暗雲立ち込める中、両者が様子を伺う。
互いに顔表情が見えずとも、存在を意識しそこに居るのだ。
『ただいま雷が発生中の為、試合を見合わせております!』
球場にアナウンスが流れる。
稲荷工業高オーケストラ部の顧問、
「お前らで最後か?」
各パートリーダー達を引率し、才堂は雨から逃げるようにフロアに戻った。
「才堂先生!まだ八回です!」
才堂はうんざりと振り向き、同僚の教師を見据える。
「八回表。雷雲。もういいでしょう」
「そ、そんなこと言わずに……!稲工のオーケストラ団は全国レベルじゃないですか!」
「だからこそです。楽器にトラブルがあってはならないのです」
「野球部は今年も地区大会はシード枠ですし……」
「シードなら尚更、今日は必要ないのでは? 地方大会も二軍を行かせます」
稲工オーケストラ部。確かに成績を残していた。
「それに、相手校の応援団は楽器隊すらいないじゃないですか」
「あちらは何かトラブルがあっとかで。しかしあの応援団に関して、妙な噂を聞きましたが……」
「くだらない。応援団の有無で、野球部員が超能力にでも目覚めるんですか?」
才堂の覚めた物言いに、高橋はすっかり落胆してしまった。才堂の音楽に対しての手腕は確実なものであるが、それ以外となるとまだまだ未熟な教員であるのだ。
『試合を再開いたします』
アナウンスが入り、才堂は高橋に向き直り、冷たい目で言い切る。
「何故そんなにこだわるのですか?」
「応援団ですから!」
才堂はどうでも良さそうに高橋から視線を逸らし、部員を引き連れスタンドに戻った。自前の楽器を持つ生徒が多い上に、オーケストラ部志望の生徒が殆ど。その生徒たちの楽器や体力を夏の炎天下で駄目にしては欲しくなかった。才堂なりの生徒への配慮でもあったが、才堂の応援団への軽視……運動部に向けて応援をする熱と手立てを、才堂自身は考えなかったのだ。
だからこそ、旺聖高校の応援団に度肝を抜かれる羽目になったのであった。
「な……なんだあれは……」
視線の先、旺聖高校の応援団は数が減っているどころか、先程までとは雰囲気がまるで違ったのだ。ようやく楽器隊が到着したらしい。
雨合羽を豪快に脱ぎ捨て、その応援団の中心に闊歩するポニーテールのトランペッターに見覚えがあった。
「夏野………美香か!?」
才堂は相手ベンチを見たまま、全身の血の気が引いていくのを感じるしか無かった。
応援団の楽器隊を取り仕切っているのが彼女だと、初めから分かっていれば自分も楽器隊を撤退させなかった。
彼女の転校先の旺聖高校にはオーケストラ部はない。更に彼女が転校後、楽器を持たなくなったことも聞いていた。
「ねぇ。あれ、みかんじゃない……?」
「えぇ? ああ。ほんとだ。何あれ」
稲工校は中高一貫校で、部員の誰もが転校した彼女を知っていた。夏野 美香が従えた部員達の楽器構成に、興味深そうに顔を出してきた。
「あいつ………」
八回表、先制は旺聖高校。突然、曇天を切り裂くラッパの音が響き渡った。
『旺聖高校、ラッパ隊』
『はい。トランペットのみで編成されて、地元でも親しまれています』
テレビ中継ではこんな解説が語られていた。
それもそのはず。この異質な応援団は夏野 美香含め陣形を組んだ、とんでもない数のトランペット集団だったのだ。
雷雲が遠のき、やがて示し合わせたようにさんさんと太陽がグラウンドを照りつける。
「夏野……それがお前の、選んだ道か…?!」
一度は楽器を手放し、才堂に猛反発した問題児の姿。ずっと才堂の心のどこかに引っかかっていた生徒でもあった。
「金管のリーダーを集めろ。すぐに」
「あ、はい!」
旺聖高の一人の少女を皮切りに、球場にいる全ての人間が触発されて行く。
夏野 美香。
彼女はそういう人間なのだ。