L◯NEの「うん」という短い返事を見た瞬間、聖斗はスマホをしばらく見つめていた。
既読も遅かったし、反応もいつもよりワンテンポ遅かった。
──なんか、変だった。
ずっと無表情で、無欲で、まるで機械のように“抱かれるためだけに存在していた”女。
あの高木かなの返事が、ほんの少しだけ柔らかく感じた。
「……気のせい、か」
独り言のように呟いて、煙草に火をつける。
真夏の夜、窓の外ではセミの声が途切れて、代わりに鈴虫の音がかすかに混ざってきていた。
秋が来る。
季節が変わる。
そういうの、嫌いじゃなかったはずなのに。
(なんで、こんなに落ち着かねぇんだ)
ベッドの上で、聖斗はずっと考えていた。
翌日、かなが部屋にやってきたのは午後8時ちょうど。
「遅れてごめん。ちょっと、道混んでた」
そう言って、コンビニの袋を提げていた。中にはお茶と、冷えたプリン。
え、何その手土産……? って一瞬思ってしまったけど、聖斗は何も言わなかった。
「お風呂、入ってきてもいい?」
「ん、ああ。いつも通り」
それだけの会話だった。
だけど、どこかおかしい。
ほんの少しだけ、かなの声が柔らかかった。
いや、それだけじゃない。
シャワーの音が止まって、濡れた髪のまま出てきた彼女は、バスタオルを胸元で押さえながら、いつもより少しだけ——表情があった。
「ねえ、プリン食べる?」
その言葉に、聖斗は一瞬まばたきした。
(……どうした、かな)
いままで、こんな風に何かを差し出してきたことなんて、一度もなかった。
プリンだって、笑顔だって、雑談だって。
彼女はずっと「肉体」としての役割に徹していた。
けど——いま目の前にいる彼女は、まるで“普通の女の子”みたいに笑っていた。
小さなプラスチックのカップ。コンビニのやっすいプリン。
でも、それを「一緒に食べよう」って言うその仕草が、やけに現実味があって、居心地が悪かった。
「……プリンは、あとにする」
「ふふ、了解」
彼女は笑った。
(……まじで、どうした)
今までの高木かなは、まるで壊れた人形だった。
抱かれても喘ぎ声ひとつまともに出さず、終わったあとに寝息ひとつ立てず、淡々とシャワーを浴びて帰っていく。
それが、楽だった。
何も求めない女。
何も期待しない関係。
恋人未満、でも性欲処理以上。
そういう“都合のいい”存在だったはずなのに。
なのに——今日は違った。
肌を重ねる時も、どこか彼女の手がゆっくりで、
目が合うたびに逸らしていたはずのその視線が、まっすぐこっちを見ていた。
(やめろよ……そういうの)
こっちが壊れる。
いや、いまにも壊れてしまいそうだった。
行為が終わったあと、いつもならさっさと服を着て帰るはずの彼女が、
バスタオルのまま、ベッドの端に座ったままぼーっとしていた。
「……あのさ」
ぽつり、と彼女が言った。
「わたしってさ、なんでこういうことばっかしてんだろうね」
心臓が跳ねた。
冗談じゃない。
そういう会話は、いらなかった。
そういう“人間らしさ”を、こっちは求めてなかった。
けど、止められなかった。
その声があまりに寂しくて、弱くて、透明で。
「愛が欲しかったんだと思う」
ぽつり。
自分でも意外なくらい、素直な言葉が口をついた。
かなは少し驚いたような顔をしたけれど、やがてその表情はふっとほころんだ。
「聖斗、やさしいね」
「……は?」
「ううん、なんでもない。プリン、食べよっか」
そう言って、彼女はキッチンに立って、スプーンを2つ用意した。
それを見て、聖斗はついに限界を感じた。
(この関係、もう終わりかもな……)
都合のいい女が、“心”を持ってしまった。
それは、もうただのセフレじゃない。
何かを求められる関係。
何かを期待される関係。
聖斗の心は、静かに、でも確実に揺れていた。
(どうすんだよ、これ……)
それでも、プリンを一口すくった彼女の笑顔は、どうしようもなく愛おしかった。
(……やめろよ、マジで)
苦くないはずのプリンが、なぜか喉にひっかかった。