「違うわよ~~~~っ!」
野太い声を無理に高くしたような声を響かせつつ走ってきたゴツい男が、身体をモジモジさせながら喚き散らす。
「このシャーレはオシャレの意味なの! オ・シャ・レよ! 分かる!? つまり、うちはオシャレなマンションなのよ!」
さすがにスカートまでは穿いてなかったが、女言葉で話す男に朋子はやや引き気味な顔をしている。
「誰?」
「犯人だ」
「何それ!? ひどいわ、篤也ちゃん! アタシは生まれてからこの方、何一つ悪いことなんてしていないっていうのに!」
「それが事実ならば、それこそが最大の罪だ」
「どうしてよ!?」
「それは――希美が答えよう」
突然話をふってくる篤也に苦笑しつつも、希美は律儀に答えを返す。
「きれいは汚い、汚いはきれいということですよ」
有名な戯曲からの引用だ。
これを聞いてエイダがしみじみとうなづいた。
「なるほど、ロバにはロバが美しく、豚には豚が美しい。早い話が、先生は悪人なので善行が醜い悪行に思えるってことですね」
「つまり、悪人の篤也ちゃんに悪く言われるからこそ、アタシは善人ってことね。良かったわ」
ゴツい男は乙女チックな笑顔を浮かべた。
しばらくそのまま一人で「うんうん」とひとりでうなづきを繰り返した後、思い出したように自己紹介を始める。
「挨拶が遅れてごめんなさい。アタシはこのオシャレなマンションのオーナー兼管理人の
「いや、男の子みたいって言うより……」
言いかける朋子の肩を希美が軽くつかんで止めた。
「そこはふれないであげましょう。きっと本人にしか分からない悩みがあるんですよ」
「う、うん」
この時代、トランスジェンダーに対する理解はまだまだ進んでいないが、彼の場合はそこまで深刻なものではなくて、ただのオネエキャラだったりする。
話が一段落すると、それを見計らって篤也がようやく本題を口にした。
「さて、それでは諸君。このような私事につき合わせてしまってまことに恐縮だが、荷物を部屋まで運んでくれ」
彼にしてはまともな言い回しだ。
「しょうがないなぁ」
苦笑しつつも朋子が素直に荷物に手を伸ばす。
エイダもまた段ボールを一つ抱えて、ぼやくように言った。
「しっかし、こんな力仕事にどうして女子ばっかり呼ぶんだか」
「それはまあ、韻を踏んでのことだ」
篤也の奇妙な答えに女子全員が注目する。ただ一人花菱だけはそっぽを向いた。
注目を集めたことに気づいた篤也は、とくに気負うこともなくネタばらしをする。
「実を言うと、私が今回借りることになった部屋はいわく付きの格安物件でな。近隣住民の間では『女子高生の檻』と呼ばれているのだ」
「なんだそりゃあぁぁぁっ!?」
段ボール箱を放り投げそうな勢いでエイダが叫んだ。
朋子もまた気味悪そうな顔で問い質す。
「なんですかそれ!? ムチャクチャいかがわしい響きなんですけど、何か特殊なこととか考えてませんよね!?」
「だ、大丈夫よ」
慌てて答えたのは花菱だ。
「実はずっと前に部屋を貸していた中年男性が、恋仲の女子高生と三年間暮らした末に、未成年略取で逮捕されちゃったのよ。ふたりは両想いで悪いことなんてしてなかったんだけど法的にはアウトとか言われちゃってね」
「それでなんで檻だなんて……」
当然の疑問を朋子が口にすると、今度は篤也がそれに答える。
「話にはまだ続きがある。その直後に部屋を借りた女子高生が失踪したのだ」
「ちょっと変わった名字をした、とても良い娘だったんだけどねぇ」
花菱が表情を曇らせた。希美はそっと帽子のつばを下げようとするが、めざとく気づいた彼が顔を覗き込んでくる。
「あれ!? その顔ってまさか――」
驚きに目を丸くしたものの、すぐに人違いと気づいたらしく大きく溜息を吐いた。
「ごめんなさい、なんだかあなたがその娘に似ていた気がしたのだけど、瞳の色が違うし、そもそもあれは六年も前だから、あなたは若すぎるわよね」
「は、ははは……よくある顔ですから」
実際に無関係ではないが説明できることでもない。希美は白々しくとぼけてみせた。
篤也はやや不思議そうな顔をしたものの、こだわることなく話を続ける。
「さらに次の入居者は普通に性犯罪者で、人通りの少ない道で女子高生に猥褻行為を働こうと襲いかかった挙げ句、瞬く間に返り討ちにされて、そのままお縄になった」
「アホですね」
エイダの感想はシンプルだ。
それにうなずきつつ、朋子が訊く。
「まあ、そんな事件があれば評判が悪くなるのは頷けるけど、女子高生の檻っていうのは、どこから出た呼び名なんですか?」
確かにすべての話に女子高生が絡んではいるが、そのワードとはあまりにも印象が違う。
「ようするに噂に尾ひれ背ヒレがついて回ったのだ。未成年略取、女子高生失踪、猥褻行為と、これだけそれっぽい言葉が集まれば、どんな噂に繋がるかは血を見るよりも明かというものだろう」
「いや、そこは火を見るよりもでしょ? っていうか、先生って国語教諭だよね?」
「違うな。確かに教員免許は持っているが、今の私は書道教諭なのだ」
「いやいや、国語教諭の免許がある時点で、それを間違っちゃダメでしょ」
朋子と篤也の言い合いを、希美は苦笑しながら眺めている。
思い出すのは篤也が少しばかり前に授業で生徒たちに書かせた「殺す」の二文字だ。壁一面に貼り出された生徒たちの作品には異様な迫力があり、誰もが目を奪われていた。
その中には希美の親友の作品も含まれており、普段大人しい彼女が生真面目に「殺す」と書いているのを見た時には、なんとも言いがたい気分にさせられたものだ。
ちなみにえらく達筆だった。
当然ながら他の教師や学長などは、この課題に難色を示したが、篤也は生真面目な顔で、
「これは人間が決して目を背けてはならない根源的な性質を課題にしたものです。人間という生物は生きるために他の生物を殺すことで糧としています。それは悲しいことではありますが、だからこそ目を逸らしてはならないと愚考いたしました」
などと、もっともらしいデマカセを並べて煙に巻いたようだ。
少なくとも生徒たちには大ウケで、その時はみんなやたらと書写に力が入っていた。それを考えれば授業としては成功していたのかもしれない。
「ちなみに噂には、その部屋に足を踏み入れた女子高生は二度と外に出られなくなるというものがあるが、もちろんただの噂なので気にすることはない」
いちいちよけいなことを口にする篤也。
さすがに朋子は薄気味悪そうな顔をした。臆病にはほど遠い彼女だが、この世に怪事件が実在することを知っている身としては、かえって気になるのだろう。
「わたしが試しますよ」
希美が告げて先頭に立って歩き出すが、朋子は慌ててそれを追い越した。
「ダメだよ、希美ちゃん。こういうのは先輩の役目なんだから」
こういうところは頑固な朋子である。後輩が不利益になることは絶対にしない、させない主義を貫き、ジュース一本奢らせてくれない。逆に彼女自身は何かと世話を焼いてくれるので、少しばかりお返しをしたいと思うのだが、こんな役目すら譲ってもらえないようだ。
もっとも実際に何か危険が潜んでいるようならば、篤也が黙っているはずもない。彼は元々その筋のプロなので危険に対しては希美以上に敏感だ。
念のため希美も部屋に入る前に魔力の流れを分析してみたが、やはり異常はない。
朋子は大きな段ボール箱を抱えたまま、ややおっかなびっくりといった調子で部屋に入ったが、やはり何事もなく外に出てきて、
「OK、大丈夫だった」
得意げな顔で親指を立てた。
「ちっ」
残念そうに舌打ちをする篤也。ふざけているのは朋子にも分かっていただろうが、彼女は容赦なくスネを蹴飛ばした。