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第42話……マーダ連邦の定義

 クリシュナの艦橋から見える惑星アーバレストは、はるかに遠くなり、その姿は虚空の闇に溶け込んでいった。

 やがて、クリシュナはユーストフ星系の外縁部に到達した。

 視界の先には、淡く輝くガス雲の断片や、微かに光を反射する小惑星が漂っている。星々の間を縫うように進む艦の静寂が、まるで宇宙の深淵そのものを映し出していた。


「ご領主様、ここまで逃げ延びたのです。ひとまずは安全です」


 私が安堵の息をつきながらそう告げると、セーラさんは鋭い視線を返してきた。


「カーヴ、もう『ご領主様』はやめて。私は領地を失ったのよ。これからはセーラと呼びなさい!」


「……了解しました」


 フランツさんがいたら、この軽口に眉をひそめたかもしれない。だが、彼はもうここにはいないのだ。


 セーラさんは領地を追われた喪失感に打ちひしがれているかと思いきや、意外にもその瞳には燃えるような光が宿っていた。


「あんな惑星、欲しがる者にくれてやればいいわ。私だって好きで統治していたわけじゃない……」


 彼女はそう吐き捨て、窓の外に広がる星海に目をやった。その横顔は強気だが、どこか寂寞を帯びているようにも見えた。


「でもね、カーヴ。マーダだけは必ず倒すわ! 人類の未来が懸かっているのだから!」


「はい、もちろんです!」


 その言葉には、統治者としての矜持、いや、貴族としての不屈の気概が宿っていた。領地を失おうとも、マーダを打ち倒す決意は揺るがない。さすがはセーラさんだ。


「……では、次はどうしますか?」


 私が問うと、彼女は一瞬、星空を見据えたまま黙り込んだ。そして、凛とした声で答えた。


「まずはマーダ連邦を外交的に切り崩すわ!」


「切り崩す!?」


 私は耳を疑った。マーダは人類にとって完全なる敵対存在だ。交渉の余地などあるはずがない。外交でどうやって切り崩せるというのか?


「カーヴ、貴方は誤解しているわ。マーダ連邦とマーダ星人は同じじゃないのよ!」


「……は?」


 彼女の言葉は、私の理解を超えていた。


「マーダ星人は敵対生命体だけど、マーダ連邦は人類以外のすべての勢力を指す言葉なの。そこには、必ずしも敵とは限らない生命体も含まれているわ」


「なるほど……!」


 軍師を自称する私がこんな基本を知らなかったのは恥ずかしい限りだが、誰も教えてくれなければ知る由もない。

 セーラさんの言葉は、新たな可能性を切り開く鍵のようだった。


「フランツも皆も、マーダ連邦全体を敵視しているけど、私は違う。味方になってくれる異星人だっているはずよ」


「人類の味方、ですか?」


 私がそう尋ねると、セーラはまるで小悪魔のような、しかしどこか威厳に満ちた笑みを浮かべた。


「違うわ。我がライス家の味方よ! これからライス家は、人類の王家を凌駕するわ!」


「はっ!」


 その大胆な宣言に、艦橋にいたブルーも静かに微笑んだ。


 ……いいじゃないか。いっそ、皆でセーラを人類の王に押し上げてやろうじゃないか!


 クリシュナはユーストフ星系の外縁を離れ、断続的なワープ航法で進路を切り開いた。目指すは補給と整備のために、ウーサが待つ惑星アルファ。

 星々の海を突き進むクリシュナの行く先には、新たな希望への航路が見え隠れしていた。




☆★☆★☆


 惑星アルファの地に着陸した宇宙空母クリシュナは、星間航行の疲れを癒すべく、補給と整備のために一時停泊した。


 私はセーラとブルーを艦内に残し、単身でウーサの営む「なんでも屋」へと足を運んだ。

 アルファの地下の薄暗い街並みは、ネオンの明滅と金属の軋みが響き合う、典型的な人工居住地であった。


「ウーサ、いるか?」


「イラッシャイマセ!」


 店内に響くのは、機械的な合成音声。現れたウーサの姿は、相変わらず機能美に満ちていた。

 無駄のない合金のボディに、油と金属の匂いが漂うその外見は、まるで精巧な機械人形そのものだ。

 だが、私にはその無機質な美しさがたまらなく魅力的だったのだ。


「ウーサ、これをお前に持ってきたんだ」


 私は以前、宝石のように輝く岩石が散乱する惑星で採取した、色とりどりの結晶を手渡した。

 光を反射してきらめく石は、まるで星々の欠片のようだった。


「……ア、有難ウゴザイマス!」


 ウーサは、機械油が滲む銀色のマニピュレーターで慎重にそれを受け取り、店の棚に飾るように並べた。

 無機質な動作の中にも、どこか愛おしむような気配が感じられる。


「奇麗デスネ……、私ト全然違ウ……」


「ウーサだって美しいさ!」


 人間には奇妙に映るかもしれないが、バイオロイド兵器である私にとって、ウーサの機能美に満ちた姿は、まるで完璧に設計された戦闘機のように心を奪うものだった。


「ゴ注文ハナニニシマスカ?」


「とりあえず、煙草と酒を二杯頼む」


「畏マリマシタ!」


 ウーサが差し出したグラスを受け取り、私はおもむろに口を開いた。


「なあ、ウーサ。今日は一緒に飲んでくれないか?」


「畏マリマシタ!」


 その無機質な返答に、内心で苦笑する。いつか、かしこまった返事をやめて、気楽に杯を傾けてくれる日が来ればいいのに……。


 その夜、私は久しぶりに戦いの重圧を忘れ、ウーサとのささやかな時間に心を解き放ったのであった。




☆★☆★☆


 翌朝、クリシュナの補給と整備が完了し、私たちは艦内の会議室に集結した。

 出席者はセーラさん、私、ブルー、そしてポコリン。


 部屋の中央には、近隣星系の立体星図がホログラムとして浮かび上がり、青白い光がセーラの背後で揺らめいていた。


「まずはこの星に行きたいわ! できれば、この惑星を味方につけたいの!」


 セーラさんが指差したのは、ホログラムに表示された一つの星。その名は「サンドマン」。

 記録によれば、サンドマンという異星種族が棲む惑星だが、その生態も文化も一切不明。星系の環境すらデータベースには乏しい情報しかなかった。


 この世界の人類が他の生命体にどれほど無関心だったかを物語る、空白の星図だった。


「カーヴ、どう思う?」


 セーラさんの声に、私は一瞬考えを巡らせた。


「どの惑星でもお供しますよ。ただし、3か月の期限付きで!」


「うん!」


 セーラさんは屈託のない笑みを浮かべた。

 その笑顔は、まるで星間旅行がピクニックのように楽しい冒険であるかのようだった。

 だが、かつての領地アーバレストの守備隊のことを考えると、遊び気分で挑めるほど甘い状況ではない。


 サンドマンとの交渉……私は軍師としてまともな外交ができるのか? そもそも、言葉が通じる相手なのか?

 情報が皆無な中、不安が胸をよぎる。なにより、私は戦闘用に設計されたバイオロイドだ。外交の繊細な駆け引きなど、私のプログラムには想定されていないのだ。


 それでも、セーラの揺るぎない意志に押されるように、クリシュナは新たな航路を定めた。

 サンドマンの惑星へ――未知の星をめざし、ワープドライブの低いうなり声とともに、艦は星々の海へと飛び立った。

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