人のことを好きになるって、どういう感覚なんだろう。
それを正確に理解していたら、たぶん俺は、もっとマシな男になれてた。
早川聖斗、26歳。
一応、出版社勤め。校閲と編集をちょっとずつやらされてる、万年下っ端。
彼女はいる。2年付き合ってる、普通にいい子だ。
家庭的で、優しくて、連絡もマメで、向こうの親にも紹介済み。
でも、俺には——セフレがいる。
罪悪感? ……そりゃ、ある。でも、もう慣れた。
それを言い訳にして、ずるずると続けてるだけ。
都合のいいときに呼んで、終わったら帰る。
気を遣わなくていい関係。お互い干渉しないルール。
かなも、そういう相手の一人だった。
初めて会ったときから、異様に落ち着いてて、感情を表に出さない子だった。
でも、それが逆に気楽だった。
こっちが気を遣わなくても、向こうが察してくれる。
「面倒な女じゃない」って、こっちが勝手に思ってた。
そう、——あいつのこと、甘く見てた。
今日、昼休みに呼び出して、話をした。
べつに特別な話題があったわけじゃない。ただ、なんとなく。
だけど、かなが不意に聞いてきた。
「ねえ、あなたさ。私のこと、どう思ってるの?」
一瞬、言葉に詰まった。
いつも通り、軽く流してもよかった。
「楽だよね」「一緒にいて気が楽」とか。
でも、なぜかそれを言ったら、すごく“嘘”になる気がして。
だから、思ったまま言葉にした。
「かなってさ、人形みたいに見えるけど——ほんとはめちゃくちゃ、人間臭ぇよな」
あのとき、かながほんの少しだけ目を見開いたのを、俺は見逃さなかった。
——ああ、やっぱりこの子、誰かに「見られたい」と思ってるんだ。
そのあと、何を話したか、よく覚えてない。
空気が妙に張り詰めてて、何を言っても余計な気がした。
夜。
自分のアパートで、一人で缶ビールを開けながら、かなのことを考えていた。
あいつは、ただのセフレ——だったはず。
でも、他の誰よりも「何も言わない」のに、存在感がある。
感情を表に出さないくせに、時々、こっちの心をえぐるような目をする。
あの目が、ふとした瞬間に頭にこびりつく。
(……何してんだろ、俺)
頭ではわかってる。
これは「気の迷い」だ。
彼女に気づかれる前に、どちらかが引けば終わる。
でも、今さら引く理由が見つからない。
少しだけ思い返す。
——付き合ってた元カノに、浮気されてから、誰も信用できなくなった。
「彼女作る意味ないじゃん」と思って、気づいたらこういう関係ばかりになってた。
けど、今の彼女だけは違った。
俺の仕事にも理解あるし、毎回料理作って待っててくれるし、何より、信じてくれてる。
……その「信頼」が、たまに息苦しかった。
こっちが“ちゃんとしてるフリ”をやめた瞬間、すべてが壊れそうで。
だから、心を置かない相手を選んでた。
好きにならない女とだけ、そういう関係になる。
情が移ったら終わりだ。
俺の中には、もう“恋”なんて入るスペースはない。
でも。
高木かなだけは——なぜか、違う。
先週、ベッドの上で不意に「寒くない?」って聞いた。
そのとき、かなが小さく笑ったんだ。
——それが、ずるかった。
感情のない人形みたいなあいつが、少しだけ緩んだ顔を見せた瞬間。
胸の奥に、小さな痛みが走った。
もしかして、あいつ……俺のことで傷つくかもしれない。
(それって、まずくないか?)
今までのセフレたちとは、明らかに違う。
そのことに、ようやく気づいてしまった。
でも、どうしたらいいのか、わからなかった。
“いい人”でいるには、もう少し無関心じゃないといけない。
でも、無関心を貫けるほど、もうあいつに興味がなくなったわけじゃない。
このままじゃ、彼女も、かなも、俺自身も、どこかで壊れる。
それがわかってるのに——俺は、あいつのL◯NEを開いていた。
「明日、空いてる?」
指が勝手に動いた。
後悔しながらも、「送信」を押してしまった。
俺の中の「普通」が、静かに崩れていく音がした。