【今日はやめとく。また今度でいい?】
そう送信して、スマホを伏せた。
それから、部屋の中にしんとした静寂が落ちる。
エアコンの音だけが、やけにうるさく感じられた。
(……ああ、バカみたい)
自分で送ったくせに、胸の中がきゅうっと痛む。
どうして、こんなに寂しいんだろう。
ほんの数日前までは、何人もの男たちとそうやって割り切っていた。
都合のいいときに呼んで、終わればバイバイ。
その繰り返し。
心なんて、要らなかった。
ただ抱かれることで、自分の存在を確認していた。
誰かに抱かれていないと、自分の体温すら感じられなかった。
(でも……あなたは、違った)
早川聖斗。
彼女持ちで、優柔不断で、優しさが罪な男。
だけど、私の「ポーカーフェイス」の奥にあるものを、無自覚にすくい上げてくれた人。
──たった一言。
「プリン、好きだったでしょ?」
その言葉が、今も脳内で繰り返される。
どうでもいい他人が、そんなこと言うわけない。
私の“好き”なんて、誰も覚えてない。
家族でさえ、知らない。
母は男とばかりいて、私のことなんか見てなかった。
誕生日にケーキが出たことも、覚えてない。
それでも、あの人は——
私の“ささやかな好き”を、覚えていた。
それだけのことで、世界が変わった。
距離を置いたのは、ただ怖かったからだ。
「感情を持ってしまった」自分に。
そして、それを彼に知られたら壊れてしまう気がして。
今までのセフレとは違う。
あの人にだけは、「セックスのための身体」になりたくなかった。
そのくせ、私にはそれしか渡せるものがない。
やっぱり私は、誰かを好きになる資格なんて、最初からないのかもしれない。
(でも、それでも……)
スマホを開いて、履歴を見返す。
聖斗とのL◯NE。通話。
彼が送ってきた、他愛ない「今日雨降ってるよ」みたいなメッセージ。
そのひとつひとつが、宝物みたいで。
好き、なんて言えない。
言葉にしたら壊れる。
でも、会いたい。
触れてほしいんじゃなくて、隣にいてほしい。
そう思うたびに、どんどん呼吸が浅くなる。
カーテンを開けて、窓の外を見る。
ビルの隙間に沈んでいく夕日が、街を赤く染めていた。
そういえば、あの人が来た日の夜も、こんな夕焼けだった。
何も言わずにプリンを渡して、気まずそうに笑って。
「……なんか、ごめん。俺、余計なことしたかなって」
そんなことを言う聖斗を見て、どうしようもなく泣きたくなった。
ああ、この人、ちゃんと私を見てくれてる。
私を“モノ”としてじゃなくて、
“誰か”として、接してくれてる——
その事実が、何より苦しかった。
(だって、私はそんな風に扱われる価値なんかないから)
母親からも、元彼からも、ろくに優しくされたことなんてなかった。
「お前みたいな女は、誰でもいいんだよ」
そう吐き捨てられても、反論する力もなかった。
なのに。
この人だけは、そうじゃなかった。
夜、スマホが光る。
L◯NEの通知。
差出人は、早川聖斗。
ただ一言。
【今日、ちょっとだけ会えない?】
たったそれだけで、胸が熱くなる。
“ちょっとだけ”でいい。
この人に会えるなら、それでいいと思ってしまう。
──でも。
会えばきっと、また弱くなる。
抱かれたくなって、抱いてほしくなくなる。
わけがわからなくなる。
それでも——
私はもう、とっくにこの人に依存してる。
(ああ、どうしよう。やばいな、私)
ソファにもたれかかって、ぼそりとつぶやいた。
初めて、自分の感情をちゃんと認めた気がした。
「私、たぶん、……ずっと寂しかったんだな」
その言葉を口にした瞬間、涙がすっと落ちた。
驚いた。
泣ける自分が、まだどこかに残ってたんだ。
スマホを握りしめたまま、再びL◯NE画面を見つめる。
【今日、ちょっとだけ会えない?】
私が傷つかないように。
あの人なりの気遣いだったのかもしれない。
それが、逆に痛い。
でも。
【うん。少しなら】
私は、たったそれだけの言葉を送信した。
心は、ぐちゃぐちゃだった。
でも、ただ一つだけ——
あなたのそばにいたい、その想いだけは、もう嘘じゃなかった。