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第3話……傭兵の契約

 館に戻ると、木の温もりに満ちた応接室に通された。

 メイドが静かに運んできたお茶の湯気が、ほのかな花の香りを漂わせる。燭台の明かりが、部屋に柔らかな陰影を投げかけていた。


「ところでお主、話があるのだが……」


 フランツ――白髪交じりの銀髪の老人が、穏やかだがどこか探るような視線で私を見据える。


「はい、何でしょうか?」


 私は背筋を伸ばし、応えた。バイオロイドの体は疲れを知らないが、この未知の世界でのやり取りには、どこか人間らしい緊張感が伴う。


 フランツは一呼吸置き、言葉を紡ぐ。「我々解放同盟軍は、膨大な戦力を持つマーダ連邦軍に長年苦しめられている。お主の力を借りたい。共に戦ってはもらえぬか?」


 その口調は丁寧だが、背後に重い決意の必要を感じさせた。

 食事の席で、私は自分が地球連合軍の戦術兵器、戦闘用バイオロイドだと明かしていた。戦いは私の本質そのものだ。

 だが、この申し出はあまりにも唐突で、別の次元での戦いに身を投じることに一抹の躊躇がよぎる。


 念のため、副脳に確認を取る。地球連合軍の軍規に違反する可能性は排除しておきたい。

【システム通知】『本世界での行動は、地球連合軍の規則に規定なし。自由に判断してください。』


 ……なんとも投げやりな回答だ。

 副脳の冷徹なロジックが、まるでこの状況を嘲笑っているかのようだった。

 私は一瞬考える。帰るべき母艦は砂漠に眠り、地球連合との通信は途絶えている。この星で生き延びるには、まず新たな拠点が必要だったのだ。


「ええ、帰る場所もありません。引き受けましょう。ただし……」


 私の言葉を遮るように、フランツが頷く。


「分かっておる。あの宇宙船――お前の愛機と、あの『クリシュナ』を返せばよいのだな?」


 私は驚きを隠せなかった。シルバーファングと、砂に埋もれた母艦クリシュナ。どちらも私の過去そのものだ。それを無条件で返還してくれるというのか?


「さらに、報酬も必要だろう」


 フランツが続ける。


「我々の財力では高額は払えぬが、日払いでよければ、まずはそれでどうだ?」


「ええ、構いません。」


 私は即答した。金銭の価値など、この世界では皆目見当がつかないが、生きるための手段が必要なのは確かだ。

 フランツが差し出した契約書に、副脳が通訳した文面が映し出される。『日雇い傭兵契約』。

 一日あたり25,000クレジットと記されている。高額なのか、微々たるものなのか、判断する材料はない。それでも、私はサインを済ませた。


 その過程で、少女の名がセーラ・ライス、ライス伯爵家の当主であること。そしてフランツがその家宰兼執事であることが明らかになった。

 セーラの象牙色の肌と金褐色の髪が、燭台の光に揺れる。彼女の無垢な笑顔には、伯爵家を背負う重圧が微塵も感じられない。一方、フランツの鋭い視線には、彼女を守るための揺るぎない決意が宿っていた。


「……では、頼んだぞ」


フランツの声は低く、だが力強い。


「はい、よろしくお願いします!」


 こうして私は、ライス伯爵家の傭兵として新たな戦場に身を投じることを決めた。

 砂漠に眠るクリシュナの亡魂と、別次元のこの星。

 私の副脳は冷たく事実を告げる――私は次元の狭間を越え、帰るべき世界を失った。だが、セーラの笑顔とフランツの信頼を前に、戦士としての本能が再び目覚めつつあったのだ。




☆★☆★☆


 翌朝、朝食の香ばしいパンの匂いに包まれながら、フランツが静かに近づいてきた。銀髪をきっちり整えた彼の目に、どこか試すような光が宿っている。


「カーヴ殿、早速だが、今日の仕事を頼みたい。」


「どんな仕事でしょうか?」


 フランツが差し出したモニターには、この星――アーバレストの地図が映し出されていた。

 この惑星は未開拓地が98%を占める荒々しい世界で、農業プラントの敷設を阻む野生生物の排除が私の初任務だという。


「スペース・バイソンという野生牛を狩ってほしい。開発の障害になっている。」


「野生牛ですか? 了解しました。任せてください!」


 モニターに映る地図を一瞥し、私は頷いた。

 初仕事が牛の退治とは、数々の宇宙戦艦を屠ってきた私には拍子抜けだが、給料分の働きは果たさねばならない。


「武器はこれしかないが……」


 フランツが差し出したのは、レトロな火薬式の小口径ライフルだった。


「牛なら、これで十分ですよ」


 私は笑って受け取る。


「ついでに肉も回収しますか?」


「うむ! ぜひ頼む!」


 フランツの声に、わずかな期待が滲んでいるようだった。


 意気揚々と初任務に臨む私だったが、この選択が甘かったことを、すぐに思い知ることになる。



 三時間後。


「拍子抜け」とは、なんという愚かな考えだったのか。

 荒野に現れた「スペース・バイソン」は、全長12メートル、全高6メートルの怪物だった。

 数十頭の群れが、砂塵を巻き上げながら地響きを立てて佇んでいる。その姿は、戦艦の装甲を思わせるほど頑強で、目は赤く輝き、まるで私を嘲笑うようだ。


――ダン!


 遠くから一頭の頭部を狙って撃つが、火薬式の弾丸は硬い皮膚に弾かれただけで、効果はゼロ。バイソンは一瞬こちらを睨み、すぐに反応した。


「モウ!?」


 ……まずい、気づかれた!

 数十頭の巨獣が一斉に土煙を上げ、猛然と突進してきた。地面が揺れ、砂が視界を覆う。


「怖えぇ!」


 私は慌てて内燃機関式のジープに飛び乗り、アクセルを床まで踏み込む。エンジンが悲鳴を上げ、なんとかバイソンの群れを振り切った。

 バイオロイドの強化された反射神経がなければ、即座に踏み潰されていただろう。


 館に戻ると、フランツが快活に笑いながら出迎えた。


「はっはっは! 駄目でしたか!」

「いや、その……」


 私は言葉に詰まる。元地球連合軍のベテラン兵士が、牛に敗れるとは。屈辱が胸を焼く。


「舐めやがって……」


 私は中庭に佇む「シルバーファング」に駆け寄り、機体から20mm長砲身ビームライフルを取り外した。

 対装甲車用の重火器だ。強化繊維のボディでも、その重量に肩が軋む。だが、この程度の痛みは戦場では日常だ。


 ジープにライフルを積み、風下の丘陵に急ごしらえの二脚銃架を設置する。副脳が大気温、風速、湿度を瞬時に解析し、照準誤差を補正。

 紫色の光を帯びた重粒子エネルギー徹甲弾を装填し、トリガーを引き絞った。


――ダンダンダン!


 腹の底に響く重低音。

 簡易電磁防壁をも食い破る光弾が、バイソンの群れに吸い込まれる。

 巨獣たちは爆音とともに吹き飛び、赤黒い体液と肉片を撒き散らした。

 私は高周波ブレードを手に、弱ったバイソンに止めを刺していく。血と砂にまみれながら、戦士の本能が再び目覚める。


「任務完了!」


 血まみれの服のまま館に戻り、フランツに大型トラックを借りた。

 88頭のバイソンの肉を急いで運ぶため、何往復もしたのだ。


 常温では腐敗が早い。この星の食糧事情は厳しく、肉は貴重な資源だ。精肉業者が手際よくミンチに加工し、ライス家の冷凍庫にも大量の肉が運び込まれた。


「おお、素晴らしい働きだ!」


 フランツが笑顔で褒める。


「……はは、ありがとうございます。」


 私は照れ笑いを浮かべる。人から認められるのは、バイオロイドの私でも悪い気はしない。


 遠くで、セーラとフランツの会話が耳に届く。強化聴力のおかげだ。


「お嬢様、しばらくは肉料理に困りませんな!」


「そうね、フランツ。そしてこのカーヴという男、かなり使えるわね」


 セーラの言葉に、胸の奥が温かくなる。兵器として生まれた私が、誰かの役に立つ――それは、どこか人間らしい喜びだった。


 その晩、シルバーファングの整備に取り掛かる。

 油と砂にまみれながら、愛機の傷を点検する。副脳が淡々と報告する。


【システム通知】『暫定的に飛行可能と判別。ただし、運用には代替燃料が必要。燃料タンクに複数の破孔を確認。』


 ……燃料さえ手に入れば、再び空を飛べるかもしれない。


 だが、破損したタンクを前に、私は小さくため息をつく。この星で、地球連合の技術に適合する燃料は存在するのか?

 セーラの笑顔と、砂漠に眠るクリシュナを思い出しながら、私は新たな世界での一歩を踏み出していた。



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