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第4話ー指の背ー

副住職はその場で私の涙を拭い、私の肩に触れる。その手が温かくて、優しくて、縋ってしまいたくなる。でも、それはダメだ。そう言い聞かせる。式台に座った副住職が言う。

「良ければお話、聞きますよ。」

そう言われて私は副住職のハンカチで涙を拭いて、言う。

「あの、玄関で話すのも失礼なので、どうぞ。」



副住職に上がって貰う。少し冷静さを取り戻した私はリビングに副住職を通す。キッチンに入り、お茶の用意をする。ふと、副住職は何でここへ来たのだろうと疑問が浮かぶ。作務衣姿だった。今日は僧侶のお仕事の方は無いのかな、そんなふうに思う。普段はあんなふうに作務衣姿なのだろうか。お茶を入れて盆にのせ、リビングに入る。さっき、伯母が追いはぎのようにお酒を持ち去ったので、リビングの棚の扉が開けっ放しだった。恥ずかしい、そう思いながらリビングのソファーに座る副住職にお茶を出す。

「どうぞ。」

そう言って手を引っ込める。夕暮れが窓から差している。

「では遠慮なく。」

副住職がそう言って、お茶に手を伸ばし、湯飲みを掴む。綺麗な手だな、とそう思う。私は立ち上がり、棚の扉を閉めながら聞く。

「今日はどうして…?」

そう聞くと副住職が静かに言う。

「近くまで来たので、お顔を拝見しに。」

檀家でも無い私の家に来る理由が分からない。檀家さんであれば、お寺の住職さんに相談するといった事が今でもこの辺りには風習として残ってはいると聞くけれど、うちは違う。うちは葬儀屋さんに紹介されただけの、いわば通過するだけの付き合いじゃないんだろうか。そう思っていたら口にそれが出ていた。

「檀家さんでも無いのに。」

自分でもそう言ってハッとする。何を言っているんだろう。気に掛けてくださったというのに。副住職は笑って、言う。

「これも何かのご縁でしょう。」

そう言われて副住職を見る。副住職は優しく微笑み、言う。

「お父様の葬儀を執り行わせて頂いたのも、何かのご縁だと思っていますよ。それに。」

そこで副住職が言葉を切る。一瞬の間。

「お父様が亡くなられて、お一人で色々大変な思いをしているのでは、と。」

副住職はそう言いながら私から視線を外した。そして自嘲気味に笑う。

「余計なお世話とも言いますね、一般的には。」

そんな副住職の顔を見て、私は罪悪感を抱く。この人にこんな顔をさせてはいけないのに。そう思う。棚から離れ、私は座る場所を探す。向かい合うのも何か変な気がして、副住職の座っているソファーの斜め前、さっきお茶を出した時に膝をついた場所へ座る。

「来てくださって助かりました。」

そう言いながら、さっきの場面を思い浮かべる。伯母に頬を張られた次の瞬間には副住職が現れた。まるで危機を救うヒーローのように。そこでポケットの中のスマホがメッセージの受信を知らせる音を鳴らす。副住職がふっと笑い言う。

「どうぞ。」

それはメッセージの確認を、という意味だろう。スマホを取り出し、メッセージを開く。


『さっきの坊主は誰なの!

 アンタ、もう男を兄さんの家に連れ込んでるの?!

 そんなんだと頭も股も緩いと思われるわよ!

 悪い事は言わないから、私にその家、寄越しなさい

 私も今の家を出たら、どこにも行くところなんて無いのよ

 私の兄さんの家なんだから私にも権利ぐらいあるでしょ!

 あと、遺産が入ったら連絡しなさいね!』


一方的な内容。読んで失笑してしまう程の自分勝手な内容だった。

「大丈夫ですか?」

そう副住職に聞かれて私は笑いながら、スマホを差し出した。これを読んで貰えれば、大体の事情は分かるだろう。副住職は私が差し出したスマホを手に取る。その時、一瞬だけ手が触れ合う。慌てて手を引っ込める。私のスマホは滑るように副住職の手の中に落ちる。副住職がスマホの画面を見ている。綺麗な顔立ちだなと思う。意外と睫毛が長くて、髪を剃っていなかったら、きっとすごくモテていたんだろうと思った。

「すごい方ですね。」

副住職が笑いながら私にスマホを返してくれる。私はスマホを受け取りながら、また手が触れ合う事を望んでいる自分に少し戸惑う。

「父の妹にあたる人なんです。父が亡くなった時に連絡は入れたんですが、遠方だからと言って葬儀には来ませんでしたし、元々、ああいう人なんです。」

幼い頃から、伯母には色々言われて来た。母が亡くなった時も伯母は家に来て、値踏みするように家の中を見ていた。父がすぐに帰れと言って、帰らせたのはそういう理由だったからだと分かる。手渡されたスマホの文字を見る。そこには労わりだとか、そんなものは入っていない。副住職はそう話す私の言葉を真っ直ぐに聞いてくれる。

「今日、急に家に来て、家の中を物色しながら、この家に住まないなら、この家をくれなんて…遺産入ったら寄越せとか…帰り際には母の形見のスカーフだって勝手に…」

あぁ、ダメだ、このままだと止まらなくなる。私は言葉を飲み込む。

清果きよかさん。」

そう呼ばれて副住職を見る。彼は優しく微笑んで言う。

「話して良いんですよ、私で良ければどんなお話でもお聞きします。」

不思議な人だ。スルッと心の中に入り込んで来る。私だってそれ程“簡単な女”じゃないつもりだった。こんなふうに自分の家の恥部を晒してしまうなんて、こんなふうに悪し様に人の事を言うなんて、本当に心を許した相手じゃ無ければ、やって来なかったのに。副住職の顔は穏やかで、仏門に入った人は皆、そうなのかもしれないと思う。

「…本当に何でも話してしまいそうなので、この辺りで止めておきます。」

そう言って俯く。不意に副住職の手が伸びて来て、私の打たれた頬をその指が軽く撫でる。

「冷やした方が良いかもしれませんね。」

くすぐったい感覚。打たれた直後からヒリヒリしていたから、急に指の背で撫でられて、鳥肌が立つ。

「少し赤くなっていますよ。」

そう言われて顔を上げる。

「はい、そうします…」

副住職の指の背にほんの少し頬擦りする。胸がドキドキする。こんなふうに胸を高鳴らせているのは私だけなんだろうなと思いながら。


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