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第8話『6月6日 華金ナイトフィーバー』

 先輩はなにか隠している。

 確証はありつつも、果たしてそれがどんなものなのか。まだそれを知るには関係性はまだまだ浅い。踏み込むにはまだ早いが、無視するにしても難しい。

 昨夜──雨の中で歪に咲いた先輩の横顔がその原因の一つなのかもしれない。

 それでも先輩と過ごす日々は楽しいもので、今日も決まった時間に家を出て海沿いの道を歩く。街灯の少ない道の暗さも、蒸し暑い海風もすっかり慣れてしまった。

 そしてバッティングセンターの前に立つのだが──。

「あれ……」

 入口すぐの喫煙所に見知らぬスーツ姿の男が立っていた。

 仕事帰りか、やけに疲れた顔だ。その手には煙草の他に缶ビールも握られている。ここに通い始めて初めて見る僕ら以外のお客さん。

 この段階でもう帰りたいと思ってしまうのが引きこもりたる由縁なのだろう。だがあの話をされて早々に先輩に会わないのは気まずい。

 至って普通に、ゆっくり深呼吸をしながら自動ドアをくぐった瞬間、

「……!?」

 目の前のベンチにサラリーマンの集団がおり、酒を飲んで盛大な盛り上がりを見せていた。あまりの大きな笑い声に思わず一歩後退してしまった。

 か、帰りたい……。

 この空気なら先輩も帰ってしまったんじゃないだろうか?

 それなら僕が帰っても仕方ない。人には向き不向きがあるんだ。僕は大勢の集団が苦手だから仕方がない。そう、これは仕方がない事。戦略的撤退と言うやつだ。

 すみません、先輩……。

 回れ右、自動ドアをくぐり直そうとした途端、


「わたし彼氏いますから~!」


 愉快に笑う先輩の声が聞こえたのだ。

 あの集団の中に先輩が!?

 他人の空似なんて言葉もあるし、声だけ似てる。もしくは脳内でそう補完してしまったのか? 

「もうすぐ彼氏来ると思いますよ~!」

 いや、間違いない。

 もう先輩確定だ。

 そして、

「あっ、ほら! そこにいるし!」

 ビクッッッ!

 途端に背筋が震える。もう逃げられない。

「おーい!」

 楽し気な笑い声と共に呼ばれるのだからもうあの輪の中に混じる他ないだろう。さながら関節部が錆びついたロボットのようにぎこちなく振り返ると、

「なにしてんのー? 早く早く!」

 先輩が全身全霊、猛烈なアピールとして手を振っている。

 当然そんなことをすれば酔っ払いおじさんたちもこちらを覗いてくるのだから一気に注目の的だ。

「あ、あの……ど、どうも」

 逃げることも許されず、重い足取りで宴会の輪の中へ入るしかなくなってしまった。二列並ぶベンチの後列をおじさんたちが埋め、いつものところで先輩が半身になってジュースを片手既に出来上がってる状態だ。

 せめて知っている人の隣で、と先輩の横へ腰を下ろした途端、

「彼氏くんも飲みなって。ジュースだけどさ」

「あ、ありがとうございます」

「おじさんはビール。キミも高校生なんだろう?」

「え、えぇ……」

 缶ジュースを受け取りながらぐいぐい来る顔の赤いおじさんへ困惑しつつ、相槌を打つ。すると隣の先輩が身を寄せた。

「わたしの一個下の学年、彼氏くんであり後輩くんなんだよ」

「そうなんか! 美少女の先輩と付き合う……少年、もう人生の勝ち組になろうってのかい!?」

「そ、そうですかね……確かに先輩はかわいいと思いますけど」

「ちなみにわたしから告白したからねぇ~」

「ひゅー! なんだいなんだい。少年も中々隅におけねぇじゃないの」

「青春してるよなぁ……まぁおじさんにそんな青春はなかったけどさ」

「俺も俺も! だから眩しいよなぁ」

 ケラケラ笑うおじさんたちだったが、次の瞬間溜息へ変わった。

「彼女かぁ……いいなぁ」

「気付いたら三十路越え、もうあの頃みたいなパッションはないからな」

「と言うか彼女よりも結婚が生々しくなってきてさ……」

 ビール片手に落ち込むおじさんたちにどうしたらいいのか。

 おろおろする僕とは裏腹に先輩は変わらずケラケラ笑い続けている。本当にその手に持っているのはオレンジジュースで間違いないのだろうか? 缶は確かにそうだけど、中身はもしかして……。

 普段見たことのないテンション、陽気な笑い声。

 もう酒に呑まれているとしか思えない。

「せ、先輩……それ本当にジュースですか?」

「当たり前じゃん、未成年なんだから。でも飲み会は楽しくって言うし……みんなで落ち込んでも仕方ないじゃん?」

「いい子だ……本当に、本当に……」

「俺もこんな彼女が欲しかった!」

「彼氏くんが居なきゃアタックしてたのにさぁ!」

「残念でした。でもさ、みんな面白いし彼女くらいすぐできるんじゃない?」

「おじさんになるとそうもいかないんだよ」

「そうなの?」

「下手すればパワハラ、セクハラ、色んなハラスメントにおびえてるからね。職場は無理、休日は家で寝てたら終わり……」

「もうだめだ……」

「そっかぁ。でも元気出して! 今日はビール一杯飲んじゃお」

 そうしてお酒を進める先輩。

 溜息、泣き言、恨み節。

 色んな言葉が紡がれながらも、おじさんたちはビールを煽ると途端にゲラ笑い。もうノリで喋っているのかもしれない。そんな空気に馴染む先輩は本当にどこでも生きていけそうだ。

 その一方で僕は相槌すら一苦労。

 これがコミュ力の差なのかもしれない。

「しかしお嬢ちゃんの彼氏くんは随分無口だなぁ。緊張してるんか?」

「そうだねぇ。結構シャイなところあってさ」

「なんだなんだ、少年もかわいいところあるんだなぁ。じゃあそんな少年におじさんがアドバイスしてやろうな!」

 おじさん三人衆の一人。

 中でも一番顔が赤い大酒のみの人がグイッと僕へ顔を近づけ、指を立てる。

「今から大事なことを三つ教えてやる」

「おいおい、指四本になってんぞ!」

「おっと、こりゃ失敬。もう飲んじゃってるからさぁ……よくわかんないんだよ」

「それでアドバイスって……おじさん平気なの?」

「任せろって!」

 ビールを煽り、改めて指を三本に立て直す。

 アルコールの匂いが不快だが陽気な笑い顔を拒むことができない。それになにより隣で先輩が興味ありげな顔で笑うのだから断るのも無理な話だ。

「いいか、少年。まずは相手の話をちゃんと聞くことだ。そんで言いたいことをちゃんと言う。どっちかが我慢し続けるってのは喧嘩の原因になるからな」

「は、はぁ」

「そうだよ? キミの事なんでも教えてほしいなぁ」

 それを先輩が言うのか……。

 先輩だって僕に隠し事を──あぁ、これが喧嘩の原因って事か。既に現在進行形で身をもって体験してるだけで何とも言えない。

 しかしおじさんはお酒を飲んで気持ちよくなってしまっているのだろう。僕の反応は何のその。話を続ける。

「それで二つ目だ! バレそうな隠し事はしない! 悪いことをしたらすぐに謝る。浮気なんて言語道断だ、結局男は尻に敷かれるのが一番いいんだからな!」

「でもお前さんは敷かれる尻がないってか?」

「それ言っちゃおしまいよ!」

「違ぇねぇや!」

 ガハハッッッ!

 おじさんたちが陽気に笑っている最中も先輩はただただ熱心に頷いている。

「尻に敷く……なるほど」

「なるほどなんですか?」

「パパも同じ事言ってたから!」

「そ、そうですか」

「結局お母さんが強い家が上手くいくって話も聞いたことあるしさ」

「は、はぁ……」

「おっ、なんだ。将来のことまで考えちゃって! 最近の子はませてるなぁ」

「いいじゃないですか。かわいらしくて」

「それで三つ目は何だってんだ?」

「あぁ……これはもうこの世の摂理と言ってもいいな」

 ごほん。

 赤い顔でビールを煽るや、より僕へ顔を近づけた。

「なんだかんだ女が一番強い」

「そ、そういうものなんですか?」

「あぁ。なんだかんだ男は弱いんよ。でも女は強いな。男が居なくても生きていけるからな。ただ男は女が居ねぇと弱くて生きていくのもいっぱいいっぱいなんよ」

 うんうん。

 おじさんたちの力強い頷き。

 そういうものなのか?

 いまいちピンとこないのだが、先輩はどう思っているだろうか? 

 首を傾げつつ、隣へ目をやると──先輩と目線が重なった。

「キミもわたしがいないと無理?」

「ど、どうですかね……」

「今はわからんさ。でもな、歳食ってくとよくわかるんだ……一人は辛いってな」

 なんとも説得力のある力強い言葉。

 だが先輩といると楽であるのは事実だ──もしかしたらその思いの先にこそ、このおじさんたちの言っている心理があるのかもしれない。



 それからおじさんたちは散々僕らを羨ましがり、嵐のような飲み会は終わりを迎えた。残ったのは僕と先輩だけ──ゴミも綺麗に持ち帰るあたり、流石社会人だ。

「なんか色々と凄かったねぇ~」

「そうですね」

「でも色々聞けて面白かったなぁ」

「よく溶け込めましたよね、あそこに」

「そう? みんな楽しかったしいい人でよかったよ」

 ふふ。

 楽し気に笑いながらオレンジジュースを傾ける。

 先輩のテンションもいつも通りに戻ったのか、ケラケラ笑っていたのが嘘のように静かな微笑みを讃えている。

 同じ場所でもテンションで未知の空間になる。

 だからこそ僕としてはようやく先輩とデートが始まった心境だ。

「そう言えば昨日のことですけど……」

「ん、あぁー。わたしが考えすぎてただけで、どうにかなりそうだよ。キミに相談して受け入れようって決めたおかげかな」

「そ、そうですか」

 あっさりと返ってきた返答には明確な立入禁止と呼べる意志が込められている気がした。

 まだ真相に一歩も近づけていない事を知りながらも、

「でも……キミと話すと救われるんだなぁ」

 ポツリと呟いたその言葉だけを今は信じたほうがいいのかもしれない。

 いずれその真相へ知るための一歩として──。

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