梅雨明けの晴れたグラウンドに真新しい制服を着た集団と、ユニホーム姿で整列した生徒たちが一人の男を見上げている。
「誰? 大人じゃん」
「応援団のOBよ」
夏野 美香の呟きに、大場 つぐみがこっそりと返す。
「と言っても、応援団は彼が最後の部員だったらしいわ。跡継ぎがいなくて廃部になったけど、運動部があれこれ大会に行く時期だけエンカウントするモンスターなの」
「ほぇ〜モンスター初めて見た!」
団長はメガホンを口に当てると、雄叫びを上げる。
『旺聖〜っ! うぉーっ』
「この辺は他の高校まで距離があるし、地元の運動部の中学生はみんな旺聖に入学するからね。中学の頃から駆り出されるのよ、ほら」
つぐみに促され美香の見た視線の先には、マイクロバスから降車するジャージ姿の中学生が到着したところだった。
「えぇ〜 ? そうなんだ。
でも、運動部あまり知られてないよね ? 」
「年々成績は下がってるらしいわ。そりゃ成績のいい運動部がいなければ応援もしようがないわよ」
このところ、旺聖工高は運動部が県大会や地方大会に出ることはなく、長いこと日の目を浴びていないのであった。
団長が名簿を見ながら点呼をとる。その眉が突然グッと眉間に皺を寄せる。
「おい、ここにもう一人男子がいるはずだ! トイレか ? 」
団長の剣幕に、周囲の生徒は誰も答えられなかった。団長は間違いなく仮病だと断言し、連れて来いと近くの生徒に命じた。言われた生徒はビクビクとしながら、その場から行くか留まるか迷った素振りを見せると、次第に団長の怒りの矛先はその気弱な生徒に向きかけた。
そこへ一番端の列、野球部の前方から声が飛んできた。
「団長、あいつは……楠崎の居所は、校内の生徒全員分かりません。いつもどこに居るのか、分からないんです」
「なんだと ? それにしては、お前は詳しそうじゃないか!よし。じゃあ野球部、全員その楠崎とやらを探しにいけ!」
「いいえ。彼はいわゆる不良です。授業も度々サボりますが……揉め事になるようなことがあっては俺達も困りますので」
「それもそうだが……」
野球部大乱闘、なんてローカル新聞の見出しに載るのは笑えない事だ、と言う。
「あの人、部長 ! 」
「二年の先輩よ。エース田中」
「ふーん」
これまでオーケストラしか視野になかった美香には、他校の全てが新しく見えた。旺聖高校にはオーケストラ部どころか吹奏楽も合唱部も無く、美香はトランペットを手放すと何者でもないただ一生徒へと姿を変えた。
「確かにな!落第しようと、そいつの勝手だ!」
団長は点呼を続けた。
「本当にみんな、そのクズ崎って人の居場所知らないの ? 」
「ふふ。さあね」
つぐみは微笑むだけだった。皆も知ってはいるのだが、楠崎 雲雀と言う男が不良生徒である事は変わらない。だが、他人に危害を与えるような存在でない事も認知されているのが現実だった。
「お前は誰だ ? 」
団長が遂に美香の前で止まる。無理もない。セーラー服の旺聖高校に、たった一人ブレザーにチェックのスカート姿だ。
「はい !! 六月一日に転校してきた ! 夏野 美香です!」
「おぉ、いい声をしている……ぃや、やかましいな ! 喋る時は普通でいいぞ……」
「はい !! 」
「デカい!」
「はい!よろしくお願いします!」
そこへ後列に居た女子生徒が美香の肩を揺さぶる。
「みかん、ちゃんと聞いて。
すみません団長。彼女、緊張してるみたいで」
琴乃葉 瑠奈が団長に頭を下げる。
「してないよ!」
「やめなさいってば」
「ま、まぁ。声がデカイのはいい事だ……。
制服は変えない予定か ? 」
「はぁい ! 来年の一年生に混ざって ! 発注しようかと思っててですねぇ!」
「……デカ。……そうか。君は何かやっていたのか ! 合唱や運動部で……」
「いいえ !! 何もしていません ! 」
団長はただ美香の声量だけに釘付けになった。どうしても応援団に美香が欲しくなってしまったのだ。
「中学の頃は何をやっていたんだ ? 」
「………オ……」
「お?」
「お……オハナヲ、イケテマシタ!」
「華道か。良ければ……」
「団長 !! 瑠奈も声出ますよ!」
美香は話題を攫うように、後列に居た瑠奈に仕返しとばかりに団長へ突き出した。
「そうなのか ? 」
「はいっ !! 演劇部だったみたいですよ ! 」
「なっ……! やめてよ、みかん」
団長の興味の視線に狼狽えながら、瑠奈は悪ノリを続ける美香を制止しようとする。だが、必死なのは美香も同じだった。転校元のオーケストラ部でトラブルを起こして逃げるように転校してきた美香は、自身が音楽をやっていた事を親しい生徒以外には隠し通したかった。
「ささ、団長! 瑠奈も是非!」
「あ、ああ。だが……。おいおい、喧嘩をするな!」
「みかん、やめて ! 」
「あはは。ままままま、とりあえず一回発声、一回 ! 」
「やめろって言ってんだろがっ!!!!」
グラウンド中に瑠奈の声が轟く。
更に周囲の山に反響して、こだまが返って来た。
「お、おう。ゴメンな……喧嘩すんなって言ってんだろ」
「みかんっ」
「う……ご、ご……んなさぃ……」
「お前、謝る時だけ声ちっさ……! 情けないぞ……夏野……」
理外の女子高生に戸惑う団長に、つぐみが声をかける。
「団長、次へどうぞ。二人はいつもこんな感じなので」
「そ、そうか」
何か腑に落ちない様子で、団長は近隣から駆り出された中学生の集団へと消えていった。