自分でも何故、こんな事をしているか、分からなかった。どうしても放って置けない人、それが
初めて出会ったのは葬儀屋からの依頼で執り行う事になった葬儀の時。夕方の時間帯、指定された斎場に行き、葬儀の支度をする。喪主の方が参られます、と言われて私は座って喪主の方を待った。事前に聞かされていたのはお父様を亡くされた娘さんが喪主を務めるという事と、近親者が近くに居ない為に、その娘さんが一人で葬儀も全て、やるのだという事。
きっと心細いだろうと思った。入って来た女性の方は少し緊張しているのか、俯きがちだった。戒名の話をして、お布施などを頂き、充分に務めさせて頂きますよとそう言った。ありがとうございますと言った彼女が顔を上げた。やつれた顔、色白で今にも倒れてしまうのでは、と思う程に細い。
一言で言うなら、一目惚れだった。
美しい人だなとそう感じた。それと共に、ご葬儀に親族の方がいらっしゃらない、そういう事情を抱えているんだという事も気掛かりだった。だが私は仏門に入った身だ。よこしまな考えは払わなければいけない。そう思えば思う程、囚われる。
私は自分の思いと向き合った。自分はどうしたいのか、独りよがりになってしまってはいけない。彼女を思い、思うからこそ、出来る事を、寄り添える事を、と思う。
四十九日の法要の日の彼女は葬儀の時よりも幾分、落ち着いて見えた。墓苑への道中、車の中で他愛のない話をする。彼女が抱えている不安などを聞いて、私に話す事で少しでも彼女の心が軽くなるなら、とそう思ったから。
涙を流している彼女を見て、心が揺れた。なんて美しい涙姿なのだろうと思った。車の運転をしていなければ、きっとすぐにでも手を差し出し、ハンカチでその涙を拭っただろう。
そして降り出した雨。車内で雨脚が弱くなるのを待っている間、雨の打つ音で互いの声が聞こえないくらいの土砂降りの中、互いに互いの耳に向かって話す、そんな行為。彼女が近く、ほんの少し体を寄せれば、彼女のその唇に、そのうなじに、自分の唇が当たってしまいそうな距離。
なのに。
彼女はスルッと私の手の届くところから去って行った。土砂降りの中、慌てて出て行った彼女の後ろ姿を見送りながら、私は車内に一人、取り残されて、彼女の残り香を感じる。ふと、助手席の足元に落ちていた涙を拭った彼女のハンカチ。それを拾って、砂を払う。白地に白い糸で紫陽花が刺繍されている。白い紫陽花の花言葉は何だったか…。
あぁ、そうだ。一途な愛だ。
私は彼女にこのハンカチを返そうと思い、彼女の家の近くの檀家さんの所へ行った帰りに彼女の家に立ち寄った。一度葬儀を執り行ったのだから、ハンカチを返すだけ、そんな言い訳をして。
玄関まで行くと中から争うような声が聞こえた。躊躇ったけれど、声を掛け、玄関を開けた。広がった光景を見て、少し驚く。年配の女性が彼女の頬を張ったのだろうとすぐに分かる状況だった。年配の女性は私を見て、ハッとし、荷物を持って私の横を通り抜けた。通り抜けざまにその女性が舌打ちするのを聞いた。
今、目の前に彼女が居て、張られた頬を赤くしている。その頬に指の背で触れると、思いが込み上げて来る。あぁ、このままこの人を抱き締めて、思いを告げたら、この思いは成就するだろうかと考える。ほんの少し私の指の背に頬擦りする私の想い人の気持ちはどうなのだろうか。独り身で実家に一人で居て心細いからこその感情の揺れなのか、私が僧侶であるからこその信頼の証なのか。
不意に彼女が立ち上がる。
「冷やします…」
そう言って立ち上がった彼女の腕を思わず掴んでしまう。立ち上がりかけた彼女はバランスを崩して、私の方へ倒れ込む。彼女を受け止める。彼女は私に背を向けるような態勢で私の膝の上に着地する。
「あの、副住職さん…」
そう言った彼女に言う。
「私の名は
何故、名乗ったのか分からない。いや、彼女に自分の名を呼んで欲しかったのだろう。
「
彼女の声がそう、さえずる。なんと心地良い声だろうか。想い人に名を呼ばれる事がこんなに嬉しいのだという事を私は知る。
「すみません、少しこのままで…」
私がそう言うと、彼女は小さく頷く。痛くないように、力の加減をしながら彼女を抱き締める。胸が高鳴って苦しい。こんなに近くに居るのだから私の胸の高鳴りは伝わっているかもしれない。
少しだけ、少しだけ…
そう言い聞かせて私は彼女を大事に抱き締めた。彼女の髪に顔を埋める。不意に開けてあった窓から風が入って来て、彼女の髪を揺らす。
チリーンと風鈴が鳴る。