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第2話……星の墓標・母艦の亡魂

「助けていただいたことに、心より感謝します!」


 私は白髪交じりの銀髪の老人に向かって頭を下げる。だが、彼は静かに首を振った。


「いや、助けたのは私ではない。救ったのは我が主だ」


 命の恩人は彼ではないらしい。その言葉に、かすかな警戒心が胸をよぎる。バイオロイドの私は、戦場では冷静さを保つよう設計されているが、この未知の状況には戸惑いを隠せない。


「どうぞ、こちらへおいでなされ」


 老人の穏やかな、しかしどこか威厳のある声に促され、私は彼の後を追った。

 木目が美しい廊下を進み、扉をくぐると、広々とした部屋が現れる。中央には長いテーブルが置かれ、銀の燭台に灯る明かりが、色とりどりの料理を照らし出していた。

 香ばしい肉の匂いと、未知のスパイスの香りが鼻をくすぐる。そして、テーブルの上座には、まるで人形のように小さな少女が座していた。


「まずはお座りなされ」


 老人の言葉に、私はぎこちなく椅子に腰を下ろす。軍の簡素なブリーフィングルームとはまるで別世界だ。だが、座った瞬間、副脳が警告を発した。


【通知】『状況異常。周囲の組成原子配列に異常を検出。センサー点検を推奨。』


 脳内に響く無機質な声。周囲の物質が異常なのか、それとも私のセンサーが故障しているのか。

 戦闘後のダメージが残っている可能性は高い。だが、この部屋の異様な雰囲気は、単なる故障では説明がつかない気がした。


「体はもう大丈夫なのですか?」


 上座の少女の声に、我に返る。彼女の声は柔らかく、どこか好奇心に満ちていた。

 私は慌てて立ち上がり、敬礼の姿勢を取る。


「……あ、助けていただき、誠にありがとうございます!」


 少女は微笑む。象牙色の肌に、ライトブラウンの瞳が輝き、金褐色の髪が燭台の光を浴びてきらめく。まるで絵画から抜け出したような美しさだ。

 だが、その隣に立つ老人の目は、どこか冷ややかだった。


「お元気そうで何よりですな」


 少女の好意的な言葉とは裏腹に、老人は咳払いをして口を開く。


「お嬢様、この傀儡はマーダ連邦の敵性生命体かもしれんぞ!」


 「傀儡」。操り人形。私のことを指すには、なんとも的確な言葉だ。私は地球連合軍の戦術兵器U-837、通称カーヴ。

 人間の手で作られ、戦場で敵を屠るために設計されたバイオロイドだ。だが、老人の言葉には、少女への好意を私が汚すことへの嫌悪感が滲んでいたのだ。


「敵性物体ではないと言ったのは、そもそも爺でしょう?」


 少女が反論する。


「彼の組成構造には、この世界に存在しない物質が含まれていると…」


 存在しない物質?

  私は一瞬、思考が凍りついた。

 私の体は、地球連合の最先端技術で作られたものだ。どういうことだ?


「お前の正体はなんだ?」


 老人の鋭い視線が私を突き刺す。私は反射的に答えた。

「地球連合軍所属、戦術兵器U-837、通称カーヴと申します!」


 「地球連合軍?」


 老人が眉をひそめる。


「聞いたことのない勢力だな。」


 ……何?

 地球連合を知らない?

 彼らの姿は、どう見ても地球人に近い。だが、その言葉は私の常識を根底から揺さぶるものだったのだ。


「ここは一体どこなのですか?」


 今度は私が尋ねる。少女と老人は顔を見合わせ、どこか不思議そうな表情を浮かべた。


「ここは解放同盟軍所属、ライス伯爵領です。」


 少女が凛とした声で答える。

 だが、その言葉は私の頭をさらに混乱させた。解放同盟軍? 伯爵領? 地球連合にそんな地名や組織は存在しない。一体、私はどこにいるんだ?


「まぁ、よい。お主は別次元から来たのだろうて」


 老人は冗談めかして笑うが、少女の表情は硬いままだった。


 「お嬢様、まずはご夕食を」


 メイドたちが静かに動き、コース料理が次々と運ばれてくる。

 新鮮な魚、ジューシーな肉、未知の果実の甘酸っぱい香り。軍の食用固形燃料とは比べ物にならない。

 豊かな風味が口いっぱいに広がる。

 戦場での食事は、ただのエネルギー補給だった。だが、この食卓は、まるで命そのものを祝福する儀式のようだったのだ。


 それでも、私の心は落ち着かない。

 副脳の警告、老人の疑念、少女の好奇心。そして、この「ライス伯爵領」とは何だ?

 別次元という言葉が、頭の中で重く響く。私はスプーンを握りながら、静かに次の展開を待ったのだった。




☆★☆★☆


「はは、カーヴさんの言う『地球』って、ほんと面白そうなところですね!」


 少女の無垢な笑顔が、燭台の柔らかな光に映える。ライトブラウンの瞳には、まるで星々のような好奇心がきらめいていた。


「では、次は木星や火星の話をしましょうか」


 私は微笑み、食事を続けながら地球連合の記憶を語った。木星の渦巻く嵐、火星の赤い砂漠、居住コロニーの無重力回廊。

 戦場での冷たい記憶ばかりだが、少女にはそれがまるで冒険譚のように響くらしい。

 彼女は身を乗り出し、質問を重ねる。老人は時折眉をひそめるが、徐々に会話に引き込まれていく。


 どうやら、私は彼らと全く異なる世界の住人のようだ。

 副脳の組成異常の警告も、この星が私の知る宇宙とは別次元であることを示唆している。

 一瞬、馬鹿げた考えが頭をよぎる――ここは死後の世界なのか? だが、頬をつねれば鋭い痛みが走り、目の前の料理はスパイスの効いた豊かな風味で舌を喜ばせる。

 死後の世界がこれほど生々しいはずはない。


 食卓は次第に温かな空気に包まれた。

 軍の固形燃料とは比べ物にならない、肉や魚の濃厚な味わい。少女の笑い声と、老人の皮肉混じりのコメントが、奇妙な調和を生む。私はバイオロイドなのに、まるで人間のように、このひとときを味わっていた。


 食後、老人が静かに口を開いた。


「お主に尋ねたいことがある。」


「何でしょうか?」


 彼の目は、まるで私の本質を見透かすような鋭さを帯びていた。


「お主が乗っていた、あの戦闘機のことだ。」


 屋敷の中庭に案内されると、そこには私の愛機「シルバーファング」が横たわっていた。

 砂漠の陽光に照らされ、傷だらけの機体はまるで戦場の亡魂のようだった。


 私は技術者ではないが、亜光速エンジンやレールガンの機能を簡潔に説明した。言葉を重ねるほど、少女と老人の表情が真剣になる。


「ふむ…お嬢様、やはりこの機体は我々の技術を遥かに超えている」


 老人が低い声で言う。


「動力炉の構造、素材の組成……、まるで別世界の産物だ」


「やはり、そうなのですね……」


 少女が小さく頷く。

 二人は顔を見合わせ、何か確信を得たようだった。


「もう一つ、お主に見てほしいものがある。」


老人が続ける。


「少し離れた場所になるが…」


「外ですか?」


 私は尋ねた。

 屋敷の豪奢な内装とは対照的な、外の世界の未知に胸がざわつく。


「うむ。ついてこい」


「私に分かるものであれば……」


 私はそう答え、老人の後に続いた。

 居住コロニーを出て、頑丈な車両に揺られること二時間。

 窓の外には、果てしない砂漠が広がっていた。


 灼熱の風が砂を舞い上げ、遠くでラクダに似た奇妙な動物がオアシスで水を飲む姿が見える。

 この星の大気は地球に近く、なのにどこか異質だ。副脳が再び組成異常を警告するが、私はそれを無視した。もはや異常は私の新たな日常なのだ。


 車を降り、灼熱の砂漠を30分歩く。汗は流れない――バイオロイドの体はそんな無駄を排除する設計だ。

 少女は小さな日傘を手に軽やかに歩き、老人は光沢ある石の埋め込まれた杖を突きながら、力強い足取りで進む。


 やがて、彼らが立ち止まった先には、巨大な構造物がそびえていた。


「この宇宙船は何だ?」


 老人の問いに、私は息をのんだ。

 半ば砂に埋もれたその船体は、角ばったモジュール構造と、半格納式の電磁カタパルトを備えている。

 無数の傷跡が刻まれているが、そのシルエットは私の記憶に深く刻まれたものだ。


「これは……、宇宙空母クリシュナです……」


 私の声は震えていた。

 懐かしい母艦。戦友たちの笑顔、艦橋での作戦会議、戦闘の咆哮――全てが脳裏に蘇る。

 だが、ここに墜落しているということは……、クリシュナは撃破されたのか? 仲間たちはどうなった?


「ほう…」


 老人が静かに頷く。

 私は船体に近づき、傷ついた装甲を指でなぞる。砂に埋もれながらも、船は威厳を保っている。まるで私の過去そのものが、この砂漠に沈んでいるようだった。


「やはりな」


 老人が少女に言う。


「お嬢様、この男も、この宇宙船も、この世界のものではない。」


「…!?」


【システム通知】『老人の見解は正しいと推定。現在の惑星の特定は不可能。気候・地理条件に一致するデータなし。地球連合軍各所への通信も不能。結論:別次元への遭難が濃厚。』


 副脳の冷徹な判断が、頭内に響く。地球連合が誇る私の補助AIが下した結論は、信じがたいものだった。

 次元の狭間を越え、全く別の世界に漂着した――そんなことがあり得るのか?


 私は砂漠の風に目を細め、クリシュナの船体を見つめる。この星に、私の母艦が眠っている理由は何だ?

 少女と老人の視線を感じながら、私の心は新たな謎と向き合う覚悟を固めていた。


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