目覚めた時にはもう遅刻が確定していた。一人暮らしのアパートで、どうせ今から行ってももう間に合わないのだからとタバコで一服をし、ヒゲを剃った。
デッサンの次の講義には何とか間に合いそうだ。そう思って、専門が入っているビルのフロントに来た時、エレベーターから出てくる彼女とすれ違った。
そう、ヌードモデルの、あの彼女だ。
服を身にまとった彼女の姿がなんだか新鮮で、秋は思わずエレベーターに乗るのをやめて、彼女のあとを着いていった。
最寄りの駅から山手線に乗り、4分の1周ほどしたところで彼女は電車を降りた。秋は気づかれないように慎重に尾行を続ける。
なんだか、いけないことをしているような気がするし、事実、秋はいけないことをしていた。
彼女は商店街を進んでゆく。彼女は雑居ビルと雑居ビルのあいだの路地裏に入った。
秋も路地裏に。
彼女が秋のほうを向いて立っていた。
※
タクシーの後部座席に秋と彼女はいた。
秋はさながら、連行される容疑者のようであった。
「デジタルメンタリズムの子よね?」
「はい」
「あたし、汐花(しおか)。汐留の汐に花で汐花」
路地裏で対峙してしまった時、汐花は秋の手首を引っ張って、タクシーに同乗させ、そして、秋に「運転手さんにあなたの家まで行ってもらうようにして」と告げた。
だから、そのタクシーは、秋が説明したとおりに、秋のアパートへと向かっているはずだ。
「あ〜。あれでしょう?私から見て右側の子でしょ?そういえば名前は?」
「市川秋(いちかわ・あき)と言います」
「お家は歌舞伎役者?」
「違います」
「冗談よ」
とりとめもない話をしているあいだに、タクシーは秋のアパートの前へ着いた。
【つづく】