冷や汗が背中を伝う。私は宇宙船の残骸の出口を目指し、薄暗い通路を慎重に進んでいた。人工心臓の鼓動が耳に響き、走りたい衝動を必死に抑える。
暗闇に支配されたこの廃船は、まるで敵の巣窟そのもの――マーダ星人の牙が潜む虎の口だ。
それでも、ここを抜ければ光明が待っている。私はその確信だけを胸に、視界の先に星の微光を探した。
「……ん!?」
通路の先に、微かだが星々の瞬きが見えた。出口だ! 思わず緊張が緩み、足が自然と駆け出す。
だが、その瞬間――
ズドン!
頭上の空調ダクトから閃光が迸り、エネルギー弾が私の左腕を貫いた。激痛が脳を突き抜け、握っていたブラスターが床に転がる。
「くそっ、痛ぇ……!」
左前腕から機械油が噴き出し、滴り落ちる。アンドロイドの身体とはいえ、損傷は深刻だ。握力はほぼ失われ、丸腰の私は絶体絶命だった。
「アハハ! 愚かな奴め! 油断したその瞬間を待ってたぞ!」
マーダ星人の隊長格が、空調ダクトから跳び下り、金属の床に着地した。異形の顔に浮かぶ嘲笑。その異形の目が、黄色い輝きを放ちながら私を見下ろす。
奴のエネルギー銃が、私の命を仕留めるべくゆっくりと向けられた。
「貴様ら、なぜ人間を執拗に攻撃する!?」
私は傷ついた左腕を押さえ、最後の抵抗とばかりに叫んだ。すると、意外にもマーダ星人が口を開いた。
「我々ノ使命ハ、貴様ラ人間ノ滅亡ダ! 貴様ラガ先ニ、我々ヲ滅ボソウトシタノダ!」
「なんだと!? そんな話、初耳だぞ!」
「……チッ、余計ナコトヲ喋リスギタカ。マアイイ、死ンデカラ悔ヤムガイイ!」
マーダ星人の目が妖しく輝き、その銃口が赤く発光し始めた。だが、その刹那――私の口から、眩い光が迸った。
ズガシャァアア!
「ギギ……、ギャアア!」
私の切り札――口腔の奥に隠した超小型荷電粒子砲が、マーダ星人の頭部を吹き飛ばした。
奴の顔は無残に焼け焦げ、金属と肉の混ざった異臭が通路に漂う。
「貴様、卑怯ナ……!」
マーダ星人が呻きながらよろめく。私は床に落ちていたブラスターを拾い上げ、奴の頭を撃ち抜いた。さらに、踵で喉元を踏み砕き、完全に息の根を止めた。
「ふっ、卑怯だと? 戦場の勝者にそんな言葉は最上の褒め言葉だ。」
私は左腕に応急処置を施し、よろめきながら出口へ向かった。通信機を起動し、クリシュナで待つ相棒ブルーに連絡を入れる。
「ブルー、迎えに来てくれ。急げよ」
やがて、夜空の雲を割って、クリシュナの巨大な船体が姿を現した。星明かりに鈍く輝くその姿は、まるで救いの神のようだった。
『旦那! 無事だったか!?』
ブルーの声が通信機越しに響く。
「ああ、なんとか生き延びた」
艦内に戻ると、傷の手当てを終えた私は、ブルーが用意してくれた熱々の夜食にありついた。金属のテーブル越しに、星々が瞬く宇宙を眺めながら、ほのかな安堵が胸を満たしたのであった。
――翌日。
惑星ドーヌルの軍調査隊が、廃宇宙船の残骸に情報収集のため降り立った。私はマーダ星人との戦闘の経緯を説明するため、調査隊の詰所に呼び出された。
結果、細かな報告書作成と尋問まがいの事情聴取で、ドーヌルに足止めを食らうことに……。
結局、惑星を離れられたのは、実に二週間後のことだった。
三週間後。
「ただいま戻りました!」
惑星アーバレストのライス伯爵邸に足を踏み入れると、応接室に車椅子姿のフランツ老人がいた。
「おお、カーヴ殿! ご苦労だったな!」
フランツさんの声は温かみに満ちていた。
「フランツさん、もう身体は大丈夫なんですか?」
私は彼の顔を覗き込み、尋ねた。
「いや、医者にはまだ安静にしろと言われているがな。カーヴ殿、お前もあの廃船で大変な目に遭ったと聞いたぞ!」
フランツさんは屈託のない笑顔を浮かべ、皺の刻まれた顔に活気を帯びさせた。
「ええ、まあ……、ちょっと不覚を取りましてね。ははっ」
私は左腕の傷を思い出し、苦笑いを浮かべる。
「いやいや、こうして我々が生きて再会できた。それこそが、お前さんの功績だよ。」
フランツさんの手が私の肩を軽く叩く。その手は、以前より細く、髪には白さが目立つようになった気がした。
歳月の重さが、彼の姿に影を落としている。
「カーヴ殿。私の身に何かあったときは、お嬢様を頼むぞ。」
「そんな縁起でもないことを!」
私は慌てて遮ったが、フランツさんの目は真剣だった。
「気持ちはわかる。だが、私はもう長く前線に立つことはできん。ネメシスたちの事もある。な、頼む、カーヴ殿」
フランツさんを負傷させた過去の負い目が胸を締め付ける。私は渋々頷いた。
「……わかりました」
「そうか! これで安心して療養できるわ!」
フランツは快活に笑い、車椅子を軽やかに操る。その後ろ姿は、老いてなお頼もしく、未来の重責を予感させた。
その日、私は地下の総司令部へ向かい、宇宙機雷の設置成功と、ドーヌルでのマーダ星人襲撃について報告した。
フランツさん不在の司令部は、上官がほぼ不在で、どこか閑散としていたが、任務は滞りなく処理されていた。
「カーヴ様、今晩のご予定は?」
ライス伯爵家のメイドが、柔らかな微笑みで尋ねてきた。
「いや、特にないよ。」
「でしたら、お嬢様が夕食にご招待したいと仰っております。」
「それはありがたい! ぜひお招きにあずかりますよ!」
その晩、私はセーラお嬢様の招待で、慰労を兼ねた豪華な夕食の席に着いた。
左腕の傷はまだ疼いたが、美食を前にそんな痛みも忘れそうになる。メインディッシュは魚のムニエル――バジルとバターの香りが織りなす黄金色の逸品だ。
舌の上で溶けるような食感に、私の味覚は完全に降伏した。
前菜のカルパッチョ、スープも絶品で、どれもが惑星アーバレストのわずかに残された豊かな風土を思わせる味わいだった。
残った料理は丁寧に折詰に詰めてもらい、クリシュナで待つブルーに持ち帰ることにした。
ブルーは地球連合軍の料理人だが、凝った料理は苦手だ。こうして本物の味を体験させ、彼の腕にさらなる磨きをかけてほしい――そんな願いを込めて、私はクリシュナの艦内に戻ったのだった。