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第12話 女の闇

 朋美が井浦和寿のマンションで同居して半月が経った。


 初夏のツツジの季節はすぎ、ベランダでは藍色の朝顔が花開く季節になっていた。朋美は、ベランダに詰み放題だったペットボトルや酒瓶、今は使われていないテラコッタの鉢を分別ゴミとして出した。そのテラコッタの鉢は、以前奈央が使っていたものだった。朋美が土で汚れていたベランダのタイルを亀の子束子で磨くと、緑のコンクリートが顔を出した。半月でマンションは朋美の色に染められ、奈央の痕跡が薄れていった。和寿は朋美の掃除を褒めながら、奈央の不機嫌な表情に気づかぬふりをした。


 朋美はキッチンで簡単な料理や洗い物をするようになっていた。いつの間にか洗いかごは新しいものに変わっていた。洗濯物の干し方が変わった。奈央は、自分の居場所が侵蝕されてゆくような不快感を覚えた。


 やがて奈央の食が落ち始めた。奈央の食欲不振は、暑さだけでなく、朋美がこの家を変えるたびに深まっていた。井浦和寿は、その変化を単なる夏バテだと思っていた。それを聞いた朋美は、近くのショッピングモールで口当たりの良いゼリーでも買おうと出掛けた。ところがどれも生クリームが絞られた胃に重いものだった。せっかく夜勤明けの体でここまで来たのだから井浦和寿の分も合わせて3個のケーキを買ってマンションへと戻った。保冷剤が入っていたにもかかわらず、生クリームはやっと形を保っていた。白いケーキの箱を開き、朋美は奈央にゼリーのケーキを勧めてみた。奈央はそれを一瞥すると、眼鏡を掛け刺繍針に糸を通し始めた。


「いらないわ」


 朋美は軽くため息を吐いて白い箱を冷蔵庫へ片付けた。彼女は白に水玉模様の平皿を準備した。この皿も、朋美が買って来たものだ。食器棚には可愛らしいコップや皿が並び始め、奈央が使っていた古臭い柄の皿は隅に追いやられた。


 朋美が奈央の隣に座ってケーキを食べ始めると、奈央は刺繍針を握りしめ、目を細めて朋美を見据えた。声は静かだったが、震えていた。そして、手の甲と甲を合わせ無表情で尋ねて来た。


「ねぇ、朋美さん。和ちゃんとペッタンコしたの?」


 最初は奈央がなにを言っているのか分からなかった。そして次の瞬間、目の奥に、女の闇を見た。彼女は朋美に、井浦和寿と男女の深い関係なのかを確認していた。朋美はその異様さに身震いがした。朋美は動揺を隠し、静かにスプーンを握り直した。


「はい、そうです」


 朋美の『はい、そうです』は、奈央の心に火をつけ、この家の均衡を崩す一撃となった。

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