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第2話『6月1日 僕の名前 キミの名前』

 やはり田舎の二十二時過ぎは深夜もいいところ。コンビニや飲食店ならまだ人は居そうなものだが、バッティングセンターにいるのは僕を除けば五分前に彼女となったこの娘と入口の小窓から気だるそうにその姿を覗かせる店長らしきおばあさんだけ。

 僕らのやり取りに一切口を挟むこともなかった。

 客同士のいざこざに介入しないタイプなのだろうか?

 まぁどちらにしろ──普段からこんなに人がいないのなら居心地は悪くないかもしれない。そうして五つ並ぶバッティングゲージの中央を眺める形でベンチに腰を下ろす。ネットで遮られているだけ、足元もコンクリートむき出しの飾り気もない。油断したらボールだけじゃなく雨風も容赦なく襲ってきそうだが、人がいないのなら少なくとも被害はないだろう。

「それで……あの僕たち付き合うんですよね?」

「そだね。よろしくー」

 隣へ座る少女はケラケラと笑いながら缶ジュースを掲げる。

「えっと……自己紹介とかします?」

「合コンみたいだね。行ったことないけど」

「僕ら名前も知らないじゃないですか」

「だって初めて会ったし、キミの事なんも知らんし! でもこれからでしょ?」

「まぁそうなんですけど、せめて名前くらいは……」

「名前かぁ……」

 うーん、と顎へ手を当てて考え込み始めた。

 ただ名前を言うだけなのにここまで考え込むこ必要があるのだろうか? 

 名乗るのに抵抗があるとすれば考えられるのは二つ。

 一つはバチクソに有名な芸能人かクリエイターか、はたまたインフルエンサーか。もう一つは何かしらの法を犯したのか、だが……。

 さて、この人に見覚えはあるだろうか?

 腰あたりまで伸びる綺麗な白髪──もとい銀色の綺麗な直毛は一度見ればまず忘れることはない。人の何もかもを明らかにしそうな好奇心に満ちた瞳。それとは裏腹に色の薄い物静かそうな口元。

 冬用の長袖セーラー服は黒のタイツは季節外れもいいところだ。シルエットでしか確認できないが、伸びる腕や足も細い。そして何よりここまで白い肌は日本人なのか疑ってしまうほどだ。

 一つ一つの特徴は一度でも目にすれば忘れなさそうなもの。

 だとすると──芸能関係など、日頃からカメラを向けられる人間ではないのだろう。そしてネットに入り浸っている日々を過ごす中で、ここまで綺麗ならば『美少女犯罪者』なんてスレを見かけるはず。

 それもない──つまり、名乗れない理由はきっとないはずだ。

 しかしそれでも。

「名前ねぇ……」

 困り眉で呟くのみ。

「……名前を教えるのに随分溜めますねぇ。名乗れない理由でもあるんですか?」

「名前、あまり好きじゃないって言うか。コンプレックス的な?」

「もしかしてキラキラネームとか?」

「ま、まぁ……イメージそんな感じ?」

 あはは……。

 笑顔に力がない。

「じゃあ苗字でもいいですよ」

「苗字も……ちょっとあれで」

「苗字もキラキラなんてことあるんですか!?」

「あるよー! 名前と組み合わさると攻撃力が上がるタイプの苗字!」

「攻撃力が上がる苗字……あぁ。何となくイメージできました」

 下ネタ系、笑い系、有名人と同姓同名。

 まぁ名乗りたくない理由なんて思えば実は意外と多いのかもしれない──そして口にするのを渋るあたり、相当なコンプレックスなのだろう。

「でもそれじゃあ僕は何て呼べばいいんですか?」

「うーん……名前ってそこまで大事かな?」

「大事ですよ! だってそれじゃあ誰を呼んでるかわからないし……彼女の名前を知らないって意味わからないですし」

「結局はわたしを呼んでるってわたしがわかればいいと思うんだよね。キミも自分が呼ばれてるなってわかれば困らなくない?」

「それが名前だと思うんですけど」

「それはそう!」

「じゃあ名前教えてくださいよ」

「キミはわたしのことをどう呼びたい?」

 どうも要領を得ることができない。

 彼女の手のひらの上で踊らされているとも違う──そもそも会話の軸が異なっているような気持ち悪い感覚をどうしたらいいのだろうか。

 降参とばかりに溜息すると隣でくすりと笑う声が聞こえる。

「名前なんて重要じゃないよ」

「……もう僕には何が言いたいのかわかりません」

「難しい事じゃないよ。例えばドラえもんを例に出してみようか。彼の母親こそジャイアンを武と呼ぶけどさ、のび太たちはどうかな? 何て呼んでる?」

「ジャイアンですけど……それがどうかしました?」

「そこが大事なんだよ。名前じゃなかったとしても、剛田武氏はジャイアンってあだ名を自分に向けられたものと認識しているんだよ」

「そりゃあだ名ですから」

 だから何が言いたいのか。

 ジャイアンを剛田武氏と呼んだ人類はおそらく彼女が初めてだろうが──今はそんなことどうでもいい。彼女の言い分を理解できそうな気はするが、僕を見つめるその眼差しが僕のなにもかもを見透かしているように思えてならない。それが理解へ向けた土台を不安定にさせるのだ。

「どういうことですか……?」

 だからそう聞き返すしかできない。

 だが先輩はふふと口元で笑みを作りながら続ける。

「だから名前なんて大したことはないんだよ。結局はキミがわたしをどう呼びたいか、なんだから」

「そう言われても……あだ名ってことですよね」

「どうだろうね」

 ふふ、胸の前で腕を組んだ彼女が試す様な目でこちらを見つめる。

 あだ名は本名ベースか見た目、行動ベースが基本だが──名前を知らない、教えてもらえないとなると見た目か行動で決めるしかない。

 先輩の特徴、この時間に律儀にセーラー服を着て外出しているあたり優等生なのだろう。これまでの会話でそのイメージは全くないが、学校とそれ以外で見せる顔が違うように、外面はいいという事か。

 彼女に対してそんなことを思うのは失礼かもしれないが、まだ僕は彼女の事を何も知らないのだから仕方ない。

「そのセーラー服って……多分僕が通ってる学校と同じですよね」

 黒ベースの生地に赤いリボン。襟元へ入っている三本の白いライン。黒のスカート。まるで夜闇へ溶けそうな色合いのそれは僕が通う学校の制服とよく似ている。とは言え、最後に学校に行ったのは随分昔。記憶違いと言う可能性も否定はできないのだが、先輩は口元を緩めて八重歯を覗かせた。

「同じ学校だったんだ。何年生?」

「……一応二年ですけど。ほぼ行ってないので」

「不登校は大した問題じゃないかなぁ。でもそうなるとキミは男子高校生の憧れ、先輩の彼女をゲットしたって事か」

「先輩……?」

「うん、わたし三年だし」

「そ、そうだったんですね……先輩。先輩か、もう先輩って呼びますね」

「オッケー。じゃあわたしはキミか後輩君、彼ぴって呼ぶかぁー」

「彼ぴは嫌ですね」

「ぴっぴがいい?」

「ポケモンじゃないので」

「まぁノリでいいかぁー」

 ベンチの背もたれへ寄り掛かった先輩が大きく伸びをする。

「真面目な彼氏できちゃったし面白くなりそうだなぁー」

「でも本当にここでしか会わなくていいんですか?」

「別にどこに行くのかって大して重要じゃないよ。会うのが大事なんだからさ、ちゃんと話してお互いのこと知ってこそなんだから」

「そういうもんですか」

「そうだよ」

 と言うわけで……。

 先輩はジュースを一気に煽り、腰を上げた。

「お代わりジュース買いに行こうか」

 先輩は僕へ手を差し出すのだった。

「行くよ、彼氏くん。もっとわたしのことを知ってくれたら名前教えてあげる」

「そうですか」

 差し出された手を掴むのが照れくさくて握ることはできなかった。

 それでも隣に並んで自販機へ歩くこの時間は少し楽しかった。


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