「助けていただいたことに、心より感謝します!」
私は白髪交じりの銀髪の老人に向かって頭を下げる。だが、彼は静かに首を振った。
「いや、助けたのは私ではない。救ったのは我が主だ」
命の恩人は彼ではないらしい。その言葉に、かすかな警戒心が胸をよぎる。バイオロイドの私は、戦場では冷静さを保つよう設計されているが、この未知の状況には戸惑いを隠せない。
「どうぞ、こちらへおいでなされ」
老人の穏やかな、しかしどこか威厳のある声に促され、私は彼の後を追った。
木目が美しい廊下を進み、扉をくぐると、広々とした部屋が現れる。中央には長いテーブルが置かれ、銀の燭台に灯る明かりが、色とりどりの料理を照らし出していた。
香ばしい肉の匂いと、未知のスパイスの香りが鼻をくすぐる。そして、テーブルの上座には、まるで人形のように小さな少女が座していた。
「まずはお座りなされ」
老人の言葉に、私はぎこちなく椅子に腰を下ろす。軍の簡素なブリーフィングルームとはまるで別世界だ。だが、座った瞬間、副脳が警告を発した。
【通知】『状況異常。周囲の組成原子配列に異常を検出。センサー点検を推奨。』
脳内に響く無機質な声。周囲の物質が異常なのか、それとも私のセンサーが故障しているのか。
戦闘後のダメージが残っている可能性は高い。だが、この部屋の異様な雰囲気は、単なる故障では説明がつかない気がした。
「体はもう大丈夫なのですか?」
上座の少女の声に、我に返る。彼女の声は柔らかく、どこか好奇心に満ちていた。
私は慌てて立ち上がり、敬礼の姿勢を取る。
「……あ、助けていただき、誠にありがとうございます!」
少女は微笑む。象牙色の肌に、ライトブラウンの瞳が輝き、金褐色の髪が燭台の光を浴びてきらめく。まるで絵画から抜け出したような美しさだ。
だが、その隣に立つ老人の目は、どこか冷ややかだった。
「お元気そうで何よりですな」
少女の好意的な言葉とは裏腹に、老人は咳払いをして口を開く。
「お嬢様、この傀儡はマーダ連邦の敵性生命体かもしれんぞ!」
「傀儡」。操り人形。私のことを指すには、なんとも的確な言葉だ。私は地球連合軍の戦術兵器U-837、通称カーヴ。
人間の手で作られ、戦場で敵を屠るために設計されたバイオロイドだ。だが、老人の言葉には、少女への好意を私が汚すことへの嫌悪感が滲んでいたのだ。
「敵性物体ではないと言ったのは、そもそも爺でしょう?」
少女が反論する。
「彼の組成構造には、この世界に存在しない物質が含まれていると…」
存在しない物質?
私は一瞬、思考が凍りついた。
私の体は、地球連合の最先端技術で作られたものだ。どういうことだ?
「お前の正体はなんだ?」
老人の鋭い視線が私を突き刺す。私は反射的に答えた。
「地球連合軍所属、戦術兵器U-837、通称カーヴと申します!」
「地球連合軍?」
老人が眉をひそめる。
「聞いたことのない勢力だな。」
……何?
地球連合を知らない?
彼らの姿は、どう見ても地球人に近い。だが、その言葉は私の常識を根底から揺さぶるものだったのだ。
「ここは一体どこなのですか?」
今度は私が尋ねる。少女と老人は顔を見合わせ、どこか不思議そうな表情を浮かべた。
「ここは解放同盟軍所属、ライス伯爵領です。」
少女が凛とした声で答える。
だが、その言葉は私の頭をさらに混乱させた。解放同盟軍? 伯爵領? 地球連合にそんな地名や組織は存在しない。一体、私はどこにいるんだ?
「まぁ、よい。お主は別次元から来たのだろうて」
老人は冗談めかして笑うが、少女の表情は硬いままだった。
「お嬢様、まずはご夕食を」
メイドたちが静かに動き、コース料理が次々と運ばれてくる。
新鮮な魚、ジューシーな肉、未知の果実の甘酸っぱい香り。軍の食用固形燃料とは比べ物にならない。
豊かな風味が口いっぱいに広がる。
戦場での食事は、ただのエネルギー補給だった。だが、この食卓は、まるで命そのものを祝福する儀式のようだったのだ。
それでも、私の心は落ち着かない。
副脳の警告、老人の疑念、少女の好奇心。そして、この「ライス伯爵領」とは何だ?
別次元という言葉が、頭の中で重く響く。私はスプーンを握りながら、静かに次の展開を待ったのだった。
☆★☆★☆
「はは、カーヴさんの言う『地球』って、ほんと面白そうなところですね!」
少女の無垢な笑顔が、燭台の柔らかな光に映える。ライトブラウンの瞳には、まるで星々のような好奇心がきらめいていた。
「では、次は木星や火星の話をしましょうか」
私は微笑み、食事を続けながら地球連合の記憶を語った。木星の渦巻く嵐、火星の赤い砂漠、居住コロニーの無重力回廊。
戦場での冷たい記憶ばかりだが、少女にはそれがまるで冒険譚のように響くらしい。
彼女は身を乗り出し、質問を重ねる。老人は時折眉をひそめるが、徐々に会話に引き込まれていく。
どうやら、私は彼らと全く異なる世界の住人のようだ。
副脳の組成異常の警告も、この星が私の知る宇宙とは別次元であることを示唆している。
一瞬、馬鹿げた考えが頭をよぎる――ここは死後の世界なのか? だが、頬をつねれば鋭い痛みが走り、目の前の料理はスパイスの効いた豊かな風味で舌を喜ばせる。
死後の世界がこれほど生々しいはずはない。
食卓は次第に温かな空気に包まれた。
軍の固形燃料とは比べ物にならない、肉や魚の濃厚な味わい。少女の笑い声と、老人の皮肉混じりのコメントが、奇妙な調和を生む。私はバイオロイドなのに、まるで人間のように、このひとときを味わっていた。
食後、老人が静かに口を開いた。
「お主に尋ねたいことがある。」
「何でしょうか?」
彼の目は、まるで私の本質を見透かすような鋭さを帯びていた。
「お主が乗っていた、あの戦闘機のことだ。」
屋敷の中庭に案内されると、そこには私の愛機「シルバーファング」が横たわっていた。
砂漠の陽光に照らされ、傷だらけの機体はまるで戦場の亡魂のようだった。
私は技術者ではないが、亜光速エンジンやレールガンの機能を簡潔に説明した。言葉を重ねるほど、少女と老人の表情が真剣になる。
「ふむ…お嬢様、やはりこの機体は我々の技術を遥かに超えている」
老人が低い声で言う。
「動力炉の構造、素材の組成……、まるで別世界の産物だ」
「やはり、そうなのですね……」
少女が小さく頷く。
二人は顔を見合わせ、何か確信を得たようだった。
「もう一つ、お主に見てほしいものがある。」
老人が続ける。
「少し離れた場所になるが…」
「外ですか?」
私は尋ねた。
屋敷の豪奢な内装とは対照的な、外の世界の未知に胸がざわつく。
「うむ。ついてこい」
「私に分かるものであれば……」
私はそう答え、老人の後に続いた。
居住コロニーを出て、頑丈な車両に揺られること二時間。
窓の外には、果てしない砂漠が広がっていた。
灼熱の風が砂を舞い上げ、遠くでラクダに似た奇妙な動物がオアシスで水を飲む姿が見える。
この星の大気は地球に近く、なのにどこか異質だ。副脳が再び組成異常を警告するが、私はそれを無視した。もはや異常は私の新たな日常なのだ。
車を降り、灼熱の砂漠を30分歩く。汗は流れない――バイオロイドの体はそんな無駄を排除する設計だ。
少女は小さな日傘を手に軽やかに歩き、老人は光沢ある石の埋め込まれた杖を突きながら、力強い足取りで進む。
やがて、彼らが立ち止まった先には、巨大な構造物がそびえていた。
「この宇宙船は何だ?」
老人の問いに、私は息をのんだ。
半ば砂に埋もれたその船体は、角ばったモジュール構造と、半格納式の電磁カタパルトを備えている。
無数の傷跡が刻まれているが、そのシルエットは私の記憶に深く刻まれたものだ。
「これは……、宇宙空母クリシュナです……」
私の声は震えていた。
懐かしい母艦。戦友たちの笑顔、艦橋での作戦会議、戦闘の咆哮――全てが脳裏に蘇る。
だが、ここに墜落しているということは……、クリシュナは撃破されたのか? 仲間たちはどうなった?
「ほう…」
老人が静かに頷く。
私は船体に近づき、傷ついた装甲を指でなぞる。砂に埋もれながらも、船は威厳を保っている。まるで私の過去そのものが、この砂漠に沈んでいるようだった。
「やはりな」
老人が少女に言う。
「お嬢様、この男も、この宇宙船も、この世界のものではない。」
「…!?」
【システム通知】『老人の見解は正しいと推定。現在の惑星の特定は不可能。気候・地理条件に一致するデータなし。地球連合軍各所への通信も不能。結論:別次元への遭難が濃厚。』
副脳の冷徹な判断が、頭内に響く。地球連合が誇る私の補助AIが下した結論は、信じがたいものだった。
次元の狭間を越え、全く別の世界に漂着した――そんなことがあり得るのか?
私は砂漠の風に目を細め、クリシュナの船体を見つめる。この星に、私の母艦が眠っている理由は何だ?
少女と老人の視線を感じながら、私の心は新たな謎と向き合う覚悟を固めていた。