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第6話 違和感のさかさま

 通夜が終われば、血縁者でもやることなんかは特にないものだ。

 颯希は、仏間に追加された祖母の遺影に手を合わせながらどこからともなく聞こえてくる老人たちの笑い声を聞いていた。

 日田さんという家は思ったより近かったらしくって、昨日の颯希の祖母の通夜の時のようにみんなでワイワイとやっているのだろう。

 通夜なのに、という気持ちはあるが、綜真と話をしたお陰で「この村だからこそ」のものだと受け入れる事が出来るようになっていた。問題は、この感覚を都会まで引き摺らないかどうかだ。

 颯希は、ちらっと仏間に飾られている写真を見上げた。仏間の長押の上。仏壇を見つめるようにぐるっと飾られた一族の遺影は、みんな涙を流している。

 中には小さな子供の泣き顔の遺影もあって、不気味どころのはなしじゃない。元々、こういう遺影だらけの部屋というのはどうにも独特な空気があるものだが、その遺影が泣き顔となるとどうにも落ち着かない気持ちになった。

 そもそも人に泣き顔を見せるのが嫌いな颯希は、しみじみと「この村で死にたくないな」と、そう思ってしまう。死んでも泣き顔を晒され続けるなんて、冗談じゃない。

 颯希は、日田さんのお通夜に行っている祖父と母から頼まれた仏壇の片付けをしながら、聞こえてくる笑い声にゾッとする。

 その仏壇も、とても気味が悪かった。

 颯希はずっと「お香がいい匂いだ」と思っていたが、この村の線香の匂いが強いのは、どうやらお仏壇に供える物の匂いを誤魔化すためのようなのだ。

 腐ったもの、と言うべきか。とにかくこれから廃棄するだろう食べ物を、この村では仏壇に供えるらしい。今日祖母の仏壇に備えられていたのも、一昨日作っていた煮物が糸を引いているものと、カサカサで白くなったおはぎだった。

 最初は「祖父は祖母の事が嫌いだったのか?」なんて思った颯希だったが、これがこの村の風習だと言われれば口を閉じるしかない。祖母が亡くなったと連絡を受けた時、祖父ははおはぎが大好きだったのでお土産に頼む、とも言っていた。

 だから颯希と母はお仏壇用にと近所でそこそこ有名な和菓子屋さんのおはぎを買っていったのに、そのおはぎが真っ白でカサカサになって仏壇に置かれている衝撃は言葉にならない。

 祖父に悪気なんかはない。ただ、この村の風習なだけ。

 わかっているけれど、朝から置かれていてすっかり嫌な匂いをさせるイカと里芋の煮物の匂いが、仏間に残って気分が悪い。

 下げたお供え物をそのままビニール袋に捨てながら、颯希はまだしばらく残るだろう匂いにうんざりした顔をした。

 しっかりとビニールの口を締めないと、匂いが漏れ出てくるかもしれない。いっそのこと庭に埋めてしまったほうが良かったのだろうか。いや、塩分は家庭菜園にも良くないか。

 しっかりとお皿を洗ってから、ビニールを持って庭にあるゴミ箱にビニール袋を捨てに行く。悪くなった食べ物は冷凍庫で凍らせてから捨てる方が匂わないが、どうせ夏ですぐ溶けてしまうから意味もないだろう。

 よくある青色で蓋付きのゴミ箱を開けると、中からは腐った食べ物の匂いがしてきて「ウッ」と息が詰まる。これ、祖父は毎日毎日腐りかけのものを仏壇に供え続けているのだろうか。危うく痴呆でも出ているんじゃないかと思ってしまいそうな行動だが、これもこの村では普通の事。

 何度も「この村の風習」として受け入れた事でも、こうして自分の中の常識とはまるで違うものを見てしまうと気味の悪さで頭痛がした。

「……ん?」

 急いでゴミ箱の蓋を閉めて家に戻ろうとすると、山へ向かう道の方にポツポツと明かりがある事に気が付いた。

 日田さんの家の方向とは違う――この村に来たばかりの時、退屈した颯希が入った獣道の方だ。もしかして誰かがあの壊れた社にでも行こうとしているのだろうかと首を傾げ、ほんのりとオレンジっぽい色をしている明かりを見つめる。

 なんだか、久し振りに暖色を見た気がする。そんな事を思いながら、颯希は庭の下駄履きのまま庭を出てオレンジ色の光の方へ向かってみた。

 今は学校のジャージを履いているから、くさむらに入っても足も傷つかないだろう。それより、赤が禁忌とされているこの村で赤っぽい色を灯している何かが気になって仕方がない。

 カランコロンと、下駄を鳴らしながら明かりを見失わないように進むと、ほんのりと白い光で明るい広場に行き当たった。見てみれば周囲には出店のようなテントや、暗くてハッキリしないが、一段高い舞台のような場所もある。

 もしかして、ここが裏盆踊りの会場なのだろうか。

 きょろきょろと周囲を見回しながら、颯希はさっきのオレンジの光を探した。

 と、颯希はさっき見ていた舞台の方に人影があるのに気がついた。白い服を着た、背の高い人だ。舞台自体が黒い木枠で作られていたのと舞台の周囲が暗いせいで、白い服を着ていなかったら気付かなかったかもしれない。


「……十燈さん?」


 舞台に立っていたのは、十燈だった。

 頭に白い薄布をかぶり黒っぽいゴツゴツとした面をつけてはいるが、あんなに綺麗な白い髪と肌の人は十燈以外には居ないだろう。

 十燈は、颯希の声に気づいていないのか、粛々と舞っていた。

 手にしている白い扇子は木で造られたもののようで、ヒラリヒラリと翻るたびに白檀のようないい香りが風にのって届く。

 これは綜真の言っていた【さかさまさま】への奉納舞の練習、だろう。

 しかし、颯希は過去に何回か神社の巫女さんたちが踊る神楽舞を見たことがあるが、それとはまるで違う舞だ。神様によって舞が違うのは想像出来るが、なんというか……見ていても厳粛な雰囲気はまるで無い。

 あの面の形相が恐ろしいのもあるのかもしれない。ただただ、恐ろしいものを見ているような気がして仕方がなかった。

「……そこに誰か居るのか」

「あっ、ご、ごめんなさいっ」

「あぁ。えーと……颯希ちゃんだね」

「すみません。なんか、オレンジの光が見えて気になっちゃって」

「オレンジの光……? そっか」

 言葉を失ってただ舞を見ていると、ピタリと動きを止めた十燈が周囲を見回した。

 面を取っているのを見て慌てて声を上げると、声だけで分かってくれたのか十燈の雰囲気が和らぐ。まるで、舞台の上で鬼と天女が切り替わったかのようだ。

 今までの不気味な舞と十燈の美しさの切り替わりにドキドキとしながら、颯希はにっこりと微笑んだ十燈にヘラっと笑みを向ける。

「裏盆踊りの練習……ですか?」

「綜真から聞いたのかな」

「はい。明後日なんですよね。こんな遅くまで踊ってるなんて、すごいです」

「ありがとう。でも颯希ちゃんも、部活とかだと遅くまで練習してるんじゃないか?」

「あーそれは……してますね」

 手探りで舞台から降りようとする十燈に手を差し伸べ、颯希は思わず笑みをこぼす。確かに言われてみれば、部活で遅くなるのなんかは颯希にはいつもの事だ。

 都会と田舎という違いはあるけれど、夜遅くまで練習する熱心さにジャンルなんかはない。

 それにしても、部活について言われたのはこの村に来て初めてだ。村の人達は颯希を遠巻きにしているし、綜真とは学校の話なんかはしなかったので懐かしい気持ちになる。

 あぁ、バスケがしたいな。

 ほんの数日なのに、もう随分とボールに触っていないような気がした。

「そのお面が、さかさまさまですか?」

「あぁ、そうだよ。本番はこの面をさかさまにかぶって踊るんだ」

「……あの、こんな事聞いていいいのかわかんないんですけど」

 【さかさまさま】って、どんな神様なんですか?

 十燈の持っているお面の異様な雰囲気と、本番ではこれを逆さまにするという不思議さに好奇心が負けて、颯希は一歩、踏み込んでしまった。

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