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第4話……艦内の亡魂とサンドイッチ

「よっこらしょ……」


 数日間、私は砂漠に半ば埋もれた宇宙空母クリシュナの整備に没頭していた。


 灼熱の陽光の下、船体の傷を点検し、システムを診断する。だが、船内をざっと調べた限り、生存者どころか死体すら見当たらない。

 不思議なことに、艦内はまるで時間が止まったかのように清潔で、静寂が重く漂っていた。戦友たちの笑顔が脳裏をよぎるが、クリシュナはただ黙して過去を語らない。


【システム通知】『主要システムの70%が機能停止。燃料供給ラインに破損あり。復旧には外部資源が必要。』


 副脳の冷徹な報告に、私は小さくため息をつく。この星で、地球連合の技術に適合する資源は存在するのか? それでも、愛機シルバーファングとこの母艦は、私の過去と繋がる唯一の絆だ。放棄するわけにはいかない。


「カーヴさん、お邪魔してもいい?」


 突然、ハッチの向こうから声が響く。振り返ると、ライス伯爵家の当主、セーラが顔を覗かせていた。金褐色の髪が、艦内の薄暗い照明にきらめく。


「お嬢様、どうぞ!」


 私は慌てて敬礼の姿勢を取る。


「セーラでいいわよ?」


 彼女はくすっと笑う。


「と、とんでもない!」


 雇われ傭兵の私が、主人を気軽に名前で呼べば、フランツの鋭い視線に貫かれそうだ。セーラはそんな私の反応を面白がるように微笑む。


「もうすぐお昼でしょ? サンドイッチを作ってきたの!」


「ありがとうございます!」


 私は心から感謝する。戦場では固形燃料で済ませていた私が、こんな温かな心遣いを受けるなんて。

 セーラが持ってきた籠には、二人分のサンドイッチと果実の香りのする飲み物が詰まっていた。


 私は彼女を艦長室に案内する。幸い、エレベーターを動かす程度の予備エネルギーは残されていた。艦長室の広い窓からは、砂漠の地平線が果てしなく広がっている。


「どうぞ、召し上がれ」


「いただきます!」


 私は好物の卵サンドに手を伸ばす。柔らかいパンの感触、ほのかなマスタードの風味が舌を喜ばせる。

 あの戦闘後のサンドイッチに不満を覚えたあの時とは違い、今は素直に美味いと思えた。


「美味しいです!」


「お口に合ってよかった」


 セーラの笑顔が、艦長室の無機質な空気を温める。

 私たちは談笑しながらサンドイッチを頬張り、食後のお茶を啜る。


 地球連合の話、木星の嵐、戦艦の轟音――私の過去は、彼女にはまるで遠い星の物語のようだ。


「失礼かもしれないけど…カーヴさんは、機械なの? 生き物なの?」


 セーラの唐突な質問に、私は一瞬言葉に詰まる。彼女のライトブラウンの瞳には、純粋な好奇心が宿っている。


「一応、分類は機械です。人間ではない。けれど、こうして人と関われるよう、食べ物や飲み物からエネルギー補給できるように設計されているんです。」


「へぇ、すごい!」


 セーラの笑顔は屈託がない。まるで私の存在自体が、彼女にとって新しい冒険のようだ。

 その瞬間、油断した私が食後のリンゴを床に落とす。刹那、黒い影が素早く忍び寄った。


「……え!?」


 セーラが驚きの声を上げるが、私は反射的にその影を捕まえる。


「ぽこ!?」


「お前……、ポコリン!?」


 それは、クリシュナの前艦長が飼っていたペットのタヌキだった。ふわふわの毛に、つぶらな瞳。だが、空腹になると牙を剥く、食いしん坊のトラブルメーカーだ。


「ぽこぽこ!」


 ポコリンが尻尾を忙しなく振る。


「この子、かわいい!」


 セーラがポコリンを抱き上げ、嬉しそうに撫でる。


「空腹になると狂暴化するんで、気をつけてくださいよ」


 私は警告するが、セーラは笑いながらポコリンを抱きしめた。


「はは、食いしん坊さんなのね!」


 人間は一人も見つからなかったのに、なぜタヌキが生き残っている? クリシュナの生存者第一号が、こんな小さな毛玉だなんて。皮肉な現実を前に、私は苦笑した。


 セーラはその後、ポコリンと遊びながらしばらく艦内に留まり、やがてコロニーの館へと帰っていった。彼女の笑顔が、静寂に包まれたクリシュナに一瞬の温もりを残したのだった。




☆★☆★☆


 午後からも、私は砂漠に埋もれた宇宙空母クリシュナの整備に没頭していた。

 灼熱のアーバレストの陽光の下、汗は流れないが、強化繊維のボディが熱に軋む。


 マーダ連邦との戦いが迫る中、この船の戦力はライス伯爵家にとって切り札になる。いや、私にとっても、過去と繋がる唯一の希望だ。


 クリシュナは、亜光速戦闘機12機(予備4機)を運用する打撃型宇宙空母だ。

 全長300メートル、全幅76メートルと、巨艦ではないが、前面装甲厚28,975ミリの重装甲が自慢だ。

 このフロントヘビーな設計は、格上の敵との砲撃戦を可能にする。主兵装は艦首固定式25cmビーム砲32門、上部甲板には36cm連装レールガン3基。さらに、艦体外壁のハードポイントには追加装備を搭載可能。


 コンパクトながら強靭で、戦闘力は連合軍でも評価が高かった名艦なのだ。


「……ふう、エンジンは問題なし!」


 主機である対消滅機関を点検する。副脳の診断によれば、通常航行に影響する損傷は見当たらない。

 だが、問題はそこではない。クリシュナは動かない。まるで心臓を失った巨獣のように……。

 そう、始動するためのキーが欠けているのだ。


「どこにあるんだ…?」


 私は艦内を隅々まで調べ始めた。クリシュナは宇宙軍艦としては小型だが、探し物をするには膨大な容積だ。

 艦橋、機関室、格納庫――どこにも鍵の痕跡はない。戦友たちの気配も、ただの静寂に飲み込まれている。


「ぽこぽこぽん!」


 ふと背後で小さな足音。振り返ると、ポコリンがちょこちょことついてきていた。つぶらな瞳で私を見上げるその姿は、前艦長のペットそのものだ。


「餌か? さっきサンドイッチ食っただろ」


 私は苦笑するが、ふと閃く。


「……待てよ。ポコリン、お前は艦長のペットだったな!?」


「ぽんぽこ!?」


 私はポコリンを抱き上げ、艦橋へと駆け上がる。艦長用の戦術モニターに、ポコリンの小さな肉球を押し付けた。

 生体認証――艦長のペットなら、アクセス権が登録されている可能性があるのだ。


『キー照合完了! 打撃空母クリシュナ、再起動いたします!』


 ……や、やった! 動いた!


 艦内の電灯が次々に灯り、制御パネルのディスプレイが光を放つ。各種機器の低いうなり声が響き合い、空調が動き始めたことで、砂漠の熱気が和らいでいく。私はポコリンを抱きしめ、思わず笑った。


「やるじゃないか、ポコリン!」


『新任艦長名の登録をお願いいたします!』


「おっと…?」私はモニターに「カーヴ」と入力し、生体認証も登録する。


『登録完了!』


 続けて、主機の対消滅機関の始動スイッチを押した。


『メインエンジン始動! 各種兵装にエネルギー供給を開始!』


 艦橋外部の「艦長不在」ランプが消え、船体のランプが次々に点灯。対消滅機関はほぼ永久機関であり、ありとあらゆる物質を燃料に変換可能だ。

 クリシュナは、まるで長い眠りから目覚める巨獣のように息を吹き返した。


 手続きを終えた頃、外はすでに暗闇に包まれていた。だが、その闇を裂くように、クリシュナのランプが赤い砂漠を照らし出す。まるで黎明の光だった。



「大気圏ブラスター始動! クリシュナ、発進せよ!」


『了解! 発進!』


 私の声に戦術モニターが反応。

 艦首がゆっくりと持ち上がり、砂に埋もれていた船体が重々しく浮上する。


 地響きとともに、クリシュナが惑星アーバレストの空に舞い上がった。艦橋の窓から見える砂漠の地平線が、星々の下で揺らめく。


 私はポコリンを肩に乗せ、艦長席に座る。

 セーラの笑顔、フランツの信頼、そしてこのクリシュナ――別次元に漂着した私に、新たな拠り所たる母艦が与えられたのだ。


 マーダ連邦との戦いはきっと近いだろう。


 ……そして、今、クリシュナの鼓動を感じながら、私の戦士の血が再び燃え上がっていた。



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