専門学院をやめ、実家に戻ることになった秋(あき)は、アパートを引き払う前に、これが最後と思って汐花(しおか)を呼び出した。
「「話があるんだけど…」」秋と汐花はお互いに同じ言葉を切り出したのだった。
「え?」と秋。
「あたしから話すわ」と汐花。
「離婚することになった。あたしがこのアパートから出てくところも撮られてるし、この部屋の家主があなたなのも特定済みだった。もう、詰んでたんだよ」
「旦那さんの不倫は?」
「それに関しては証拠が無いからさ。女の勘ってだけで、向こうと違って探偵も雇ってないし。子ども二人の親権もあっちだよ」
「そ。そうですか……」
「で。そっちの話は?」
「実は、僕、専門やめて、実家に帰ることになりました」
「実家はなんか商売やってるんだっけ?継ぐの?」
「いえ……。受験勉強し直して、ちゃんと大学入れ、って」
「へえ。ふうん。ま、それぞれの価値観だけどさ。コロナとかで自由が制限されたり、AIで人の仕事が奪われたりして、まだ従来の価値観にしがみつくのかよ、って感じだけどね」
「じ、じゃあ、駆け落ちでもしますか?」秋は至って本気だった。
「あんたをそこまでの気にさせちゃったのは、悪かったよ。ちょっとやりすぎた。反省してま〜す」
「……。じゃあ、これがもう最後ですね」
「最後にヤっとく?」
「い、いや……。やめましょう。ちゃんと、お互い、まだこれから先に向けての新たな門出に、そういうのはダメですって」
「真面目だね」
「真面目なら、ちゃんと専門言ってます」
「あたしにはもう先はないよ〜。ヌードモデルだけじゃ食ってけないだろうし。人妻専門の風俗でも始めるか〜」
「北斗七星」
「うん?」
「はじめて、ヌードモデルとしての汐花さんの裸を見た時に、右わき腹のホクロが点々としてて、北斗七星みたいだなって思ったんです」
「そんなにいいもんじゃないよ」
「汐花さんと出会えて幸せでした」
「秋くんさあ…。あたしのことは、はやく忘れるんだよ。なんなら、経験人数に含めなくてもいいくらい。風俗で童貞捨てたことにすれば?素人童貞って感じでさ」
「そんな、汐花さんとのことを風俗だなんて……」
「あんたはこれから始まってく人間。あたしはもう終わった人間」
おもむろに、秋は、汐花の唇に口づけした。それ以上話すことをやめさせるかのように。
汐花はのけぞって、すぐに唇を離した。
「あれ。二人の門出にそういうのはナシにしよう、ってどの口が言ったの?」と汐花は苦笑する。
「汐花さん。マジです。駆け落ちしませんか?」
汐花はフッと口角を上げた。
「そうだねえ。雪国にでも行って、商売でもして、それで首が回らなくなったら、心中でもしようか?」
「はい!」
「そうだ。いいもん、持ってきたんだ」と汐花はカバンから何やらを取り出し、コンロのほうで何やら作業をして、コップを二つ持って戻ってきた。
汐花は、片方のコップを渡す。
「はい。日本酒。ぐいっとやってよ」
「じ、じゃあ、二人の門出に!ほとんど飲んだこと無いけど…」
※
目が覚めると、秋の部屋にもう汐花はいなかった。玄関の扉の内側に「睡眠薬盛った、ごめん」とだけ張り紙がしてあった。汐花さんとのSNSは全部ブロックされていた。
秋は悟った。ちゃんと別れるのが嫌だった汐花が、秋の日本酒に睡眠薬を混ぜ、秋が眠っているあいだに退散したのだと。
秋はどこかでホッとしてもいた。しょせん、汐花さんと駆け落ちなんて夢物語、机上の空論。うまくいきっこなかったのだ。親の言う通り、受験勉強して、大学入って、それで大学デビューして、人生をリセットする……。それでいいんだ、と。
でも、なんだろう。秋の頬を温かい液体が流れた。それが、涙であったとして、泣く理由なんかないじゃないかと、秋は一人のくせに強情をはった。
【つづく】