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第10話『6月8日 世界の中心とそのはずれ』

 やはり昨日が偶然だったのだろう。

 夜も更けた頃、再びバッティングセンターへ足を運ぶとバイクの集団はいない。車一台、自転車一台止まっていない駐車場と駐輪場を左右に自動ドアをくぐると──今日も先輩はそこにいた。

 何かに夢中になっているのか隣に座るまで僕が来たことに気付かず、ただジッとスマホを見つめている。

「なに調べてるんですか?」

 声をかけるとようやく気付いたらしく、「これだよ」とスマホを掲げた。

 画面へはグー〇ルマップが表示されているのだが、そこに表示されている場所、地名は初めてみるものだ。日本国内らしいが、どこだろうか。

「旅、行きたくない?」

「行きたいですね」

「卒業後に行く旅の予行演習的な感じでさ。ふらっと……夏休みとかに」

「その場所を調べてたと」

「まぁそんな感じだね。バイクあればどこでも行けるし」

 ふと昨日の光景が脳裏へ蘇る。

 厳ついバイク集団の中でも堂々としていた先輩の姿だ。大型のバイクを前に明らかに小柄で負けているが、それでも乗り回しているのだから凄い。

「高校生でもバイクの免許って取れるんですね」

「中型までは取れるから、キミもどう? わたしが乗ってたあれも乗れるよ」

「……ちょっと興味はあるんですよね」

「おにぃも行ってたよ。バイク乗るなら早い方がいいって。だからわたしも取ったし、中型持ってると車の免許取るときも安くなるらしいし!」

「へぇ……それはいいかもですね」

 しかし普通の学校もサボっている人間が教習所にキチンと行けるだろうか?

 さらに言えば教習所は教官が怒鳴り叫ぶ場所と言う勝手なイメージがどうしてもある。命に関わることを学ぶ場所だから当然でもあるが──高いお金を払って怒られるのはどうも納得できない。

「先輩……よく免許取れましたね」

「ん、もしかして今軽くディスられてる?」

「いえ……教官の怒鳴り声とかに耐えたってことですよね」

「うーん、あまり怒られなかったかなぁ」

「要領の良さ……」

「じゃなくて……今時の教習所ってそんなに厳しくないよ?」

 にわかには信じられない。

 あっけらかんと笑う先輩が鈍感であまり気にしない性格だからじゃないか?

「でも別に無理に取らなくてもさ。わたしの後ろに乗ればいいわけだし。彼女に密着できるチャンスだぞ」

「あっ、はい」

「何その反応!?」

「食い付くのもあれじゃないですか」

「えぇー、かわいくないなぁ」

 むすっと頬を膨らませながら溜息を一つ。

「かわいさも求められてもなぁ……」

「まぁいいや。キミは旅行くとしたらどこがいい?」

「そうですねぇ……北海道とか?」

 パッと思いついた場所をそのまま口にしただけなのだが、次の瞬間スマホへ目をやろうとしていた先輩が勢いよく顔を上げた。キラキラ目を輝かせながら興奮気味に顔を近づける。

「バイカーの聖地! やっぱりキミ、バイク好きなんじゃないの!? いいじゃん北海道! ご飯も美味しいし!」

「何となく思いついただけなんですけど……北海道って旅って感じしますよね」

「わかるなぁ……」

 いいなぁ、北海道……。

 ポツリと呟きながら背もたれへ寄り掛かる。腕を伸ばしてスマホを掲げ、下からぼうっと見上げる。心がすっかり北海道の虜になってしまったのだろう。瞳はスマホへ釘付けだ。

「でも本当に旅ってなると海外とかもいいんじゃないです?」

「国外は中々難しいよ。高いし、わたしそこまで英語ペラペラじゃないしさ」

「まぁ将来的にってことで」

「付き合ってまだなのに将来の話なんて……プロポーズ?」

 ん?

 わざとらしい笑みで目線をこちらへ向ける。

 にやにや緩んだ口元から八重歯がちらりと覗く。イタズラな笑みとはこのことなのかもしれない。

 一瞬胸がドキッと高鳴ったのを悟られないように咳払いを一つ。

「べ、別にそういうわけじゃないですよ……」

 最近変だ。

 たまに先輩といると、何気ない仕草を見ると──胸がドキッと高鳴る。妙な息苦しさを覚えることがある。

 それが仮に恋なのだとしたら──いや、考えるな!

 まだ出会って数日。

 先輩を意識するほど時間を重ねていないのだから。これはただ免疫がないからこそ異性にやられてしまっているだけのこと。

 恋ではなく発作みたいなものだ。

 落ち着け、落ち着け、落ち着け。

 何度も胸の内で唱える。

「でもいつかは行きたいよねぇ、海外も」

 しかしそんな僕の心境とは裏腹に、先輩はポツリと続けるのだった。ちらりと横目でその顔を伺ってみると、もうスマホの画面は見ていない。ただぼんやりと天井を仰いでは何か考えているのだろう。

 その目は天井では何どこかを眺めているのがよくわかる。

「キミは生きている間にこの世界のどこまで行けると思う?」

「急ですね」

「金銭的にも時間的にも行ける場所には限りがあると思うんだよね。世界に国はたくさんあるけど、その全てを直接知ることはできないんだよ」

「言われてみるとそうですね。どうしても旅行ってなると行きたい場所優先になりますから。カメラマンとかなら行けるんじゃないです?」

「カメラマンかぁ……」

「バイクで世界を旅しながら写真を撮るのもいいと思いますよ」

「確かに。カメラかぁ……考えたことなかったなぁ」

 遠くを見ていた顔が途端に緩み、楽し気なものに変わってくれた。

 寄り掛かっていた背中を起こす。

「でも仕事ってなると違う気もするんだよね」

「難しいですね。旅行ってなるとますます難しいですから」

「世の中うまくいかないかぁー」

 だめだぁーと両手を伸ばしながら再び背もたれに身体を沈めた。そしてまた遠くを見るように天井を仰ぐのだ。

 やりたいことはあるのに方法が見つからない──そんな具合なのだろう。

 ここで気の利いたことでも言えればいいのだが、引きこもりの説得力は果たしてどこまであるだろうか? 

「私たちが今ここで何でもなく駄弁ってても世界は動いてるじゃん?」

「まぁそうですね」

「そこには色んな暮らしが別々に存在してて……それが日本だけじゃなくて世界中で起きてることなわけでしょ?」

「当り前の事なんですけどね。不思議に思うことはありますよ」

「それなんだよねぇ。旅をするってそこに生きてるものに触れる事だと思うからさ。仕事としてじゃなくて、わたし個人として触れたいんだよね。仕事だと純粋な目で見れなくなりそうだからさ」

「生きてるものに触れるのが旅、ですか……詩的ですね」

 もう心は世界に旅立っているみたいな言葉のチョイスだ。

 遠い目の先へは未知なる世界が広がっているのだろうか──その景色を見て見たいと思いながらも、まだ先輩の心の深い部分へ触れていない今、それは適わない。

 だからただその横顔を眺めるのみだ。

 そして僕の目線へ気付いてか、ふと先輩がこちらへ向く。

「キミが学校に行くようになったら一緒に旅に行くのもありかもしれないね」

「そうですね」

 だがこれには苦笑するほかないのだが、それを最後に先輩は子どものような笑顔に変わってしまった。もう世界を見つめるような遠い眼差しはしていない。

 ただただ僕をまっすぐ見つめている。

「その時にはキミが免許を取ってるのかどうなのか」

「今の調子だと先輩の後ろに乗ることは確定かもしれませんよ」

「そこまで愛しの彼女に密着したいかぁ~」

「じゃあそう言う事にしておいてください」

「はいはい。普通は逆なんだけどね」

「多様性の時代って事で一つ」

「じゃあそう言う事にしようかなぁ」

 ふふ、先輩は楽し気に今日も笑う。

 まるで世界の中心がここであるかのように──そしてその隣にいる僕はまだまだ先輩の心を読むことができていない。その世界に踏み入ることができていない。隣同士なのにここだけは世界の中心から大きく外れている、そんなことをふと思った。





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