目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第7話 火炎魔神イフリータ

 宙を舞った火の玉が、まるで生き物であるかのように篤也に向かって殺到してくる。じゅうぶんに引きつけてから、彼が跳躍すると火の玉は次々に地面に着弾して炎を噴き上げた。

 篤也はコカトリスを肩に乗せたまま無傷で着地を決めたが、芝生に引火した炎は不自然なまでに勢いよく燃え盛っている。

 しばし唖然としていたエイダは我に返ると同時に刑事に向かって叫んだ。


「やっぱり思い切り放火犯じゃないですか! 言行不一致も甚だしい!」

「違う! これはあいつの力なんだ! 俺があいつの近くで火を使うと、いつもこうなってしまうんだ!」


 ライターを片手に反論する刑事。そこからさらなる火の玉が飛び出して宙に舞う。

 篤也は麦わら帽子の庇を片手で押し上げながら嘆息した。


「これ以上はない言いがかりだな」

「コケー」


 コカトリスがうなずく。だんだん振る舞いがニワトリ離れしてくる気がするが、この変な生き物については考えるだけ無駄だ。

 そちらには構わず、希美は魔術師としての観察眼を発揮して刑事の力を分析する。

 魔力の流れを見たところ、それは明らかに魔術とは異なる力だった。


幻想使いファンタジスタか」


 幻想使いファンタジスタとは幻想能力ファンタジアと呼ばれる異能力を操る者たちのことだ。一部の人々からは出来損ないの魔法使いとも呼ばれ、基本的にひとつの能力しか持たないが、その固有能力ひとつに関しては侮れないものがある。

 とくにこの刑事の力は炎という攻撃的なものだ。速やかに対処しなければ希美たちはともかく、周囲への被害が馬鹿にならなくなる。

 幸いにも人払いの術が効いているので、人が集まってくる気配はないが、これだけ派手だと遠目にも異常事態と丸分かりだ。

 この手の事件の隠蔽は地球防衛部そのものではなく、部と協力関係にある『円卓』と呼ばれる組織の仕事だが、あまり彼らにも負担はかけたくない。そのためにも、なるべく目立たぬように気をつけながら、迅速に解決する必要があった。

 小さく嘆息してから、希美は懐からカラフルな紋様が描かれたカードを取り出す。それは魔術師の力を高め、より強力な魔術の行使を可能にするための道具で、同種の物の中でも格段に強力な明日香式魔法紙あすかしきまほうしと呼ばれるものだった。

 現在、これを作成できる人間は希美を含めても世界に数人といったところだ。一枚作成するのに七日を必要とする代物で、まとめて制作すれば多少の効率化は図れるが、一度に大量の魔力を消耗することになるので、できれば無駄遣いしたくないアイテムだった。

 しかし、この状況ではしかたがない。

 希美は魔法紙に魔力を流し込むとともに術式を瞬時に組み立てて叫ぶ。


「隠蔽せよ!」


 魔術の行使に呪文を必要としない希美だが、度々その効力を端的に口にすることがある。これは『言葉』そのものにイメージを強化する力があるためだ。

 魔力が精神によって制御される力である以上、イメージは極めて重要で、言葉を口にすることによって威力が増し、効果が安定するのは魔術師に限らず、魔力を持つ者の間では常識だった。

 今回希美が発動させたのは公園の周囲に、この状況を隠蔽するための結界を張り巡らせるためのものだ。結界は遮音効果を持つだけでなく、外側に偽りの風景を映し出す力がある。これによって、この場所は、結界の外の人間からは、人気ひとけのない普通の公園に見えるはずだった。

 もちろん、実際には今も公園では炎が激しく噴き上がっており、灼熱の火の玉が宙を舞っている。


「さっさと火を消しなさい! 公園を火の海にするつもりですか!?」


 エイダが叫ぶが、刑事は的外れなことを口にするだけだ。


「やってるのはあの男だ! 俺には止められない!」

「それはあなたの力です! あなたにしか制御できない!」

「嘘だ! だって、これは俺の言うことなんて聞かない!」


 などと言うわりには、さっきから火の玉は執拗に篤也を狙い続けている。

 それを篤也は鉄棒に跳び乗ったり、すべり台をすべり降りたりしながら、悠々とかわし続けている。

 それを見て刑事はますます猛り狂ってライターを放り出すと、あろうことか懐から拳銃を取り出して篤也に向けた。


「どうしても、このおかしな術をやめないというのなら、もうこうするしかない!」

「いや、どう見ても先生は襲われている方でしょ!?」

「違う! あいつはああやって火の玉と戯れているんだ!」

「引き金を引いてしまったら、さすがにもうシャレではすみませんよ!」


 エイダは篤也を庇うように刑事の前に回り込むと両手を広げて彼を睨みつけた。

 刑事の顔が見るからに強ばり、憎悪に歪む。

 その反応を見て、さすがにエイダは怪訝な表情を浮かべた。

 口惜しげに刑事がつぶやく。


「な、なんで……」

「なんで?」

「なんでお前ら女子高生は、そんな変態がいいんだよ!? 俺の方がぜってえイイ男だっていうのに、いつもいつも人の家ひとんちの隣でイチャイチャしやがってぇーーーっ!!」

「それが本音かよ!?」


 思わず声をあげたエイダに向けて、信じ難いことに刑事は容赦なく引き金を引いた。

 銃声が轟くが発射された弾丸は最初から狙いが逸れている。わざと外したのではない。射撃が下手なだけだ。

 それでもエイダは手の平に魔力を込めると、あえて眼前で弾丸を叩き落とした。流れ弾による二次被害を防ぐためだ。人払いの結界で周囲には誰もいないはずだが、放っておけば何を壊すか知れたものではなく、用心に越したことはない。

 刑事は最初、銃弾が迎撃されたことが分からなかったらしく、外れたと思ってそのまま残りの弾も発射した。

 それをエイダがすべて叩き落としたことで、彼もようやく自分の足下に転がってきた物体の正体に気がつく。それは叩き落とされてへしゃげてしまった弾丸だった。


「バ、バカな……あり得ない。素手で弾を叩き落とすなんて……」


 愕然とした顔で立ち尽くす刑事。

 火の玉も動きを止めている。それだけ見ても誰が、それを操っているか一目瞭然だ。

 篤也は麦わら帽子を被ったままジャングルジムの上で仁王立ちになると、サングラスを外してから告げる。


「バカは貴様だ。今日日の女子高生に拳銃が通じぬことなど今や常識!」

「いや……どこの常識だよ?」


 とんでもないことを堂々と言ってのける顧問の姿を見て、さすがに希美はつぶやいたが、篤也はそのまま平然と続ける。


「こんな当たり前のことさえわきまえぬから、貴様は女子高生に相手にされぬのだ。永世独身刑事デカよ」


 篤也の宣告に刑事が唇を噛む。


「お、俺はそんなにモテなくなんか……」

「フッ……悔しければ、貴様も女子高生のひとりやふたり、はべらせてみるのだな。まあ、そんな冴えない顔では夢のまた夢だろうが。ハーッハッハッハッ!」

「コーコッコッコッコッ!」


 バカにしきった顔で高笑いまで始める篤也。それに合わせてコカトリスまで同じような声を出している。

 エイダは極めて真剣な顔を希美に向けると大真面目に訊いた。


「これって、どちらが悪者でしたっけ?」

「たぶん、両方じゃないかな」


 わりと本気で答えるが、取り押さえるべきなのは刑事の方だ。

 とりあえず魔術で眠らせようかと考える希美だったが、相手は意外に強い魔力を有している。少しばかり高度な術でなければ通用しない可能性があった。

 とりあえず頭の中で術式を思い浮かべるが、ここ最近は怪物の相手ばかりしていたせいか、この手の術は御無沙汰で思い出すのにやや時間がかかる。

 その間に刑事はますます興奮して自棄になったように叫んだ。


「もういい! 変態のくせに女子高生にモテる男も、変態なんかを好きになる女子高生も大嫌いだ! そんなものはみんな消し炭になってしまえ!!」


 その叫びに答えるように、動きを止めていた灼熱の火の玉が再び動き出して、燃えさかる炎とひとつになって凝縮される。


「ちょっと待て! それはもうどう見ても意識して操ってるだろ!」


 エイダが叫ぶ。今日の彼女はツッコミで大忙しだ。


「問答無用ぉぉぉぉっ!」


 刑事の怒声に応えてひとつの塊となった炎はさらに勢いを増して炎の巨人へと変貌する。


「やれ! 火炎魔神イフリータ!」


 刑事は篤也を指差して叫んだ。エイダの言うとおり、どう見ても完全に意識的に操っている。

 それを見て篤也が嗤う。


「イフリートではなく、あえて女性形のイフリータか。よほど女に飢えているようだが、さすがにその女とはいちゃつけまい。燃えて消し炭になるのがオチだからな」

「黙れぇぇぇっ!」


 いきり立つ刑事のリビドーに応えるように炎の巨人から凄まじい熱波が吹き出した。

 かなりの高熱で瞬く間に周囲の芝生が燃え尽き、近くの遊具が溶け始める。

 そしてもちろん、一番近くにいた刑事も黒焦げになりながら吹っ飛んでいた。

 一瞬、イフリータがふり返って硬直したように見えたが、能力者が倒れたことで存在が維持できなくなり、そのまま火の粉となって霧散してしまう。

 それでも引火した炎までは消えなかったが、こちらは希美が冷却系の魔術を使って瞬時に消火した。

 さすがに焼け焦げた公園の惨状はどうにもならないが、後は協力者である円卓の仕事だ。彼らに任せれば数日中には元に近い形に戻してくれるだろう。

 篤也は相変わらずジャングルジムの上から倒れた刑事を見下ろしている。


「なかなかに手強い相手だったが、しょせん貴様は永世独身刑事デカ。希美とエイダを始めとする数多くの女子高生の愛に支えられた私に、貴様のような非モテ男が勝てる道理など最初からなかったのだ」


 勝手に締めくくろうとする篤也だが、さすがに看過できない言葉があったため、希美は指摘した。


「いや、わたしもエイダも先生のことなんてカケラも愛していないからな」

「フッ……そういうことにしておこう。お互い世間体があるからな」


 ニヒルに笑うと篤也はサングラスをかけ直して空を仰いだ。頭に麦わら帽子を被っていなければ、少しは格好良く見えたかもしれない。


「先生の変人は演技だって聞いていたんですけど、あれはもう完全に楽しんでますよね」


 刑事の傍らに屈み込んで安否を確認していたエイダが、立ち上がって呆れたように言った。

 その意見には希美も、まったく同感だった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?