目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第11話「プリンと仮面と、ほろ苦い嘘」

喫茶店の入口にぶらさがる鈴が、からん、と控えめに鳴った。

2回目の対面だった。


午後の陽が斜めに差し込む店内は、木目のテーブルとレトロなランプで統一されていて、どこか懐かしい空気を孕んでいた。聖斗は、その空気の中で、重く張りつめた沈黙に喉を詰まらせていた。


かなの向かい側には、葵がいた。


彼女の前には、小ぶりなプリンがちょこんと置かれていた。表面にはしっかりと焼き目がついていて、横に小さな銀のスプーンが添えられている。可愛らしい見た目とは裏腹に、そこに流れる空気は、甘さとは正反対のものだった。


「……で、いつからなの?」


静かな問いかけだった。でも、その声には刃があった。笑っているようで、目が笑っていない——そう、まるで舞台役者が観客を騙すような、完璧に計算された仮面のように。


「……」


かなは、何も言わなかった。いや、言えなかった。手のひらの上で指を組み、ただ目の前の木目をじっと見つめている。顔色は薄く、まるで血の気が引いた人形のようだった。


「かなちゃんさぁ、ずっと前から知ってたんでしょ? 聖斗が私と付き合ってるって」


葵の声が、じわじわと熱を帯び始める。彼女のスプーンが、プリンにゆっくりと突き立てられた。ぷるんと震えたプリンの上に、深いスプーンの跡がつく。


「それでも、知らないフリして……。ああ、そうか。いい子ぶってるのが得意なんだもんね。いつも、ちょっと伏し目がちで、無口で、感情出さなくて、でも男ウケする顔だけして……! ホント、あざといよね、そういうとこ!」


声が高ぶった瞬間、スプーンがプリンを突き刺したままぐしゃりと潰した。


プリンの中から、とろりとカラメルソースが溢れる。それはまるで、仮面の下から覗いた黒い本音のようだった。


「葵、やめろ……」


聖斗の声は弱々しかった。


彼は何も言い返せない。どちらの味方をしても、もう元には戻らないことを、本能で理解していたから。


かなは、ずっと下を向いたままだった。葵の言葉はナイフのように鋭く、でも彼女の顔には一切の怒りも、悲しみも、悔しさも浮かんでいなかった。


「ねえ、なんで何も言い返さないの? 黙ってれば許されるって思ってる? それとも、かわいそうな女の子って演じてるの?」


葵の声は震えていた。怒りというより、悔しさと哀しみが混じっていた。


「……ごめんなさい」


かなの唇が、ようやく開いた。


でも、その声は、耳をすませないと聞こえないくらい小さかった。潰れたプリンのように、ぽたぽたと静かにこぼれるだけの、申し訳なさだけでできた言葉。


「……なんで、謝んの?」


葵の声がかすれる。


「謝るくらいなら、最初から奪わないでよ……! 私は、ずっと信じてたのに……!」


葵の目から、涙が一粒こぼれた。


かなの目が、そこでやっと少しだけ動いた。ほんの少しだけ、葵の涙を見たその瞬間に。


——わたしは、誰かを泣かせたことがあるんだ。


その実感が、今さらのように胸の奥にじわりと染みていく。


「私……こんなに努力してたんだよ……? 聖斗に好かれるように、純粋な子に見えるように、バカなフリもした。怒らないように、笑顔も絶やさないように……なのに……かなちゃんみたいな子が、ただ黙ってるだけで、可哀想ぶってるだけで、勝っちゃうの? そんなの、ズルいよ……!」


葵の声が、喫茶店の中でひときわ高く響いた。


数人の客が振り返る。だけど、三人の世界には誰も入り込めない。


「……ズルい……なんて、思ったことないよ……」


かなの声が、か細く返った。


「ただ、どうしてかわからなかったの。誰かに必要とされるってことが……どんなものなのか。だから、好きにならないようにしてた。誰のことも……聖斗くんのことも……」


そう言って、かなはテーブルの上に視線を落とした。


潰れたプリン。そのほろ苦さが、口の中に広がっているようだった。


彼女は、自分の感情が“ある”ことに、まだ慣れていなかった。感情があるのに、どうやって表現すればいいのかを知らなかった。だから、ただ謝ることしかできなかった。


葵は、もう泣いていた。


ぐしゃぐしゃになった顔のまま、椅子を乱暴に引いて立ち上がる。


「……最低だよ、二人とも」


その言葉を最後に、彼女は喫茶店を飛び出していった。扉の鈴がからん、と鳴る。その音が、無言の余韻を残して店内に揺れた。


沈黙。


その中で、聖斗が、ゆっくりとかなに顔を向けた。


「……かな」


「……ごめん、ほんとに……」


彼女の声は、泣き声ではなかった。ただ静かに、心の奥の奥を搾り出すような響きだった。


甘いはずだったプリンの味が、まるでカラメルの焦げのように、彼らの舌にほろ苦さだけを残した。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?