翌日は、祖母の通夜が執り行われた。
なんでも、ここは県庁所在地からも遠く、公共施設からも離れているという事で先に火葬が行われるため、通夜や葬式が遅れてしまうのだそうだ。
颯希は棺を前にして行わない通夜というものが初めてだったので、何となく不思議な心地になってしまう。だって、眼の前にあるのは綺麗な白と黒の花の祭壇と、骨壺の入った綺麗な入れ物。それに、祖母の泣き顔の遺影だけだ。
何で泣き顔? と思って通夜が始まる前に祖父に聞いてみると、「帰刻村の風習なんだ」と言われたので、そういうものか、と思う。普通は遺影といえば笑顔なのではないかと思うのだけれど、なんで泣き顔なんだろうか。
やけに明るい声色で読経するお坊さんらしき後ろ姿と、その向こうの泣き顔の祖母の遺影を見つめてぼんやりと思う。
「なんか……やっぱ変なトコだな」
祖母の通夜は、賑やかだった。泣く者は少なく、笑顔の人さえいる。大往生だからだろうか。それにしては嬉しそうというか、ニコニコとしている人たちと香の匂いが、どうしても似合わない。香の白い煙は夏の湿気の中に漂っていて、それだけはちゃんとお通夜なのに。
颯希は喪服代わりの制服のスカートを整えると、見たことのない親戚たちや村の人達と、ぎこちない挨拶を交わす。
村の人々のほとんどがお焼香に来てくれたらしく、受付には常に列が出来ていた。
やることのない颯希が少し離れると、「気が利かない」だとか「スカートが短いわね」だとか「赤い目をしているのね」だとか、地元でも聞いたことのあるヒソヒソ話が聞こえてくる。ヒソヒソ話とは言え、本人たちはきっと颯希に聞かせたいのだろうとは、思う。
陰口というのは、往々にしてそういうものだ。面倒くさい。
けれど、制服のプリーツスカートは夏服なのにしっかりした生地なので重くて暑いし、半袖のワイシャツもピシッとしていて胸元のリボンもすごく邪魔で。
私だって別に好きで制服着てんじゃないんだけど。自分でも、今更に反抗期なのか? と疑ってしまうほどにイライラとしながら心の中で毒づいた。そもそもこの村に来たのだって、好きで来たわけじゃないのだ。
読経と親戚への挨拶が一通り終わると、あとは親戚一同が広間に集まっての精進落とし、らしい。火葬はもう行われているから、その辺の雑事をすっ飛ばすという事なのだろう。
颯希は、喪主の挨拶と並んで行われた村長のスピーチを聞いてから去っていく村人たちを視線だけで見送って、自分も一度外に出る。
ろくに覚えていない祖母。ろくに思い入れのない村人。悲しくもない通夜。
そのどれもが面倒で、暑苦しくて、外の空気が吸いたくなったのだ。家の庭には通夜に来てくれた村人のための簡単な食事や飲み物なんかが用意されているから、あえて玄関から外に出る。
線香の匂いのする家から抜け出すと、村の木々の香りがやけにハッキリと感じられた。蝉の声なんか、家の中に居る時には全然聞こえなかったのに外に出れば一気にやかましく聞こえてくる。最近では聞こえなかったその声は、ワンワンとやけに耳の奥に響いて残った。
「おい」
酒の入っている人間の大きな声は本当に鬱陶しいな、なんて思いながら空を見上げていると、不意に玄関が開く音と、まだ若い男の声が聞こえてきた。
状況からして明らかに自分に向けての声だろうと判断して、颯希は軽く垣根に寄りかかっていた背中を離して玄関を見る。
そこに居たのは、同じくらいの年頃の浅黒い肌の男の子だった。女子にしては背が高い方である颯希よりも背が高く、顔立ちはこの田舎にしては整っている方だろう。多分、都会に出てもモテそうな顔だ。
はて、こんな子は通夜に居ただろうか。
「喪主の孫がこんな所に居ていいのか」
「いいんじゃない? やることないし。それともなんか用だった?」
「……いや、そういうわけでは……」
少年は、小さな声でボソボソ喋る。視線を颯希に向けてくる事もないし、何が言いたいのかもさっぱりだ。
別に颯希は喪主でもなければ、祖母に特別な思い入れがあるわけでもない。精進落としは煮物ばっかりで少しも美味しそうじゃないし、用意されていた寿司をいくつか摘めば十分だった。
何故だか知らないが、精進落としの料理も白と黒か茶色で辛気臭いし、マグロもサーモンもイクラも無い寿司は食べるものがほとんど無い。
「ところで、アンタ誰? この村って年寄り以外にも居たんだ」
「そりゃ、居るだろう……数は、少ないけど」
「学校とかってあるの? どうやって行くの?」
「学校のある日は、朝にウチの使用人が車を出す」
「……使用人?」
あぁ、と頷いて、少年は少しだけ周囲を伺う。今の時間大人たちは大体酒盛りに入っているのだろう事は明白だが、一応それを確認した少年は颯希のすぐ近くまで来ると、
「
「あぁ……えぇ? マジで。わざわざそんな家のお坊ちゃんがお通夜来てくれたの?」
「親父も来てるし……一応」
彼の名前を反芻している間にも、綜真は相変わらずもごもごと喋っている。彼の話す村での生活は、颯希には全然馴染みのないもので少しばかり新鮮だ。
なんでも、この帰刻村にもそれなりに子供は居て、学校がある時期は毎日村長の家の使用人が車を出して送っている、という。スクールバスみたいなものだろうか。村長が尊敬されているというのも、こういう所にあるのかもしれない。
とはいえ、この村の道はそう広くはないように見えるので、バスみたいな車ではないだろう。多分。それでも十分なくらいの子供の数しか居ないのだ。
過疎化が酷いとか、限界集落とか。ニュースでそういった話題はよく見るけれど、この村にもきっとそういう波は来ているのだろうなぁと思うと、ここだってそのうち終わる村なのかもしれない。
この村に少しも思い入れのない颯希だが、一応は母の故郷だ。そんな村が無くなっていくのは、どうにもしのびない。
かといって、老人ばかりの森の中の村にどうやって人を呼び込むんだって話でもあるのだが。
「あ、私。
「知ってる……子供の頃遊んだことあるだろ」
「え? マジ? ぜんっぜん覚えてない」
「だろうと思った。俺は懐かしくてわざわざ来たのに」
「いやー、5歳までの記憶って案外忘れちゃうもんだよね。ごめんごめん」
不貞腐れているような言い方をしていても、綜真の表情にはあまり変化がない。
5歳までしか遊んだことのない友人をわざわざ覚えているだなんて、これはもしやお約束の「ハツコイの人」というやつだろうか? なんてちょっとニヤッとしつつも、まぁ有り得ないか、とアホな考えはすぐ捨てる。
この村に来てからあまりいい見られ方をしていないのだ。今更そういうポジティブな期待なんかはしていない。
それでも過去に遊んだことのあるという、いわゆる「幼馴染み」みたいな人が自分にも居たというのは素直に嬉しくて、颯希は玄関先の生け垣を背にしたまま綜真とおしゃべりを続けた。
まぁ、綜真は口数が少ないので、話すのはほとんど颯希の方だ。颯希だってあまりおしゃべりな方ではないけれど、綜真と話している間に落ちる沈黙は、不思議と嫌ではなかった。
「この村のお通夜って、なんか独特だよね」
「……そうかな」
「うん。なんか明るいっていうか……遺影は泣き顔なのに、来てくれる人はみんな笑顔なんだもん」
もしかしてばぁちゃん、結構村で好かれていたのかな。そうなら嬉しいんだけどな。
生け垣の葉っぱをプチリと一枚抜いて手遊びをしつつ、颯希はさっきまでの通夜の不思議を思い返していた。
泣き顔の遺影。笑顔の参列者。みんな涙は流さず、ニコニコ笑顔で用意されていたお線香の先を折っては新たに火をつけて、次の人に順番を回していた。
颯希は、通夜というものに参加したことは過去に一度もない。けれど、お焼香の時にはなんかソレ用の木のクズみたいなものをお香として焚いているのは知っているし、お線香の先を折って手を合わせて、それからまたお線香に火をつける、なんて作法は見たことがない。
なんだかそういう宗教なのかな、と思ったりはしたが、お坊さんを呼んでいるし祭壇は多少違和感があるものの仏教式のものとそう違いはないように見えた。
それでもやっぱり、変だな、と思うのだ。
自分が無知なだけかもしれないと思う部分も、そりゃあまぁ、あるのだけども。
「……この村には、独特な風習があるんだ」
颯希の話を聞いて黙っていた綜真が、颯希の祖母の家のお向かいを指さしながら、そんな事を言う。
つられて綜真の示す方を見ると、そこの家にはまるで火で燃やした痕のような真っ黒な土が玄関の前にぽつんとあった。
玄関と門の間。誰もが自由に入ってこれるようにと開かれた門扉の少し奥の地面に、円形に真っ黒い部分があるのはなんとも異様だ。火事でもあったのかと一瞬思ってしまったが、地面が湿っているようにも見えるのでそういうわけでもないのだろう。
なんというか、そこで焚き火でもしたような、そんな感じだ。
「
「り、りぼんのさかび? りぼんって、髪飾りの事じゃないよね?」
「裏の盆で、りぼんだよ。外で言うなら、お盆の迎え火、って所かな。この村では、大事なものはみんな〝さかさま〟なんだ」
さかさま。
綜真の言葉を繰り返して、一度目を話した黒い痕を、もう一度見る。
お盆の迎え火なら、颯希にもとても馴染みがあるものだ。なのに、りぼんのさかび、と言われると何の事を言っているのかさっぱりわからない。
さかさま、というのも、何のことなんだろう。
それにしても、そうか。今日は8月13日。ぴったりお盆だ。その場合、初七日とかはどうするんだろう。
「今日は、逆さ暦の19日。裏盆で家族を迎え入れる日なんだ」