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第5話「この関係が“都合のいい”ものでなくなった瞬間」

 L◯NEの「うん」という短い返事を見た瞬間、聖斗はスマホをしばらく見つめていた。

 既読も遅かったし、反応もいつもよりワンテンポ遅かった。




 ──なんか、変だった。




 ずっと無表情で、無欲で、まるで機械のように“抱かれるためだけに存在していた”女。

 あの高木かなの返事が、ほんの少しだけ柔らかく感じた。




「……気のせい、か」




 独り言のように呟いて、煙草に火をつける。

 真夏の夜、窓の外ではセミの声が途切れて、代わりに鈴虫の音がかすかに混ざってきていた。




 秋が来る。

 季節が変わる。

 そういうの、嫌いじゃなかったはずなのに。




(なんで、こんなに落ち着かねぇんだ)




 ベッドの上で、聖斗はずっと考えていた。





 翌日、かなが部屋にやってきたのは午後8時ちょうど。


「遅れてごめん。ちょっと、道混んでた」


 そう言って、コンビニの袋を提げていた。中にはお茶と、冷えたプリン。


 え、何その手土産……? って一瞬思ってしまったけど、聖斗は何も言わなかった。




「お風呂、入ってきてもいい?」


「ん、ああ。いつも通り」




 それだけの会話だった。


 だけど、どこかおかしい。

 ほんの少しだけ、かなの声が柔らかかった。


 いや、それだけじゃない。

 シャワーの音が止まって、濡れた髪のまま出てきた彼女は、バスタオルを胸元で押さえながら、いつもより少しだけ——表情があった。




「ねえ、プリン食べる?」




 その言葉に、聖斗は一瞬まばたきした。




(……どうした、かな)




 いままで、こんな風に何かを差し出してきたことなんて、一度もなかった。

 プリンだって、笑顔だって、雑談だって。


 彼女はずっと「肉体」としての役割に徹していた。


 けど——いま目の前にいる彼女は、まるで“普通の女の子”みたいに笑っていた。




 小さなプラスチックのカップ。コンビニのやっすいプリン。

 でも、それを「一緒に食べよう」って言うその仕草が、やけに現実味があって、居心地が悪かった。




「……プリンは、あとにする」


「ふふ、了解」




 彼女は笑った。




(……まじで、どうした)




 今までの高木かなは、まるで壊れた人形だった。

 抱かれても喘ぎ声ひとつまともに出さず、終わったあとに寝息ひとつ立てず、淡々とシャワーを浴びて帰っていく。


 それが、楽だった。


 何も求めない女。

 何も期待しない関係。

 恋人未満、でも性欲処理以上。

 そういう“都合のいい”存在だったはずなのに。




 なのに——今日は違った。




 肌を重ねる時も、どこか彼女の手がゆっくりで、

 目が合うたびに逸らしていたはずのその視線が、まっすぐこっちを見ていた。




(やめろよ……そういうの)




 こっちが壊れる。

 いや、いまにも壊れてしまいそうだった。





 行為が終わったあと、いつもならさっさと服を着て帰るはずの彼女が、

 バスタオルのまま、ベッドの端に座ったままぼーっとしていた。


「……あのさ」


 ぽつり、と彼女が言った。


「わたしってさ、なんでこういうことばっかしてんだろうね」




 心臓が跳ねた。


 冗談じゃない。

 そういう会話は、いらなかった。

 そういう“人間らしさ”を、こっちは求めてなかった。




 けど、止められなかった。

 その声があまりに寂しくて、弱くて、透明で。




「愛が欲しかったんだと思う」




 ぽつり。

 自分でも意外なくらい、素直な言葉が口をついた。


 かなは少し驚いたような顔をしたけれど、やがてその表情はふっとほころんだ。




「聖斗、やさしいね」


「……は?」


「ううん、なんでもない。プリン、食べよっか」




 そう言って、彼女はキッチンに立って、スプーンを2つ用意した。

 それを見て、聖斗はついに限界を感じた。




(この関係、もう終わりかもな……)




 都合のいい女が、“心”を持ってしまった。

 それは、もうただのセフレじゃない。


 何かを求められる関係。

 何かを期待される関係。


 聖斗の心は、静かに、でも確実に揺れていた。




(どうすんだよ、これ……)




 それでも、プリンを一口すくった彼女の笑顔は、どうしようもなく愛おしかった。




(……やめろよ、マジで)




 苦くないはずのプリンが、なぜか喉にひっかかった。



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