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第2話 実験用サンプル

 よく晴れた夏の朝、地球防衛部の平部員である雨夜あまや希美のぞみはパラソルチョコを口にくわえつつ、空に浮かんだ白い雲を見上げていた。

 この日は昨夜に部活の顧問から、かかってきた電話で呼び出されて、海沿いの町に足を運んでいた。時折風に乗って微かな潮の香りが漂ってくる。

 希美たちが暮らす、この陽楠市は山だらけの地方都市だが、南寄りは海に面していて、小さなビーチが存在していた。

 先輩の朋子から聞いた話では名所とは呼べないまでも、それなりに小ぎれいで、彼女の一家は毎年何度かは、そこで海水浴を楽しむそうだ。

 八月に入って陽射しはますます勢いを増し、この辺りでもセミの大合唱が熱気を煽るように響いているが、希美は暑さ寒さをあまり苦にしない。

 仲間たちからは強い魔力を持つ魔術師だからだと思われがちだが、実際にはただの体質らしく、今もなんの防御策も講じていなかった。

 いつもどおりにフードの付いたサマーパーカーを着て、ヴァイオリンケースを背負っている。この季節だとフードは日除けにもなるが、今は背中に垂らしていて、頭には青地に黄色の六連星が描かれた野球帽を被っている。有名な自動車メーカーのロゴだが、車に興味があるわけではなく、少女らしい秘密の理由があった。

 パーカーはポケットにのみ保冷魔術が施してあり、希美はそこにお気に入りのパラソルチョコを入れている。こうでもしないと夏場はすぐにチョコが溶けてしまうためだ。

 彼女のすぐ後ろには軽トラが停まっていて、荷台には引っ越しの荷物が満載されていた。うずたかく積まれた段ボール箱の頂点には茶色いニワトリが翼を広げて立っている。なぜか片足を上げたその姿は、某お菓子メーカーのゴールインマークを連想させた。

 部活の顧問である篤也が飼っているコカトリスと名付けられたニワトリだ。大層な名前だが見たところ普通のニワトリで、誰かを石に変えたという話は……今のところ聞かない。

 一方の飼い主は大きな窓を備えた近未来的なマンションの前に立って、身振り手振りまで交えて憤りを吐き出していた。


「いったいこの国の警察機構はどうなっているのだ? 無実の私を一晩中追いかけ回すとは税金泥棒も甚だしいではないか!」


 なんでも数日前に、篤也が寝床にしていた安アパートが火災で燃えたらしく、そのとき奇行に走っていた彼が第一容疑者にされたらしい。

 当人からの話を聞く限り、どう考えても自業自得だ。希美の先輩にして部長の月見里やまなし朋子ともこも呆れ顔になっていた。


「それであの夜は、やたらとサイレンの音が鳴り響いていたのか」


 朋子は、ちょうど日陰になるところに座り込んでいるが、元気がトレードマークの彼女のことだ。このていどの暑さで、ダレているわけではないだろう。おそらくはバカな顧問につくづく呆れているだけだ。


「確かに警察は無能ですね! なんでこのアホをその場で射殺しなかったんですか! まったく嘆かわしいです!」


 篤也の主旨とは異なる形で同意したのは、イギリスからの留学生で希美の同輩だ。

 もっとも夏休み前に帰国して、学籍が残っているのかどうかも定かではない。


「せっかく人が故郷で久々の平和を満喫していたのに、突然の国際電話で呼び出されて! 大慌てで来てみれば、引っ越しの手伝いをしろとか、あり得ませんよ!」


 めずらしく感情を露わにして篤也にくってかかっている。


「何が、お前の助けが必要だ――ですか!」

「落ち着け、エイダ」


 篤也は悪びれない視線を向けた。


「不純異性交遊の邪魔をしてしまったことについは謝罪しよう。本当に悪かった。しかし、他の連中が旅行やら何やらで来られないとのことだったので、やむを得なかったのだ」

「ふ、不純異性交遊って、なんの話ですか!? わたしはまだ十六ですよ! そういうのは常識的に考えて、結婚してからでしょうが!」

「めずらしいイギリス人だな。とてもセ○クスの都の人間とは思えん」

「てめえ、いい度胸だ! うちの国にケンカ売ってんのかーっ!」


 あまりの言葉に、エイダはとうとう拳を握りしめて額に青筋を浮かべた。

 どうせ篤也が気にすることなどないだろうと思う希美だったが、意外にも彼はすぐに頭を下げる。


「いや、すまん。これは冗談にしても悪質だったな。こんな私ではあるが、心から敬愛してやまないジェームス・ボンドの国にケンカを売るつもりなど毛頭ない」

「それは架空の人物ですが」


 半眼になりつつも、ひとまず怒りを抑えるエイダ。

 もっとも、本気でキレそうになっていたわけではない気がする。

 実際、希美や朋子は、こうしてエイダと再会できたことが素直に嬉しかった。久しぶりというほど時間は経っていないはずだが、大きな事件の後、ろくに話もしないうちに帰国してしまい、淋しさを感じていたのだ。


「それにしても前の安アパートとは雲泥の差だね」


 つぶやきながら立ち上がると、朋子は大きく伸びをする。

 エイダは今度は落ち着いた声で壁面のプレートを読み上げた。


「メゾン・ド・シャーレですか」

「うむ。シャーレとは知っての通り、実験などに用いる透明な受け皿のことだ。つまりオーナーにとって我々住人などは実験用のサンプルに過ぎぬということだな」


 とんでもないことを平然と口にする篤也。

 これに対するツッコミはマンションの中から響いてきた。


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