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第9話『6月7日 バイク』

 マンションのエントランスを出た途端、目の前の通りを勢いよくバイクの集団が駆け抜けていった。左右互い違いの並びで走っていく様はある種の規則性があって美しさすらある。

 轟くエンジン音が夜闇を切り裂き、あっと言う間に遠い彼方へ消えていく。暴走族のような威圧感もないので健全ライダーたちのツーリングだろう。

 夏の近さを予感させるこの暑さもバイクで風を切ればまた違うのかもしれない。そんなことを思いながら僕の足は今日もあの場所へ向かっていたのだが、

「えっ……」

 しかし──いざバッティングセンターへ辿り着いたはいいものの、僕の足は自動ドアへ近づくことができなかった。

 まさかこんなに早く再会するとは思っていなかったのだ。

 普段はガラガラな駐車場を埋め尽くさんと並ぶバイクの数々。バイクについては詳しくないが、ハンドルが高くなっており、やけに車体が低くて長い。ハーレーみたいなバイクだ。

 しかもそれが所狭しと並んでいる。

 そして多種多様なヘルメットを被り、跨る人も男女混合──エンジンを切っているからこそ威圧感はそこまでない。それでもバッティングセンターの前でこうして並ばれると今からカチコミが始まりそうでおっかなさはぬぐえない。

 幸い入口へ通じる通りは開いているが、左右のバイク集団の中を歩く勇気はない。

「ど、どうしよう……」

 今日は帰ってもいいだろうか。

 そんなことを思っていると、

「おーい!」 

 僕を呼んでいるのか。

 バイク集団の雑談の隙間を縫うように女の子の声が聞こえる。

 半ば怯え気味にその方へ目をやる。駐車場の端っこで大きく手を伸ばした手を振っているのだが、集団の海に溺れているのかその姿までははっきり見えない。

 しかし──。

「おーい! こっち、こっちだって!」

 続け様にその声は聞こえ続ける。

「……だ、誰だ?」

 聞き覚えのある声なのは間違いない。

 と言うかほぼ先輩の声だと思うんだけど──このバイク集団にいるわけがない。他人の空似、声バージョンか? 

 だが僕の知り合いに先輩以外の女子はいない。

 そうなるとまさか本当に……?

 恐る恐る声を頼りに歩みを寄せると、

「あっ、やっぱりそうじゃん!」

 人ごみを掻き分けてフルフェイスのヘルメットを被った女の子がひょこっと前へ現れた。服装は見慣れたセーラー服、背は僕より少し低く、シルエットはとにかく細い。 極めつけはこの町は一人しかないだろう星空のような銀髪。

「せ、先輩……?」

「そうだよ? えっ……あぁー」

 小首を傾げたかと思えば、ふふと笑いながらヘルメットを脱いだ。

 ひらりと銀色の髪が艶やかに棚引き、夜空に踊る。涼やかな風が吹き抜け、辺りへミントのような爽やかな香りが広がる。

 先輩の雰囲気と相まって思わずドキリと胸を打たれてしまった。

「ヘルメット被ってたらわからないよね、ごめん」

「あっ……い、いえ」

「ん、どしたの?」

「え、えっと……」

 ドキッとしてましたなんて言えない。

 ただただ先輩のキョトンとした顔にたじろいでいると──クスリと目元を細めた。

「もしかしてわたしのヘルメット姿にドキッとした?」

「い、いや……えっと」

「男の子って好きなんでしょ? ヘルメット外すときに髪がふぁさーってなるの」

「す、好きですけど……」

 大好きですけども。

 それを素直に認めるのが恥ずかしいのだ。

「まぁなんでもいいけどさ。キミの家、どこかわかっちゃった」

「……見られてました?」

「さっきマンションから出てくるの見えちゃったからねぇ~」

「でも先輩がバイク乗るの意外でした」

「おにぃから借りたんだよね。ドラッグスター400って名前、かわいいでしょ?」

「か、かわいい……? カッコいいですけど」

「えぇー。このどっしりしてるのがかわいいと思うんだけどなぁ」

 すぐ傍らにあるのがそれなのだろう。

 愛おしそうにタンクを撫でていると、その奥から集団の中で文字通り頭一つ抜けた大柄なスキンヘッドの男がこちらへ歩み寄ってくる。

 サングラスをかけているせいか表情は読めないが──革ジャンが厳つさへ拍車をかけている。ただただその巨体。ガタイの良さに押し潰されてしまいそうだ。

 しかし先輩はニコニコした顔のまま手を振っている。

 警戒心と言う言葉がないのか……!?

「あっ、おにぃ。この人がわたしの彼氏だよ」

「ほぉ。コイツがか……」

 お、お兄さん!?

 この人が先輩の……!?

 ダメだ混乱して更に頭が回らない。

 まさかこのまま殴られたりしないだろうか?

 お前を彼氏と認めない、なんて言い出したりしないだろうか?

「あ、あの……先輩?」

「ん? あぁー、おにぃ怖い?」

「え、えっと……」

「おにぃ、ただでさえ見た目が怖いんだから……笑顔笑顔」

「ん、そ、そうか? 俺は至って普段通りなんだが……」

「その普段通りが怖いって言ってるの」

「バイク乗ってる革ジャンのデカいスキンヘッド……怖くないだろ」

「怖いよ! ねぇ?」

「え、えっと……そ、そんなことな、ななな、ないですよ!」

 どうしてこの流れで僕に振るんだ!

 怖いなんて言ってしまったらどうなるかわからないじゃないか!

 ただ一人、その大柄な男を前に怯えるのは情けないと自覚はある。だがそれでもこれほど大きい人類は短い人生で初めての事。

 どう過ごしたらいいかわからないのだから仕方ない。

「ほら怖いって!」

「い、いや……そんな気はないんだが。なんか悪いな」

 しかし次の瞬間、先輩のお兄さんと思しき男は口元へえくぼを作って笑ったのだ。警戒心を解かせるような優しい笑顔──それは先輩が普段結ぶものをより大きくしたものだ。

 血は繋がっているという事なのだろう。

「まぁバイクに乗ってる大柄の男は怖いかもしれなんが……コイツとは仲良くしてやってくれな」

「おにぃも見た目は怖いけどバイクが好きなのと……急にヘルメットの蒸れを気にして髪を剃っただけだからさ。怖がらないで上げて」

「えっ……なんですかその理由」

「蒸れると禿げると聞いたからな。なら最初からなくていいだろ」

「思い切りが良すぎるというか極端ですよ」

「なに、コイツと旅する楽しさに比べたら髪の一本や二本大したことないだろ」

「一本、二本どころか何万本もいってるじゃないですか!」

 あっ、まずい。

 ついいつもと変わらない感じでツッコミを入れてしまった。途端に肝が冷え始めたのだが、お兄さんは豪快に笑う。

「そりゃ違いねぇや! まぁでもあれだ、それだけコイツに乗る価値はあるんだ。お前も免許取ってバイクに跨ればわかるさ」

 じゃあ俺らは帰るからな──。

 お兄さんはただそれだけを言い残してバイクへ跨り、集団が一台、また一台とバッティングセンターを去っていく。

 そうして残ったのは僕と先輩とその愛車、ドラッグスター400だけ。

 先輩はバイクへ寄り掛かるようにしてタンクをそっとひと撫で。まるで我が子を愛でるような優しい顔だ。

「……先輩もバイク乗るなんて意外でしたよ」

「おにぃが楽しそうにしてたからさ。去年勢いで免許取ってお古を譲ってもらったんだよ」

「大きいのによく動かせますよね」

「まぁね」

「それで旅に出るんですか?」

「ん、あぁー。そうだね、相棒って感じ。曲がらないし、重たいし、燃費もそこまでいいわけじゃない。倒れたら起こすの大変だし、パーツも古いし色々面倒だけどさ」

「苦労の旅かもしれませんね」

「それも楽しいんだよね。この子との旅ならその苦労すら楽しいと思うよ」

 まるで子どもみたいな無邪気な顔でバイクへ笑いかけている。

 その笑顔がなぜか羨ましくて、気を引きたくて夢中で言葉を考える自分が居た。

「楽しそうでいいですね」

「バイク乗る人間は頭おかしいっておにぃとかさっきの人たちもよく言ってるけどさ。それでも身体で風を切る瞬間に魅せられちゃったんだよね」

「イメージできないですね、まだ怖そうって印象が強くて」

「なら跨ってみる? きっと変わるから」

「えっ……でも」

「いいから、いいから」

 あっと言う間に手を取られてバイクの脇へ引っ張られる。

 すぐ傍に立つとその低い車体、長い体躯、威圧感満載の黒いボディ。バイクは鉄の馬とよく聞くが、馬と言うよりかはマシン感が強いその車体に怖気すきそうになる。

「ハンドルもって。スタンド立ててるから倒れないから」

「は、はい……」

 それでも僕は先輩に導かれるままにハンドルを握り、シートへ跨っていた。

 両足がしっかり地面につく。

 深いシートは座り心地がよく、正面がよく見える。

 一見高そうに見えるハンドルもいざ握ってみると丁度いい──これで風を切るのか。どこまでも、どこまでも走って行けるのか。

「どう?」

「そうですね……」

 ふと目を閉じる。

 瞬間、動いていないはずなのにエンジン音が鼓膜を震わせた。地面へ、腕へ、身体へ響く重低音。それを聞きながらどこまでも行くのか……。

「いいですね、これ」

 僕もその輪の中に入ってみたいと自然と思っていた。

「でしょ?」

「ちょっと怖いですけど……」

「まぁどうしてもって言うならわたしの後ろに乗ればいいよ」

「それは恰好つかないですよ」

「でも二人でどこまでも旅をするのよくない?」

「それは確かに……いいですね」

 いつか先輩と二人で。

 その時僕は先輩の後ろに乗っているのか、隣に並んで走っているのかはわからない。だがこの胸の高鳴りは吹かしたエンジンのようにどこまでも熱くなっていくのだった。


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