――ドーヌル。
ユーストフ星系。その第四の惑星。
この星は、かつて他の惑星を故郷としていた者たちが、マーダ連邦の略奪によって故郷を追われ、流れ着いた避難所だった。
だが、ドーヌルの地表は赤茶けた砂漠に覆われ、わずかなオアシスと耕作地は、増え続ける移民たちを養うにはあまりにも乏しかった。
水不足、食糧不足、そして資源を巡る諍い。それはやがて、住民たちの間に亀裂を生み、武力衝突へと発展していった。
さらに最近、周辺宙域を徘徊する不法武装商人の介入により、事態は惑星全土を巻き込む大規模な反乱へと膨れ上がった。
絶望的な状況の中、ドーヌル政府はついに隣接する惑星アーバレストに救援を求めるに至った。
「治安出動!? 本当ですか? フランツさん!」
私は思わず声を上げた。最近の惑星アーバレストの田舎暮らしは、平和そのもの。
こんな場所で治安出動なんて、まるで宇宙船が農場に墜落するくらいありえない話となっていたのだ。
「……ああ、冗談じゃないよ」
フランツさんは、いつもの軽い口調で肩をすくめた。
「隣の惑星――いや、正確には二つ隣のドーヌルでの話だ。状況はかなりまずいらしい。」
彼の目には、普段の優しい光が消え、真剣な影が宿っていた。
「……で、なんで私なんでしょうか?」
私は不思議そうな顔をする。私は地上戦のエキスパートではないのだ。
「他に船がないのだよ、カーヴ殿」
フランツは苦笑いし、ホロパネルの上にドーヌルの地表データを投影した。
赤い砂漠と、点在する戦闘の熱源が映し出される。
「君のクリシュナなら、地上部隊3000人を運ぶ輸送船を安全に護衛できる。この惑星の艦隊は例の戦闘でボロボロで、ドックで修理中だ。老朽艦しか残ってないんだ」
確かに、フランツさんの艦隊は先の戦闘で壊滅的な打撃を受けた。
使える船は、まるで博物館から引っ張り出してきたような骨董品ばかりだ。
一方、私の愛艦クリシュナは、最近は戦闘艦というより浄水システムとしての存在であったのだ。
「水道代が上がるかもしれんが、至急ドーヌルへ行ってくれ!」
フランツさんがニヤリと笑う。
「はっ! 了解しました!」
私は敬礼し、久々に血が沸き立つ感覚を覚えた。
最近は地上勤務ばかりで、まるで足に根が生えたような気分だったのだ。
宇宙の漆黒を駆ける感覚――それが今の私を奮い立たせた。
私は愛車の装輪気動車「ストームランナー」を全速で走らせ、A-22基地へと急いだ。車体が赤い砂塵を巻き上げ、背後には砂嵐の尾がたなびいた。
「おい、ブルー! 起きろ!」
基地の簡素なブリーフィングルームで、机に突っ伏して寝ているブルーを叩き起こす。
彼は目をこすりながら、眠そうな声で呻いた。
「出撃ですかい!? こんな時間に?」
「ああ、惑星ドーヌルでの治安維持任務だ。地上部隊3000人を運ぶのが主な仕事になる」
私は簡潔に状況を説明し、ホロタブレットを手に次の指示を飛ばす。
「ほいほい、了解っす!」
ブルーは気だるげに立ち上がり、装備の点検を始めた。
彼は元コックの何でも屋さんで、こういう任務には慣れっこだ。
今回の出撃は、奴隷商人から解放した兵士たちを動員してのものだった。
惑星アーバレストには、幾ばくかの余剰戦力があったのだ。
「レイ! 武器と食料の計算を頼む!」
「トム! 地上部隊の指揮を任せたぞ!」
「あいよ!」
「了解でさぁ!」
私は部下たちに細かい準備を丸投げし、ブルーと共にクリシュナの待つ桟橋へと急いだ。
クリシュナは、堅牢な汎用性のある特殊宇宙空母。
その戦術コンピュータは、外部の武装したよそ者を嫌う癖がある。だから、3000人の地上部隊は、クリシュナが率いる老朽艦に分乗してもらう手はずだった。
桟橋に到着すると、クリシュナの鈍色の船体が、赤い砂漠の陽光を反射して鈍く輝いていた。
整備クルーが慌ただしく動き回り、接続された随伴艦の準備も進んでいる。
「機関正常!」
「随伴宇宙船、準備よし!」
ブルーの報告が響く。私は操縦席に飛び乗り、コンソールの起動スイッチを叩いた。
「よし、クリシュナ――発進せよ!」
艦は低く唸り、振動と共に地を離れた。赤い砂漠を蹴散らし、砂嵐を突き抜ける。
やがて急速浮上し、視界は漆黒の宇宙空間へ。無数の星々が、クリシュナの進路を静かに見守っていたのだった。
「降下準備、良し!」
ブルーの声がブリッジに響く。コンソールには、艦の各部ステータスを示すホログラムが点滅している。
「管制より入港許可確認! ドーヌル宇宙港、着陸座標を受信!」
今回、副総舵手のレイが、ヘッドセット越しに報告を上げる。
「よし、クリシュナ――降下開始!」
私の号令一下、艦は轟音と共に大気圏へ突入。艦体は灼熱のプラズマに包まれ、視界はオレンジ色の炎に染まる。
クリシュナの外殻装甲は、こうした過酷な環境にも耐えうる設計だが、それでも振動と熱でブリッジの空気が緊張に満ちる。
「大気圏突入 ! 艦体外殻温度、許容範囲内!」
ブルーがモニターを睨みながら叫ぶ。
「よし、タラップ準備! 宇宙港へ接続しろ!」
私は管制の誘導に従い、クリシュナをドーヌルの宇宙港へと滑り込ませた。
巨大な岸壁に艦が接続され、ドッククレーンが動き出す。3000人の地上部隊が、随伴していた老朽輸送艦から次々と降り、整然と隊列を組む。
私とブルーも、ブリッジを離れてタラップを降りた。すると、でっぷりとした中年男性が、汗ばんだ笑顔で出迎えた。
「ようこそ、ドーヌルへ! 私は治安担当のベッツと申します。長旅でお疲れでしょう、さあ、こちらへどうぞ!」
彼の声は妙に甲高く、過剰なほど愛想が良かった。
ベッツに促され、私とブルーは彼の用意した装甲リムジンの後部座席に乗り込んだ。
車内は程よく冷房が効き、革張りのシートが心地よい。
「どこへ行くんです?」
私が尋ねると、ベッツはハンドルを握りながら振り返った。
「カーヴ様ご一行に、最高級のホテルをご用意しております!」
「おっ!? ホテル!? いいじゃねえか!」
ブルーが目を輝かせる。
確かに、アーバレストの簡素な基地暮らしでは、ホテルの「ホ」の字も縁遠い。悪い気分じゃない。
車は砂漠のハイウェイを滑走し、やがて巨大なドーム都市のゲートをくぐった。
そこには、想像を絶する光景が広がっていた。大理石とガラスでできた超高層ビルが林立し、空中にはホバービークルが飛び交う。
こんな豪華な都市が、資源不足のドーヌルにあるなんて――少し違和感を覚えたが、宇宙航行で疲れた頭では深く考える気にもなれなかった。
「こちらがお部屋でございます!」
ベッツが案内したのは、ホテルの最上階にある特別スイートだった。
大理石の床、自動調光のガラス窓、浮遊型のフカフカソファー。備え付けのバーカウンターには、同星系の惑星産の高級ワインが並んでいる。
「こ、こりゃすげえ!」ブルーが目を丸くする。
私も思わず小声で呟いた。
「……酷いホテルだったらどうするって話だったのに、逆の意味で裏切られたな。」
「豪華すぎませんか、これ?」
私がベッツに尋ねると、彼は手を振って笑った。
「いやいや、カーヴ様は我々の救世主、国賓でございます! これくらい当然ですよ!」
確かに、クリシュナで3000人の部隊を運んできたんだ。こういう歓待も納得……、かな?
私とブルーは、ひとまずこの贅沢に身を委ねることにしたのであった。
その夜、ホテルのダイニングホールで出されたディナーは、まるで別世界のものだった。
新鮮な海産物、香草で焼き上げられた肉料理、色とりどりの惑星果実。
湯気が立ち上る料理の香りに、ブルーは「旦那、すげえですな!」とヨダレを垂らしそうになり、私は留守番のレイやトムに申し訳ない気分になった。
さらに驚いたのは、部屋に備えられたバスルームだ。
プールのような巨大な湯船に、惜しげもなく張られた温水。惑星アーバレストでは、水は貴重品だ。ご領主ライス伯の屋敷ですら、こんな豪華な風呂は見たことがない。
「おお、湯がたっぷりだ!」
ブルーが子供のようにはしゃぐ。
「ドーヌルがこんな楽園だとはな……」
私も湯船に浸かりながら、思わず呟いた。
その日から、私とブルーは酒池肉林の日々に溺れた。
朝は熟練のシェフが作るフルコースの朝食、昼は空中庭園でのランチ、夜は星空を眺めながらのディナー。
部屋のAIコンシェルジュは、どんなわがままも即座に叶えてくれる。
クリシュナのブリッジで汗と油にまみれていたのが、遠い昔のようだった。
そんな夢のような生活を二週間も続けたある日、突如、ホテルの通信パネルが点滅した。
発信元は、惑星アーバレストのフランツさん。
私は慌ててワイングラスを置き、ホロスクリーンに彼の顔を映し出した。
「カーヴ殿! 何やってるんだ、苦情が殺到しとるぞ! 仕事は進んでいるのか!?」
フランツさんの顔は、怒りと呆れが入り混じった表情だった。
「いや、あの……、その……」
私は言葉に詰まった。
治安維持任務のはずが、豪華ホテルで過ごす毎日。地上部隊の状況も、反乱勢力の制圧の進展も、ベッツに任せきりだったのだ。
ブルーが隣で小声で呟く。
「旦那……、なんか、ベッツの野郎にハメられたんじゃねえすか?」
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
ドーヌルの反乱、ベッツの過剰な歓待、この不自然なまでの贅沢――すべてが、まるで私たちを任務から遠ざけるための罠のように思えてきたのだった。