――翌朝。
A-22基地には不穏な空気が漂っていた。静寂を切り裂くように、けたたましい声が司令室の回廊に響き渡る。
「カーヴ殿! 貴殿の無謀な提案は言語道断だ! 王家を凌駕する力などと、身の程をわきまえなさい、この異国人の兵法者め!」
来訪者は【反戦平和党】の議員、レア=クノール。鋭い眼光と厳格な口調の女性だ。
彼女は私の提唱した戦力増強案を聞きつけ、朝早くから抗議に押し掛けてきたのだ。
「レア議員、マーダ連邦の脅威に対抗するには、それ相応の力が不可欠です。さもなくば、我々は蹂躙されるのみですよ」
私は困り果てた表情を浮かべ、穏やかに答えた。だが、正直なところ、朝の弱い私にとって、彼女の怒声は耐え難い試練だった。
「マーダ星人とて、対話の道は開けるはず! 戦争準備など無意味だ。直ちに武器を捨て和平交渉を進めるべきです!」
レアの言葉は熱を帯び、理想に燃えていた。だが、マーダ星人は人類を捕食する残忍な種族だ。和平など夢物語にすぎない。私は戦う以外に道はないと確信していたのだ。
それでも、平和を求める民意は強く、彼女のような議員が力を得る背景には、そうした声の大きさがあった。
「そもそも、貴殿のような好戦的な者がいるからこそ、マーダ星人が攻めてくるのだ! さっさとこのアーバレスト星を去りなさい!」
彼女の非難は止まらず、私を敵視する言葉が矢継ぎ早に飛んでくる。まるで私がすべての元凶であるかのように。
――ウウウー!
その瞬間、けたたましい非常警報が基地内に響き渡った。まるで天の助けか。
「この話は後日!」
レアが不満げな視線を投げかける中、私は一礼して司令室へと急いだ。
「何事だ!? 状況を報告しろ!」
息を切らせて司令室に飛び込むと、そこにはブタ型バイオロイドのブルーただ一人が、気楽な姿勢でスナック菓子を頬張っていた。
「いやぁ、旦那がピンチだったんで、司令室の警報だけ鳴らしといたんですよ!」
ブルーはニヤリと笑い、菓子袋を揺らす。他の要員は誰もおらず、司令室は静寂そのもの。どうやらこのブタ野郎の機転に救われたらしい。
「ふっ、昼飯は旦那のおごりでお願いしますぜ! へっへっへ!」
「……くそ、給料日前だというのに……」
昼食時、ブルーに連れられ、基地内の高級食堂へ足を踏み入れる羽目になった。
そこでは、ブルーが本物の肉を使ったステーキ定食を、なんと3人前も平らげた。私の財布は、給料日前の悲鳴を上げていた。
この日の私は、戦場ならぬ食堂で、痛恨の敗北を喫したのだった。
昼食後、訓練場に移動した私は、戦艦クリシュナに搭載された二足歩行型可変兵器【ドライブアーマー】の起動準備に取り掛かった。
今回のパイロット候補は、ポコリン。タヌキ型生命体で、体長わずか30センチの小さな存在だ。
クリシュナの兵器は生体認証が厳格で、管制要員のブルーを除けば、ポコリンしか適応者がいなかったのだ。
「ポコリン、発進準備はできているか?」
『ぽこぽんぽん!』
ポコリンの返答は、妙にリズミカルな鳴き声だけ。言葉を発しない彼に、私は一抹の不安を覚えた。
【システム通知】ポコリンは言語を理解可能だが、発話は不可。ただし、任務遂行に支障はないと推定。
副脳からの冷静な分析に、私は安堵しつつも、ポコリンの小さな体が巨大な搭乗シートに収まる姿に苦笑した。
座布団を隙間に詰め込み、ようやく発進準備が整った。
「ドライブアーマー壱号機、発進!」
『ぽこぉぉぉ!』
――ドシーン!
発進直後、電磁カタパルトの勢いに乗ったドライブアーマーが、クリシュナの後方で盛大に転倒。土煙が舞い上がる。
私はブルーと共に、慌ててポコリンの救出に向かった。
「次は頼むぞ、ポコリン!」
『ぽこぉぉぉ!』
――ドシーン!
再び土煙が上がる。ポコリンは何度も転倒を繰り返し、28回目の挑戦でようやく発進に成功した。
その後も訓練は過酷を極めた。ドライブアーマーは傷だらけ、ポコリンも満身創痍。それでも、彼の小さな瞳には、諦めない意志が宿っていた。
☆★☆★☆
――その晩。
A-22基地に静寂が広がる中、夕食を終えたばかりの私の許に、フランツさんがふらりと姿を現した。
彼の顔は、まるで星のない夜空のように暗く、疲弊の色が濃く滲んでいた。
「カーヴ殿、少々話がある。時間をいただけるか?」
「もちろんです、どうぞお入りください」
私は司令室の簡素なソファを指し示し、彼を招き入れた。
「火を貸してくれないか?」
「はい、どうぞ。」
私は卓上のライターと灰皿を差し出す。フランツさんは慣れた手つきで煙草に火をつけ、深く吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出した。
白い煙が薄暗い部屋に漂い、まるで彼の重い心を映すように揺れた。
「……例の件だが、残念ながら潰えた。」
「王家を凌駕する力をという提案のことですか?」
「ああ、その通りだ。」
彼は苦々しく頷いた。
「閣僚は全員反対だった。お嬢様だけは賛成してくれたが……それだけではどうにもならん。そして、だ。」
彼は一瞬言葉を切り、鋭い目で私を見据えた。
「カーヴ殿を追放すべきだと声高に叫ぶ者まで現れた。」
「クノール議員あたりですか?」
フランツの唇に薄い笑みが浮かんだ。
「よくわかってるじゃないか。議会ではこの案への風当たりが強い。王家あってのライス家だ――そう考える古臭い連中が多すぎる」
彼は煙草を灰皿に押しつけ、ゆっくりと火を消した。灰皿の中で小さな火花が一瞬だけ瞬き、消えた。
「で、だ。ライス家としては、カーヴ殿にしばらくこのアーバレスト星を離れてほしい」
「それは……解雇ということですか?」
私の声は思わず硬くなった。フランツさんは小さく首を振ったが、その仕草には重い現実が滲んでいた。
「解雇ではない。だが、情勢は芳しくない。それでも、お嬢様も私も、王家を超える技術力は必要だと信じている」
彼は一拍置き、低い声で続けた。
「カーヴ殿、こっそりとその力を手に入れてきてはくれないか?」
「……は? 私一人で、ですか?」
信じられない思いで聞き返すと、フランツは静かに頷いた。彼は私にも煙草を勧め、火を点けながら、言葉を続けた。
「ああ、頼む。カーヴ殿ならできると信じている。」
薄暗い司令室に、煙草の煙が漂う。フランツさんの目は、まるで遠い星々の光を宿すように、静かな決意に満ちていた。