翌朝、陽子が出勤すると梨沙子がさらに疲れているように見受けられた。
「あ……水川先生……」
梨沙子はそう言って陽子と目を合わせずに去って行った。まさか陽子の夫のアロンと夜中にあんなことになったなんて、自分でも信じられない。それでもアロンに抱かれた温もりをまだ感じている。ようやく女性としての自信を取り戻した、そんな気がしていた。
陽子は梨沙子の様子が心配になり、看護師長に話をしに行った。
「あの……如月さんが疲れているようでして……少し目がうつろなのです。夜勤が続いていたからかもしれないのですが」
研修医の立場で言っていいのか分からなかったが、梨沙子の夜勤が多いのは事実であり、辛そうな彼女を放っておくわけにはいかない。
「教えていただきありがとうございます、水川先生。そうね、日勤看護師は育児中の方もいるからどうしても如月さん達に夜勤がいってしまうのよ。だけど、体調を優先しなくてはね。私も様子を見ておきます」
「ありがとうございます!」
数日後、梨沙子はしばらく休暇をとることとなった。まさかアロンのことを考えて頭がいっぱいになって、仕事に集中できなくなるとは。夜勤看護師は交代で仮眠を取ることもあるが、最近はアロンと一晩中愛し合っていたため休息も取れなかった。その影響もあるなんて誰にも言えない。
もうすぐアロンも退院できるということで、陽子は朔太郎と打ち合わせをしていた。その際に陽子はさりげなく梨沙子のことを聞いてみることとした。
「藤山先生、梨沙ちゃんとは最近どうですか?」
「ああ……最近俺も忙しくてあまり会えていないんだが、看護師になってもう3年だし頼りになるよ」
陽子は驚く。まさか今梨沙子が休暇を取っていることを知らないのでは。
「藤山先生、もしかして、梨沙ちゃんのこと何も知らないのですか?」
朔太郎も驚いた表情をする。
「水川先生、梨沙に何かあったのか?」
「夜勤続きで目がうつろ。今は休んでいるのです」
「そんな……あの梨沙が……?」
看護師は大勢いるから大丈夫だと思っていた。俺達医者が知らない間にシフトが組まれ、毎日彼女たちのおかげで患者も支えられている。俺には患者達の治療方針を決める重要な役目があって、カンファレンスもある。時には薬剤師やPT、心理士とも連携する。普段の病棟は看護師たちに任せっきりだった。何も異常がなければ、であるが。
「藤山先生、患者さんやそのご家族に向き合うことも大事だと思いますが、梨沙ちゃんのことは……どう思われているのですか?」
「君の言う通りだ。俺は……梨沙のことを……」
「今日も梨沙ちゃんは休んでいますので」
「ありがとう、今日梨沙のところへ行く」
その日、梨沙子が自宅マンションのソファで考えていた。
ちょっと仕事を頑張りすぎちゃったのかな。
それとも……
やっぱりアロンさんのことが気になって仕方ない。
会いたい……もっとたくさん話したい……
そしてもう一度あなたと……
ピンポーン
こんな時間に誰だろうと思いながら、インターホンを確認する。朔太郎だ。
「梨沙、調子が良くないと聞いて……」
「さ……朔ちゃん……!」
梨沙子が泣き崩れた。
「大丈夫か? 梨沙……座っていた方がいいな」
「うん……」
2人でソファに座った。
「朔ちゃん、今日は忙しくなかったの?」
「そうだな。いや梨沙だっていつも頑張っていたのに、ここまで負担がかかっていたなんて……気づいてあげられなくてごめん」
「そんな……医者だもん。仕方ないよ」
「すっかり目の前のことばかりで、梨沙のことを考える余裕がなかった。梨沙……俺は君の頑張っている姿を見て元気になれるんだ。君のおかげだ」
「ありがとう、朔ちゃん。何か久しぶりだね、こうやって話すの……あたし嬉しい」
「俺は医者として患者のことばかり考えていて……少しでも君との時間を作るべきだった。梨沙が辛い思いをしていた時だってあったはずなのに」
「朔ちゃん。あたしこそ、朔ちゃんは先生だからと思って、忙しいと思って連絡するのを遠慮していたの。朔ちゃんも辛いこと、たくさんあったでしょう? あたしも仕事でいっぱいいっぱいだったから。でも……朔ちゃんに一番に聞いてほしかった……朔ちゃんが側にいてくれないとやっぱり不安だよ……」
朔太郎が梨沙子を力強く抱き締めた。そして2人は久々に一夜を共にしたのだった。しかし彼女の頭の中にはアロンの姿がよぎる。目の前にいるのは朔太郎なのに……
そして梨沙子がどうにか復活でき、いつも通りの一日が始まった。
「アロンさん、おはようございます。体調はどうですか?」
「少し頭痛があるかな」
「じゃあ痛み止め出しておきましょうか」
「梨沙ちゃんも体調は大丈夫?」
「もう大丈夫! ありがとう、アロンさん。そういえばもうすぐ退院ですね」
「そうだね。君と会えなくなると思うと寂しいな」
「あたしもです……」
しばらくお互いを見つめ合う。
今すぐに抱き合いたい……そんなことを考えてしまう2人。
「梨沙ちゃん、こっちに来て」
梨沙子が近づくとアロンが梨沙子の頬にキスをした。
「やだ……アロンさん……」
急に梨沙子の心臓の動きが速くなってくる。耐えられず梨沙子もアロンに深い深いキスをする。少しだけ……と思いながら梨沙子は個室の鍵を閉めてアロンの元へ行く。そして熱い抱擁を交わした。
「君のことは忘れないから」
「あたしも……」
その数日後、アロンは陽子に付き添われて退院して行った。
「良かったわ。アロンさん無事に退院できて」
梨沙子は安心してはいるものの、どうしても人肌恋しさを感じてしまう。熱く愛し合った日々のことを思い出しては余韻に浸っていた。
退院後も時々アロンは外来で通院しているとのこと。
「おかげで順調に回復しているわ。梨沙ちゃんには色々お世話になったわね」と陽子が言う。
「いえいえ……アロンさんのお力だと思います。良かったわ」
ホッとしたのも束の間、梨沙子は立ちくらみをしてしまった。昨日ぐらいからすごく眠くてふらつくのだ。
「梨沙ちゃん!」
梨沙子はその場で崩れ落ちるように座り込んでしまった。
「大変だわ、診てもらった方がいいかも」
陽子はベッドを手配して梨沙子を乗せ、内科に連れて行った。
目が覚めた梨沙子。
そばに別の看護師がいて声をかけてくれた。
「如月さん、大丈夫ですか? 先生を呼んできます」
すぐに医者が来てくれて問診をする。その中である可能性に気づく医者。
そして検査結果が出た。
「おめでとうございます。如月さん、妊娠していますよ」