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第3話 「ただのセフレのはずだった——なのに、お前は」

 人のことを好きになるって、どういう感覚なんだろう。

 それを正確に理解していたら、たぶん俺は、もっとマシな男になれてた。





 早川聖斗、26歳。

 一応、出版社勤め。校閲と編集をちょっとずつやらされてる、万年下っ端。


 彼女はいる。2年付き合ってる、普通にいい子だ。

 家庭的で、優しくて、連絡もマメで、向こうの親にも紹介済み。


 でも、俺には——セフレがいる。


 罪悪感? ……そりゃ、ある。でも、もう慣れた。

 それを言い訳にして、ずるずると続けてるだけ。

 都合のいいときに呼んで、終わったら帰る。

 気を遣わなくていい関係。お互い干渉しないルール。




 かなも、そういう相手の一人だった。

 初めて会ったときから、異様に落ち着いてて、感情を表に出さない子だった。


 でも、それが逆に気楽だった。

 こっちが気を遣わなくても、向こうが察してくれる。

 「面倒な女じゃない」って、こっちが勝手に思ってた。


 そう、——あいつのこと、甘く見てた。





 今日、昼休みに呼び出して、話をした。

 べつに特別な話題があったわけじゃない。ただ、なんとなく。


 だけど、かなが不意に聞いてきた。




 「ねえ、あなたさ。私のこと、どう思ってるの?」




 一瞬、言葉に詰まった。


 いつも通り、軽く流してもよかった。

 「楽だよね」「一緒にいて気が楽」とか。

 でも、なぜかそれを言ったら、すごく“嘘”になる気がして。




 だから、思ったまま言葉にした。




 「かなってさ、人形みたいに見えるけど——ほんとはめちゃくちゃ、人間臭ぇよな」




 あのとき、かながほんの少しだけ目を見開いたのを、俺は見逃さなかった。


 ——ああ、やっぱりこの子、誰かに「見られたい」と思ってるんだ。




 そのあと、何を話したか、よく覚えてない。

 空気が妙に張り詰めてて、何を言っても余計な気がした。





 夜。

 自分のアパートで、一人で缶ビールを開けながら、かなのことを考えていた。


 あいつは、ただのセフレ——だったはず。

 でも、他の誰よりも「何も言わない」のに、存在感がある。


 感情を表に出さないくせに、時々、こっちの心をえぐるような目をする。

 あの目が、ふとした瞬間に頭にこびりつく。




(……何してんだろ、俺)




 頭ではわかってる。

 これは「気の迷い」だ。

 彼女に気づかれる前に、どちらかが引けば終わる。

 でも、今さら引く理由が見つからない。




 少しだけ思い返す。




 ——付き合ってた元カノに、浮気されてから、誰も信用できなくなった。

 「彼女作る意味ないじゃん」と思って、気づいたらこういう関係ばかりになってた。


 けど、今の彼女だけは違った。

 俺の仕事にも理解あるし、毎回料理作って待っててくれるし、何より、信じてくれてる。


 ……その「信頼」が、たまに息苦しかった。

 こっちが“ちゃんとしてるフリ”をやめた瞬間、すべてが壊れそうで。




 だから、心を置かない相手を選んでた。

 好きにならない女とだけ、そういう関係になる。


 情が移ったら終わりだ。

 俺の中には、もう“恋”なんて入るスペースはない。




 でも。


 高木かなだけは——なぜか、違う。





 先週、ベッドの上で不意に「寒くない?」って聞いた。


 そのとき、かなが小さく笑ったんだ。

 ——それが、ずるかった。


 感情のない人形みたいなあいつが、少しだけ緩んだ顔を見せた瞬間。

 胸の奥に、小さな痛みが走った。


 もしかして、あいつ……俺のことで傷つくかもしれない。




(それって、まずくないか?)




 今までのセフレたちとは、明らかに違う。

 そのことに、ようやく気づいてしまった。




 でも、どうしたらいいのか、わからなかった。


 “いい人”でいるには、もう少し無関心じゃないといけない。

 でも、無関心を貫けるほど、もうあいつに興味がなくなったわけじゃない。


 このままじゃ、彼女も、かなも、俺自身も、どこかで壊れる。




 それがわかってるのに——俺は、あいつのL◯NEを開いていた。




「明日、空いてる?」




 指が勝手に動いた。

 後悔しながらも、「送信」を押してしまった。




 俺の中の「普通」が、静かに崩れていく音がした。



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