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第3話『6月1日 お汁粉』

 バッティングセンターに入ってすぐ左手に現れる受付。その脇を抜けると喫煙所と自販機が並ぶ休憩スペースに差し掛かる。

 色んなメーカーのものが用意されており、コンビニで目にしないジュースもあるからつい悩んでしまう。それは先輩も同じらしい。白の財布を手にしながらどれにするか端から順に眺めている。

「自販機って季節によってラインナップ違うじゃん?」

「そうですね」

「大体四月くらいには温かいものが減って冷たいのがメイン。10月くらいから温かいものが増えるイメージなんだけどさ……困るよねぇ」

「あぁー、好きな飲み物が季節限定とかそういう事ですか?」

「そんなところなんだけど」

 先輩が溜息を一つ。

「お汁粉がない!」

 そして盛大に胸の内を吐き出したのだ。

 突然の大きな声にビクッとしてしまったが──次の瞬間先輩は目の前の自販機へ手をついて改めて溜息を溢す。

「そ、そんなにお汁粉好きなんですか……?」

「いや、普通だよ」

「えっ……えっ」

「うん、普通だよ。もう普通普通」

「普通なのにその落ち込み方ですか……?」

 出会ってまだ大して時間も経過していないから当たり前ではあるのだが──それでも先輩の事をあまりにも理解できてなさ過ぎて本気の落ち込みなのか冗談なのかわからない。

「むしろお汁粉大好きだったらさ……どこで売ってるか把握してるじゃん?」

「まぁそれはそうかもでもですね」

「でも普通くらいの好きさだと調べないからさ……急に飲みたくなった時にすっごく落ち込む」

 はぁ……。

 本気で落ち込んでいるらしい。

 先輩の怒涛の溜息ラッシュは落ち着くことはない。

「夏も近いですし……お汁粉は諦めるしかないんじゃないですかね」

「この自販機のラインナップって誰が決めてるのかな」

「契約してる人じゃないです? ここだと店長とか」

「だと思うんだけどさぁー。お客様は神様って言うじゃない? アンケートとか取ってほしいよねぇ」

「多分バッティングセンターに来る人はお汁粉飲まないんじゃないです?」

「そうかなぁ……。一年に何度かしかないお汁粉の機運だったのに」

 喫煙所を背にベンチへ腰かけ、膝に肘を突く。

 何を買おうか悩んでいるのか困り眉で自販機を恨めしく見つめている。そんな状況で僕だけ一足先に飲み物を買うのも気が引けてしまう。仕方なく隣へ腰を下ろすと、ふと目線が重なる。

「ん?」

「なんでもないです」

「ほんとかなぁ?」

「うーん……まぁ大したことじゃないですよ。自販機一つとってもそこまで悩めるの面白いなって思っただけですから」

「今日だけだよ。どうしても欲しいものがあるとムキになるというか、これじゃなきゃダメってならない?」

「気持ちはわからなくもないですけど……結構僕は諦めちゃうので。パッとは思いつきませんけど、お汁粉がないならまぁ適当に水とかお茶でいいか、みたいな」

「えぇー。最終的にそうなるならいいけど、諦め前提はなんかモヤモヤするじゃん!」

「それこそ買わないとか……」

「それも違うんだよねぇ。買うって決めて来たなら買わないと……満足できないというか! だからこうしてお汁粉がないなら何にしようか頭を悩ませてるわけなんだけど。キミはなに飲みたい?」

「えっと……そうですねぇ」

 コーラ、サイダー、フルーツ系のジュースにカルピス。お茶、コーヒー、紅茶、水。ラインナップはとにかく豊富だ。

 アルコールまであるのだから本当に各種メーカーと契約しているのだろう。そんな中で選ぶとしたら……。

「今の気分的にコーラですかね」

「チョイスが男子高校生過ぎる」

「男子高校生ですから」

「参考にならないよ」

「炭酸苦手です?」

「好きだよ。でも今じゃないんだよなぁって」

「そんな事言われても困りますよ、男子高校生におしゃれな自販機チョイスは無茶な話なんですから」

「それもそっか」

 クスリと肩を弾ませた先輩が半ば諦めたように腰を上げる。

「決まりましたか?」

「うーん……まぁ決まったというか何と言うか」

 こちらへ首だけを向けて苦笑しつつ、その指がボタンを押した。間もなくしてペットボトルの転がり落ちる音を聞き──そうして現れたのは緑のラベルがお馴染みのもの。

「大体こういう時、わたしはお茶を買うのでした」

「諦め前提じゃないですか」

「まぁ人生諦めも肝心と言うか……なんかお汁粉の機運どっか行った」

「随分と気まぐれなんですね」

 まぁ先輩が何を飲もうが何でもいいんだけど。

 そうして僕もようやくコーラを購入する。

「うーん、でもお茶なのかな。なんかわからなくなってきた」

「お茶飲んでてくださいよ、もう」

「彼女相手に手厳しいなぁ」

「突然の初彼女、交際二時間未満ですよ。ときめきとかないですから」

「まぁなら仕方ないか。キミがわたしにときめいたらどうなるのか見ものだね」  ふふ、得意げに笑いながらキャップをひねるのだが……。

「開けて」

「……硬かったんですね」

 ドヤ顔が真っ赤に染まっていくのがかわいい。

「今のは少しときめいたかもです」

「……うるさ」

 しかし何と楽なことか。

 恋だの愛だのを意識したことなんてない──だから多分、今の僕と先輩は恋愛ごっこに過ぎないのだろう。だがそれでも久しぶりに人と話したわけだが、そこに緊張はない。

 昨日の続きのように会話を運ぶことができる。

 ただ僕にはそれが心地よかった。



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