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第2話 卒業の日の想い出

 どこかで涼やかな音が鳴った気がして奏杜は足を止めた。


「ふむ……風鈴のような音ではあるのだけどね」


 傍らを延びる六車線の車道に背を向ける形でふり返れば、地元ではあまり目にすることのない背の高いビルが建ち並んでいる。

 慣れ親しんだ陽楠市が田舎町であることは承知していたが、やはり本物の都会は何もかもがスケールが違う。

 同じように田舎町の出だという大学の友人は、こびとになった気分だと評していたが、その気持ちも分からないではなかった。

 奏杜は、ひとまず耳を澄ませつつ、近くのビルを順に眺め見るが、音の出所は見当も付かない。そもそもが、この喧噪の中で小さな鈴の音が聞こえるかどうかが疑問だった。

 それに、奏杜がこの音を耳にしたのは、これが初めてではない。

 場所や時間帯を問わず、ふとした時に、それを聞いた気がして、同じように辺りを見回すのだが、音の出所は一度として見つかることがなかった。

 そうなると、経験上、怪異の存在を疑うべきなのかもしれないが、奏杜にとってその音は決して不快ではなく、むしろ心地良いもので、とうてい危険な現象とは思えなかった。


「やっぱり、空耳なのかな」


 残念そうに肩をすくめると、奏杜は再び歩き始めた。

 考えてみれば、奏杜の母は風鈴が好きで、一年中家のどこかに吊していた。もしかしたら軽いホームシックで、耳馴染んだ音を思い返してしまうのかもしれない。


「たまには、どこかでゆっくりと故郷を偲ぶのも悪くはないか」


 ふるさとは遠きにありて思ふもの――そんな有名な詩が頭に浮かぶが、これは故郷の素晴らしさを謳ったものではなく、むしろその逆だ。


「でも、幸いなことに、わたしは間違った解釈の方が好きなんだよね」


 ひとりごちると奏杜は通りを曲がって山の手の住宅街を目指すことにした。バイトの先輩から聞いた話では、そこの高台には公園があり、街並みを一望できるようになっているそうだ。

 見上げれば、都会の空は地元で噂されていたような灰色のものではなく、眩いほどに青く輝いているが、街中では高層建築に視界が遮られるため、空が狭く感じられる。

 お陰で強い陽射しが遮られて涼しくなる――なんてことはなくて、この日も街中に熱気が立ち込めているが、奏杜は平然とした顔で小気味よく足を進ませていた。

 いつものことながら、舞台役者のように所作のひとつひとつにキレがあり、見る者に颯爽とした印象を与えるが、とくに意識してのことではない。

 それなりに長い距離をバスも使わずに歩いて移動しながら、奏杜の心には早くも故郷の思い出が甦り始めていた。



 真っ先に思い返したのは卒業の日の一コマだ。

 近場の森に現れた怪物マリスを一掃して、部室に戻ってきた部員を出迎えたのは顧問の西御寺さいおんじ篤也あつやだった。


「みんな、本日までご苦労だった」


 いろいろと重たい過去を抱え込んだ彼は、それに反して普段は道化のような振る舞いをしているが、この時ばかりは生真面目な態度を崩すことはなかった。


「いかに金色の武具アースセーバーの力があったにせよ、諸君らの戦いは常に命懸けのものだった。世間の人々が、その事実を知ることはないが、我々は諸君らが本物の英雄であることを知っている」


 英雄などと言われると気恥ずかしさもあるが、やはり誇らしい気持ちもないではない。

 これまで解決してきた事件は優に二桁に上り、それによって命を救われた人間もひとりやふたりではない。

 感慨に耽る奏杜たちに向かって篤也は言葉を続ける。


「だが、ここでの日々は、すべて忘れてくれ」


 意外な言葉ではない。先代の卒業生たちが、同じ日に同じことを告げられたことは三年生の全員が記憶している。


「今日まで諸君らは貴重な青春時代を人々の安寧のために費やしてくれた。だからどうか、ここからは戦いなど忘れて穏やかに生きて欲しい。仲間同士での思い出話も避けた方がいいだろう。言葉はささやかなものではあるが、それそのものが一種の呪文であるため、ヘタをすれば諸君らと怪異の縁を結びつける一因になりかねない」


 寂しい話だが、三年間怪異に携わっていたからこそ納得もできる。

 心残りは過酷な運命を背負わされた顧問の篤也と、ひとり残される一年生部員の朋子だが、他ならぬ本人たちが「心配無用」と宣言してくれている。

 強がりもあるのだろうが、篤也の問題は他人がどうこうできるものではなく、後輩の心遣いも無下にしたくない。

 奏杜は息を吸い込むと、三年生を代表して篤也に告げる。


「先生、三年間本当にありがとうございました」


 そのひと言を口にするために、意外な労力を必要としたことに、奏杜自身が驚いていた。やはり胸に満ちる想いは決して小さくはなかったということだろう。

 卒業式でも涙は出なかったが、この場面でなら泣いてもいい気がした。

 もっとも、そう思うとかえって涙腺は仕事をせず、結局は平然としているかのような振る舞いになってしまう。

 奏杜たちを見送る朋子もまた、淡然たるものだったが、もしかしたら内心では同じような想いを抱いていたのかもしれない。

 なんにせよ、突然の出動でタイミングがずれ込んでしまったが、別れの挨拶は卒業式の後にすませている。あまりクドくなるのも避けたかったので、最後は簡素なものだった。


「元気でね、朋子」

「はい、先輩方も」


 軽く手を合わせて別れの言葉を交わすと、後輩の肩に乗っていたニワトリが短く声をあげた。

 この奇妙な篤也のペットとも、これでお別れだと思うと名残惜しいものだ。


「ありがとう、コカトリス。お前も元気で」


 頭の後ろを軽く撫でながら告げると、ニワトリは気持ちよさそうに目を細めた。

 やがて他の三年生も口々に別れの言葉を告げて、最後は奏杜を先頭にして全員が部室を後にする。

 奏杜たちにとって高校の卒業式は、正義の味方を卒業した日でもあった。



 卒業の日を最後に、奏杜は生真面目に言いつけを守って、ごく普通の日々を過ごしている。

 自分たちが卒業した後の地球防衛部がどうなっているのか、もちろん気にならないはずもないが、何も連絡がないということは、むしろ上手くやっている証拠だろう。

 だいたいが上京してから今日までの毎日は、やたらと目まぐるしく、高校時代をまともにふり返っている余裕がなかった。

 気がつけば仲の良かった高校の友人とも、四月に一度か二度電話で話したきりで、実家にさえ自分から電話をかけることは稀だ。

 では夏休みに入って暇になったかというとそんなはずもなく、仕送りを続けてくれている実家の負担を少しでも減らそうと、アルバイトに明け暮れる日々を送っている。

 ただ、この日はアルバイト先の都合でポッカリと予定が空き、意図せず暇ができていた。

 のんびりと思い出に浸るには、またとない一日だ。

 優に一時間近い距離を歩いて目的地に着くと、その公園は地図で見た印象よりも大きくて緑豊かな場所だった。先輩の言葉通り、都会の街並みが一望でき、木陰にはちょうど良いベンチが置いてある。奏杜はそこに座って一休みすることに決めた。

 公園の奥にはカラフルな遊具も並んでいるが、そこで遊んでいる子供の姿はない。

 おそらくは強すぎる陽射しのせいだろう。ジリジリと照りつける夏の太陽の中でもセミだけは元気よく鳴き続けているが、住宅街には人影もなく閑散としている。

 高校時代はこんな日でも突然出動がかかったりして、仲間たちがよくぶーたれていたものだ。

 思い返してみれば充実した日々だったが、そこで行われていたのは怪物との命のやり取りだ。どこかで区切りを付けなければ、一生戦い続けることになりかねない。

 実際に、あえてそれを選んだ先輩もいるとのことだが、家族のことを思えば、あれが潮時だった気がする。

 手で庇を作りながら、遠くの空を見つめていると、小さな足音が公園脇の歩道から聞こえてきた。


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