「副住職さんはあのお寺にお住まいを?」
そう聞くと副住職が言う。
「そうですね…とは言ってもあのお寺は住職の家も兼ねておりますので、私はそこに居候している形になりますね。」
副住職は運転をしながらそう言う。
「お寺の本堂の奥、と言いますか…離れがあるんですよ。」
私は檀家さんでは無いので、あのお寺の位置関係は良く知らない。入って左手の奥にお墓が見え、その手前に本堂がある。本堂に隣り合うように建てられていて、私が通された応接室のある建物は比較的新しかった。
「私は離れに住まわせて貰っています。」
そう副住職が言う。
「そうなんですね。」
住職や副住職がどんな仕事をしていて、どういうスケジュールで動くのか、全く想像が付かない。
「あのお寺には他にも僧侶の方が?」
そう聞くと副住職が微笑む。
「そうですね、他にも後二人、おります。その二人は修行僧ですが。」
そう言って副住職がウィンカーを出す為に少し身を乗り出す。無事に右折して車が進む。何を話したら良いんだろう。そう思いながらも私の口から出た言葉は前から聞きたいと思っていた事だった。
「副住職さんはおいくつなんですか?」
そう聞いた瞬間、私は何を聞いているんだろうと思う。副住職が少し笑って言う。
「私は今年、三十歳になります。副住職としては若い方ですね。」
三十歳…。私よりも二つ年上だ。そしてその若さで副住職になれたのだから、きっとこの方は優秀なのだろうと思った。何をもって優秀とするのかは分からないけど。言葉が途切れる。ふっと副住職が笑い、言う。
「
そう聞かれて言う。
「あぁ、えーと。私は父とは別で住んでいて、実家はこの辺りなんですけど、私の住んでるアパートはここから少し離れてますね。」
そう、実家をどうするのか、まだ決めていない。名義の変更や登記簿の名義変更など、いわゆる遺産というものが少ないけれどあった。それも全部、葬儀屋さんが相談に乗ってくれて、葬儀屋さんと連携の取れる税理士事務所さんにお願いしてある。
「実家をどうするのか、決めかねているんです。」
何故、そんな事を話し出したのか、分からなかった。でも誰も相談に乗ってくれる人が居なくて、途方に暮れていたのだ。
「今、自分が住んでいるアパートは職場からも近いので、便利ではあるんですけど。実家にはもう誰も居ないので、そのままにもしておけなくて…。」
副住職が言う。
「そうですか、職場はご実家からは遠いんですか?」
そう聞かれて苦笑いする。
「通えない距離では無いですね。」
そこで溜息をつき、言う。
「本当は分かってるんです、私が実家に帰って、実家を生活の拠点にするべきだって…」
実際問題、職場まではそう遠くも無い。今のアパートが便利だってだけだ。
「そんなに急いで決めなくても良いと思いますよ。」
そう言われてハッとする。副住職は微笑んで言う。
「お父様も突然の逝去だった聞いていますが、いつでも娘さんであるあなたに幸せであって欲しいと思っていた筈です。だからあなたは自分の為に、自分の実家の事を考えて良いのですよ。」
気付けばハラハラと涙を流していた。
急がなくて良い
私の幸せを願っていた
自分の為に動いて良い
そう言われてふっと肩の荷が下りた気がした。持っていたカバンからハンカチを出して、涙を拭く。
「ありがとうございます。」
そう言うと副住職が微笑む。
◇◇◇
お墓に到着し、石材店の方にお骨を収めて貰う。その間、副住職がお経を唱える。お墓を開けた時、母の骨壺が見えて、やっとお父さんと一緒だね、なんて思ったりもした。
「あとの処理はしておきますので、お帰り頂いて大丈夫ですよ。」
石材店の方にそう言われる。
「ここからのお帰りはどうなさるんですか?」
副住職にそう聞かれて、苦笑いする。
「歩いて帰れる距離ですけど…。」
タクシーでも呼ぼう、そう言い掛けた時。
「良かったらお送りしますよ。」
副住職にそう言われて少し迷う。そんな事までお願いしても良いのだろうか。この墓苑は住宅街から少し離れている。雑木林を抜けないといけない。
「お荷物もありますし、どうぞ。」
優しくそう言われ、ここまで言って頂いて断るのは逆に失礼になりそうな気がして、頷く。
ポツポツと、雨が降り出す。
車に乗り、位牌と遺影だけになって、何だか身軽になった気がする。
「降り出しましたね…」
副住職が空を見上げてそう言う。
「そうですね…」
車が走り出す。雨脚が急に強くなる。
「副住職さんはこの後もお仕事ですか?」
そう聞くと副住職が言う。
「寺に戻ったら、通常の業務ですね、寺の経理だとか、そういうのです。」
経理と聞いて、何だか親しみを覚える。
「そうなんですね。」
実家までの道案内をしながら、意外と僧侶の方々も、それ程、戒律には厳しく無いのかもしれないなと思ったりする。
車が実家の敷地内に入る。その頃には雨がかなり強く降っていて、車を出た途端にびしょ濡れになりそうな程だった。朝、家を出る時は降っていなかったので、傘なんかは持っていない。でもどうせもう家に入るだけだし、家に入ってしまえば、後は着替えてしまうし。
「送って下さってありがとうございました。」
そう言う私の声は雨の音にかき消される。副住職が苦笑いして少し大きな声で言う。
「少し待ちましょうか。」
雨の打ち付ける音がうるさくて、ビックリするくらいだ。
ザーッ
地面に溜まる水、吹き荒れるような風、家の入口に植えてある紫陽花が前に打たれて揺れている。
「
不意に名を呼ばれる。驚いて副住職を見ると、副住職の顔が近くにあった。慌てて顔を背ける。
「はい。」
返事をすると、副住職が言う。
「この後なんですが…」
この後、と言われてドキッとする。
「今年は新盆になりますよね…」
そう言われて自分が勘違いをしていた事を恥じる。
「はい…」
返事をすると、副住職が雨音の中、言う。
「新盆での法要はお考えですか?」
そう聞かれて苦笑いする。
「うちは私一人ですし、特には…」
そう言うと副住職が私の耳に口を近付けて言う。
「お盆の時期は、忙しくなりますので、お早めに…と言おうと思ったんですが。」
そこで言葉が止まったので、失礼だったかなと思い直し、副住職を見る。
「あの…」
そう言い掛けた私の目の前に副住職の顔がある。