惑星サンドマンの衛星軌道上に母艦クリシュナを静止させ、私は単座偵察機【アイアース】を操り、砂漠の地表を低空で滑るように飛んだ。
この惑星は、濃密なメタンガスの雲に覆われた、赤茶けた砂の海だった。硫黄の刺激臭が鼻をつき、人工肺の浄化フィルターが絶え間なく唸りを上げる。
それでも、意外なことに視界は良好だった。惑星アーバレストのような苛烈な砂嵐はなく、遥か地平まで見渡せた。
だが、その静けさは長く続かなかった。
「――うわっ、でかい!」
視界の端に映った光景に、思わず声が漏れた。地表を這う、途方もない巨体。直径30メートル、長さ900メートルにも及ぶ、筒状の芋虫のような生物が、砂の大地をのたうち回っていた。
その動きはまるで地殻そのものが蠢くかのようだ。
「……サンドマンって、まさかこいつらのことか?」
だとすれば、交渉の余地は皆無だ。異星人といっても人型とは限らないが、この怪物相手に外交を試みる気にはなれない。
巨大な芋虫が、知性を持たない本能の塊であることは、遠目にも明らかだった。
【システム通知】――背後、危険!
副脳の警告音が鼓膜を刺す。咄嗟にアイアースを急旋回させ、背後を振り返ると、そこには想像を絶する光景が広がっていた。
全幅2キロメートルはあろうかという、巨大な蛾が羽音を響かせながら迫ってくる。
その姿は、さっきの芋虫の成虫に違いない。
「くそっ!」
餌と見なされたのか、外敵と判断されたのか、巨大蛾は執拗にアイアースを追尾してきた。
回避を繰り返すうち、苛立ちが募る。
私は操縦桿を握り直し、機体を滑らせ、蛾の真上へと位置を取った。
――ドドドドド!
長砲身ビームライフルを乱射。光の奔流が蛾の胴体を貫き、紫色の体液が砂漠に降り注ぐ。
巨体は断末魔の羽ばたきとともに地表へ墜落し、砂煙を巻き上げた。
一息つく暇もなく、私は安全を求めて機体を険しい岩山へと向けた。さすがにこんな場所に巨大生物はいないだろう。
そう思った矢先、岩肌に動く影を捉えた。
「ん……?」
目を凝らすと、ラクダに似た四足の獣に跨る人影が見えた。人型だ。こいつらが本物の「サンドマン」か?
私は周囲を警戒しながら、アイアースを慎重に着陸させた。
ラクダに乗った人影もまた、好奇の視線をこちらに投げかけている。
【システム通知】――予測言語通訳システム、起動。
副脳が相手の外見、仕草、装束を瞬時に解析し、最適な言語パターンを割り出した。
「こんにちは」
「……!? われらの言葉がわかるのか?」
私の挨拶に、人影は驚愕の声を上げた。彼らは全身を覆う有機的なスーツに身を包んでいた。
おそらく、濃密なガスや砂塵から身を守るためのものだろう。顔はヘルメットの様なマスクで隠れている。
「お前、ひょっとして神の使者ではあるまいな?」
「なぜそう思う?」
「先ほど、奇妙な鳥で王蝶を打ち落としただろう?」
鳥……?
アイアースを鳥と見間違えたらしい。
彼らの装いを見れば、銃器の類は皆無。腰に差した大型の刀が、唯一の武器のようだ。文明レベルは、こちらとは大きく異なるようだ。
「王蝶を仕留めた勇者を無下にはできん。来い!」
人影は私を招き、ついてくるよう促した。
私はクリシュナに待機するブルーたちに状況を報告し、彼の導くまま岩山の奥へと進んだ。
約2時間、灼熱の砂地を歩いた。
やがて洞窟の入り口に辿り着き、彼はヘルメットを外した。現れたのは、立派な髭をたくわえた中年の男。
人類と変わらぬ姿に、私はほっと胸を撫で下ろす。少なくとも、マーダ星人のような敵対種族ではないだろう。
「勇者殿、こちらだ!」
「はい」
……勇者、か。
長年戦士として生きてきたが、こんな呼び方は初めてだ。気恥ずかしさがこみ上げる。勇者とはもっと高潔な存在にふさわしい言葉だと思っていたからだ。
洞窟を抜けると、視界が開けた。小さな盆地に、緑の点在する集落が広がっている。
簡素なテントが点在し、機械の類は一切見当たらない。文明の息吹は、ここでは遠い過去のものらしい。
私は一際大きなテントに招かれ、集落の主らしき人物に謁見した。上座に座るのは、痩せこけた小さく丸まる老人だった。
「ようこそ、勇者殿!」
「お招きに感謝します」
敬意を込めて頭を下げたが、伝わったかどうかはわからない。老人は上機嫌に笑い声を上げた。
「生きているうちに、王蝶を倒した勇者に会えるとは! ハハハ!」
確かに、剣一本で巨大蛾を倒せば、勇者と呼ばれるのも納得だ。だが、話が面倒になる前に、誤解を解くことにした。
――ドドドドド!
集落の広場にアイアースを降ろし、ビームライフルを空に向けて発射。光の奔流が夜空を裂き、集落の者たちは腰を抜かさんばかりに驚愕した。
「……お、お前は妖術使いか!?」
「……いや、違います」
懐中電灯を点け、通信端末を見せても、彼らの驚きは収まらない。未知の技術は、彼らにとって魔法と変わらないらしい。
私は道具を紹介しながら、丁寧に説明を始めた。
「私は別の星から来た者です。皆さんより進んだ技術を持っているだけなんですよ」
「……で、お前は何しにここへ来た?」
老人の声が急に低くなった。場の空気が一変し、緊張が走る。
両脇の若者たちが剣を構え、敵意のこもった視線を向けてきた。
……まずい。警戒されはじめた。
私が持ち込んだ「妖術」の道具が、彼らの猜疑心を煽ったのだ。異星の侵略者と見なされ、剣先がこちらを向く。
緊迫した空気が、盆地に重く垂れ込めた。