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第3章彼の血は赤いか?

51 秩序と混沌

※最後の段落に猟奇的・グロテスクな描写があります。苦手な方は「歩行者天国という試みがある」から先を読まないようお気をつけください。

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2051年の梅雨は6月中に明け、7月初旬の街はカラッとした陽射しに照らされて夏らしいギラつきを見せている。


街ゆく人は日傘を差しつつドローン型ファンを連れ歩き、アスファルトから立ち上る暑気をやり過ごす。


気温はダンジョン社会になって以降の例年と同じくらいであったが、去年と違うところを挙げるとするならば、街の店々の看板であったりテレビのCMの内容だったり、そのあたりだろう。


街中にあった金の丸の中のダイヤマーク、巳宝堂財団のシンボルは消え、巳宝堂のマークを掲げていた店はそれぞれ別のスポンサーを見つけてそのマークを掲げているか、店ごと潰れて空きテナントとして次の店を募集していたりする。


テレビのCMでは慈善事業団体や医療法人がこぞって宣伝を出し、世間に名前を売ろうと必死である。


巳宝堂財団が瓦解して1ヶ月、社会では突如降って湧いた巳宝堂財団分の商機をいかにして獲るか、巳宝堂の後釜に座るのはどこの企業か、という熾烈な争いが水面下で行われている。


同時に、巳宝堂財団の支援によって生活をしていた孤児出身のダンジョン攻略者などは支援者を失い、荒れた生活を送っている。


その中には、持てる者から奪おうと強盗や泥棒、酷くて殺人と、犯罪に手を染める者も多くあった。


6月下旬には人混みの中心で刃物を振り回す者が出る事件もあり、それは幸いにしてただのモグリの犯行であったため周辺の人々に簡単に取り押さえられて被害も無かったのだが、とかく治安の悪化が憂慮されていた。


裏でとんでもないことを計画していたとはいえ、慈善事業団体としての巳宝堂は社会の安定に確実に寄与していたのである。


特に、病院系列・孤児院等は混乱が激しい。


巳宝堂の息のかかっていた病院では、医師が洗脳を受けていることもあり、洗脳を正しい手順で解除するための休暇をとらねばならず、人材不足で病院の大混雑が起こることも。


巳宝堂財団が一手に引き受けていた健康診断や簡易適性検査などは引き継げるほどの規模の企業が存在せず、そちらはそちらで人材不足に技術不足とヒイヒイ言っている。


夏も盛りになり、熱中症の患者がちらほらと出てくるのだが、混乱した病院では処置が遅れて症状が重くなるなどし、病院へはもちろん、上手く状況を回せていない政府へバッシングが集中し、連日マスメディアは国民の人気とりのため政府の対応の遅さを報じている。


巳宝堂財団の経営していた孤児院については、『暁火隊』をはじめとする資産に余裕のあるパーティや企業が経営を引き継ぐよう少しずつ手を回しているが、何せ数が多く、大半は代表者と名前を変えた後の巳宝堂財団に引き続きの経営を任せることになるだろう。


資産に余裕のあるパーティや企業が孤児院の経営に手を出すのは何も慈善事業100%ではなく、ダンジョン適性の高い子供を早めに自分のところへ引き抜けるように、という打算から来るところがある。


そんな裏事情があるもので、どこも資金を投げうって全ての孤児院に手を差し伸べるようなことは出来ないのである。


とはいえ巳宝堂財団の抜けた穴を埋める仕事は多岐に渡り、後釜候補の席取りゲームに参加していないパーティ・企業であっても社会はどこもかしこも大忙しであった。


『暁火隊』も例外ではない。


6月から引き続いて、通常任務・毎年の水辺ダンジョン攻略・巳宝堂財団のやらかしの後始末に追われる日々である。


分析所は巳宝堂系列の人材の洗脳解除に、次々見つかる研究施設の資料や物品解析で朝も夜もなく稼働しっぱなし、情報部は増え過ぎた仕事を回せなくなった修羅場慣れしていないクローバー班の補佐にスペード班が入り、何とか任務の割り振りと前手続きに後処理を済ませている。


情報部には他に医療関係の情報管理を行うハート班があるが、ここがまた巳宝堂との繋がりが強かった影響で大忙しであった。


巳宝堂以外のまともな企業を探して定期健康診断の契約を行わねばならないし、巳宝堂から定期的に卸されていたポーションを代わりに買い付ける先の企業を探さねばならないしで、西へ東へ奔走している。


巳宝堂といえば金融、一応金銭的にはほとんど自パーティ内で完結していた『暁火隊』であるため他の班ほどの影響は出なかったものの、資産運用の資産預け先を選定しなおしたりという仕事が増えたダイヤ班もある。


上記の通り裏方は大忙し、全ての決裁を一手に担わねばならない日明の疲れた背中には、うっすら死神の鎌みたいなものが見えてきそうなほどだ。


では戦闘メンバーら表部隊が暇かといえばそんなことは全くない。


後方支援部隊を含めてほとんどのメンバーは出ずっぱり、6連勤7連勤は当たり前、注意力散漫で死なない程度に休息をとり、次の任務へ向かうという地獄のローテーションを組んで何とか仕事を回していた。


これも日本社会、ひいては全世界を守った代償、と言い聞かせても、仕事は無くならない。


「冬のボーナスはデカいぞ~! 北海道くらい!」といかにも頭の回っていない号令をかけて任務へ出かけるぐるぐる目の戦闘メンバー、それにげっそりした顔でついていく後方支援部隊らの疲労の有様は、天下の『暁火隊』と胸を張るには若干かっこわるかった。


そんな修羅場のただ中にある『暁火隊』、そこに属する或斗と普も例外なく多忙を極めている。


巳宝堂のやらかしの後始末というのは、洗脳にかけられている人々の発見、暴れる者がいれば制圧して洗脳の解除、というところになるのだが、暴れている者や明らかにぼうっとしていて自意識の薄そうな者以外、洗脳にかけられているか否かの判断は困難である。


そこで登場、一目で被洗脳患者が否かが分かる視魂の虹眼! なんと暴れる患者を命の危険なく鎮圧も出来ちゃう!


というわけで巳宝堂関連の施設の制圧や、巳宝堂の息のかかっていた医療施設の人員の洗脳チェックなど、凄まじい数の仕事が或斗の元へ舞い込んだ。


延々と視魂の虹眼を使いながら、ひよこ鑑定士(普の課題図書で知った)の人はもっと大変なのかな、などと考える程度には或斗も疲れを帯びていた。


今日も今日とて巳宝堂系列の裏側の研究施設に踏み込み、被洗脳暴徒を相手にする或斗と普である。


ドーピングしているのか、血走って焦点の合わない目で「茴香様のためにぃ!」と叫びながら襲いかかってくる研究員たち、ドーピングによって盛り上がった筋肉で白衣がパンパンで、絵面としてはちょっと面白い。


つまらなさそうな顔をした普が全員まとめて拳でぶっ飛ばし、或斗が視魂の虹眼で勝手に死なないよう洗脳魔法をちょちょいと書き換え、気絶までさせれば、あとは後方支援部隊の人々がロープで捕縛していってくれる。


簡単なお仕事、と言えなくもないが、割とがっつり研究員らの人命がかかっており、気を抜いて当たることは出来ない任務である。


何より数が多い、数が。



「これで今日は3件目ですね……」



流石に疲れの滲んだ顔で或斗が普の様子を見る。


普は適性のお陰か元気いっぱい、とはいかない、というか全部拳でぶっ飛ばすだけのお仕事に完全に飽きているようで、微妙に不機嫌である。


暇つぶし、あるいは気分転換とばかりにその辺の資料を漁っている。


6月中旬以降、或斗と普は500以上もあるこうした巳宝堂財団の裏研究拠点を潰していくのが主な仕事で、それらは洗脳の見分けという役割もあって他に回せない。


或斗がやりがいという生き生きした言葉で張り切っていたのは初めの50件ほどまでで、あとはベルトコンベアーを流れていく刺身にタンポポを乗せる仕事に従事する人、くらいの複雑な気持ちで臨んでいた。


大事なのだけれども。


資料を漁って暇つぶしをしていた普が少し考えてから或斗を振り返る。



「この施設は最近の中でも特に規模がデカい。何かしらは出てくるかもな」



そうだといいなあ、或斗は今日まだあと9件入っている同様の仕事に思いを馳せつつ、虚無った脳でぼんやりと頷いた。


もちろん、すぐに「任務中に腑抜けた顔してんじゃねえ」というお言葉と共に普から張り飛ばされた。







3日後、或斗と普は情報部へ情報共有のために呼びだされた。


普の言った通り、数日前の……あの、どれだったか或斗は忘れたが何だか大きめの施設から色々と出てきたらしい。



「お疲れですねぇ、虹眼くん」



そう言った栞羽は振り返りながらタイピングをし続けるという人間離れした技を行使しており、或斗の100倍くらい疲れた顔をしている。


正直ちょっと怖い。



「栞羽さんには負けます、あの、お疲れ様です……」


「いえいえ、こちらは身の危険は無い仕事ですから~」



どうだろうか、虹眼を使わなくても栞羽の背後に死神みたいな何かが見える気がするのは、身の危険とは言わないのだろうか。


旧時代に日本で横行していたという過労死なる死の気配をプンプンさせている栞羽を、普は情け容赦なくせっつく。



「無駄話してないで本題に入れ」


「うふふ、普ちゃんは今日も元気にノンデリですねぇ、そのうち思い知らせてあげますよぉ。なんか、あの~、アレで」


「分かった、お前の脳みそが機能するうちに本題について話せ。死ぬならその後死ね」


「普さん、倫理、倫理」



絶望的に疲れている大人と大人げない大人、ツッコミにも力の入らない17歳男子の雑談はそこそこに終わり、栞羽が重要事項の共有を始める。



「まず、巳宝堂と『カージャー』とは相互に技術提供をしていたようです。巳宝堂側が提供していた技術は主に薬剤系統ですね。クローン人間生成技術を確立させるための薬品関係について、巳宝堂は深く関わっていたようです。巳宝堂の研究所を貸してクローン生成を行わせたこともあるようで、去年の冬の救出作戦で助け出したBランクダンジョン攻略者のデータを使って、多くのクローン人間が生み出されたという記録が残っていました」


「クローン……」



或斗は眉を寄せ、生み出された者たちがどのように扱われているかを思い、腹の底が煮え立つような怒りを覚えた。



「クローンたちの居場所については分からないんですか?」



栞羽は眉を下げて首を横に振る。



「巳宝堂の研究施設から出されて以降の記録は残っていません。巳宝堂側の受けた技術提供が大きいものであったため、巳宝堂側もそれについて口出し出来なかったものかと考えられます」


「というと……?」


「巳宝堂が最も欲していたもの、つまりは魔法洗脳技術の肝ですが、仮称物質Xとダンジョンコアをどうこうする技術については、完全に『カージャー』由来のものであるようです。これについては茂部さんも同意しています」



そのあたりの話は以前茂部から聞いたような気がする、この1ヶ月ほど働き過ぎていて、いつ何の話を聞いたかあやふやなところがある。


普から打たれないうちに、或斗は自分の頬を自分でつねって気合を入れた。



「それで、物質Xの生成には『カージャー』幹部のテミスが関わっているようなんですけど、これは以前バル=ケリム……今後は旧バル=ケリムと呼ぶことにします、その拠点から出てきた情報には無かったものですね。テミスについては戦闘能力の高さが挙げられていたくらいでしたから」


「旧?」


「ええ、はい。巳宝堂はその伝手で『カージャー』メンバーの移動を手伝うことも多かったことがわかっています。現在残っている『カージャー』幹部についての情報が少しばかりありました。少なくともゾエーとテミスは国外にいることが確実であるようです、他の幹部は分からないのですが、去年の夏以降の記録に"バル=ケリム"の名前が何度も出てきました」


「でも、バル=ケリムはあの夏死んだはずじゃ……」



栞羽は頷き、「これは予測ですが」とおいてから続ける。



「旧バル=ケリムは虹眼くんへの自己紹介の際、実験を司ると称していました。実験というものは『カージャー』の理念上欠かせない技術ですから、後継がいたとしてもおかしくはないでしょう」


「別の人物が新しくバル=ケリムを名乗っていると」


「その可能性が高いと思います。今年の5月下旬、苺木 初百合氏が"バル=ケリム"という人物から変身手術を施された記録が存在していましたので」


「苺木さん、が……」



あの赤いドラゴンは強かった。


或斗の視魂の虹眼が無ければ、そして普が共にいなければ倒すことは不可能であっただろう。


旧バル=ケリムが最後に施したカリスへの変身手術とは違う、人間を完全にモンスター化させてしまう部分・ダンジョンコアで無限の再生を叶える技術は、確かに別人の手によるものと言われれば納得がある。



「今のところ共有すべきと考えた情報はこのくらいですね~。拡ちゃんはぁ、まだまだ仕事がありますのでぇ、虹眼くんと普ちゃんはどうぞ休憩室でイチャイチャでもしていてくださ~い」


「仕事が捗るように殴ってその腐れ頭を矯正してやろうか、今ならタダで良いぞ」


「ハイハイ、出てった出てった~」



片手でキーボードを叩き続けながら栞羽はもう一方の手で普へシッシッという動作をして見せた。


普が敵以外の女性に暴力を振るうことは少ないとはいえ、あの恐れ知らずな神経はどうやって磨かれているのだろうか、或斗は一種の感心を抱いた。


普は大いに舌打ちしてその辺のゴミ箱を蹴り飛ばし、情報部を出ていく。


或斗は蹴り飛ばされたかわいそうなゴミ箱さんを元に戻し、栞羽へ会釈して普についていった。


栞羽は休憩室で休んでいろという旨の発言をしていたが、今の『暁火隊』の雰囲気ではとても休憩室で一息つこうという気にもなれない。


今日も8件ほど任務をこなした後の或斗であったが、後方支援部隊として上へ下へ駆けまわっているミクリや落合を見かけると放っておくことは出来ず、仕事の一部を手伝うなどして残りの時間を過ごした。


その間或斗と共に手伝うなどという殊勝な行いをするはずもない普は1人休憩室で読書をしていた、やはり肝の太さが違う。


今日も忙しい1日が終わり、少し定時を過ぎた時間に『暁火隊』本部ビルを出て無人タクシーで普と共に普の家へ帰る。


ミクリたちの手伝いをしている間はそんな暇がなかったためか、栞羽からの話について、或斗は今になって少し考えこんでいた。


新しくバル=ケリムを名乗るようになった人物について、その想像は何故か、多少の気味悪さを覚えるものだった。


旧バル=ケリムはグィエン・バン・チェットという1人の人間であった、過去も家族もあった、等身大の人間の変質した姿だったことを覚えている。


或斗はほとんど独り言に近いくらいの調子で零す。



「新しくバル=ケリムとなった人物は、どんな人間なんでしょう。ダンジョンコアだとか、新技術を扱う分、前のバル=ケリムよりも手ごわい気はしますが……」



普は馬鹿馬鹿しいとばかりに或斗を一睨みして淡々と返した。



「知るか。俺たちのすることは変わらねえ。見つけ出してぶち殺す、それだけだ」



普の言には実力への自信――それは或斗の力を含めたもので、或斗にとっては嬉しい言葉である――が滲んでいて、やはり心強い。


それでも、新しいバル=ケリムの、人間を完全なるモンスターへと変えてしまう発想、ダンジョンコアを使う得体の知れなさに、或斗は言い知れぬ不安、胸のざわつきを感じていた。


その悪寒は、次の日曜日、現実に形をとることになる。







歩行者天国という試みがある。


簡単に言えば、日時を区切って車の通行を制限し歩行者のみの通行に絞り、歩行者の安全を確保することでその周辺の街に活気を呼び込み、経済効果を狙うものである。


東京都において、旧時代には銀座・新宿・秋葉原で行われていたが、旧新宿ダンジョンと東京湾ダンジョンの影響により、2051年現在では秋葉原くらいでしか行われていないものとなっている。


7月9日正午前、秋葉原の歩行者天国開催地は、異様な空気に包まれていた。


歩行者が行き来するため空けられた空間のど真ん中に、見るからに異様、悍ましく吐き気を伴う気味の悪い、とあるオブジェが飾られていたからだ。


よく見てしまってその場で嘔吐する通行人もあれば、好奇心と野次馬根性からスマホを取り出し映像をSNSにアップしている通行人もある。


そのオブジェの"顔"を知らない者はその場に居なかった、つい1ヶ月半前までテレビやネットに顔を出し、恐ろしい洗脳計画をそうとわからないように企んで宣伝していた張本人、巳宝堂 茴香であったからだ。


しかし人々の記憶と合致するのは、服の着せられていない上半身までであった。


道路の中心に置かれた巳宝堂茴香の体は胸の下で切断されていて、その下は透明なガラス製のコルセットのようなもので支えられており、中の内臓が丁寧に整頓して並べられ、クリアに見える。


ガラスのコルセットは腰まであって、腰の部分から下は本人のものだろう人の皮を使ったと思しき前開きのフリルで飾られている。


フリルの下にはやはり人皮製のレオタード状の下着が見えるが、その下、両足の付け根から先は切断されている。


切断された人間の両足の代わりには、クラーケン種のものだろう赤黒い軟体生物の触肢が何本も繋げてあり、肌色のフリルを膨らませるようにわさわさと生えていた。


巳宝堂 茴香だったものの上半身、腕の片方は人間のものであったが、もう片方の腕は赤い亜竜種のものに付け替えられており、アシンメトリーのまま胸の前で手を組む祈りの形に固められている。


長い綺麗な金髪が、夏の風になびいて死体の腐敗臭と薬品の臭いをまき散らす。


少し俯くくらいの角度で固められた顔の、慈愛の紫の瞳は虚ろに光を映さず、それは死の証のようであった。


その冒涜的な展示品の足元には、金属製のプレートが立ててある。


プレートには「作品名:秩序と混沌 作者:バル=ケリム」と銘があった。


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