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第4話「わたしは、ただの“穴”だった——でも、それでも」

 人に抱かれるのって、あったかい。


 そう思ってた。

 ずっとそう思ってた。

 だから——わたしは何も間違ってないって。





 夜、コンビニ帰りにふと立ち止まった。


 夕方の湿気を含んだ風が、肌にじっとりまとわりつく。

 夏の終わりのこの感じ、実は嫌いじゃない。


 家に帰る気になれなくて、アパートの前のベンチに座り、缶コーヒーを開けた。

 微糖。ぬるくて、苦い。


 スマホを開く。聖斗からのLINE。「明日、空いてる?」

 ああ、また。


 でも、今日はすぐに返せなかった。




(なんで、あの人だけ——)




 わたしの中で、他の誰とも違う感覚が芽生え始めている。


 ずるい。

 優しい言葉をかけるでもなく、特別に甘やかすでもなく、

 ただ、「ああいう目」をするのが、ずるい。





 思い出すのは、最初のセフレだった男のこと。


 大学のとき、サークルの先輩。

 酔った勢いでホテルに行って、そのまま身体の関係だけになった。


 先輩は、「彼女いるけど、バレなきゃいいでしょ」って言って笑ってた。

 わたしは何も言わず、ただ頷いた。

 セックスのあとの煙草の匂いが嫌いだったけど、顔には出さなかった。


 「お前、ほんとに感情ねーな。人形みたいだな」


 そう言われて、なんだか嬉しかった。

 わたしはちゃんと“役割”を演じられてるんだ、って。




 その後も、セフレは何人もできた。


 名前も顔も忘れた男もいる。

 終電を逃したフリをして部屋に転がり込んだ男もいた。

 ホテル代すら払わないくせに、朝には「帰って」って言ってきた男もいた。


 どの男も、わたしの名前すらちゃんと呼ばなかった。


 「お前、マジでエロいよな」

 「やっぱ、顔が無表情だと興奮する」

 「何回やっても反応しないって、ほんとに濡れてんの?」


 ……それでも。




 それでも、あのときわたしは——愛されてるって、思ってた。




 だって、触れられた。

 だって、抱きしめられた。

 だって、わたしの存在を“必要としてくれた”。




 そう、信じてた。




(……あれ、ほんとうに愛だったの?)




 疑問が、今になって膨らんでくる。


 何人の男に抱かれても、わたしの中は空っぽだった。

 終わったあと、彼らが帰っていく背中を見るたびに、胸がちくっとした。


 でも、その痛みの意味がわからなかった。


 ポーカーフェイス。

 何をしても顔に出さず、感情を読み取らせず、ただ“そこにいる”だけのわたし。


 それが、わたしにとっての「安心」だった。

 感情なんて出したら、否定される。

 期待なんてしたら、裏切られる。




(だったら、最初から“何も望まなければいい”)




 それが、わたしの選んだ生き方だった。





 だけど、聖斗だけは違った。


 彼は、わたしに優しい言葉をかけない。

 恋人のように扱ってもくれない。

 むしろ、淡白すぎて最初は「こいつ、冷たいな」と思った。


 でも、不意に毛布をかけてくれたり、

 ベッドの中で「寒くない?」って聞いてくれたりする。


 ほんの一言。ほんの仕草。


 ——それだけで、胸の奥がモゾモゾと揺れる。




 何、この気持ち。


 何かを求めてる。

 触れてほしいとか、抱きしめてほしいとか、そういうんじゃない。


 ただ、“わたし”を見てほしい。

 ちゃんと、名前で呼んでほしい。

 ポーカーフェイスの仮面の奥にある、この空っぽを、誰かに気づいてほしい。




(でも、どうしたら、いいの……)




 今さら、素直になんてなれない。

 愛され方なんて、知らない。

 甘える方法も、知らない。


 ただ、ずっと“いい女”のフリをしてきた。


 都合のいい女。感情を見せない女。欲を見せない女。




(でも、もう限界かも)




 胸の奥が、ひりひりとする。

 あのとき、聖斗が言った言葉が蘇る。




 ——「人形みたいに見えるけど、かなって……ほんとはめちゃくちゃ人間臭ぇよな」




 あの一言で、張り詰めていた仮面に、ヒビが入った。


 わたしは、たぶん、人形じゃない。

 誰かの腕の中でしか“存在”を感じられない、壊れかけの人間。




 でも、それでも——




 聖斗の腕の中にいるときだけ、少しだけ、自分を許せる気がした。




(このままじゃ、やばいな)




 初めて、そう思った。




 空っぽのわたしの中に、今、何かが入り込みそうで。

 それが、嬉しいのか怖いのか、まだうまく言葉にできない。




(でも、今度……もう少し、笑ってみようかな)




 ほんの少しの期待と、ほんの少しの願いを胸に、

 わたしはようやく、聖斗のL◯NEに「うん」と返事を打った。




 ぬるくなった缶コーヒーは、もう苦くなかった。

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