6月も半ばを過ぎ、しとしとと雨の降り続く梅雨がやってくる。
毎年この季節は雨と過去の記憶にうんざりさせられる或斗であったが、今年は一味も二味も違っていた。
旧時代には春と秋で2回行われると規定されていた褒章授与であるが、ダンジョン社会になってからは、非常に大きな功績については例外的に季節を問わず行われることになっている。
何のことはない、ダンジョン社会においては、悠長に時期を待って褒章を与えようとしたときには既にその相手が死んでいることがあり得るからとかいう、生々しい事情があるためである。
今回の巳宝堂 茴香の洗脳計画を防いだ『暁火隊』の功績についてはすぐに授与式を開くべきと世論からも押され、早々6月の2週目に式が執り行われることになった。
日明からの指名通り、或斗と普の2人がメインとなって授与式に出席したのであるが……。
『暁火隊』本部ビル休憩室のテーブルの上には、様々な新聞、雑誌、ネット記事を表示したタブレットが広げられていた。
そこには普と並んでいる或斗の褒章授与式典での写真が大々的にクローズアップされている。
写真の中の普は正装を着こなし、いつもと違って前髪をかっちりと上げてセットしており、美形ぶりに磨きがかかっている。
対して或斗の方は、普から買い与えられた正装に着られつつ、いつも跳ねている髪をなんとか撫でつけてどうにかこうにか見られる姿にした、という風、普からは「七五三の延長」との感想をもらった姿であった。
或斗は七五三の概念をよく知らなかったので馬鹿正直にその場で普に尋ねたのだが、「未だに常識が身についてねえ残念頭、マジでネズミと同じ大きさの脳しか持ってねえのか」と大いに呆れられた上、「ガキが背伸びしてるだけで似合ってねえなって意味」とストレートな罵倒の解説をいただいた。
そんな或斗的にはあまり直視したくない写真の載ったメディアを満面の笑みで見せてくれているのはミクリである。
げんなりしている或斗と対照的に、ミクリはどこか誇らしげにふんふんと鼻を鳴らしつつ或斗へ雑誌の記事を1つ1つ見せてくれる。
他ならぬミクリが相手であるため或斗も雑談の一環として付き合うことは苦ではなかったが、なにゆえにミクリがこうもご機嫌であるのかは不思議であった。
「どうしてミクリが嬉しそうなんだ……?」
へんにょりと眉を下げた情けない顔で或斗が尋ねると、ミクリは胸を張って実に嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「或斗くんはすごいんだぞって、皆に知ってもらえたから!」
ミクリは天使のような人格を持つ、世が世なら聖人として一大宗教を立ち上げていたかもしれない人物(或斗の主観による)である、友達が褒められていると嬉しいという非常に単純明快な喜び方をしてくれているのだろう。
ミクリを友達に持ててありがたいと思わなかった日はないと言っても過言でないくらい友達甲斐のあるミクリである、或斗はミクリの喜びに水を差す気も起きず、眉を下げたままの微妙な笑顔で「ありがとう……」と返しておいた。
或斗は写真を見ながら、授与式直後の報道陣の勢いを思い出した。
式典中、緊張のし通しで喉はカラカラ、精神的にはグッタリぐんにゃりの或斗であったが、式の会場を出た途端に大勢のマスメディア集団が押し寄せてきたのだ。
目の前に突きつけられるマイク、レコーダー、カメラのフラッシュの光と音、或斗は完全にビビり上がってしまった。
「遠川さんはダンジョン適性無しとのことですが、どのようにして巳宝堂と闘ったのでしょうか!?」
「1年前に話題となった虹の目の魔法使いは遠川さんのことだという噂がありますが、本当のところはいかがですか!?」
「此結さんと同居されているそうですが、お2人のご関係は!?」
或斗の能力の内容はともかく、ご関係はって何だ、ご関係はって。
幸いいつも通り普と共にいたため、普が完全に固まってしまった或斗を雑に後ろに押し込めつつ、外面スマイルで報道陣を適当にあしらってくれた。
虹眼の話については、面倒が増えるだけなのでと公式には発表しない方針であるらしい。
或斗もあの勢いで死にかけの病人を助けてくれだとか奇跡を起こしてみてくれとか迫られるようになっては困る、日明と普の決めたその方針に従うつもりである。
しかし、あんなにも注目を集めるとは思っていなかった。
普に言わせれば「無名のヘボそうなガキが俺と同じ扱いで表に出されりゃあのくらい当然だろ」とのことで、完全に或斗の考えが甘かったらしい。
今後何かとあんな感じで迫られると思うと、身がもたない……或斗は小さくため息をついた。
そんな或斗の様子に気付かず、満面の笑みのままのミクリが見せてきたスマホ画面の文字を認識した或斗は、キャパオーバーを起こし、テーブルに突っ伏す。
スマホ画面には女性向けらしい背景にお洒落なフォントで「遠川 或斗ファンクラブ」の文字があった。
「すごいねえ、ファンクラブが出来てるよ或斗くん! 私も入ろうかなあ」
純粋に喜んでいるミクリ、テーブルと腕とで現実から目を背ける或斗。
しかも次のミクリの発言で、或斗は頭を抱えた。
「まるで此結さんみたいだね!」
ミクリは知らない、
或斗の頭に思い浮かぶ、此結 普ファンクラブ会長である茂部の数々のセクハラ発言。
或斗は初めて普の気持ちを真に理解出来た気がする、万一この遠川 或斗ファンクラブなるものがあんな闇の煮凝りであったら、恐ろしいことはこの上ない。
どんな物好きが何の目的で作ったんだ……と寒気を堪えている或斗であるが、ミクリから言わせれば或斗の容姿は決して悪くない、否、或斗の容姿は良い方である。
本人は黒髪黒目という低適性者特有の色を持っていることで自身の容姿を平凡だと思っているようであるが、そんなことは全くない。
1年前より幼さが抜けて凛々しくなった眼差しは人を惹きつけるだろうし、顔の造作という土台自体はそもそも整っているのだ。
あの美貌の普の隣にずっと居れば本人と周囲の感覚が麻痺するのも分からないでもないが、或斗はもう少し自分への過小評価を改めても良いのではないか。
そうも思うけれど、謙虚さも或斗の美点であるからして、ミクリがその辺りに口を出すことは無いだろう。
ともかく、このダンジョン社会において最も重視される武力を備えているという評価がついた以上、或斗の顔面の価値が鰻登りすることは何も不思議なことではない。
急な世間からの評価に戸惑う或斗の気持ちも分からないではないが、ミクリはやっぱり尊敬する友達が持ち上げられていると嬉しくなってしまうのだった。
とはいっても、或斗の世間人気を無邪気に喜んでいるのはミクリくらいのものである。
『暁火隊』本部ビル内で某男性――いやもうそのまま言うが、高楽と行き会う度に、或斗へ梅雨に負けない湿度の怨念の籠った視線が向けられるのである。
見開かれた目が充血していて怖い上に、無言で見てくるだけなのが鬱陶しいので正直やめてほしい。
普が隣に居れば「キモい死ね」の一言で高楽をぶっ飛ばしてくれるのだが、そうでないときはもう或斗にはどうしようもない。
誰もこの状態の高楽に関わろうとはしないため、或斗は早足でその場を去るしかないのである。
他に、落合からは会う度に「よ! 英雄!」と大きな声でからかわれて恥ずかしい。
周囲にいるメンツによっては悪ノリして「英雄のお通りだ!」「道開けろ~!」などと追加でからかいを投げられるのだ。
ちなみに普が一緒だとそういったからかいは起きない、もうずっと普と一緒が良い、試しに普本人へそう言ってみたら「キモい」と一蹴された。
或斗は本当に困っているのに!
あと、なんだか最近戸ヶ森から露骨に避けられている気がする。
普と共に授与式なんかに出たからまた「おこがましい!」と怒っているのだろうか、ありえそうな話である。
ただそれならそれで戸ヶ森は正面からビシッと罵倒してくる性格をしているはずなので、若干心配でもあった。
そんな的外れな心配を向けられているところの戸ヶ森は、授与式以降ムカムカとげとげした気持ちを抑えられずにいた。
授与式に出てからというもの、世間の或斗を見る目は一変した。
どの雑誌も、ネット記事も、SNSも、みんな或斗の話をしている、ような気がする。
な~にが「遠川或斗くん地味にビジュ良くない〜?」だ。
他には「此結普と並んでるとかわいさが目立つ」だの、「虹の目の魔法使いって鉄骨事故を防いだっていう都市伝説だろ? 実在したのかよ」だの……。
戸ヶ森は非常に気に入らない、世間の反応を見るたび心がささくれ立っている。
昨日なんか、『暁火隊』本部ビルを出たところで出待ちしていた女性3人組からかわいい包装の良いとこのお菓子をもらったりしていた、普でなく、あの或斗が、だ!
或斗の顔がそこそこ見られる程度には良いことも、本気を出したら強いことも、ゆにの方が先に知っていたのに!
それに何より、或斗の良いところはそんな表面的な部分ではない。
――戸ヶ森さんは大事な『暁火隊』の仲間だ、だから助ける。
あの真っ直ぐな眼差し、虹色ではない黒い瞳の宿す光が綺麗だったのだ。
世間のもてはやす顔の良さとか、強さだとか、そんなのは或斗を分かっていない人間たちが勝手に騒いでいるだけで、だからゆにの方が或斗のことを分かっていて……。
それでも今或斗の顔を見ると、いつも以上に理由なく罵倒し尽くしてしまいそうで、出来る限り顔を合わせないようにしている。
戸ヶ森は授与式以降、心がチクチクして嫌な感じをずっと味わっている、不愉快で、どこか不安でもあった。
普と共に授与式に出た或斗に対する嫉妬や苛立ちではない、と思う。
それもこれも全部或斗のせい……なのだろうか。
戸ヶ森は心の落ち着きを取り戻すためココアを買おうと休憩室へ向かったが、休憩室の中で或斗とミクリが話しているのを見つけて、すぐに踵を返して逃げる。
或斗の背中は普に同行を断られたあの夕方から、またずっと遠ざかったように思えて、戸ヶ森は1人唇を噛んだ。
梅雨の名に反さず、昼から夜までずっと雨が降り続けている。
或斗は寝る前に普の家のリビングにある大画面テレビでニュース番組を観ていた。
いい加減飽きないのかと心配になるくらい、ニュース番組は未だに授与式の映像を流している。
映像で見ると、或斗がガチガチに緊張しきっているのが分かりやすく、或斗としては非常に恥ずかしい。
世に言う黒歴史ノートなるものを公共の電波で流されている気分に近いかもしれない。
微妙な顔で画面を見つめる或斗へ、寝る支度を整え終わったらしい普が就寝時間を知らせる。
「無駄に間抜けヅラ晒してないで寝る支度をしろ」
「普さん、自分の顔がテレビに映ってるのって……不思議ですね」
普の罵倒をサッパリと聞き流し、或斗はテレビを眺めてしみじみと言う。
普は呆れを浮かべた目で或斗を見やって、無慈悲にテレビの電源を切る。
「そりゃただのドブネズミなんぞを特集しようなんて奇怪な番組は存在しねえだろ。馴染みがないだけで、そのうち慣れる」
「そういうものですか」
「どうせこの先も俺たちはこういう公の場に顔を出すことがあるだろうからな」
サラッと言い切った普の言葉に、或斗は思わず普の顔を見上げる。
「何だ?」
普自身は自覚がないのか、怪訝な顔をして或斗を睨んでいる。
或斗はへにゃっと笑み崩れる顔を隠せず、「いえ、別に」と言ったが、普はその顔が気に食わなかったらしく、或斗の頬をつねり上げた。
「いひゃひゃひゃ」
「ともかく、"勝ち"を積んでけばこのくらいは当たり前になる。今回はただの1歩目だ。さっさと慣れろ」
ぺいっと或斗の頬を離した普は「就寝予定時刻を1分でも過ぎたら殴るぞ」と言いおいて、自分の寝室へ向かっていった。
「"勝ち"……」
或斗は普の言葉について考えた。
或斗たちは今回、巳宝堂に、あの強大な力を持っていた巳宝堂 茴香に勝った。
何より、勝つことで喪わずに済んだ。
巳宝堂の仕掛けた卑劣な洗脳を解かれて無事に戻ってきてくれた後方支援部隊の面々の顔を思い出す。
先日何故か菓子をくれた見知らぬ女性たち、彼女らも或斗たちが負けていれば巳宝堂に支配されていたのだ。
ただの1歩目、しかし1歩目がなければ次は無い。
或斗は気づかず握っていた自分の拳を見下ろす。
あの冬の喪失の日、そして立ち上がり歩き続けることを決めた春の日から、そう時間は経っていない。
今回の件ではまだ「カージャー」に繋がる直接の情報は掴めていないし、居場所の知れない未零を助け出すにはもっとずっと遠い、それは分かっている。
それでも、この勝利は意味あるものだったと確信出来る。
今回の勝利は遥かなる1歩の前進だ。
普の言う通り、この1歩を何度でも積んでいって、いつか必ず未零へ辿り着く、助け出す。
顔を上げた或斗の黒い瞳は、前方に続く未来を確かに見据えていた。