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46 赤がぶつかる夜



「チッ……また空箱か」



普が憎々しげに舌打ちし、その辺にあった机を蹴飛ばす。


違法薬物の瓶が並ぶ棚、パソコンや何らかの装置が放棄されている室内には人気が無く、普の八つ当たり音がよく響いた。


よく見れば薬物棚からは何らか重要だったのだろうものの抜き出された空白があり、パソコンは全てHDDが破壊されている。


普のように物にあたることはしないが、或斗もこれには難しい顔をせざるを得なかった。


HDDの破壊まで行われているということは、研究員たちが襲撃を知ってから或斗たちがここへ来るまでの時間にかなり余裕があったことを示している。


ここ1週間ほどの任務はほとんどがこの調子で、「カージャー」の関連施設であることは後の調べで確証を持てるものの、重要な情報は何1つ手に入れられない状態であった。


5月下旬に入って、或斗たち『暁火隊』はそれまでと一転してにわかに忙しくなった。


(或斗と普には知らされていないことだが)茂部の違法工作、情報部の努力によって世論が『暁火隊』擁護に傾きつつあった風向きを察した巳宝堂 茴香が、ネット記事の事件に関しては警察への相談は取りやめ、これからも『暁火隊』と協力していきたいと表明したのだ。


それだけであれば良かったのだが、政府・協賛企業からの依頼が戻ってきたことに加えて、巳宝堂からの情報提供という形で国際テロ組織、主に「カージャー」関連の調査依頼や制圧依頼が舞い込んでくるようになった。


茴香は『暁火隊』への情報提供について、わざわざネットの生放送上で言及している。



「『暁火隊』へお任せすることにしたのは、前々から悩まされていた凶悪な国際テロ組織に関する依頼です。巳宝堂だけでは手に負えないと判断し、より手慣れていらっしゃる『暁火隊』へ協力要請をすることを決断しました。先日はほんの少しの行き違いによって角が立ってしまいましたが、同じ国を思う者同士、些細な諍いに気をとられることなく、犯罪組織への対処へあたってくださるものと確信しております」



要するに、依頼を断ればこの間のことを根に持って国益に反する狭量な集団ってことにするぞと言いたいわけだ、とネットニュースを見た普は吐き捨てていた。


それからはずっと、『暁火隊』は通常の任務に合わせて次々ともたらされる「カージャー」関連の組織調査や施設制圧任務に奔走させられている。


ただし、巳宝堂からもたらされる情報は全て本当に「カージャー」関連のものであれど、ほぼ全ての案件で『暁火隊』メンバーが現着する頃には対象はもぬけの殻となっている。


調査の結果を見ても、「カージャー」の重要拠点でないことは分かる。


「カージャー」と深い繋がりがあると推測される巳宝堂のことだ、「カージャー」側と示し合わせて不要な拠点の情報を流しているだけなのだろう。


かといって世間体以上に未零を助け出すという目的がある以上『暁火隊』は「カージャー」関連の情報を無視するわけにいかず、旨味の無い餌に無理やり食いつかされている魚のごとき状況に追いやられていることは明白であった。


情報部も「カージャー」関連となるとスペード班が動かざるを得ず、巳宝堂の心臓部である大元サーバーの場所の絞り込みに手を割けず、期限である5月30日は刻々と迫って来ていた。


今日も空振りに終わった制圧任務の報告を聞いた日明は眉間に皺を寄せ、巳宝堂の思惑について触れた。



「普が支部長をさらってきたあのタイミングで、向こうは情報がある程度抜かれたと判断したのだろう。巳宝堂は私たちの手を無駄なことに割かせ、cor・telaプラン開始までの時間稼ぎをするつもりだ」



日に日に苛立ちを滾らせる普に恐々とする余裕もなく、或斗は無為な任務に時間をとられ何も出来ず時間だけが過ぎていくことに大きな焦りを抱いていた。


しかし5月30日、夕方前。


任務のための情報収集や統制を部下3人に任せた(丸投げしたとも言う)栞羽は、たった1人で3054箇所の巳宝堂の拠点全てを洗い直し、巳宝堂の心臓部、大元サーバーのある場所を特定し終えた。


情報部統括の根性である。



「勝ったァァァァァァァァァァァァァァオラァッ!!」



栞羽はぶち壊れたテンションでそのように叫び、握った拳を突き上げたポーズでそのまま床に倒れて気絶した。



「栞羽さん!?」



駆け寄ろうとする或斗を平然とした風の可成矢が制して「疲労と睡眠不足です」と告げる。


今までいつ倒れてもおかしくないと思っていた栞羽が実際に倒れた事実に狼狽える或斗と反対に、普はフンと鼻を鳴らし、ここぞとばかりに倒れた栞羽を足で転がした。


死体(死んでない)蹴りである、或斗は「普さん、倫理、倫理」と言うも、普は聞いちゃいない。



「たまには上等な仕事もしたな、万年残業女」



憎まれ口を叩きつつ、充義へ栞羽を医務室へぶち込んでこいと命じている普は満足そうでもあり、まあ何だかんだと付き合いの長い間柄にしか分からない空気があるのだろう、或斗はあまり気にしないことにした。



「日のあるうちはやはり目立ちますわ、班長は作戦開始を本日の22時にする、と」



央宮が栞羽からの引継ぎ事項を読み上げ、ただ……、と言いづらそうにした。



「班長は根性で今夜の潜入作戦開始までには起きると思いますけれど……他の依頼の影響で、戦闘メンバーがほとんど残っておりません」



Aランク相当のメンバーの手が空いておらず、潜入作戦には或斗と普の2人で行ってもらうことになる、と心配げに告げる。


高楽すら、と言うとあんまりだが、高楽も外せない要人警護の任務が入れられており、あの鉄壁の守りは期待出来ないとのことだ。


央宮の懸念を普は余裕綽々に笑って「問題ない」と断言する。



「俺と、おまけのドブネズミが居りゃどうにでもなる」



普の声に滲んでいたのは自信、それは自分の実力だけでなく、或斗の力を勘定に入れた上での自信であることが或斗には感じ取れた。


無意識だろう普からの信頼に、或斗は口元が緩むのをコッソリと手で隠す。


そこで情報部へ下りてくる足音が1つあった。


栞羽を医務室に寝かせてきた充義だろうか、と振り返れば、そこに居たのは戸ヶ森である。



「戸ヶ森さん?」



或斗が首を傾げた、戸ヶ森はこの6日ほど任務漬けであり、今日は休暇であったと記憶している。


本人から聞いたわけではなく、いつかの喫茶店以降戸ヶ森と仲良くなったらしいミクリ経由の情報であったが。


戸ヶ森は「あの、巳宝堂と戦うって、重要作戦だって、聞いて……」といくらか躊躇いながら今夜の作戦について日明から聞いたと言い、普へ頭を下げた。



「わ、私も行きます……! 連れて行ってください!」



一世一代の告白のごとき気迫で普へ申し出た戸ヶ森は、手先が少し震えており、随分と緊張しているらしいことが分かる。


驚きつつも或斗は、それは助かる、と口を開こうとしたのだが、普から無言で後頭部をはたかれ口を閉じた。


普は圧迫面接さながらの空気を出して戸ヶ森へ雑に言葉を返す。



「眞杜さんは何て言ってた」


「あ、普様の判断に任せる、と……」



普は考える素振りも見せず、戸ヶ森の申し出を一蹴した。



「お前じゃ力不足だ。足手纏いなら居ない方がマシ、本部で待機してろ」



憧れの人物にある種スッパリと振られ、眉を下げ傷ついた顔をする戸ヶ森を見ていられず、或斗はフォローを入れる。



「普さんは責任感が強いから……多分、戸ヶ森さんまで守り切れる保障が無いと思ってて、ええと、とにかく戸ヶ森さんに怪我してほしくないんだよ」



決して普に嫌われているわけではないのだ、と遠回しに説明するも、戸ヶ森は眉を寄せて悔しそうに俯いたままである。


やはり或斗の言葉ではダメか、と思った或斗は可成矢と央宮へ助けを求める顔を向けた。


何故か2人とも或斗と戸ヶ森を交互に見て肩をすくめ、首を横に振っている、何なんだその仕草は。


同僚のメンタルケアに悩む或斗の頭を引っぱたいて、普が或斗の首根っこを掴む。



「人の言葉を勝手に曲解してんじゃねえ。夜までに飯の消化終えるぞ」



或斗は掴まれた首根っこを持ち上げられ、「ぐええ」と呻き声をあげつつ情報部から強制退出させられる。


情報部から出て行く普と或斗の2人、それを見送る戸ヶ森の視線は、あんなにも憧れていた普ではなく、やはりどこか頼りない或斗の背に向けられていた。



(ゆにが力になりたいのは普様、じゃなくて……)



そう思っても口には出せないまま、戸ヶ森は2人を見送った、見送ることしか出来なかった。






同じ時刻、巳宝堂の屋敷では苺木が与えられた広い個室のソファに座って、机の上に置かれたバスケットボール大のガラスケース、その中に入った"あるもの"を無表情のままに見つめていた。


苺木は不意に自分の手を見下ろし、握っては広げるという、当たり前の人間の仕草をした。


脳裏にわざと調子を外した口調で喋る若い男の声が過る。


苺木は鳥肌の立つ腕を僅かに震える手で無意識に押さえた。


気味が悪い、"あの男"も、目の前の"これ"も。



(気味が悪い……けれど……)



血が滲むほどに握りこんだ手、そうすると震えは治まった。



「茴香様のため、私は何だってする」



自分へ言い聞かせるように呟いた声が、部屋に虚しく響いた。






5月30日22時直前、都内の端、山の麓付近にある研究施設の門扉の前で或斗と普は待機していた。


この施設は巳宝堂とは直接に関係がないことになっている企業の所有、と表向きされているが、実際は巳宝堂所有の土地と建物であるらしい。


都心から外れた土地は余り気味であり、施設の建物は駐車場を挟んで門扉から随分と離れた場所にある。

こんな場所にそれだけの車が停められることなどないだろうに。


土地が広いのは実験場を兼ねており、人目につかせたくない実験を行うためであろう、という栞羽の調べを代弁する央宮の説明が思い出される。


栞羽本人は班員の予想通り気合で21時には起き出したらしく、情報部スペード班の指揮をとってここまで或斗と普をナビゲートしてくれている。


耳に装着したイヤホンから、いつかの雪の中と同じ固い調子の栞羽の声が聞こえてくる。


施設の警備をダウンさせるまでのカウントダウンを聞き終え、或斗と普は門扉を飛び越えて中へと侵入した。


研究施設の建物へと迫る2人の前に、華奢な人影が立ちはだかる。



「……コソコソと、鬱陶しい。マッチの火程度の力しか持たない者の分際で」



忌々し気に或斗たちを睨んだのは、苺木であった。


今まで見たのと同じようなキッチリしたスーツ姿だが、傍らに大きなバッグを提げている。


普は苺木を見返して鼻で笑ってみせた。



「偉そうにとぐろ巻いてるだけのヘビを追い払うのに大層な火力は必要ねえよ」



煽り返してみせた普の言葉に、苺木は提げているバッグの肩掛けストラップを潰すように拳を握り、ギリリと或斗たちを見据える。


或斗は4月の適性検査イベントの時の苺木の柔らかい雰囲気を思い出す。


苺木の魂は赤かった、狂気に染まっているとも思えたけれど、赤は本来温かな色でもある。


茴香へ狂信的なだけで、この苺木 初百合という人の本質はあの優しい部分にあるのではないか、或斗はそうも考えた。


何故ならあの日、迷子のともくんを或斗から引き取り抱き上げた手には確かな優しさが滲んでいたからだ。


一瞬だけ、或斗がもう一度視魂で視た苺木の魂はやはり赤く力強く、1つの芯を持って巡っており、茴香への盲信から来るそれが折れることはないという確信を持たせた。


彼女の本質がどこにあれど、分かり合えない。


ただ何か、前回見た時と違う謎の空白部分があるように感じられ、不審に思った或斗がもう一度視魂を発動させようとしたところで、普が「ぼけっとすんなドブネズミ」と言って戦闘態勢に入る。


或斗も一歩下がっていつでも虹眼を展開できるよう、苺木と苺木の周囲を視界に入れた。


苺木は暗い目をして、傍らに提げていた大きなバッグからバスケットボール大のガラスケースを取り出した。


その中には暗黒色の円状の枷に囲われた虹色の六角形、ダンジョンコアらしいものが入っている。



「ダンジョンコア!? どうして……!」



ダンジョンコアはどうやってもダンジョンから動かせない、というのが常識のはずだ。


或斗はふと茂部の言葉を思い出した――「カージャー」のダンジョンコアの研究技術は時代の2歩3歩先を行っている。


驚きを隠せない或斗と普の前で、苺木はその暗黒色に囲われたダンジョンコアをガラスケースから取り出すと、自身の胸、心臓の辺りへ埋め込むようにした。



「茴香様の理想を阻むものは全て、私が排除いたします……!」



心臓部に埋め込まれたダンジョンコアから暗黒色と虹色の2種類の光があふれ出し、苺木の体がバキバキと音を立てながら形を崩していく。



「ガアア、アアアアァァァァァァァ!!」



苦悶なのか高揚なのか、判別のつかない絶叫をあげて、苺木は人の形を無くしていく。


品の良い仕立てのスーツが裂け、その下から赤い鱗に覆われた体が露出する。


それは去年の冬に見たカリスの水龍化とも違い、もはや一切人の部分を残さない驚異的な変身であった。


暗黒色と虹色、正反対の光に包まれた苺木は、ものの10秒ほどで体高が20mはあるだろう、真っ赤な鱗を持つドラゴンへと変化しきった。


そのドラゴンの心臓部には、先ほど苺木が胸に埋め込んだ暗黒色の輪の中で虹色に輝くダンジョンコアがあり、それだけが目の前の怪物が変わり果てた苺木であることを示すものであった。


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