今日もいつものと同じようにバッティングセンターへ。隣へは先輩がおり、結露が浮いた缶ジュースを口へ運んでいる。
梅雨も深まり、夜になっても蒸し暑くて汗が滲む今日この頃。
僕の服装はすっかり半袖Tシャツに7部丈のデニムに変わったのだが、先輩はと言うと変わらず冬用の黒いセーラー服に身を包み続けている。更に言えば黒タイツまで履いているのだ。
だからこそこの疑問は至極全うなのかもしれない。
「先輩っていつも制服ですよね」
「かわいいでしょ?」
どう? と言いたげに腕を上げて小首を傾げる。
銀色の長い髪と黒のセーラー服、メリハリのある色合いだ。それに加えてどこかミステリアスさを孕んだ顔。絵になるとはまさにこう言う事なのかもしれない。
だが気温は夜でも二十度を当たり前に超えてきているからこそ、見ているだけで暑くなりそうだ。なにか拘りでもあるのだろうか?
「かわいいとは思いますけど……暑くないです? 衣替えも済んでるのに冬服って」
「あぁーそういうこと」
やれやれと溜息を一つ。
「気温は上がってるけど、まだ夜って微妙に寒い時ない?」
「どうですかねぇ……僕は毎日暑いなって思ってるくらいなので」
「男の子だねぇ。女子は冷えに弱いからさ、ここは冷房しっかり利いてるでしょ? 冷え性としては末端からじわじわと、ね……」
あはは。
天井へはめ込み型の冷房を見上げては苦笑する。
「学校ではどうなんですか?」
「この前冬服で行ったら衣替え終わっただろって注意されてさ。仕方ないから夏服にカーディガンかな……でも夏服って微妙と言うか何と言うか」
彼女的にしっくりこないポイントでもあるのだろうか。
溜息をした後、間を置くように缶ジュースに口をつけた。そして僕へ向き直す。
「キミはセーラー服ってどう思う?」
「どう? えっと……かわいいと思いますけど」
「だよね! だよね!」
「え、えぇ」
なんだこの食い付き方……。
前のめりなリアクションに相槌の正解がわからず困惑しつつ首を傾げる。
だが一度食い付いて火が付いた先輩は止まらない。
「かわいいじゃんね! なのにうちの夏服……なんで女子もブラウスにスカートなの!? 冬服がセーラーなら夏もセーラーにするべきだよね! ねぇ!」
「え、えぇ。そ、そうですよね」
「かわいいよ? 確かにかわいいけどさぁ……制服は今しか着れないんだから」
はぁーあ。
盛大な溜息、それほど制服──セーラー服に対する熱量があるという事なのか。確かにこれだけ思い入れがあるなら夏服は嫌だよな。
でも暑そうだよな……。
「そんなにセーラー服好きだったんですね」
「だって今しか着れないじゃん? 卒業したらコスプレになっちゃうじゃん? 今しか着れない服、今だから着ることに意味がある服って……きっとこれからの人生でないと思うんだよね」
「言われてみると……社会人でも会社によっては制服とかありますけど。多分それとは違うんですよね」
「全然違うよ! 働く場所によって着る服って退職とかしないと終わりってないからね。でも学生の制服って普通は中学と高校で六年だけなんだよ。なら夏でもセーラー服とかブレザーとか……ちゃんと制服着たいなって思うんだよなぁ」
「言われてみるとそうですね。意外と短いんですよね」
「そう! なのに……なのに! あっ、そう言えばキミも着てないじゃん!」
「と言われましても……夜ですし」
夜に制服で外出か。
制服に大して思い入れがないから必要最低限で済ませたい。と言うか動きにくいから正直な話あまり好きじゃないのが本音だ。
しかし先輩の熱に水を差すのもそれはそれで本意ではない。
だからこそ苦笑で誤魔化していると、先輩が頬を膨らませた。
「なんで? だってキミも制服で来れば制服デートなのに! 男の子ってそう言うの好きじゃないの?」
「あぁー言われてみれば。すみません、盲点でした」
「じゃあ明日から制服出来てくれる?」
「それは……どうでしょう」
やはり苦笑するしかできない。
ヒートアップする先輩の熱をどう冷ませばいいのか。先輩が制服一つでここまで熱くなるのが想定外すぎて返す言葉はやはり見つからない。
「もぉ……みんなもっと制服を大事にするべきだよ」
冷たいジュースを煽る。
しかし既に飲み切っていたのか、溜息と共に僕へ缶を差し出す。
「お代わり!」
「えっと……は、はい!
勢いに釣られて受け取ってしまった。
受け取ったからには自販機へ行く他ないらしい。
「じゃあこれ小銭。同じやつでお願い」
「あっ、はい!」
お金は渡してくれるんだな……。
熱くなっていても理性的な部分がしっかり残っているのが面白くて口元が緩んでしまう。
「じゃあ行ってきますね」
「ありがと」
そしてお礼まで言ってくれる。
ノリに乗ってみたはいいが、この人の面白い一面を知れたのは良かったかもしれない──そして願わくば戻る頃には熱が冷めているといいな。そう思わずにはいられなかった。
自販機で自分の分と先輩の分。
同じ缶ジュースを二本購入してベンチへ戻るのだが、一度先輩のテンションをリセットしたくてこっそり背中へ忍び寄ってみる。
先輩はスマホに夢中なので僕へ気付く様子もない。
今がチャンスだ。
「買ってきましたよー」
声をかけると同時に、その頬へ冷たい缶を押し当ててみる。
瞬間、
「ひゃっ!? なに!? なに!?」
その場で飛び上がり、くるっとこちらへ向く。
頬へ手を当てながら驚きと戸惑いが織り交ざった瞳で僕を見つめ、
「び、びっくりしたぁ!」
次の瞬間は頬を膨らませたが、瞬きしたころにはそれが萎んでいる。そしてしまいにはお腹を抱えて笑い出したのだ。この数秒でコロコロ表情がこんなに変わるのが面白い。
「キミがこういうことするの意外だったなぁ」
改めてベンチへ座り直して乾杯。
冷たい缶ジュースを二人して傾ける。
「落ち着きましたか?」
「さっきはごめんね。なんか制服に対する思いがつい……」
「そこまで制服に感情抱いている人初めてで面白かったですよ。まぁ僕としては先輩の私服も見て見たいですけど」
「えぇー、私服ー? ダサいからやだ」
「ダサいってそんなことないですって。先輩なら何でも着こなしそうですけど」
「それでも恥ずかしいからダメ。嫌です―」
暖簾に腕押しとはこの事か、見事なまでの頑なな拒否である。
ダサいというのも多分嘘なのだろう──見せたくない理由と言うのがしっかりありそうなのがまた難しいところである。
「じゃあこうしましょう。僕も制服着てくるので先輩も私服で来てくださいよ」
「えぇー」
「でもお互いメリットもちゃんとあるじゃないですか。落としどころとしてはいいと思うんですけど」
「それはそうだけど。うーん……わたしのダサい私服を見せる日が来てしまうのか」
「例えばどんなダサい服なんですか?」
「英字新聞みたいなTシャツとかデニムにチェーンとか……」
「……懐かしいですね、昔僕もそれやってました」
中学生男子御用達ファッションアイテムの数々。多分家のタンスを漁れば過去の遺産として幾つも出てきそうで嫌だ。
「先輩マジでそれ着てるんですか?」
「まぁ冗談だけどさ。なんて言うかな……自分が似合う服ってイマイチよくわからないんだよねぇ。制服は誰でもそれっぽくなるけどさ、私服ってなると組み合わせも多いし……難しいんだよ」
「そう言うのも楽しむのが女子だと思ってました。選ぶの好きと言うか、組み合わせがいいというか……」
「まぁそうなんだけどさ」
はぁ。
そこにどんな感情が込められているのかわからない。
だがぼんやりバッティングコーナーの奥を見つめる遠い眼差しにそれ以上お願いするのはできなかった。
雨が降り始めたらしい。
雨音が次第に大きくなっていく。
僕との先輩の間には明確に、不安定に踏み込むことができない一線が存在する。その線を肥えない限り僕と先輩はいつまでも恋愛ごっこを続けることになるのだろう。
この幸せのぬるま湯の中、それも浅瀬から抜け出せないまま。