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第1話 8月13日

 その日、葛木颯希かつらぎさつきは実に10年ぶりに母方の故郷へと帰省してきていた。

 帰刻キコク村と呼ばれているその村は、調べてみても地図には載っていない、辺境の村だ。

 今どき日本にまだ「辺境の村」なんてものが残っていたのかと、驚いてしまう。

 けれどこの村はなんともジメジメしていて、薄暗くって、少しも楽しい雰囲気ではない。そんな所がなんとなく、推理小説やなんかの「辺境の村」というものをイメージさせ、颯希を納得もさせた。

 ただでさえ10年も足を向ける事のなかった、山奥の村だ。今年17歳になった颯希にはただの退屈な場所でしかなく、こうして森の中を散歩するくらいしかやることもない。

 新幹線で2時間、レンタカーで3時間。それだけの時間をかけて辿り着いた帰刻村は、森に抱かれるように家々がぎゅうぎゅうと押し込まれた、奇妙に密やかな集落だった。

 木々と家々が入り乱れているせいか、家は点在しているのにどこか息苦しいほどの圧迫感がある。

 周囲の木々が大きすぎて太陽光が強く入ってこないのと、小川が近くにあるせいか湿気が強いのも理由だろうか。

 お陰さまで暑くはないけれど、ジメジメとした空気は重苦しくて不快指数が高かった。ひんやりしているのに、暑い。相反する気配のようなものを感じて、それがとても嫌な心地だ。

 颯希は、つい先日亡くなったばかりだという祖母の棺に対面をしてからすぐに家を出てきたのだけれど、本当に見るものもやることもないのだなとガッカリするしかない。

 村ってこういうものなのか。

 都会っこの颯希にはまるで理解出来ないが、きっとまだ朝早い今の時間は村人たちも畑に出ているのかもしれないと、そう自分に言い聞かせる。

 早いと言ってもじきに昼だ。夏場の畑仕事も、もう終わる頃だろう。

 颯希は、人が出てきたら出てきたで面倒だなと思いながら、ふと思い立って獣道が出来ている脇道に入る。

 どうしたことだか知らないが、この村に来た時から颯希はおかしな視線を集めていた。

 これが、颯希が自分のことを「美人だからかな」なんて言える能天気な性格であったなら楽だっただろう。しかし颯希は、自分の外見が人に好まれない事を知っている。

 両親どっちかの曽祖父が外国人だったとかで、先祖還りのように色が薄く金色にも見える髪に、どうしてこんな色になったのかわからない赤色の瞳。髪は先祖還りだという事で納得はしたものの、赤い目ばかりはどうにも理由がつけられない。

 ただでさえこの金髪のせいで中学も高校も、「髪を染めているだろう」「ヤンキーなんだろう」と教師に目をつけられていたのだ。この赤い目だって、コンタクトではないのかと水道で何度も目を洗わされた事もある。

 今どきヤンキーってなんなんだ。腹が立つ。

 子供の頃は黒よりも少し明るい茶色、という感じだったのに、どうしてこんな色になってしまったんだろう。

 きっと村人の視線が厳しいのも、この目と髪のせいに違いない。軽く舌打ちをしながら、颯希は人目につかない小道を進んだ。

 裸足で来てしまったと気付いたのは、少しばかり道を進んだ頃だ。葉っぱがチクチクとスニーカーを履いただけの足を刺激して、見れば小さく切り傷なんかも出来ている。

 最悪だ。

 はぁ、と溜め息を吐いて、颯希は来た道を戻ろうとその場でくるっと半回転した。

 その社を見つけたのは、その時だ。くるりと振り返ったからこそ気付けた茶色くてボロボロの残骸のようなそれが社だと気付けたのは、神社やなんかのご神木にまかれている白くて四角い紙がくっついていたからだ。

 この紙だけはやけに真っ白で、ボロボロの建物には似つかわしくない新しさをしている。

 社の敷地なのだろう僅かに整備された痕跡のある平らな地面の中央には、これも小さくてボロボロの祠のようなものがある。だがもうすでに祠とは名ばかりで、中にある苔むした石が露出してしまっていた。一見すれば、この石が落ちてきたせいで祠が壊れてしまったのでは? と思ってしまう程の有り様だ。

 屋根は割れて雨を凌ぐ事も出来なさそうだし、きっとこの社は放置されてしばらく経っているのだろうなとわかってしまう。

 なんだか可哀想だな。東京育ちの颯希にとって、こんな朽ちた祠を見るのは初めてだった。そばに落ちていた大きな葉をそっと屋根の代わりにかぶせると、石の苔をほんの少し、指先で削ってやる。

 石はデコボコとしていて、きっと雨水で削れてしまったのだろうと思わせる滑らかな部分と、ちょっと尖った部分もある不思議な触り心地だ。

 颯希は座ったまましばらくその石を撫でると、そっと手を合わせてからその場を去った。

 何の神様なのかなんていうのは知らないし、どうでもいい。ただちょっと、雨ざらしになっていそうな石と祠が可哀想だったから、雨がしのげますようにと手を合わせただけだ。

 颯希はこんなナリだが、お地蔵様には手を合わせるし鳥居をくぐる時にもきちんと頭を下げる。以外だとかなんとか色々言うやつは居るけれど、そんなやつはほっとけばいい。

 そんなスタンスが余計に人を遠ざけているのだろうという自覚はあるが、それもまた颯希にはどうでもいい事だった。


「あれ、颯希ちゃん。どこさ言ってたね」

「ちょっとその辺散歩してました」

「あらあら、足に擦り傷さついとるじゃない」

「葉っぱで切っちゃたみたいで」

「ダメ、ダメよ。血はすぐに洗い流さんと。赤いのはね、ダメだから」


 獣道を抜けて村に戻って来ると、丁度畑の方からやってきていたこの村の村長さんの奥さんとかいうおばさんに遭遇した。

 この村ではかなり村長の一族が尊敬されているらしく、おばさんが着ている着物も場所の辺鄙さからは想像も出来ないくらいに上質なものだ。

 そんなおばさんに突然叱られてほんの少しびっくりした颯希は、おばさんに腕を引かれるままに村長の家の庭に連れ込まれてしまった。

 確か、今の村長のお母さんとやらが祖母の友人だったらしく、颯希も子供の頃はこの家の庭でよく遊んでいた、らしい。らしい、ばかりだ。でも、ただ聞いただけの話なのだから仕方がない。

 なにしろその話だって、颯希一家がここから引っ越す5歳までの話だ。颯希にとっては記憶にもない遠い過去のことで、立派なお屋敷に連れ込まれるのはほんの少し恐怖ですらあった。

 月城ツキシロ家。この村の代々の村長をやっているというその一家の屋敷は、やはり「辺鄙な村」と言うには無理があるのでは? というくらいにデカい。

 たまに東京でも住宅地の中にとんでもない大きさの家を構えている所があるけれど、この家はその比ではなかった。

 村の半分がこの一族のものなのじゃないかと、そう思ってしまいそうなくらいに大きな門と、立派な玄関。ちょっとばかり気後れしつつ屋敷を見上げていた颯希は、庭にある井戸の前に立たされると、黒いハンカチを握らされた。


「いい? 赤がなくなるまでしっかり洗うんよ」

「は、はい」

「今年はね、印花が出た縁起の良い年なんよ。村の中も綺麗にしておかんとねぇ」


 帰る時は、ちゃんと綺麗にするんよ。そう言って家の中に戻ってしまったおばさんは、ちらりと颯希の顔も見て去った。

 何となく自分の目についてもイヤミを言われているような心地になりながらも、颯希は特に文句を言うでもなく靴を脱いで血を洗い流した。

 印花、というのが、何の事なのかは知らない。どうでもいい。

 とにかく、今年は縁起が良いから赤いのはダメ。その言葉だけを覚えて、忌々しく噛みしめる。

 私だって別に、好きでこんな目の色になった訳じゃない。そう文句をつけてやりたくなりつつも、冷たい水で足を洗って少しだけさっぱりする。

 最後に借りた黒いハンカチで足を拭ってスニーカーを履き、血がまた出ていないかをチェックする。葉っぱでかすっただけなのでもう大丈夫そうだ。

 颯希は小さくホッと息を吐きながら、屋敷の方を見た。

 その時、屋敷の奥に居る人影と、目が合う。

 真っ白な、人だった。髪も、肌も、着ている着流しも真っ白で、一瞬死装束でも着ているではないかと思ってしまうほどに、白い人。

 颯希は、遠目からでもわかるその美しい面立ちに、今度はハッと息を呑んで見惚れてしまった。

 しかしその人は、颯希を見ていたのかと思った目を伏せて何も言わずに消えてしまう。摺り足で去っていくその足音だけが、白い人が居た僅かな証拠だ。

 誰だったんだろう。

 何となく見たことがあるような、無いような。

 何となく現実離れしていたその光景にドキドキとする胸をおさえながら、颯希はちょっとだけ浮足立たせて月城家を出て家に戻った。

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