「キミって引きこもりなんだよね」
唐突な質問に「えっ」と返すのが精いっぱいだった。
バッティングセンターへやってきてまだ五分も経っていない。まだエンジンも十分に温まっていない状況で鋭く切り出せるのは先輩以外いないだろう。
缶の炭酸飲料を煽り、ふぅと一息つく。
「なんででしょうね……」
当然理由はある。
無ければわざわざ引きこもって貴重な青春を無駄にすることもないだろう。自覚はしているが人に話すのが嫌、ただそれだけなのである。
「まぁ色々理由あると思うけどさ……」
「どうして急にそんなこと聞くんです? いいじゃないですか、いつもみたいに適当な雑談で」
「それもそうだけどさ……まぁ聞いてよ」
「はぁ……」
正直聞きたくないんだけど。
一度こうと決めたらこの人は曲げなさそうだなぁと先輩の事を思うようになっていた──それにある意味めちゃくちゃなことを言うものだから。どんな話なのか興味が無くもない。
缶ジュースを傾け、先輩へ向く。
「それで……なんですか?」
「まず引きこもりって家から出ないことじゃない?」
「まぁそうですね」
「でもさ、キミは籠ってないじゃん。毎日ここに来てさ」
「そうですね」
「引きこもりなの、それって?」
本当に好奇心で口にしているのがわかるキョトン顔。
艶やかな銀色の髪が首の動きへ合わせて右へ左へひらりと踊る。今にも鈴の音が聞こえてきそうな優雅さはキョトン顔と全く合っていなくて面白い。
しかし先輩の言う通りだ。
「学校行ってないから引きこもりなんじゃないです?」
「でもさ、別にここは学校じゃないし。家からは出れるならキミは引きこもりじゃないと思うんだよね」
「まぁなんでもいいですけど」
「だから気になるんだよ。なんでキミが学校には行けないのか」
そして次の瞬間には真っ直ぐな目で僕を見つめるのだ。
銀色の髪の向こうで先輩の眼が揺らぐことなくただただ僕だけを映している。逃げる事は──眼を逸らすことは許されない目力が嫌になる。
まるで僕の内心が全部透けて見られている気になる。
「そう言うのは普通人に聞かないんですけどね、特に当事者には」
「でもキミと付き合う時に言ったよね。キミの事を知りたいって」
「好奇心は猫をも殺すって言葉知りません?」
「キミの事を知ろうとして殺されるなら仕方ないかな」
冗談っぽい口振りでも瞳は真剣そのものだ。
そんな目で見つめられては話してもいいと思ってしまうじゃないか。
「どうしてそんなに僕の事を知りたいのかわかりませんけど……」
「彼女だから。彼氏の事を知りたいって思うのおかしくない? まだキミのことで知らないことばっかりなんだからさ」
「それはこっちもですよ」
「じゃあお互いの事を知っていかないと。だからキミのこと教えて?」
ダメだ、逃げられない。
先輩の事を先に教えてと言われても、結局聞いた後に話すことになるのだろう──どうしたって回避できないなら話して楽になってしまおうか。
盛大に溜息をつく。
やけくそ気味に炭酸ジュースを一気に飲み干して先輩へ向き直す。
「別に大した理由なんてないですよ」
「いいよ、どんな理由でも笑ったりしないし」
「笑うのも無理なくらい普通な理由です」
一呼吸置いて続ける。
「ただ単純にクラスに馴染めなかった。最初の理由はそれですね」
「最初?」
「学校に行きたくない理由なんていくつもありますから。先輩には言いましたっけ、父さんが転勤するって事で高校入学と同時に引っ越して来たって」
「うん」
「元々友達はほとんどいなかったんですけど、顔見知りが一人もいない環境。勉強もそこまで好きじゃないし、クラスにも馴染めない。そうして学校を休んだら、誰も気にしないとわかってても……行きにくいんですよ」
しかもずる休みならば尚更に。
そうして最初に休んだのはいつだったか──去年の夏休み前とかだったと思う。中間テストで最悪な結果を出して、もう何もかも嫌になったのがきっかけだったはずだ。もう前の事過ぎて正確に思い出せない。
「最初に適当な理由で休んでも……まだ学校には行ってましたよ。このままじゃいけないって思えたので」
「うん」
「でも人は慣れるんですよ。一度大した理由もなく休むと……ハードルは簡単に下がりますからね。夏休み明けてからはもう早かったですよ」
「……連休明けってだるいもんねぇ」
「普通の人はそれでも行くんですよ。でも僕はそうはなりませんでした」
弱いから。
最後の一言は言えなかった。
しかしそれでも先輩はちゃんと聞いてくれている。
笑う事もなければ余計な相槌もない──それが心地よく話させてくれている。だから勝手に次から次へと言葉が浮かんでは口から出て行くのだ。
「学校行きたい?」
「どうですかね。行かないとなとは思います、積極的ではないですけど」
「本当に嫌ならさ……多分キミはこの話をする前に無理にでも帰ってると思うんだ。でもキミはそうしなかった、なんでだと思う?」
「……それは先輩が──」
「違うよ、わたしじゃないよ」
言いかけた言葉は優しい声色に塗り潰されてしまった。
ほんの少しだけ先輩の顔が近づき、僕だけを映す瞳がより近くなる。長いまつげが踊るその目は慈愛が含まれているのか。ただ見つめられているだけで安心感に近いものを覚えてしまう。
「きっとこれまでの話でキミは嘘をついてないと思うんだよね。適当に誤魔化すこともできたし中断もできた。最後まで話したってことは──キミは心のどこかで自分を知ってほしかったんじゃないかな?」
「こんなカッコ悪い事知られたくないですけど……」
「それでもだよ。カッコ悪くても今のキミをちゃんと見せてくれたことが嬉しいな。だって普通は言えないから」
「……嘘が下手なだけです」
「理由なんてなんでもいいよ、キミをまた一つ知れたことが嬉しいんだから」
近い距離でゆったり目を細める。
それがまた僕の唇を動かす。
「朝起きると……身体が動かなくなるんです」
「うん」
「このままじゃダメだってわかってるのに……家を出ようとすると身体に力が入らなくなるんですよ。ドアノブすら握れない」
「うん」
「だから僕は……手を放すんです。いつもいつもいつも……」
「うん」
「そして部屋に戻るんですよ。またダメだったって」
「うん」
「学校には行けないのにここには来れるなんてふざけてますよ」
本当に本当に本当に……。
自分が嫌になる。
そんな僕を先輩が否定しないのは優しさからなのだろう。
「キミはきっとわたしを優しいと思ってるかもしれないね」
そして見事に見透かされていたのだがカッコ悪い。
だが先輩は困った風に眉を寄せる。
「これはきっと優しさじゃないんだよ。冷たいんだと思う」
「それでもいいですよ、今はその冷たさがありがたいです」
否定も肯定もしない。
ただ聞いてくれたその冷たさが──嫌に熱い身体を、身を溶かす様な罪悪感を忘れさせてくれる。
「キミは変わってるなぁ。こんなわたしを優しいなんて。ダメな人間になるよ」
「先輩にそうされるなら仕方ないですね」
「これ以上のダメ人間になるとキミはここにも来なくなりそうだからダメ」
「はい……」
ふふ、途端に先輩が口元を緩ませた。
爽やかなミントの香りを残して、先輩の顔が遠ざかってしまう──それが妙に名残惜しくて。しかしそれを悟られるのが嫌で、僕は天井を見上げる。
家とは違うここの天井はなぜか僕を酷く安心させた。