人に抱かれるのって、あったかい。
そう思ってた。
ずっとそう思ってた。
だから——わたしは何も間違ってないって。
夜、コンビニ帰りにふと立ち止まった。
夕方の湿気を含んだ風が、肌にじっとりまとわりつく。
夏の終わりのこの感じ、実は嫌いじゃない。
家に帰る気になれなくて、アパートの前のベンチに座り、缶コーヒーを開けた。
微糖。ぬるくて、苦い。
スマホを開く。聖斗からのLINE。「明日、空いてる?」
ああ、また。
でも、今日はすぐに返せなかった。
(なんで、あの人だけ——)
わたしの中で、他の誰とも違う感覚が芽生え始めている。
ずるい。
優しい言葉をかけるでもなく、特別に甘やかすでもなく、
ただ、「ああいう目」をするのが、ずるい。
思い出すのは、最初のセフレだった男のこと。
大学のとき、サークルの先輩。
酔った勢いでホテルに行って、そのまま身体の関係だけになった。
先輩は、「彼女いるけど、バレなきゃいいでしょ」って言って笑ってた。
わたしは何も言わず、ただ頷いた。
セックスのあとの煙草の匂いが嫌いだったけど、顔には出さなかった。
「お前、ほんとに感情ねーな。人形みたいだな」
そう言われて、なんだか嬉しかった。
わたしはちゃんと“役割”を演じられてるんだ、って。
その後も、セフレは何人もできた。
名前も顔も忘れた男もいる。
終電を逃したフリをして部屋に転がり込んだ男もいた。
ホテル代すら払わないくせに、朝には「帰って」って言ってきた男もいた。
どの男も、わたしの名前すらちゃんと呼ばなかった。
「お前、マジでエロいよな」
「やっぱ、顔が無表情だと興奮する」
「何回やっても反応しないって、ほんとに濡れてんの?」
……それでも。
それでも、あのときわたしは——愛されてるって、思ってた。
だって、触れられた。
だって、抱きしめられた。
だって、わたしの存在を“必要としてくれた”。
そう、信じてた。
(……あれ、ほんとうに愛だったの?)
疑問が、今になって膨らんでくる。
何人の男に抱かれても、わたしの中は空っぽだった。
終わったあと、彼らが帰っていく背中を見るたびに、胸がちくっとした。
でも、その痛みの意味がわからなかった。
ポーカーフェイス。
何をしても顔に出さず、感情を読み取らせず、ただ“そこにいる”だけのわたし。
それが、わたしにとっての「安心」だった。
感情なんて出したら、否定される。
期待なんてしたら、裏切られる。
(だったら、最初から“何も望まなければいい”)
それが、わたしの選んだ生き方だった。
だけど、聖斗だけは違った。
彼は、わたしに優しい言葉をかけない。
恋人のように扱ってもくれない。
むしろ、淡白すぎて最初は「こいつ、冷たいな」と思った。
でも、不意に毛布をかけてくれたり、
ベッドの中で「寒くない?」って聞いてくれたりする。
ほんの一言。ほんの仕草。
——それだけで、胸の奥がモゾモゾと揺れる。
何、この気持ち。
何かを求めてる。
触れてほしいとか、抱きしめてほしいとか、そういうんじゃない。
ただ、“わたし”を見てほしい。
ちゃんと、名前で呼んでほしい。
ポーカーフェイスの仮面の奥にある、この空っぽを、誰かに気づいてほしい。
(でも、どうしたら、いいの……)
今さら、素直になんてなれない。
愛され方なんて、知らない。
甘える方法も、知らない。
ただ、ずっと“いい女”のフリをしてきた。
都合のいい女。感情を見せない女。欲を見せない女。
(でも、もう限界かも)
胸の奥が、ひりひりとする。
あのとき、聖斗が言った言葉が蘇る。
——「人形みたいに見えるけど、かなって……ほんとはめちゃくちゃ人間臭ぇよな」
あの一言で、張り詰めていた仮面に、ヒビが入った。
わたしは、たぶん、人形じゃない。
誰かの腕の中でしか“存在”を感じられない、壊れかけの人間。
でも、それでも——
聖斗の腕の中にいるときだけ、少しだけ、自分を許せる気がした。
(このままじゃ、やばいな)
初めて、そう思った。
空っぽのわたしの中に、今、何かが入り込みそうで。
それが、嬉しいのか怖いのか、まだうまく言葉にできない。
(でも、今度……もう少し、笑ってみようかな)
ほんの少しの期待と、ほんの少しの願いを胸に、
わたしはようやく、聖斗のL◯NEに「うん」と返事を打った。
ぬるくなった缶コーヒーは、もう苦くなかった。