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第9話ー手折られた欲望ー

あぁ、私、殺されるのかな…


そう思った瞬間、私に馬乗りになっていた伯母が横に吹っ飛んだ。首を絞めていた伯母の手が外れ、呼吸が出来るようになった私は大きく息を吸い込んでせる。せて咳き込んだ私を大きな影が私を守るように覆い被さる。

清果きよかさん、大丈夫ですか!」

その声は…道生さんだった。吹っ飛んだ伯母は襖にぶつかり、襖ごと隣の部屋へ倒れ込んでいた。道生さんは私の背中を擦り、言う。

「ゆっくり呼吸してください、大丈夫です、私が居ます、ゆっくり、ゆっくり…」

そう言われて私は呼吸を整える。ボロボロと涙が零れる。それと共に体中に震えが来る。


…殺されそうになった


それが今になって恐怖となって襲って来る。道生さんは私の背中から手を離すと、スマホを取り出して通報していた。冷静な声で通報しながら、私を背後に庇い、隣の部屋ですすり泣いている伯母を警戒している。


大きくけたたましいサイレンの音、ドカドカと入って来る何人もの人。


大丈夫ですか、立ち上がれますか


そんな声がする。私の耳はただその言葉たちを聞き流していた。耳に水が入った時のように音が遠く感じられる。私の視界の隅では数人の男性に両脇を抱えられ、泣きながら連れられて行く伯母が見えた。

「清果さん。」

そんな中でひと際はっきりと聞こえた声。…あぁ、道生さんの声だ。視界いっぱいに道生さんの姿が映る。


◇◇◇


病院に搬送され、処置を受けた。首を絞められた事による後遺症の危険もあったけれど、現状、首に圧迫痕と腕に掴まれた痣が出来ただけで、それ以外は何とも無かった。伯母は逮捕され、警察で事情を聞かれているという。警官が私の所にも来て、事情を聞く。私は自分が知り得る限りの事を話した。病院の待合で警察に事情を聞かれている私はきっとかなり奇異の目で見られているだろうとは思ったけれど、そんな私の傍には道生さんが付いていてくれた。


家に戻って来る。家は警官たちが出入りし、調べたせいで何だか今までとは全然違って見えた。

清果きよかさん、大丈夫ですか?」

道生さんの声。目の前で倒れた襖や、私が首を絞められていた場所を見ると、震えが止まらない。大好きな場所だったのに、それが一瞬で恐怖の場所と化してしまった。不意に道生さんが私の肩を抱き、私を自分に振り向かせ、抱き締めた。私はそのまま道生さんの腕の中で声を上げて泣いた。


◇◇◇


伯母はその後、警察で自身が不倫をしていて家を出る計画だった事、私から家を貰い不倫相手と住む気でいた事、遺産を半分貰えば当面の生活は出来るだろうと踏んでいた事などを話したという。伯母の夫であり、私にとっては義理の伯父にあたる人が後日、私の所へ来て、頭を深々と下げた。既に被害届は出してあるし、それを取り下げる気も無かった。取り下げてしまえばまた伯母がやって来る気がして怖かったのもあった。影の薄い義理の伯父はひたすら頭を下げ、それでも犯した罪は償わせると言って帰って行った。


道生さんには謝罪の場に同席して貰った。彼はその日、僧侶らしい袈裟を着て、その場に現れた。道生さんが現れた事で、義理の伯父はただひたすらに頭を下げるだけになった。義理の伯父が帰った後、彼は袈裟を脱ぎ、作務衣に着替えた。互いに何も言わずに家の片付けをし、私は時間を見計らい、夕飯を作って出した。二人を包む空気が心地良かった。何も言わずとも、その沈黙でさえ愛しかったから。


「あの時、私は恐怖したんです。」

道生さんが私の肩を抱きながら言う。

「人の争う声が聞こえて来て、入った瞬間に広がった光景を、私は生涯、忘れないでしょう。」

そう言った道生さんの手がほんの少し震えている。

「鬼の形相とは言いますが、それを目の当たりにして、一瞬怯んだんです。でも次の瞬間には体が勝手に動いていました。」

道生さんはあの時、伯母に体当たりしたのだという。

「力いっぱい、自分でも驚く程です。」

道生さんに寄り掛かる。

「本来なら私はそんな場面に出くわしても、冷静に対処しなければいけなかったのでしょう。」

夜の風が部屋の中に入って来る。

「ですが私はあなたを失う事を恐れたんです。」

そう言って道生さんが私を見下ろす。その表情は穏やかでいつもの道生さんだった。

「あなたが無事で本当に良かった…」

私の首には圧迫された痕がまだ残っていた。掴まれた両腕にも。道生さんの手が私の頬に触れ、そして私の首にある痕に触れる。

「痛いですか?」

そう聞かれて私は首を振る。

「いいえ。」

道生さんの手がするりと落ちる。それと同時に私を道生さんが抱き締める。

「…本当に良かった…」

絞り出すようにそう言った道生さんの声が涙に濡れていた。


これを愛と呼ばずに何と呼ぶのだろうか。


私はそんなふうに思った。


◇◇◇


一連の騒動が落ち着いた頃、私はお寺に呼ばれた。手には手土産を持って、私は四十九日の法要の時、訪れたお寺に来ていた。

「こちらへどうぞ。」

住職さんの奥様に応接室へ通される。

「お待ちくださいね、住職が参ります。」

そう言ってお茶を出した奥様は微笑む。私は何故、今日、呼ばれたんだろうか。道生さんとの関係を問われるのだろうか。それとも他に何かあるのだろうか。そう思いながら私は手土産を奥様に渡す。

「これ、良かったら。つまらないものですが。」

そう言って差し出すと、奥様はうふふ、と笑い、言う。

「ありがとうございます。」

そして私を見て微笑みながら言う。

「そんなに緊張なさらないで。大丈夫ですよ。」


しばらくして現れた住職は温和な雰囲気の方。その住職の後に道生さんが入って来る。

「良く来てくださいました、ご足労頂き、ありがとうございます。」

住職がそう言う。立ち上がり、お辞儀をすると、住職が言う。

「お座りください。」

そう言われ、座る。

「これ、頂きものです。」

私が渡した手土産を差し出し、奥様が住職にそう言うと、住職はふわっと笑って言う。

「わざわざありがとうございます。」


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