「ありがとうございます!」
「本当に助かりました!」
「いえ、少ないですが…」
惑星アーバレストの人口1200万のうち、85%は8つの居住コロニーのドームに暮らし、残り15%は砂漠に点在する小さな集落に住んでいる。
私はクリシュナを操艦し、これらの集落に飲料水を配給して回った。タンクに満ちた淡水は、クリシュナの海水淡水化装置が生み出した命の源だ。
「ありがたい、ありがたい!」
「お兄さん、ありがとう!」
集落の人々の熱烈な感謝が、私の胸を熱くする。
惑星アーバレストの水不足は深刻で、笑顔と涙で迎えられるたび、その重みを痛感した。
戦場で敵を屠ってきた私は、一般人から疎まれ、恐れられる存在だった。
だが、ここでは違う。給料以上の報酬――人々の笑顔が、私の心に深く刻まれるのだ。
私はクリシュナを操り、水だけでなく食料や医療品も配給する。
どの集落でも歓迎され、戦士としてではなく、希望の使者として見られる感覚は、バイオロイドの私にすら新鮮だった。
夕刻。赤い砂漠に陽が沈む。
『着陸予定地点の変更を確認! 速度減速、微速0.02%。』
『こちら管制塔、クリシュナの入港を許可!』
「了解!」
初めて、クリシュナは荒野ではなく、ライス伯爵の館がある第一コロニーの空港に降り立つ。
誘導灯が規則正しく点滅し、まるで私を歓迎する光の道のようだ。
艦橋の窓から見えるコロニーの夜景は、星々の輝きと溶け合い、息をのむほど美しい。
『C-7番区画へ移動してください!』
「了解!」
クリシュナは牽引車に導かれ、空港の片隅に静かに収まる。私は艦橋から降り、フランツに出迎えられた。
「カーヴ殿、ご苦労様」
彼の声には、いつもの厳しさの中に温かみが滲む。
「ありがとうございます」
私は軽く敬礼した。この日、私はまるで英雄のような気分だった。
簡易寝台に転がり、安物の葡萄酒を傾ける。酸っぱい味が、疲れた体に染みる。明日が休みだ。何をしようか。セーラの笑顔、ポコリンの「ぽこぽこ」、そしてクリシュナの鼓動を思い出しながら、瞼が重くなる。
翌日。
休日とはいえ、することがない。
私はクリシュナの整備に向かった。この艦の技術はアーバレストの文明を遥かに超えている。
空港の整備員に一部を任せるが、根本的な作業は私一人でこなすしかない。
「何か食い物でも残ってないかな…」
艦の食料冷凍庫を開ける。そこには、地球連合の保存食やスペース・バイソンの肉が眠っている。だが、ふと視界の端に異様なものが映った。
「…!?」
二足歩行のブタ型バイオロイド。冷凍庫の中で、氷に閉ざされたまま眠っている。
見覚えのある姿――クリシュナの料理担当、ブルー2等宙曹だ。
『蘇生工程を開始します!』
私は急いで彼を自動医療システムに運び、解凍と蘇生を試みる。
急速冷凍が適切なら、生き返る可能性は高い。システムが稼働し、モニターに生命反応が戻った。
「……ブヒ!? ここはどこだ?」
「おはよう、ブルー。よく眠れたか?」
ブルーはビア樽のような体を起こし、柔らかなブタの肌を震わせる。得意料理はカツサンド。だが、たまにマスタードを忘れるのが玉に瑕だ。
「あっ、カーヴ准尉!」
彼は私を見て敬礼する。私は敬礼を返し、この別次元での状況を説明した。
アーバレスト、ライス伯爵領、クリシュナの漂着。そして、生存者が私とポコリンだけだったこと。
「……つまり、ここは遠い星か、次元が違う世界ってことですかい?」
「たぶん、な……」
ブルーは物質サンプルのデータを見て目を丸くする。未知の物質、異なる物理法則。この星が地球連合の宇宙と隔絶している事実に、彼も私と同じく衝撃を受けたようだった。
「他の乗組員は…?」
「分からない。今のところ、お前と私だけだ。」
ブルーは寝ぼけたような目をこすり、窓の外のアーバレストの空を見つめる。
その視線には、故郷を失った寂しさが滲んでいた。
☆★☆★☆
翌日。
第一コロニーの館で、フランツにブルーを紹介した。
「ようこそ、ブルー君。カーヴ殿の手伝いを頼む!」
「はい、了解しました!」
ブルーがビア樽のような体を揺らし、敬礼する。
途中、セーラとも顔を合わせた。
「ブルーさん、よろしくね!」
「はい、お嬢様!」
ブルーは少し緊張した様子で、ブタの鼻をヒクヒクさせながら挨拶を返す。セーラの無垢な笑顔が、館の応接室を明るくした。
「……で、旦那、仕事って何ですかい?」
ブルーが私に尋ねる。彼の「旦那」は、地球連合軍での階級差からくる呼び方だ。准尉の私が、2等宙曹の彼より上だからだ。
「今日の仕事はこれだ!」
私はコロニーの倉庫に積み上げられた、ドラム缶の山を指す。真水を満載した無数のドラム缶を、待機するトラックに積み込む任務だ。
「げげげ! すげえ数! 文明的な仕事じゃねえですぜ!」
ブルーが目を丸くする。
「はは、そもそも俺たちは人間様じゃない。まぁ、頑張ろうぜ!」
「ブヒ!」
ブルーが気合を入れる。
灼熱のアーバレストの陽光の下、汗は流れないが強化繊維のボディが軋む。私とブルーは、ドラム缶を一つ一つトラックに積み上げた。午前中だというのに、コロニーの外はまるで溶鉱炉のようだった。
「ありがとう!」
「おかげで助かります!」
集落での水配給は、いつも通り熱烈な感謝で迎えられる。ブルーは最初こそ戸惑っていたが、笑顔と涙に迎えられるたび、ブタの鼻を誇らしげに鳴らす。
「旦那、意外とこの仕事、悪くねえですね!」
「だろ? 暑さが玉に瑕だがな。」
「違ぇねえ!」
陽が沈むまで、私たちは笑い合いながら水を配った。給水所のトラックに群がる人々の列は、果てしなく長かった。だが、その笑顔が、私たちの胸に温かな達成感を刻む。
数日後。
フランツが新たな任務を携えて現れた。
「カーヴ殿。お嬢様と決めたことだが、君にA-22地区の開発を任せたい。」
彼が広げた地図は、第一コロニーの近くの荒れ地を示していた。
「具体的に何をすれば?」
「詳細は君に任せるが、練兵場を整備してほしい。いずれ、マーダ連邦を倒さねばならん」
フランツの声には、静かな決意が宿る。
ライス伯爵家が属する解放同盟軍の歴史を、彼は語った。
元は王家を中心とした勢力だったが、首都星系がマーダ連邦の奇襲で占領され、王家は行方不明。各星系の貴族たちが立ち上がり、自由解放同盟を結成し、抵抗を続けているという。
「でもよ、旦那、マーダ連邦ってどんな奴らです? ひょっとしたら良いヤツじゃねえですかい?」
ブルーがフランツに尋ねる。
フランツは無言でモニターのスイッチを入れる。映し出されたのは、紫色の皮膚と黄色い眼球を持つ異形の兵士たちだった。
「げげ!?」
ブルーが後ずさる。
「ちなみに、彼らは我々を喰う…」
フランツの声は冷ややかだ。
「……戦うしかねえですな!」
ブルーの鼻が震える。
食うか食われるか。戦場を知る私には、聞き慣れた言葉だ。
だが、この異世界での戦いは、地球連合のそれとは異なる何かを感じさせた。
セーラの笑顔、ブルーの鼻息、ポコリンの「ぽこぽこ」。この星での絆を胸に、私は新たな任地への覚悟を固めたのであった。