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第30話……生き残る権利

 アーバレストの赤く乾いた大地に、クリシュナの艦影が再び降り立つ。

 逆噴射の咆哮が大気を震わせ、赤い土埃が渦を巻いて艦を包み込んだ。重厚な船体は、まるで戦塵にまみれた巨獣のように、静かにその姿を現す。


「おかえり、カーヴ!」


 懐かしい声が響く。セーラさんが、薄桃色の羽飾り帽子を風になびかせ、白いワンピースとサンダル姿で駆け寄ってくる。彼女の笑顔は、戦場帰りの心を一瞬で和ませた。


「ただいま、ご領主様!」


 私は敬礼しながら答える。彼女の手にしたバスケットからは、香ばしいサンドイッチの匂いが漂う。

 4人分、たっぷりと詰め込まれたそれは、戦士たちへのささやかな贈り物だ。ブルーとレイは自分の分を受け取り、慣れた手つきでクリシュナの整備に取りかかる。


 正直、ブルーも私も、バイオロイドの身体は弾薬と燃料さえあれば動く。

 だが、セーラさんの心遣いは、機械の心にも温もりを灯す。私は彼女と並んで小高い丘に腰を下ろし、昼食を共にした。


「カーヴ、私ね……」


 セーラさんが、突然真剣な眼差しで口を開く。私は慌ててサンドイッチを飲み込み、お茶で流し込む。


「は、はい?」


「今回のカーヴの選択、間違ってなかったと思う。正しくない為政者は、みんなのためにならない。やっぱり、正しい者が生き残るべきなのよ!」


 彼女の言葉は、風に乗り、力強く響いた。私は照れ隠しに頭をかく。


「はは、ただ逃げ帰ってきただけですよ」


「違います!」


 セーラさんが身を乗り出す。


「世の中には正しいことと間違ったことがあって、正しくない者がマーダと戦う資格なんてない! 正しく生きる者こそが、未来を掴むべきなの!」


 その瞳には、確固たる信念が宿っていた。確かに、マーダと人類――どちらかしか生き残れないこの戦いでは、正義を掲げる者が勝利するべきなのかもしれない。

 乾いた風が丘を撫で、赤い土埃が静かに舞う。私は再び頭をかきながら、彼女と笑い合い、穏やかな時を紡いだのだった。



 宇宙暦882年:アルーシャ星域の激戦アルーシャ星域B-865C宙域。


 そこは、人類と異星種族マーダの存亡を賭けた一大決戦の舞台だった。

 人類はこれまで、マーダとの大規模な艦隊戦を経験したことがなかった。


 神出鬼没のマーダは、常に人類の追撃をかわし、巧みに戦場を逃れ去る。過去には、人類の希望を一身に背負った王家が、マーダの奇襲のみによって壊滅した。

 あれから10年、人類は復讐の時を待ち続けた。



【開戦時の戦力】


 解放同盟軍:艦艇1600隻以上、艦載機2万機超、防御用大型要塞2基。


 マーダ連邦:艦艇1000隻余、艦載機および小型舟艇1万以上。


 人類の解放同盟軍は、要塞を核とした密集陣形で迎え撃つ。対するマーダ連邦は、両翼を厚くした包囲陣を展開し、獰猛な勢いで襲いかかった。


「ふっ、寡兵で鶴翼の陣とは、笑止千万!」


 人類側の首席参謀リッケンドルは、敵の布陣を嘲笑った。確かに、兵力の劣る者が両翼を広げるのは、兵法の常識では愚策とされる。

 だが、その嘲笑はすぐに凍りついた。マーダの放った特殊ミサイル群が、人類の迎撃システムを瞬時に無力化。

 光の奔流が虚空を切り裂き、同盟軍の小型艦艇を次々と葬り去った。


 大型艦艇も、まるでスズメバチの群れに襲われた巨獣のように、鋼と複合セラミックの残骸と化していった。


「まずい! 全艦、回頭! 全力で離脱しろ!」


 総司令官マーシャル侯爵の叫びが艦橋に響く。しかし、時すでに遅し。同盟軍の艦艇の8割は、冷たい宇宙の塵と化していた。

 人類側は、またしても壊滅的な敗北を喫した。それでも、2基の大型要塞は辛うじて持ちこたえ、人類の生存圏はかろうじて守られたのだった。




☆★☆★☆


 ライス伯爵家の執務室は、重厚な木製の調度品と星図が刻まれた壁に囲まれ、冷たくも荘厳な空気を漂わせていた。

 窓の外には、アーバレストの赤い大地が広がり、遠くでクリシュナの艦影が整備の光に揺れている。


 家宰であるフランツさんの鋭い視線が、私に向けられた。


「この敗戦の結果、カーヴ殿はどう見る?」


 彼の声は低く、しかしその奥には人類の存亡を賭けた重圧が潜んでいた。

 私は目の前のホロタブレットに映る戦闘データを一瞥し、慎重に言葉を選んだ。


「技術力の差が、如実に露呈したかと……」


 フランツの眉がわずかに上がる。


「ほう。マーダが人類を上回っていたと?」


「それもあります。だが、問題の根はもっと深いのです」


 私はホロタブレットの映像を拡大し、艦艇のデータを指し示す。


「ご覧ください。解放同盟軍の艦艇は、形状も仕様もバラバラ。ライス家、クロウ家、どの貴族家も独自の技術を握り、決して他家と共有しない。対して、マーダの艦隊は、統一された設計思想に基づく編成のため、素早い艦隊機動や火力の集中が効率的に行えるのです」


 フランツさんは腕を組み、深いため息をついた。


「ふむ……しかしな、カーヴ殿」


 彼が何を言いたいかは、容易に想像がついた。人類はかつて王家を中心に結束していたが、実態は貴族家の寄せ集め――地方軍閥の連合体だ。

 各家は友邦でありながら、互いをライバル視し、技術の独占に固執してきた。それが人類の強さでもあり、致命的な弱点でもあったのだ。


 私はフランツさんの言葉を最後まで待ってから、静かに、しかし力強く軍師としての言葉を継いだ。


「だからこそ、ライス家が単独で、王家の力を超える存在にならねばならないのです!」


「……な、何!?」


 フランツの声が震え、机上のティーカップがカタリと鳴った。


「そのような大胆なことを!」


 彼の驚愕は当然だった。私の言葉は、王家や貴族社会の掟を破る、危険な提案だったからだ。


 だが、私は一歩も引かず、言葉を重ねた。


「技術の集約や、その気概なくして、マーダに勝つことなどできません! 他家と技術を共有するか、あるいはライス家がかつての王家を凌ぐほどの圧倒的な力を握るか――二つに一つです!」


 珍しく熱を帯びた私の声は、執務室の静寂を切り裂いた。自分でも驚くほどの強い口調だったが、それは自らを鼓舞するための叫びでもあった。


 フランツさんはしばし沈黙した後、ゆっくりと立ち上がった。


「……分かった。明日、セーラお嬢様と閣僚たちに相談してみる。それまで、A-22基地で待機していてくれ」


「はっ!」


 私は敬礼し、執務室を後にした。伯爵邸の長い廊下を歩きながら、胸に去来するのは後ろめたさだった。

 自分で口にした提案が、正しいのか間違っているのか、確信が揺らぐ。だが、頭の片隅には、セーラさんの言葉が鋭い刃のように突き刺さっていた。


 『正しく生きる者こそが、未来を掴むべきなの!』マーダか、人類か。どちらかしか生き残れないこの戦いで、彼女の信念は私の心に重く響いていた。

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