ逸れていく。



「しかし『カージャー』のダンジョンコアについての研究は時代の2歩3歩先を進んでいると言わざるを得ないね。きっと、まだまだ常に未知の技術が開発され続けていることだろう、一研究者として後追いするだけというのは歯がゆいものだが、倫理観を完全に捨てた人間からでないと出てこない発想というものにはいつも新鮮に驚かされる。例えば『カージャー』は……」


「ハイ、巳宝堂の洗脳技術が『カージャー』のモンスターへ使っていたものと共通しているということは分かりました。俺が受けた検査の方はどうでしたか?」



逸れ続ける話題を大胆に軌道修正し、聞きたい話へ戻していく。


こういうとき、茂部が相手でなければ普が暴言と共に話を変えてくれるのだが、茂部の前では普は基本的にほとんど何も喋らないため、或斗が下手くそ極まりない話題転換を図る他ないのだ。


茂部はこれから良い話なのに、とぶつくさ言いながら、或斗へ検査結果を見せる。


どの数値も異常は無さそうであった。



「見ての通り、遠川少年の身体・精神・脳の働きは数値的にまったく正常だ、以前の検体たちと違って洗脳による後遺症などは何も残っていないと考えられる。これは正規の方法で洗脳を解除したためだろう」



或斗は安堵しながら頷いた。


何せ洗脳魔法という未知の技術である、虹眼の力をもってしても見落としがある可能性だってあった。


人格はともかく有能な科学者である茂部の視点からも問題なさそうなのであれば、ひとまずは安心だ。



「それでね、遠川少年の報告書によると、洗脳装置へ入る前に同意を求められたとあったが、これは魔法の制約だろうと考えられるね」


「制約って、前にゾエーの話で出てきたような、ですか」


「そう、巳宝堂の使う洗脳魔法は非常に強力だ。しかし強力な魔法と言うのは莫大な魔力、あるいは何らかの制約をつけることによってしか発現し得ないものである、一般的にはね。巳宝堂の使う強力な魔法効果を成立させるためには、洗脳する相手からの同意が必要なのだろう、まあそれが最も高効率な運用法であったということだね、遠川少年の視魂能力によれば洗脳魔法は魂に干渉する技術である可能性が高いという。魂という、人間の意志によって洗脳を受ける側に拒否されているとそれが障害となって魔法をかけるためのコストが高くなるのだと考えられ」


「……じゃあ、cor・telaプランではどうやって全日本人に同意をさせるつもりなんでしょう? 一人一人に同意書なんて送りつけられないですよね、洗脳への同意なんて誰もしないでしょうし」



話を遮られた茂部は或斗を半目で睨み、抗議の目線を送ったが、或斗は頭を悩ませるのに忙しく、茂部を全く見ていない。


「遠川少年、君日を追うごとに態度が大きくなっている気がするよ」と言いつつ、茂部はタブレットを取り出して2人へ見せた。



「これは……『cor・tela技術使用にあたっての利用規約』?」



茂部は頷き、長い文面をスクロールして該当箇所にマーカーを引く。


マーカーの部分には以下のようにある。



『第34項 利用者はcor・tela技術の使用に際して、巳宝堂の方針に大筋で合意し、有事においては協力要請に応じるものとする』



或斗は3回ほど読み返し、よく分かっていないながらもゾエーの時の例を思い出して方向性を理解した。



「これは……つまり、利用規約に同意したら、洗脳されることにも同意したってことになるわけですか!?」


「そうなるね。そしてこの利用規約は既に全国へ公表されており、事前同意が可能となっている。調べによれば、日本の全人口の7%は既にこの利用規約へ同意済みであるらしい」


「そんな……!」



旧時代のアコギな契約書みたいだな、と茂部は顔色を変えずに肩をすくめ、結論を告げる。



「cor・telaプランを止めるには、"同意させない"ことではなく、計画自体を取りやめさせる必要がある」







『暁火隊』本部ビル、地下情報部へ戻り、或斗は既に共有されているだろうが、今一度茂部の分析について話し、どう行動すべきかと日明らへ相談した。



「既に全国に設置されている基地局を壊すというのも、現実的ではないですよね。壊す名目が今のところ俺の証言だけですし、もう一度建てられれば意味がない」


「まあ天下の巳宝堂の新サービスとドブネズミ1匹の意見、世間がどっちを信じるかは考えなくても分かるな」



『暁火隊』が代表して言い立てたところで何も物証が無きゃ巳宝堂に対しては弱い、と普は断じる。


日明は顎に手を当て、重々しい空気を出して考えていたが、細かいやり方は措いて大目標を口にした。



「既に同意を済ませてしまった人々が居る以上、cor・telaプランが開始される6月1日までに巳宝堂の悪事の証拠、あるいはcor・telaプランの真の目的について示す客観的な証拠を入手し、世間へ公表することで巳宝堂の社会的信用を落とし、計画自体を潰さなければならないだろう」



情報戦になる、と日明が栞羽を見たところで、栞羽が椅子ごと或斗たちへ振り返り、顔をしかめてスクリーンを指した。



「ちょーっとまずいかもしれません」



スクリーンには1つのネット記事が映し出されている。


記事のサムネイルは豪奢な洋館で警備と分かりやすい黒服たちへ暴力を振るっている普の写真が堂々と載せられていた。


『日本最強の裏の顔? 酔った末に巳宝堂屋敷にて大暴れ』と題された記事には、普が昨夜急に巳宝堂屋敷を襲い、警備たちへ暴力を振るい、屋敷の調度品を壊して去ったという内容が書かれてある。


巳宝堂財団会長、巳宝堂 茴香は『調度品はともかく、怪我人が出ている以上、警察への相談も視野に入れています』とコメントしている、とあった。



「あのクソ女、ぬけぬけと……!」


「一部だけ切り取ると事実なのが困ったところですね……」



或斗はちゃんと真面目に発言したのだが、普は「お前が言うな」と或斗の後頭部を打った。


これ以上殴られるのを避けるため或斗が黙ると、パソコンに向き直りいくらか操作していた栞羽がコメントする。



「巳宝堂が故意にこの記事を拡散させてますね。普ちゃんの評判を落とすことでうちに普ちゃんと虹眼くんを切り捨てさせるか、そうでなければ『暁火隊』自体の世間的な評価を落としてこちらの力を削ぐ狙いがあるのではないかと考えられます」



日明は苦い顔で黙り、考え込んだ。



「私たちが或斗くんと普を放り出すとは、向こうも考えていないだろう。これは……」



そう紡ぐ言葉を遮るように、日明のスマホに連絡が入る。



「クローバー班から?」



スマホをスピーカーモードにした日明が着信に出ると、情報部クローバー班の班長が焦りを滲ませた声で報告を上げる。



「隊長、政府からの依頼が次々キャンセルされています。協賛企業からも、いくつか……!」



政府がやっていることはつまり、巳宝堂を信じ、『暁火隊』を切ったということに等しい。


協賛企業にまで手が伸びているのは、巳宝堂の財力と影響力を考えた経営者の判断、あるいは巳宝堂が直接働きかけたか。



「これが巳宝堂のやり口か……」



日明が険しい顔で呟き、これからの動きについて考えを巡らせる。


『暁火隊』の本部ビルの上には、今にも雨の降りだしそうな暗い雲が立ち込めていた。


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